ヘンリーのゲーム 8.バケツリレー

 ルークは息を呑んだ。
「ここは、すごいね!」
ヘンリーがうなずいた。
「宝の山だなっ、さあ、どれにする?」
声が弾んでいた。
 二人がいるのは、教団の食料倉庫より奥にある小さな小屋だった。教団と戦士団本部の需要をまかなうため、食糧倉庫はかなり大きな建物だった。小屋はその裏にひっそりと建てられていた。その小屋に何か運び込んでいるのを目撃した二人は、ある日そちらを調べてみようと決心した。幸い、ヨシュアの鍵束のうちの一本で鍵を開けることができた。
 内部は薄暗く、乾燥して涼しかった。三方の壁が棚になっていてさまざまなものが置いてある。中央には木箱や樽が集められていた。それが全部、食べ物だった。しかもかなりの高級食材だった。
「うわ、旨そうだ。こんなのお城(=ラインハット城)の厨房で見たっきりだ」
品物を手早く物色してヘンリーはむしろでつくったずだ袋につっこんだ。王族の食卓に出すようなベーコンやクリームである。
「このパンの塊、いいかな」
とルークはうっとりと言った。それは白くてやわらかかった。
「みんなが喜ぶよ」
ルークも荷をつくりながらささやいた。
「でもあんまりたっぷり盗るとわかっちゃうかな」
 食糧倉庫へ盗みに入るようになってから二人はいくつかルールを決めていた。そのなかの大事なルールが、いろいろなものを少しづつ持ち出すこと、大量に盗みだすのはだめ、というものだった。盗みがばれる可能性があるのだ。
 食べ物を盗んだ奴隷は見せしめとして処刑される。岩牢の奴隷仲間のためにもルークとヘンリーは捕まるわけにいかなかった。
「さっき、あっちの倉庫からもいただいたから、こっちはぽっちりな。ありがたいったらありゃしない!これで盗みを二か所に散らせる」
ヘンリーの声が浮き浮きしていた。
「ストックの内容でわかる。あっちは一般の教団用、こっちはたぶん幹部用だ。くそっ、あいつら、贅沢してやがんな」
「お酒もある。これなんだろう?」
堅く封をした小さな木の箱を、ルークはひとつ手に取った。
「そいつは煙草さ。大人はそれに火をつけて煙を吸うんだ」
パパスはやらなかったが、サンチョがときどきパイプを楽しんでいたのをルークは思いだした。
「じゃ、いらないね」
いや、とヘンリーはつぶやいた。
「酒を二三本くれ。煙草も。親方に土産にしよう」
むしろ袋の口を絞りあげるとヘンリーはむきだしの肩にひっかけた。
「さ、逃げるぞ」
「うん」
用心しながら扉を出て、元のように鍵をかけた。教団の召使や兵士の目を盗んで這うようにして台地を進み、一般用食糧倉庫の裏手へたどりつく。倉庫の立っている崖のはしに生えている灌木の幹に鎖が結んである。その鎖の端に盗品のはいった袋をくくりつけ、崖下へぶら下げるのだ。
「袋が多いね」
ルークは自分たちの戦利品が大量すぎることに気付いた。
「これだけあると、牢の中から回収できないぞ」
崖の下に釣り下げたむしろ袋は、同じ高さにある岩牢の中から鎖の先につけたカギにひっかけて牢の中へ引き込んで回収する。だが、重すぎるとそれができなくなる。
「しかたない。袋一個、自分たちで持ち込むしかないな」
ヘンリーはそう言った。
「見つかったら、たいへんだね」
「ああ。だが、ここへ残すのも不安だ。こんなものが見つかったら、犯人探しが始まるだろうし」
袋の中に詰め込んだのは、パンをはじめごく基本的な食品だった。ヘンリーが元の生活をしていたら、飽きたと言う理由で下げ渡すようなものだっただろう。でも今は大事なもの、自分と仲間の命をつなぐ物資だった。
 結局ヘンリーは盗品袋をひとつ選んで中身を二つに分け、ルークと自分の腹へ巻き付けた。みすぼらしい奴隷の服をその上に引き下ろして隠した。
 教団は奴隷たちを絶望で支配していた。奴隷は、死ぬまでの短い日々を大神殿に奉仕することを期待されているにすぎない。気力が尽きて死んだら死んだでそれまで。だから岩牢の日々は奴隷の余生、人生のおまけにすぎないと教団は考えていた。奴隷監督や兵士たちは奴隷の脱走やさぼりには目を光らせていたが、日々を満足して暮らしているか等についてはまったく鈍感だった。そうでなかったら、奴隷全体の雰囲気がだんだん変わっていったことに気づいたかもしれない。
 ルークたちがもたらしたのは、余生ではなく生活だった。ひどい住居だが、疲れ果てて帰ってきたときに休息と栄養を取れる。気力は日々減っていくだけではなく、ほんの少しでも回復し、明日へとつながっていく。
