ヘンリーのゲーム 3.パパス

 ルークはぎゅ、と口を結び、いきなりヘンリーの手をつかんでひっぱった。
「こっちへ!早く!」
ルークはヘンリーをいかだに乗せて迷わずに水路を進み、途中で降りて石畳の道を走り始めたのだった。
「俺、俺……城へ帰ったら、親父と話してみる」
ヘンリーはつぶやいた。前を行くルークが、うん、とうなずいたのがわかった。
「今はとにかくここから出なくちゃ」
古代遺跡の中は迷子になりそうなほど広大だった。二人の子供とキラーパンサーの幼獣の走る音があたりにこだまする。わずかな灯りが二人と一匹の影を通路の壁に落とした。
 だんだんヘンリーは胸が苦しくなってきた。ラインハットでは好き勝手にしていたわんぱく王子も、ずっと旅をしてきたルークほどの体力はなかったのだ。
「どこまで続くんだ、この道」
息があがって、口も利けない。心の中でそうつぶやいたのだが、小さなルークは聞こえたかのように言った。
「あとちょっとで出口だよ!」
ちょっと停まってくれ、とはちびヘンリーにはいえなかった。早く外へ。それがパパスの指示だったし、ルークはそれに従っているだけなのだ。
「お、俺の方がいっこ年上だぞ、それでもって、親分なんだ……ウソでも」
だから子分より先に音をあげたくなかった。意地でヘンリーは歩調を早めた。
「ほら、ここを抜ければ!」
他のよりも広い通路にまっすぐつっこみながら小さなルークは言い、次の瞬間、はっと息を呑んだ。ヘンリーは彼の背中に顔面からつっこみそうになった。
 石造りの高いドーム天井の部屋の真ん中で、紫のマントの死に神が待ちかまえていた。
「ほっほっほ。ここから逃げ出そうとはいけない子供たちですね」
衣のすそがはためく。一瞬で死に神は距離を縮め、二人の子供たちを部屋の隅へたたきつけた。頭巾の下で長い顎が動き、妙に赤い唇がにやりと笑いの形になった。
 ぞくっとヘンリーの背筋にふるえが走った。
「なんだ、こいつ」
もう王妃アデルがどうの、次期国王がどうのというレベルじゃないことが子供心にもわかった。目の前の魔物は、アデルなどがどうこうできるようなちゃちい代物ではない。もっと、とんでもないモンスターだった。
 奇怪なほど長い頭には頭巾を被り、その上に大きな魔石を飾っている。顎には赤い刺青のようなものが見えた。何よりも不気味なのは頭巾の陰で輝いている目だった。
 う、とすぐそばでルークがうなった。さきほどの一撃で頭を打ったらしい。ゲマは喉の奥で笑いながら長く爪を伸ばした指でルークに触れようとした。キラーパンサーの仔は全身の毛を逆立てて魔物に牙をむいたが、哀れなほどちっぽけな抵抗に見えた。
 そのときだった。重い長靴が石畳を蹴って走る音がした。
「こっ、これはいったい!」
パパスが追いついたのだった。
 ゲマはさっと前を向き、陰険に目を細めた。
「これはこれは。あなたに差し向けた部下たちは、もうやられてしまったのですか」
パパスは子供たちがまだ生きていることを目で確認したようだった。用心深く武器に手をかけ、部屋の中へ一歩進んだ。とたんに、む、とうなった。
「おまえは……その姿は、どこかで」
「おや?少しは私のことを御存じなようですね?」
暗闇の中からだみ声がふたつ聞こえた。
「ゲマさま、この男、あのときの」
「哀れな寝とられ男では」
戦士は完全に戦闘態勢に入った。
「光の教団かっ」
ねめつける瞳、緊張した腕の筋肉。腰の剣が鞘から引き抜かれた。
「逃がさんぞ!よくも、妻を」
ゲマと呼ばれた紫のマントの魔物は筋張った片手を口元にあて、老貴婦人のような仕草で笑った。
「とんだ逆恨みですねえ。良い機会だ、我が教団のすばらしさをお教えいたしましょう。出でよ、ジャミ、ゴンズ!」
その瞬間、屋内なのに黒い稲妻が走った。闇が肉体を得てその場に現れた。それは筋肉と金属の塊、いや暴虐と悪意の塊だった。ゲマよりは劣るが、魔性は疑いようもない。もっと直截な暴力そのものが実体を備えて現れたのだ。牛頭、馬頭と呼ばれる地獄の鬼に似た姿の見上げるような体格をしたモンスターが、ゲマの前に立ちふさがった。暗闇の中に、赤い目が光った。
