ヘンリーのゲーム 4.徒弟

 ルークは深く息を吸って、一気に吐き出した。
「もちろん、ぼくは覚えていませんでした。霧のかかったような視界に色の付いた影が出たり入ったりしたことはぼんやりわかったのですけど。それから誰かがずっと僕の名を呼び続けていました。たぶん、それがヘンリーだったんだと思います」
「あの子のほかにはおまえの名を知るものはいなかったはず。その通りだろう」
と、重々しくマスタードラゴンは答えた。
「あとからヘンリーは、牢の壁に刻みつけた印を見せてくれました。小さな爪の跡が、30個。ごく原始的なカレンダーでした。その爪痕を刻むあいだ、たぶんヘンリーはぼくに食べ物を供給し続けていたんでしょう。そうでなかったら、ぼくが飢餓牢を生き延びたはずがない。そのことに気づいて、ぼくは……」

ごめんね、とルークは一生懸命言ったのだった。小さなヘンリーは七才だった。ほんの子供で、環境が激変して、生き抜くことさえ難しい場所で、彼は一ヶ月、小さな子分を守り通したのだ。
「うるせぇ」
というのが彼の答えだった。
「子分は親分の言うことをきくもんだ」
「でも、ぼく」
真顔でヘンリーは遮った。
「よせ!もしもう一回言ったら、おれは、おれは……」
小さなヘンリーは、一生懸命彼なりのおどしを考えたようだった。
「謝っちゃうぞ!」
「え?」
堰を切ったようにヘンリーはまくしたてた。
「おれがあんなバカじゃなかったら、あの人は死なずに済んだ。おまえも奴隷になんかならなかった。ごめん、おれがバカだったから……」
青みがかった緑の瞳に涙が浮かんでいた。
「やめてよ」
そんなことを聞きたいわけじゃなかったのだ。
「だっておれが誘拐されたりしなかったら」
「やめて!やめよう、こんなの!父さんはぼくをかばって戦わなかったんだよ、あんなに強いのに!ぼくは、それが何より……」
ヘンリーはやっと口をつぐんだ。訪れた沈黙の中、ルークは歯を食いしばってつぶやいた。
「辛いことばっかり思い出すから、やめよう」
ヘンリーは手の甲でぐしっと目をこすった。
「じゃ、おまえ、謝るなよな?」
「あ、でも」
「お互いに謝ったりしないって約束するなら、えーと、そうだ、秘密を教えてやる」
後にルークがさんざん聞くことになる、どこか思わせぶりな口調で小さなヘンリーはそう言った。
「秘密って?」
ヘンリーは声をひそめた。
「おれ、ずっとゲームをしてるんだ」
「ゲームって」
「物ごころついた時から、俺はお城がいやでいやでたまらなかったんだ。だからずっと逃げ出そうと思ってた」
自分の家をいやだと思ったことが一度もないルークはぽかんとしていた。
「ときどき成功したけど、たいていは捕まっちまった。でも成功した時はうれしかった。俺を閉じ込めてたやつらのツラが見ものだったし、第一どこでも好きなところへ行かれるんだからな。だから俺は抜け出して逃げるのが好きなんだ」
ふんっとヘンリーは小鼻から息を噴き出した。
「今はどうだ?城からは出られたけど、別なとこへ捕まっちゃった。脱出ゲーム第二弾さ」
そう言うヘンリーの口調には、たとえ空元気だとしても、屈辱や絶望はほとんどうかがえなかった。難関に挑む名手のプライドをもって小さなヘンリーは胸を張った。
「これから俺は探すんだ。脱出につながるヒントをさ。手に入る物はなんでもためこんで、目に入るもの、耳に入ることはなんでも逃さないようにして、脱出口を探し出す。準備ができたら脱走だ!」
確信に満ちたその表情を、今もルークは忘れられない。
「でも、そんなこと、できるの?」
うん、と彼はうなずいた。
「できる。手始めに、おれは子分を取り返したもんな。どーだ!」
にやっとヘンリーは笑った。ルークは、からっぽで寒々とした胸の中が何か熱いものでひたひたになってくるのを感じた。ルークはこくんとうなずいた。