 ルークたちはこっそり親方の元へもどった。食糧倉庫への往復は親方黙認だった。もちろん、その日割り当てられた作業を減らすことは許されない。きちんと作業をしたあと二人が“出かける”ときは、親方が奴隷監督や兵士をごまかしてくれるのだった。
「親方がこの余分な袋を運んでくれたら助かるんだけどね」
「親方はあてにすんな」
短くヘンリーは切り捨てた。
「そんな甘えを許してくれる師匠じゃねえよ。第一棟梁が岩牢へ来るわけないしな」
二人とも腹にくくりつけた袋を隠すために猫背になりうつむいて歩き出した。
 遠くで銅鑼を鳴らす音がした。
「作業やめ!」
「集合!ぐずぐずするな!」
兵士と奴隷監督が、奴隷を集め始めた。
 ルークは緊張した。これから盗品持ち込みの最大の難関がやってくるのだ。作業現場を通り過ぎ、奴隷たちがあちこちから集まってきた。みんな疲れ切ってとぼとぼ歩いていた。
 中のひとりがふらふらとルークたちの方へ寄って来た。ヘンリーの手が素早く動き、兵士の目を盗んで盗品の入った袋を渡した。そのままヘンリーは前に進み兵士に言われたとおり、従順に列に並んだ。
 さきほど寄ってきたのは奴隷の“赤毛”だった。赤毛は盗品を持ったままのろのろ進んで行く。水汲み役の奴隷女が重い水がめを引きずって通り過ぎた。盗品は女が受け取って空の水がめへつっこんだ。
 ルークは自分の側に別の奴隷仲間、“目細”が寄って来たのを確認した。腹に抱いていた盗品を、兵士の目から見えないところでそっと手渡した。
「おい、ナマイキ!こっちへ来い!」
この山の上へ連れて来られて七年近くたっていたが、ルークはまだ奴隷になりきれていない、と言われる。もっと死んだような眼をしているもんだ、と言われるのだが、ルークはいつもとまどう。だが、他の奴隷にも親方にも兵士にも、ルークは生意気だと思われているようだった。
 そのため出入牢の際の身体検査は執拗だった。兵士たちは乱暴に身体を探り、こづきまわした。脱走に使える道具、やすりなどを探しているらしい。ルークは黙っていた。本当に何も持っていないので、見つかりようがない。
 ちっと舌打ちをして兵士はルークを解放してくれた。
「ぐずぐずするな!」
兵士が叫び、槍で脅して奴隷の群れを狩り集める。むち男はむちを空中で鳴らしながら見張っていた。
「列を作れ!」
奴隷たちは家畜のように集められ、地下洞窟の広い空洞で入牢の順番を待たされた。
 ルークは“札付き”だが、その他にも反抗的とみなされた奴隷はいやがらせのように検査された。そういう者からノーマークの者に盗品は手渡され、奴隷の群れの中を次々に進んで行った。
 手渡しは兵士の監視の隙をぬって行われた。一人が持ち歩く時間はできるだけ短くする。見つかりそうになったら、どんなに旨そうな食べ物でも崖の下や地下水路の中へ放り投げる。それがヘンリーが徹底させた原則だった。そして、中抜きをしないこと、独り占めをしないことも。
 実際、どんなに飢えた奴隷でも兵士の目の前で盗み食いをする度胸は持っていなかった。奴隷仲間は何度もこの手渡しを経験して、かなりうまく盗品をリレーできるようになっていた。なにせ、食いぶちがかかっているのだから。
 確かに兵士たちは冷酷で、奴隷監督はじっくり監視していた。しかし、ルークたちは奴隷を全部味方にしていた。
 兵士が水汲み女に向かってあごで通れ、と命令した。うふん、としなをつくって女奴隷は水がめごと牢へ入った。兵士たちは奴隷に対してはとことん残忍だったし、それは女奴隷相手でも変わらなかった。兵士たちが女子牢で毎晩どれほど残酷な悪戯をしているかはルークも知っていた。彼らの覚えのめでたい女奴隷は通常の重労働を免れ、水汲み役にしてもらえる。だが、今の水汲み女はとことん兵士と教団を憎んでいたし、盗品リレーの熱心なアンカーになってくれていた。ひとつクリア。
 もうひとつの盗品は“ほくろ”が持っていた。ルークはちょっと気になった。ほくろは三十代の痩せた小男で、気が小さい。あと数人で入牢の順番が来るのだが、見るからにおびえ、落ち着かないようすになっていた。
 どうしよう。ルークはほくろの方へ行こうとした。
「ナマイキ、またおまえか!うろうろするな」
見つかってしまったらしい。ルークは唇を噛んだ。ほくろの方を盗み見たとき、別の奴隷が側へ行くのをルークは見つけた。
