聖女のステンドグラス 

 一人のガラス職人が建設現場でさきほどからうなり声をあげていた。
 その場所には荘厳な大神殿ができあがるはずだった。まだ完成途中で、四方の壁は石を組んで外壁を形作っているところだった。
 この大神殿は光の教団のものだった。入り口正面、あまりの大きさに石舞台と化した祭壇のむこうには、ステンドグラスのはまった尖頭アーチ型の大窓が三つ造られることになっていた。
 そこから暗い本堂へ光が射し込むとき、三つのステンドグラスは信じられないほど美しい、透明感のある荘厳な絵となるはずである。
 石舞台の真上正面の大窓は、いわば本尊。光の教団の主神、ミルドラースを描くことになっていた。
 ガラス職人の親方は、鱗と角を持った竜人を描くように教団から依頼されていた。背が高く堂々として威厳のある神人で、黄金の大きな太陽を背に空中の白雲に座る姿がほしい、と。
 特徴、表情、姿勢などを細かく指定されていたので、かえってガラス職人は下絵を描きやすかった。
 向かって右側の大窓は、教祖イブールのステンドグラスがはまることになっていた。ガラス職人はやはり注文にあわせて、英明な顔立ちの高潔な賢者を下絵に描いた。片手を胸に当て、片手を隣のミルドラースに向かってさしのべるような仕草の立ち姿である。背景は北斗七星だった。
「親方、まだですか」
ガラス職人の弟子が催促に来た。
「最後の下絵ができねえと施主さんに買ってもらう材料の見当がつかねえんで」
「うるせえな。考えてるんだよ」
最後の窓、向かって左側の大窓のための絵にガラス職人は困っていたのだった。
「聖女ってのか?どうもなあ」
依頼されたのは、光の教団の聖女マーサだったのである。
「女の絵は得意じゃないですか。ちゃっちゃっと描いてください」
ガラス職人の親方は、羊皮紙の脇に筆を置いた。
「ぶっちゃけた話、ホンモノの聖女だったらまっぴらだろうぜ、こんなとこぁ」
「しっ」
あわてて弟子がとめた。
 こんなとこ、というのは、建設途中の大神殿のことだった。うめき声と鞭の音が絶えず響きわたる。非人間的な、事実人間ではないモンスターの監督が情け容赦なく奴隷を使い捨てにする恐ろしいところだった。くやしそうな奴隷ならまだいい、感情があるのがわかるからだ。が、疲れ切ってもう逃げ出せない、何の希望もないと悟ると、奴隷は急速に気力と感情を失い、顔が虚ろになっていく。ただ機械的に体を動かすだけで、ものを考えなくなっていくのだ。
 そして、ある日、生きるのがこんなに辛いなら死んだ方がいいと思うと、その場にうずくまり、疲労に身を任せ、動かなくなる。兵士が剣をつきつけると、薄く笑いを浮かべて刃に倒れかかっていく。そのありさまを親方はこの現場で何度も見てしまった。
「お願いですから親方、めったなこと言わないでくださいよ」
気の小さい弟子は、あたりを見回して声をひそめた。
「ちっ、わかってるさ。でもなあ、こんなところがあるのを許しておくような聖女って、どんな聖女だ、いったい」
「どんなって。えーと、下々にはあまり興味がない聖女ですかね」
「でも教団は慈悲深い聖女を描いてくれっていうんだぜ?」
ガラス職人は首を振った。
「顔が思い浮かばねえんだ」
「知り合いにいませんかね。女なら誰でもいいじゃないですか。飲み屋の姉ちゃんでも、担ぎ売りのおばちゃんでも」
「そう思って一回適当に描いてみたんだが、上の方から描き直せって言われちまったよ。教祖様が下絵を直々にご覧になって、こんなのじゃないと言われたそうだ」
弟子はためいきをついた。
「とりあえず、決まってるとこだけやりましょうよ、命が惜しいし」
しょうがねえ、とガラス職人は言って、描きかけの下絵を持って立ち上がり、弟子と一緒に建設途中の大神殿の中を歩き出した。
「女奴隷でもモデルにするかな」
 職人と弟子の二人は工事のまだすんでいない神殿の床を踏んで歩いていた。正面から小柄な奴隷が大きな石材を背負ってやってきた。大神殿全体の棟梁、石工の親方の奴隷徒弟だった。ぼさぼさの黒髪を荒縄で首の後ろでくくり、やせた背に石材を載せてやはり荒縄で体にしばりつけている。その格好でこの徒弟は、高い櫓を上って親方に壁の飾りパーツになるこの石材を届けなくてはならないのだった。
 この現場には、年齢の低い者はまずいない。年寄りと子供は粗食と寒さと重労働に耐えられないのだ。その徒弟、ともう一人の少年奴隷は珍しい例外だった。
 ガラス職人は奴隷徒弟とすれ違った。何気なく視線を相手に流し、その場に立ち止まった。
 その脇を、重い石材を背負って黒髪の奴隷徒弟は歩いていく。
 左右の腕は石材を守るように背にまわし、歯を食いしばり、きっと前を見つめていた。重圧に屈せず身をしならせて受け止め、裸足の足をしっかりと地面につけて進んでいた。
 その顔をガラス職人は、くいいるように見つめていた。
「おい」
奴隷徒弟は立ち止まり、振り向いた。
「はい」
もちろん、垢に汚れていた。前髪はもうずいぶん櫛をいれていないだろう。黒ずんだ顔には傷も少なくなかった。
 しかし。
「ナマイキ、だったな」
彼の目は光を宿す。長年奴隷として働いているはずなのに、この子はまったく自分というものを失っていなかった。
 奴隷は死んだような目をしているべき、と決めている教団側のものは生意気なやつとして嫌っているため、この奴隷の子が鞭で打たれない日はないと言ってよかった。
「おまえ、いったい……」
その瞬間、櫓の上から石工の親方が叫んだ。
「そこで油売ってんじゃねえ!早くあがってこい」
「今、行きます!」
上に向かってナマイキは叫び、職人たちに軽く会釈すると両手で櫓にとりついて登り始めた。
「どうしたんです、親方」
ガラス職人は弟子に言われてやっと我に返った。
「見つけたんだよ、聖女の顔を」
「はぁ?」
ガラス職人は急ぎ足で大神殿を出て、自分用の工房にもらっているところまで帰ってきた。作業台に羊皮紙を広げると、夢中で聖女マーサの下絵を描き始めた。