 突然、白銀の軌道が走った。パパスの剣は、恐怖の臭いが立ちこめたこの石造りの部屋に疾風を巻き起こした。
「くっ」
「ぐわっ」
ジャミとゴンズが後ずさった。鋭い金属音が連続して響く。苦痛と恐怖で動けないヘンリーは、うずくまったまま目を見開いた。こいつら、弱い。正確には打たれ弱いのだ。二対一と見て襲いかかったのに激しく切りたてられて、ジャミとゴンズは逃げ腰になった。
 パパスが得意の二回攻撃を放った。その威力は凄まじく、二回が二回とも会心の一撃。ゴンズの盾が飛び、ジャミの前足が傷ついた。二頭はあわててゲマの後ろまで下がった。
「お待ちなさい」
ゲマに迫る勢いだったパパスが、動きを停めた。
「こうすると、どうでしょう?」
ゲマは片手にルークを抱えていたのだった。片手をひらめかせるだけでその手に赤い柄の大きな鎌が出現した。ぎらぎらする刃を、ゲマはルークの喉へあてがった。
「この子供の命が惜しくなければぞんぶんに戦いなさい。でもこの子供の魂は永遠に地獄を彷徨うことになるでしょう」
ほっほっほっとうれしそうにゲマは笑った。
「息子を放せ!」
ゲマは横を向いて、ちょっと顎を動かした。下卑た薄笑いを浮かべたジャミとゴンズが、のっそりと現れた。
「よくもやってくれたな」
「抵抗したけりゃ、していいんだぜ?」
パパスは青ざめた。猛々しい戦士の顔が、父親の顔に戻っていく。
「あ……」
気絶から目を覚ましたのか、ルークが小さく声を上げた。ゲマは抱える腕に力をこめた。
 こいつは悪魔だ、とヘンリーは思った。こんな情景を見せるなんて。弱い者苛めの大好きなジャミとゴンズが、剣で無抵抗のパパスを殴るのをルークに見せつけるなんて。パパスは流れ落ちる血が目に入るのもかまわずに、ときどき息を大きく吸いながら、ただじっとルークを見つめて耐えていた。
 ルークは何かの魔力によるものか、体を動かすこともしゃべることもできず、ただ涙を流しながら父が切り刻まれるのを見ていた。
「ルーク、ルーク、気がついているか!?」
全身血塗れになったパパスが、痛みに耐えて息子に呼びかけた……そのときのパパスの顔、声も出せずに口をただ動かすルークの顔。
「おや、まだ息があるみたですねぇ?」
ゲマの手が動いた。指がメラミの印を結び、魔法力が高まっていく。パパスはもう、ゲマなど見てはいなかった。
「実はおまえの母さんはまだ生きているはず……わしに代わって母さんを」
その声はまっすぐにルークへ向かっていた。答えようとむなしく口を開け閉めするルークの後ろで、真っ白な光が輝いた。部屋の中のすべてが強烈な光に染め上げられ、色も輪郭も失っていく。
 光の中で一瞬、パパスの姿は黒い影となって立ちつくした。次の瞬間、断末魔の悲鳴を残して、それは粉微塵と砕けた。
「ぬわーーっっ!!」
声が響く。ヘンリーの耳の中で。
「ほっほっほ、子を思う親の気持ちは、いつ見てもいいものですね」
場違いなほど冷静な賛辞をゲマは与えた。このやろう、とヘンリーは幼心に思ったが、もうそろそろ限界だった。
 視界はまだ白い光に焼きつくされてよく見えない。だが、ゲマの手の中のルークも、糸が切れた操り人形のようにぐったりと弛緩している。気を失ったんだ、とヘンリーは思った。どっちかというと、そのほうがいい、と思ったのだが、この場所での最後の意識となった。

 ルークはつぶやいた。
「この直後のことは、あまりきちんとおぼえていません」
十年に及ぶ奴隷の日々は、もちろん消えることのない記憶となって脳裏にも身体にも刻みつけられている。だが、ふだんのルークは意図的にそれを心から追いやっていた。 また、パパスの死の直後あたりでルークの記憶はかなり混乱している。
「大神殿に関するぼくの最古の記憶は、すぐそばで子供が殴られているシーンです。それは、ヘンリーでした」  