「どうした、やせっぽち」
ほくろから後ろ手に盗品を受け取り、やせっぽちことヘンリーは入牢の順番待ちに並んだ。
「……」
「答えろ」
ぼそぼそとヘンリーは何かささやいた。
「え、なんだと?」
 奴隷たちはできるだけ顔を床に向け、いつもの無気力を装っていた。が、全員が緊張していた。大切な食糧供給ルートが、ヘンリーの演技ひとつにかかっているのだった。
「ナタンさんなら」
とヘンリーがつぶやいた。
 ヘンリーを見咎めたのはナタンという兵士だった。ルークも知っている監視役の兵士で、ヨシュア班のメンバーである。ヨシュアはあのあと、監視班がいくつか集まった小隊と呼ばれる組織のトップになり、小隊長として忙しくなった。別の仕事に行っているらしく、今日はいなかった。
「ちょっと来い」
ナタンは地下洞窟のでこぼこした岩壁の窪みへヘンリーを連れて行った。ルークは息を呑んだ。ヘンリーは自分から盗品のはいったむしろ袋を差し出していた。
「こ、こいつは!」
ナタンは袋を開いて声を上げた。
「どうした、ナタン?」
仲間の兵士が言った。
「いや、なんでもない。あ、入牢検査を頼む」
そう答えてからヘンリーの方へ向き直った。
「拾っただと?」
ヘンリーがうなずくのが見えた。
「落っこっていたんです。誰かが捨てたなら、拾ってもいいと思って」
傍目にもナタンは緊張しているようだった。食糧泥棒だとしたら、兵士全員を集めての大事件になる。だが。
「こんな酒、誰が飲むんだ。それに、煙草じゃないか。めったにお目にかからないような」
ナタンの緊張の原因をルークは悟った。盗まれたのが普通のパンだったらすぐに奴隷のしわざと決めつけるのだが、酒とたばこなので教団内部の人間、ないしは教団上層部の人間のしわざかもしれないのだ。下手に騒ぐと自分の首が危ないことになる。
「ナタンさんにお届けします」
ナタンは背後の同僚兵士たちのほうをそっとうかがった。
「俺以外の誰かにこのことを話したか?」
その目つきに保身と物欲しさがありありと現れていた。奴隷のやせっぽちしか知らないことならナタンさえ黙っていれば着服できる。
「いいえ」
ナタンはほっとしたらしく、肩の力を抜いた。
「そうか。落し物は預かる。事が大きくなるといけないから、誰にも言うなよ」
はい、とやせっぽちことヘンリーは素直にうなずいた。
「もしまた拾ったら、ナタンさんに届ければいいですか?」
教団の兵士の制服の下に高級酒と煙草の小箱をむりやり隠して背を向けたナタンが、ぎょっとしたように立ち止った。それからようやく顔をねじ曲げて奴隷の少年を見た。
「おまえは……」
無気力な姿勢、疲れた顔、薄汚れた姿の奴隷は、強い視線でナタンを見据えていた。ナタンは、だが手の中の盗品を握り締めた。
「ああ。そうだな」
ついにナタンは言った。
「そうしてくれ」
買収が成功した瞬間だった。奴隷少年の口元が、くっと上がった。

 マスタードラゴンにルークは説明した。
「兵士たちは光の教団の所属でしたが、一致団結していたわけでも規律正しいわけでもありませんでした」
実際ルークたちだけではなく、兵士や教団の召使いも倉庫の食糧を拝借していたらしい。数の帳尻をきちんとあわせず、あるていどルーズにしていたほうが都合がよかったのだろう。
「兵士たちは奴隷を殴って規則を守らせることには熱心でしたが、自分たちは平気でルールを破っていました。ただし、上に立つ者は自分の権益を下の者に渡そうとしませんでしたから、幹部用の高級酒や嗜好品は一般兵士にはなかなか手には入りにくかったのです。ひと箱の煙草は、入牢検査のとき兵士たちから目こぼしを勝ち取るには十分な値打ちを持っていました」
「ふむ」
とだけ言って、マスタードラゴンはじっとルークを眺めた。
「そう、ぼくたちのバケツリレーシステムは、十数ヶ月のあいだ驚くほどうまく行っていました。ですが、思わぬところから破綻が来ました」
「何があった」
「石工の親方が脱走したんです」

 大勢の奴隷が生きたまま固められて柱と化したあの基礎工事から、五年の歳月が経過していた。工事はかなり進んでいた。ずらりと整列した太い円柱はしっかりした基石に取り巻かれ、柱頭には彫刻を施した飾りをつけていた。