 そのシュプリンガーは、三枚の下絵を作業台に並べてよく眺めた。シュプリンガー族の中から大神殿建設現場の現場監督に抜擢された彼は、攻撃に特化された一族のなかでは、頭脳派と言えた。
 自分より強いモンスターを抑えてうまくたちまわった結果、この建設現場で最大の権限を手にすることができたし、それを十分に楽しんでもいた。
「描き直させろ」
尊大な口調でシュプリンガーはそう命令した。相手は奴隷監督をしている小柄なむち男だった。
「ああ、やはり」
鉤爪のある指でシュプリンガーは聖女マーサの下絵をたたいた。
「なんだこれは!こんな生意気な顔のマーサではだめだ!石舞台の上に掲げるのだぞ!」
「あたしもそう思ったんです」
ぺらぺらとむち男はしゃべり始めた。
「この女、まるでミルドラース様とイブール様にたてつくみたいなかっこうじゃないですか。でもあのニンゲンの職人はどうしてもこれだって言って聞く耳持ちゃしないんですよ。ええもう、完全にあたしらをナメていやがります。ここをどこだと思ってんでしょうかねえ。地上みたいに好き勝手できるなんて」
むち男の饒舌が、ぴたっととまった。現場監督は目を上げ、思わず身をこわばらせた。
「見せてもらおうか」
そう言ったのは、赤い平たい帽子と茶色のマントで身を覆った僧侶だった。マントの脇から肩布が左右に張りだしている。マントの中にワニに似た緑の肌の顔をつっこむような姿勢で、僧はいきなり現れた。
「イブール様」
教祖は山の上の大神殿には興味を示さないのに、なぜかステンドグラスの下絵に強く執着しているのをシュプリンガーは知っていた。
 シュプリンガーが席を明け渡すと、イブールは下絵を眺めまわした。ミルドラースの絵にはちらっと視線を投げただけだった。イブールの下絵に与えたのは、小さくあざけるような笑い声だった。それは本物のイブールとは似ても似つかない高潔な姿だった。
 マーサの下絵をじっとイブールは見詰めた。
「おお……おお!」
むち男は上目遣いに教祖を見上げた。
「ええ、そのう、すぐに描き直しをさせますので」
そう言って下絵をひっこめようとした。羊皮紙のはしを、がっとイブールがつかんでとめた。
「これでよい。このまま使え」
シュプリンガーは思わずつぶやいた。
「しかし、それでは」
「かまわぬ」
「こんな生意気な女はとても信者の前に」
言いかけたシュプリンガーをイブールは語気荒く遮った。
「いったいおまえに、マーサの何がわかると言うのだ?わしはマーサを知っている。これはマーサだ。これが、マーサだ!」

 やがて時は過ぎた。少年勇者は妹と父を介添えに光の教団大神殿本堂に攻め入った。本堂石舞台の足下には怪物ラマダがとどめを刺されて転がっていた。
「おまえがマーサおばあさまのはずないじゃないか!」
勇者アイルは、天空の剣を片手にそう言った。
「あのステンドグラスと違いすぎるよ」
妹のカイ王女がうなずいた。
「あっちのほうが本物のマーサ様よ、ねえ」
王女が指差したのは、石舞台の上の大窓だった。中央には太陽とミルドラース、右には北斗七星とイブール、左の窓は三日月を背景にした聖女マーサのステンドグラスだった。
 マーサは簡素なドレス姿だった。彼女はその両腕に巨大な鍵を抱いて立っていた。マーサの体はイブール、ミルドラースと反対の方角へ向け、上体をひねって顔だけをミルドラースたちに向けている。
 腕に抱いた鍵はまるで赤子のように大切そうだった。その赤子を守りたいかのように毅然としてマーサはミルドラースたちを見据えていた。
 彼女の目は光を宿す。職人は乙女の繊細な顔立ちの中に勇気と不屈の精神を描いていた。
「ねえ、お父さん?」
ルークは黙ったまま、じっとそのステンドグラスを見上げていた。
「そうだね。教団がよくこの絵を造らせたもんだ……」
ルークは両側にいる子供たちに手をさしのべた。
「さあ、お母さんを助けにいこう!」
子供たちはぱっと顔を輝かせた。駆け出す子供たちの後ろで、一度だけ聖女マーサを見上げ、ルークは前を見据えて歩き出した。聖女のステンドグラスは、紫のマントの上に美しい光の波を見送りのように降り注いでくれた。