 ただそのとき、小さなルークは、ヘンリーがたいへんな嘘つきだということをよく知らなかったのだ。

 天空城の玉座の間には、天空人たちはいなかった。ルークは床に座り込み、金の鱗のマスタードラゴンの巨体に背中を預けてもたれかかった。
「確かに幼い子供には辛いことだ」
マスタードラゴンの声はルークの心に深く響いた。
「何が一番辛かったか、ぼくはあの時、きちんと言えませんでした。僕は、父が僕をかばって戦わなかったことが何より辛かったんです」
マスタードラゴンはためいきをついた。
「すべての道筋をそうなるように整えたのは私だ。謝るつもりはない。だが、責めるなとも言うまい」
議論が最初に戻りそうになる。ルークは小さく首を振った。
「そうやって僕とヘンリーは約束しました。お互いに謝ったり遠慮したりしないこと。その約束は、表向き守られました」
「表向き?」
「ヘンリーは相変わらず、小さな身体と頭をフルに使って僕を生かそうとしてくれたからです。そのことを言うと、おれは親分だからいいんだ、と言い張ってました。そう言えば、僕が飢餓牢を出られたのはヘンリーの作戦勝ちだったようです」

 大牢の鉄格子の扉が開いた。兵士たちが奴隷に二列縦隊になるように命じ、二人づつ牢から出るように指示を与えた。
 奴隷労働者たちは急いで寝床代わりのむしろから這いだして、できるだけしゃんと立ちあがる。その日仕事に出られないと判断された者は、その場で飢餓牢行きが決まるからだ。だから眠たかろうが、身体が痛もうが、体調が悪かろうが、必死で立った。
 そうして大牢から出た奴隷は首輪をつけられ、輪と輪を鎖でつながれる。つながれたまま列をつくり仕事場へ行く途中で立ったまま食料を与えられる。堅いパンと具のないスープていどだが、それでも食い物は食い物であり、その日一日の命をつなぐものだった。
 ルークたちは奴隷の列のほとんど最後について牢を出た。
「あ、そうだ、ここを出たら、俺の名前、言うなよ」
子供たち二人はやはり首輪をつけられ鎖でつながれたが、二人だけだった。
「なんで?」
とルークは聞き返した。
「どういうわけか、ここの連中は奴隷に名前があるのを嫌うんだ。名前で呼びあうと何様のつもりだと言われて制裁される」
「うん、わかった」
「おまえ、目立つんだよ。あんまり周りを見んな。殴られたくなかったら、下を向いてろ」
ささやくのが終わる前に兵士がやってきた。
「おまえらはいつものところだ」
「いつものって」
ルークはきょろきょろし掛けて、ぎょっとした。
 ヘンリーは、自分でそうしろと言ったようにうつむいていた。足をひきずるような歩き方で、猫背になっている。無気力な表情、ほとんど虚ろな目つき。それはほかの奴隷とまったく同じだった。
「ヘ……」
と言い掛けてルークは口ごもった。兵士がじろりとにらんだ。ヘンリーが首を動かしたのでルークの首もひっぱられた。こっちへ来い、という意味らしい。ルークはおとなしく歩き始めた。
 いつものところというのは、前の日に追い出された工房だった。兵士は子供たちを工房へ連れ来ると、見張りの兵士に合図して扉を開けさせた。
 ルークはあれ、と思った。この工房の親方は教団側の人だとなんとなく思っていた。が、奴隷と同じく兵士から監視を受ける身の上のようだった。
 親方は子供たちを見ると盛大に鼻を鳴らした。
「こいつらは役立たずだぜ」
だが兵士は無表情だった。
「こいつらのほかに、牢に子供はいない。弟子は子供の頃から仕込むのではないのか」
「そりゃ、そうだが」
「こいつらに不満なら、おまえが行って弟子を決めろ」
突き放すような言い方だった。
 親方は憎々しげに兵士をにらんだが、けっとつぶやくとルークたちに入れ、と手招きした。
「いいかおまえら、ここから追い出されたら、おまえら下の現場へ行くしかないんだぞ。下じゃおまえらみたいなガキの使いどころなんかほとんどない。何せ、岩盤えぐりぬいてるんだからな。ここで引き取らなきゃ、岩につぶされてお陀仏だ。わかったら死ぬ気で励め」