 親方は、柱の一本一本を樹木のように見せかけていた。柱の基部は木の根っこのような形にして、円柱の表面は若木を数本束ねたようになっている。柱頭飾りは何本もの若木を編んだような複雑な形だった。柱頭から三方に向かってアーチが出ているのだが、アーチそのものも伸びやかにしなう細い枝に見える。石でできた枝は、みずみずしい若葉としか思えないような石の葉がびっしりと生えている彫刻が施されていた。
 柱頭から上へ伸びて小アーチになったり天井をささえるリブになったりする部分もやはり若木の枝のように見せかけられているので、大神殿の床に立って上を見上げるとまるで石の森の中にいるようだった。
 ただし、天井そのものはまだなく、リブまでできているのも一部分だけ。前後左右の壁もまだ未完成で、親方のつけた印に従って、一番外側の壁の部分は石詰みが四方同時に進行していた。
 本堂の床は色の違う石材を滑らかな石板状に切り出したものをぴったりとしきつめる作業が進んでいた。石舞台になるところはすでに彫刻を施した石材が持ち込まれている。
 大神殿の内側があるていどのめどがつくと、外側の工事も進みだした。周辺を整備して広い前庭をとり、門をつけるのだ。正門とファサード、神殿を正面から見たときの荘厳なイメージは、石工の親方が描いたものだった。
 ルークたちにとって、荘厳な大神殿よりも大事なことがあった。工事が神殿の前後左右に及んだため、作業区域が広がったのである。その結果、食糧倉庫への距離が近くなった。
 工事が日没すぎまでかかると現場には火壷が持ち込まれ、その明かりを頼りに作業をすることになる。親方の暗黙の了解の元、ルークたちはときどき現場を離れ、倉庫へ走った。獲物はさまざまな種類の食べ物と、そして倉庫に潜んでいる間にやってくる教団の召使いたちの会話を盗み聞きして得た情報だった。
 親方の脱走用地図はそういう情報を得て次第に書き込みを増やしていった。定期的に馬車が山の上に物資を補給しに来ることは召使たちの会話でわかっていたが、ルークたちはさらに山を降りる馬車がどこに待機しているかを調べあげた。教団本部のさらに背後の坂を少し下った場所だった。
 それを知った親方の興奮はすごかった。
「なんとかして馬車に潜り込むんだ!荷物に紛れて馬車で山を下って、隙をついて馬車から降りればいい。それでおれたちは自由だ!」
あとはどんな馬車がいつ来るか、紛れ込むにはどうするか……親方はルークたちと三人だけのときはその話ばかりしていた。
「どうしよう。困った」
ルークはつぶやいた。
「あいつらのことか?」
ヘンリーが答えた。あいつらというのは、奴隷たちのことだった。
「僕たちが脱走しちゃったら、前みたいに食べ物が不足することになる」
うん、とヘンリーは答えてしばらく考え込んだ。
「あのさ、おまえ、バカなこと考えてないか?」
「え?」
「できることなら、みんなで逃げたいとか思ってるだろ」
う、とうなったきり、ルークは言葉が出なかった。“脱出ゲーム”の参加者は三人だけだったのに、今さら変えるのはルール違反。そのくらいはルークもわかっている。だが、心にはどうしても割り切れない思いが残っていた。
「僕たちだけが脱出したら、裏切ったみたいで、その」
「残酷なようだが、全員脱走は、無理だ」
とヘンリーは言った。
「奴隷の中には年寄りも病人もいる。大の男だけ選ぶとしても親方の脱出プランは、少人数しか成功しない。しかも教団側もバカじゃないから脱走に使ったルートは二度と使えない」
ルークは口ごもった。
「仲間なんだよ、みんな」
ヘンリーは深く息をして腕組みした。
「次の馬車はあと何日かで山へ上がってくる。親方は脱走するぞ。そのときおまえ、どうするんだ。仲間を連れていきたいんですって言うのか。連れて行くとしたら誰と誰だ。残ったやつはどうするんだよ」
「ぼくは、そんな!」
広げた十指で顔を覆ってルークは歯を食いしばった。
「知ってるよ、君のほうが正しいって。僕は……」
しばらく二人ともただ呼吸していた。
「合い鍵、置いていこうぜ」
とヘンリーが言った。
「あと、親方の地図も写しを残してやろう」
ルークは指をおろした。
「それでみんな、生き延びてくれるかな」
ヘンリーはちょっとためらった。
「今いる奴隷が全員生き延びる可能性は、低いと思う。でも少しでも生き残ってくれたら」
ルークはうなずいた。
「ぼくは、できるだけ早くここへ帰ってくるよ。そしてみんなを助け出すんだ」
ヘンリーはうなった。
「脱走したのに、ここへ戻るって?おまえってやつぁ……」