 殴っていたのは、がっちりした体型だが背はそれほど高くない、中年の男だった。身につけているものからして兵士ではなさそうだった。ズボンと厚地のチュニック姿で、赤ら顔に太い眉を持っていた。
 男はチュニックの袖をまくりあげていた。驚くほど筋肉の発達した肩と太い腕で、その腕を振り回すたびに力こぶが盛り上がった。指は意外に長いが、たこがたくさんある。そしてチュニックの上から帆布のような地の大きなエプロンをつけていた。
 ルークは、サンタローズの村に住んでいた武器屋兼鍛冶屋を思い出した。この人は職人、しかも徒弟や下働きではなく一人前の職工だろうと思った。 
「ガキがっ!」
職人の男はついに足をあげた。手作りの粗末なブーツで、奴隷の子供の腹を思い切り蹴り上げたのだった。
 哀れな子供は、文字通りふっとんで動かなくなった。
「大事な材料をムダにしやがって!きさまらの命より、よっぽど大切なんだぞ、ここじゃ!」
霞がかかったようなルークの視界が次第に晴れてきた。
 ルークが座っているのは石畳のようなところだった。身体に感覚が戻りかけているのか、すねや尻に石の冷たさと堅さが伝わってくる。
 寒い。ルークは身をふるわせた。そして自分が下着も靴もなく、袋に穴をあけただけのような袖無しの服を着ていることに気づいた。
 あたりは暗かった。ゆっくり顔を上にむけてルークは天井を観察した。ごつごつした岩肌だった。天井も壁も洞窟そのままで、足下だけが平坦な岩床だった。奥には大きな木の台のようなものがあり、そのむこうに職人が使うらしいさまざまな道具の入った棚があった。ルークは自分の周りを眺めた。小さなルークは正体のわからないさまざまな道具や材料が壁際に整然と並んでいた。この洞窟は明らかにこの男の工房として利用されているのだった。
 怒ってわめきちらしていた職人が、ルークの方を向いた。
「おい、無駄飯食らい!」
自分を呼んでいるのだとわかって、ルークはぼんやりした驚きを覚えた。そんな名前で呼ばれたことなど、今までなかったのだ。
「聞こえてんのか!このガキを連れてとっとと岩牢へ戻れ!おまえらが使えねえなら、もう用はねぇ」
岩牢?ルークは苦労して立ち上がった。なぜか足腰の筋肉が弱くなっている。まるで長いこと病気で寝ていたような感じだった。
 職人は大股に歩いてきた。ルークのぼろ服の背中のあたりをつかむと、乱暴に放り出した。石畳の上、蹴り飛ばされた子供のすぐそばにルークはどさっと投げ出された。
「あ、いた」
むき出しの肩を石ですりむいたのだった。なぜかその一瞬、すぐそばにいる子がびくりとけいれんした。
「おれの工房から出て行け!」
ひときわ大声でわめくと、職人はもう振り向きもしなくなった。
 しかたなくルークは、もう一人の子供のほうを向いた。蹴り飛ばされた状態のままの姿勢で、その子は石畳の上にぐったりしていた。が、細い腕をのばして、指で空を探った。ルークは自分の手をその指にからませた。
「うっ」
蹴られた子はうめいた。そのときルークは、その子の髪が緑色なのに気づいた。肩で荒い呼吸をしながら緑の髪の子はルークの腕にすがって立とうとした。 
 ルークはその子に肩を貸す形で自分も立ち上がった。至近距離にうつむいたその子の顔があった。痛みにくいしばった唇、そばかすのある鼻の頭。
「きみは」
「しっ」
言うな、ということらしい。口をきくのもつらいらしく、緑の髪の子は片手でルークの肩を圧すようにした。その方向は工房の出口だった。ルークたちはそちらへそろそろと動き出した。
 出口を通ると、ぴかぴかの鎧をつけた兵士が二人、見張っていた。
「おい、どこへ行く」
言われてルークはとまどった。牢へ戻れと言われたが、それがどこにあるのかわからないのだった。兵士はいらだったようだった。
「おい!」
ルークの肩に預けていた顔を、奴隷の子供があげた。
「今日は帰れって、親方に言われました」
蚊の鳴くような声でそう言った。
「明日また来いって」