「はい」
とヘンリーはうつむいたまま小声で言った。
「がんばります」
とルークは親方を見上げてそう言った。
「おい、無駄飯ぐらい。今朝は元気がいいじゃねえかよ」
どう見ても褒めているとは思えない口調で親方は言った。
「来い。昨日できなかったところからやってみろ」
子供どうしをつないだ鎖を外してまだ小さなルークの薄い肩を荒っぽくつかみ、親方は岩の塊の前にひきずるようにして連れてきた。
 ルークはぽかんとしていた。昨日できなかったと言われても昨日のことをほとんど覚えていないのだから、なにを求められているのか、さっぱりわからない。
 のそのそとヘンリーが隣へやってきた。牢を出てから、ヘンリーはほとんど口をきいていなかった。岩塊のそばに古びた道具箱があった。そこから小さめの木槌と鉄でできた楔のようなものを取り出し、楔を岩の表面にあてがって木槌でそっと叩いた。楔は岩の表面にめりこんだ。
 どうやら見本を見せてくれているらしかった。ルークは自分も楔と木槌を取って岩に向かい合った。だが、どこに楔を打てばいいのか。
 ヘンリーは二本目のくさびを打っていた。そして三本目。三本の楔は一直線上に並んだ。とん、と木槌が動いて楔の頭を軽く打った。三本の楔の頭を順繰りにそっと叩いていく。楔はしだいに岩の固まりに食い込んでいった。
 さっと光が射したようにルークは理解した。ヘンリーは岩を割ろうとしているのだった。
 ルークは自分の前の岩を眺め、手のひらでさするようにして感触を確かめた。岩を割るべき筋目を心に思い描く。それは真っ赤なラインとなって岩の表面に浮き上がってきた。そのライン上の中央に、最初の楔を立て、木槌で叩いた。あっさりと楔は滑ってしまった。
 ふん、と背後で親方が鼻を鳴らすのが聞こえた。ルークは楔を取り直し、できるだけ垂直に楔を立ててそっと叩いた。今度は手応えがあった。ゆっくり手を離すと楔の先端が岩の中にめりこんでいた。ルークは安心してほほえんだ。
 ヘンリーは楔を増やしていた。五本の楔が岩を割ろうと食い込んでいく。
 ルークは二本目にとりかかった。赤いラインはまだ幻視のなかにありありと見えていた。二本目の楔をラインの上に立て、木槌でそっと頭をたたいた。
 その瞬間だった。ルークの見た幻の赤いラインが現実となった。色はついていないが、ラインに沿って亀裂が生じる。とん、とん、とルークはリズムをつけて楔をたたいた。亀裂が左右に延びた、と思ったとき、岩はまっぷたつに割れた。
 ルークの背後で、親方が息をのんだ。物も言わずにルークをおしのけると、割れて転がった岩の断面を調べ始めた。その断面は磨いたように滑らかだった。
「おい、ガキ」
と言って親方は絶句した。
 ルークはぽかんとしてヘンリーの方を見た。ヘンリーはうつむいて自分の岩に集中していたが、卑屈な奴隷少年の偽装の下で口元がゆるんでにやりと笑った。
「てめえ、岩の筋目を読めるのか」
それが、幻の赤いラインのことだとルークは気づいた。
「たぶん」
とルークは答えた。反射的に殴ろうとして親方は手を止めた。
「目つきが生意気だぞ、おまえ。奴隷はもっと、死んだような目をしているもんだ」
ヘンリーが言ったのはこのことだ、とルークは気づいた。小さなルークはできるだけ目を伏せてみた。ふん、と気に入らなさそうに親方がつぶやいた。
「まあいい。来い」
その日からルークは、石工の親方の奴隷徒弟になった。

 マスタードラゴン、神であり竜であるその存在は、全身を黄金の鱗に覆われていたが、その腹は規則正しく呼吸によって上下していた。
「では、おまえたちは、十年の間ずっと石工の徒弟をしていたのか?」
自分の身体にルークをもたれさせたまま、マスタードラゴンは首を伸ばして訊ねた。
「いえ」
と言い掛けて、ルークは言葉に迷った。