ルークは驚いた。また来いと言われた覚えはなかったのだ。ルークが訂正する前に兵士はうなずいた。
「よし、来い」
兵士の一人がルークたちを連れて歩き出した。
 工房を出たところは、やはり洞窟のようなところだった。下はごつごつした岩で歩きにくい。しばらくそんなところを歩かされた。 
 ルークは背中に半ばもたれている子を気にしていた。ときどきうめくようすからして、すごく痛いはずなのだ。休ませてやりたいが、兵士は許してくれなかった。
 道はゆるい坂になり、下っていった。下った先は薄暗い、広い空間だった。人がいた。一人や二人ではない、空間を埋め尽くす数が集まっていて、しかも一方向へ向かって移動していた。
 兵士は群をかきわけて、ルークたちを合流させた。
 薄暗いところだったが、ルークはその臭いに気づいた。あまり清潔でない生活を長くしてきた者が放つ独特の異臭だった。大勢の人間が裸足を引きずる音が響くが、私語はない。ときどき、苦痛のあまりうめく声や、ためいきや、鼻をすする音、指で髪をかきむしる音、せき込む声が聞こえる。あたりは大人ばかりでルークはケガをした子を肩につかまらせて集団についていくのがせいいっぱいだったが、ありがたいことに集団の移動速度はあまり早くなかった。
「ぐずぐずするな!」
空中で鞭が鳴る音がした。集団の両側は剣や槍を持った兵士と、鞭を振り回す見張りが固めているのだった。
 兵士たちが集団を連れて行ったのは、天井までの鉄格子で仕切られた広い岩室だった。これが「岩牢」なんだ、とルークは思った。鉄格子の向こうは不思議なことにぼんやりと明るかった。あとからそれが岩壁の孔から差し込む月明かりだと知った。
 金属音が響いて鉄格子が開いた。剣、槍、鞭に追い立てられ、人々はのろのろと鉄格子の中へ入っていった。鉄格子の出入り口が閉めきられ、音を立てて錠がかけられた。兵士がいなくなると、広い牢の中はため息とも泣き声ともつかないものでいっぱいになった。
 ルークの肩でケガをした子がみじろぎをした。
「大丈夫?」
「俺のセリフだ」
相変わらずか細い声で彼は答えた。
「おまえ、ずっと」
言い掛けてひどくせき込んだ。
「どこか座らないと」
だがあたりは薄暗く、人々はルークたちには一顧も与えなかった。
「明るいほうへ行け。そっちのが寒いから、場所が空いてるんだ」
子供たちはそろそろと壁際を回った。目が慣れると牢の内部がかすかに見えてきた。一カ所にテーブルがあり、数人の男が座っていた。それ以外の者はむきだしの土の上に編んだむしろを敷いてその上にうずくまっていた。暖房にあたるものはいっさいない。ケガをした子と密着している部分だけが温かく、それ以外はしんと冷えていた。ルークは薄灯りを目指した。
 その牢屋は巨大な洞窟の行き止まり部分を鉄格子でしきったものだった。壁はむきだしの岩のままで、でこぼこしている。一か所に窪みがあり、その奥に穴があいているらしい。冷たい風がもれてくる。同時にうっすらと明るかった。
 窪みの手前のむしろの上にルークたちはやっと座る場所を見つけた。かすかな光を頼りにルークはしげしげと相手を観察した。
「ヘンリー、だよね?」
「ああ」
壁に背中をつけて座り、両手で腹を押さえている。まだ痛いのだと気づいて、ルークは回復魔法を使おうとした。
「ぼく、ホイミならできるから」
言い掛けてルークは口ごもった。できない。物心ついて以来ずっとなじみだったあの魔法の感覚が消え失せていた。
「あきらめろ。ここじゃ、だめみたいだ」
「ええ?」
ルークは改めて、最初から抱いていた疑問をぶつけた。
「ここ、どこ?」
ヘンリーは殴られてよく開かないらしい目を半分開いた。
「そのようすじゃ、来たときのこと覚えてないんだな」
「来たときって」
ルークは、息をのんだ。
「なんでぼく、ここにいるの?お父さんは?プックルは……」
いきなり目の前が真っ白になり、耳の中で声がこだました。ぬおおおおおおおおーっ!