「なんと言えばいいのか、少なくとも最初の何年かは、ぼくたちは石工の徒弟をしていました」
ルークは記憶をたどるために目を閉じた。
「今の僕は、大神殿全体の構造を知っています」
とルークは言った。
「正門と参道、それに続く大聖堂。大聖堂の内部は巨大な本堂と正面の石舞台。この本堂の周りには聖具室や控え室などの設備。ここまでが光の教団の一般信者用です。そして舞台の隠し戸からつながるルートで地下へ進むと地肌がむきだしになった地下洞窟があり、洞窟のつきあたりの扉を入ると奥の院。ここにはモンスターたちが詰める各区画と侵入者を防ぐ迷路、最奥には教祖イブールの祈祷所があります」 
ビアンカを助け出すためにパーティをつくって乗り込んだその場所は、ルークにとって記憶に新しいものだった。
「奥の院は、たぶん十年よりもっと前に造られたものだと思います。ずっと昔、世界一高い岩山の地下に奥の院が建設され、そこにつながる形で山頂に大聖堂の建立が計画されたのでしょう。石工の親方は大聖堂のほうを担当していました。わざわざそんなものを造った理由を、一般信者が人間なので人間受けのする大聖堂を教団の看板に欲しかったからだろう、とヘンリーは言っていました。ぼくはあとから別の理由にも思いあたりましたが、人間に見せるため、というのは正しかったとぼくは思います」
「人間受けをねらった聖堂を、奴隷の手で造らせていたということか」
「そうです。でも、石工の親方はしょっちゅうぶつぶつ言っていました。彼はれっきとした棟梁でした。大がかりな建築にも携わったことがあると言っていました。けれど、棟梁でも一人きりで作事はできません。石を切り出す石切工、細かい細工をする熟練工、木材を使う部分を担当する大工、大工や石工の道具を造ったり修理する鍛冶屋、そのほかたくさんの人材が必要なのです。それなのに教団が与えることができたのは、技能も意欲もない奴隷だけでした」
ぴくぴくと竜の腹が動いた。マスタードラゴンが失笑したのだとルークにはわかった。
「やつらのやりそうなことだ。それで?」
「ぼくたちが来てからだいぶあとで、大工や鍛冶仕事の技術を持った人間が現場へやってきました。一部はさらってきて無理に働かせたようですが、一部は高い報酬を約束してつれてきたようです。そしてぼくとヘンリーは、石工の熟練工として働けるように親方に仕込まれていました」
「おまえたちは子供だったろうに」
「職人の見習いは子供から始めますし、親方は子供の方が指が細く器用で細工に向くと思ったようです。ヘンリーが壁につけた印が三年分を越えた頃、事件がありました」

 子供たちの指はすぐに傷だらけになった。親方や職人の気分次第で怒鳴られ、殴られしながら毎日重いものを運び、鋭い道具を扱うのだ。そして冷たく乾ききった気候から皮膚を保護する方法もなかった。
 その朝、牢から出される前、ヘンリーは乾いて割れ、傷だらけになり、爪のかけたぼろぼろの指で自分の前髪を額にばらけさせた。
「こんなもんか」
そうやって、しかもうつむきかげんにしていると、よほどしげしげと見つめないかぎりヘンリーの顔はよくわからないのだ。
「まあ、あれから三年たったからな。大丈夫だろうと思うけど」
「誰を警戒してるの?」
「新しく来た石工。ラインハット訛りで親方と話してた。なんでここへ来たか知らないが今のラインハット人なら光の教団の信徒かもしれない。もしそうなら、王妃アデルと通じてるかもしれないからな。"ヘンリー王子"がまだ生きてると知られたくない」
牢を出されたルークたちを、兵士はいつもの工房と違うところへ連れて行った。ルークは、傍らのヘンリーを背後に隠すようにした。石工の親方が新しく来た石工を含めてスタッフを引き連れて歩いてくるのを見つけたのだった。
「来い」
親方は短く言って、不機嫌な顔つきで歩いていく。ルークたちはスタッフの最後尾についた。
 さらにその後ろに槍を抱えた兵士が数名ついてきていた。親方はこんなふうに露骨に監視されるのが大嫌いなのだ。親方の機嫌が悪いと何をやっても怒鳴られるし、造った物を踏みつけて壊されることもある。ノルマ未達成だとその日の食事ももらえない。ルークは演技ではなく肩を落とした。
 洞窟の中の道はどんどん登りになっていく。そして次第に騒がしくなっていった。
 いきなり視界が開けた。ルークは人目を気にしながらそっとあたりをうかがった。
 ルークたちは岩山内部の通路を歩いて、出口の向こうにあった台地の上に出てきたのだった。台地の向こうには山脈がありその上に鉛色の空が見えた。台地は元々森があったらしい。だが森の外辺部を残して中央はすっかり伐り払われ、更地になっていた。
 ものすごく高いところにいるのだ、とルークは気付いた。それにしては、思ったほど寒くない。それは不思議なことだった。ルークたちがいる場所より低い山はどれも雪を被っているのに、その台地には緑があった。
 風は冷たい。果てしない空から吹き下ろしてくる風は冷涼としていて、木々がわずかにあるほかはまったく何もない台地である。
 それでもそこは、外界だった。毎日洞窟の中を這いずりまわって生きてきた身には、自由の空へつながる空間はどきどきするほど胸が躍るものだった。誰かがルークの腕をつついた。ヘンリーだった。
――覚えてるか?“ゲーム”だ。
ルークたちは無言でうなずきあい、少しでも脱出のヒントを得るために兵士の目を盗んでまわりを観察した。
 親方一行は兵士に囲まれながら、台地の先端まで進んだ。
 その場所はかなり広かったが、そこにいるのは親方の一行だけだった。先ほど聞こえた騒がしい人の声は、台地の向こうの崖の下から聞こえるようだった。
 崖の下には深い縦穴があった。穴の底は広大な空間だった。掘った土がむきだしの穴底で、一カ所に水が溜まっているのが見えた。だが乾いたところには人が集まっている。毎日牢から連れ出される奴隷たちが、すべてそこにいた。明らかに人間ではない奴隷監督が鞭をふるって叱咤し、作業を強制していた。
 作業はだいたいふたつに分かれていた。ひとつは縦穴の底から水平にトンネルを掘り進めるグループで、何十という奴隷労働者が並んでツルハシを振り上げ、岩の上に振り下ろした。他の奴隷は掘った土や石くれを集め、そこから踏み車式の巻き上げ機で穴の外へ運び上げていた。
 その反対側では別の種類の作業が行われていた。そこは完全に岩の切り出しだった。石工が何人も、木槌と楔を使ってルークにもわかるやり方で岩を割っている。なめらかな立方体ではなく荒く割っただけだが、とりあえず運べるくらいの大きさにしていた。
 その石材を、奴隷が運び上げていた。ある者は石材を自分の背に背負い、前屈みになって石切場から資材置き場まで坂を上っていく。ある者は二人がかりで細長い石材を両側から持って運び、ある者はもっと大きな石材に縄を掛け、数人で引きずりあげていた。
「石は、こっから掘ってたんだな」
穴の底を観察しながら声を殺してヘンリーはつぶやいた。
「じゃ、この大きな穴は石を採るため?」
「それにしちゃ、あのトンネルがわからないよな」
「下山口かもしれないね」
ヘンリーはシッと言った。気がつくと、親方は現場監督といっしょに崖の上に立っていた。鞭を持った奴隷監督たちも人類ではないが、現場監督は誰の目から見てもモンスターだった。全身を金茶色の鱗で覆われ、手にはカギ爪をはやしている。ワニに似た顔の大きな口は長く、歯と言うより牙が生えていた。だから少々言葉が聞き取りにくいのだった。
「オマエノ描イタ図ノ通リダ。ドコガマチガッテイル?」
人間とは違いすぎる顔からは、怒っているのか笑っているのか、感情がまるで読めない。いつも名人気質で傲慢な親方も、口を開く前に舌で唇を湿らせなくてはならなかった。