 ひっ、と自分の喉が鳴った。ルークは両腕で自分の肩をきつく抱いた。
「おまえの猫のことはよくわからねえ。でも、あの人は亡くなったよ。覚えてるだろ?」
悪寒に似た確信が足下から忍び寄り、心臓へとじわじわ上がってきた。こくん、とルークはうなずいた。
「あの古代遺跡で……お父さん……」
片手でまだ腹を押さえ、片手でヘンリーはルークの肩をつかんだ。
「おい、だめだ、行くな!」
真剣な目つきでヘンリーは言った。
「そっちへ行くな。戻ってきたばかりだろうが!」
「も、戻る?」
「おまえ、あの瞬間からずっと、魂がどっか行ったっきりだったんだ。話しかけてもうなるだけで、まるで獣になっちまったみたいで」
「ぼくは」
獣になりたいのかもしれない。そうなれば、お父さんのことを忘れるくらい、暴れることができるだろうに。
「だめだって!」
「なんでだめなの……」
ふるえながらルークは聞いた。
「あの人は最後に何て言った?聞こえてただろう?」
子供の声は甲高く、まわりに通りやすい。ヘンリーは声を潜めて激しくささやいた。
「おまえのお母さんが生きてるって。お母さんを助けろって。そう言ったろ?」
涙ぐんだ目でルークは彼を見つめた。
「お父さんは……うん」
「じゃあ、生きろ」
ヘンリーは言った。
「ここは光の教団が造っている大神殿の建設現場で、おれたちは教団の奴隷だ」
眉ひとつ動かさず、ラインハットの王子は言った。
「どれい?」
「おれたちの命は安いんだよ。だから生き延びるには、すごく注意して、利用できるものは何でもつかんで、がんばらないとだめなんだ。特にあきらめるのはダメだ」
おい、うるせえぞ、ガキ、と奥の方からいらだったような声がした。子供たちは声を潜めた。
「ここは、奴隷を入れておくための岩牢だ。入り口の近くに分かれ道があって、そっちは女牢になってる。飯は夜に一回、朝に一回。朝が来るとここから出されて、働かされる」
「そんなんじゃ、おなかすいて倒れちゃうよ」
「倒れた奴隷は、その場で始末されるか、あそこへ入れられることになってる」
ヘンリーは片手で、牢の片隅を指さした。
牢の中に、牢があった。数人しか入れないような大きさの場所を鉄格子で区切ってある。
「あれは?」
「飢餓牢だ」
ぼそっとヘンリーは言った。
「年を取ったり怪我をした奴隷はあそこへ入れられて、飢えて死ぬまで出してもらえない。中の奴は外にいる俺たちに飯をくれと叫ぶが、飯をわけてやったら自分が飢えるからそれもできない。あそこへ入れられたら、外の奴らに哀願して、罵って、泣くんだ。で、静かになったら、兵士が骸を引きずり出しにくるのさ」
「ひどいことするんだね」
おい、とヘンリーは言った。
「覚えてないのか?おまえ、この一ヶ月、飢餓牢にいたんだぞ」