パパスとシンデレラ 1.魂の記憶

 信仰篤い乙女の祈りに、神の塔がそのとき、こたえた。
 巨大な扉全体が淡い光を帯びて輝き、自ら意思を持つように、きしみをあげて動きだした。扉の上部から長い年月の間に積もった塵や砂がさらさらと零れ落ち、石の表面に刻まれた唐草の浮き彫りにふりかかった。
 扉が完全に開ききってもまだマリアはひざまづいて祈っていた。指を祈りの形に組み合わせたまま静かに顔を上げ、驚きの声を上げた。
「まあ、開いた……」
開いた入り口から回廊らしい部分が見えていた。
 ヘンリーはマリアのそばへ寄り、手を差し出して彼女を立たせた。
「すげぇ昔のものなんだろうな。マリア、ありがとう。おれ、絶対成功するって信じてたよ」
マリアはうれしそうにほほえんだ。
「お役に立ててよかったです」
「さあ、行こう。塔の中では、俺のそばをはなれないでね」
「はい」
修道服に頭巾のままマリアはついてきた。
「おーい」
呼ばれてヘンリーはふりかえった。微妙な表情のルークと憤慨しているらしいピエールがいた。
「なんだ、いたのか」
「いたのかじゃなくて」
とルークは言った。
「みんなでいかないと危ないよ。この塔だってずっと締め切っていたんだから空気が悪いだろうし」
 ヘンリーは回廊へ足を踏み入れて最初の扉を開き、上を見上げた。
「それにしちゃこもった感じがしないのは……ほら、ここ、吹き抜けなんだ。上の方に窓があって、風が入るんだな」
 視界の隅をスライムナイトがバウンドして通り過ぎた。
「そんなことはとっくにわかっていたである!だが抜け駆けは士道不覚悟。全員を危険にさらす行為である!」
ヘンリーはむかっとした。
「うるせぇ、いつも真っ先に飛び出してやられるくせに」
「それがしは回復魔法を使えるである。さあ、怖じ気づいたのなら置いていくである!」
「おまえな、言うこととやることがぜんぜん合ってないぞ」
 ピエールはぽんぽんとはねて扉の中へ入り込んだ。

 扉の内部は周辺に柱を連ねた回廊を巡らせた中庭だった。とっくに人の手から離れ、庭は静かな廃園となっていた。名もない雑草がいたるところにはびこっていた。
 中央には中庭を貫く通路があり、その両脇には池があったらしい。今は雨水のたまるくぼ地になっていた。池の真ん中には乙女の像が建っていたが、余りに長い年月が過ぎ去って、今はもう乙女の顔立ちもすりへってしまっていた。
「むむ、先を越されたか?」
ピエールがそう言って身構えた。池のむこう、通路の先に、二人の人物が立っていた。
「太后派の兵士のようには見えないな」
ヘンリーは立ち止まった。
 庭の人物のうち一人は身なりのいい男性だった。それほどの年ではなく、ヘンリーたちより四~五歳ほど年上だろうと思った。
「あ、あれは」
記憶の中のイメージが目の前の男にぴたりと重なって二重写しになった。誠実な瞳、明るいまなざし、やや鷲鼻ぎみの男らしい顔立ち。
 ヘンリーは思わずふりむいてルークの顔を見た。よく似た顔が驚きの表情を浮かべてその男を見ていた。
 もう一人の人物は明らかに女性だった。巫女の着るようなゆったりした白い衣をまとい、黒い帯をしていた。斜め後ろから見ているので、表情は見えにくい。だがしなやかな黒髪の持ち主であり、横顔はまだ少女のようだった。
 黒髪の巫女は手に何かを持っているようだった。ほほを紅潮させ恥ずかしそうに相手の男にそれを差し出した。
 十六か十七、もしかするともっと幼いかもしれないその少女は、色白の顔をヘンリーたちの方へなかば向けている。だが、彼女はこちらに気づいていないようだった。
 ヘンリーは目を凝らした。
「これ、幻か?」
見知らぬ男女のいる場所にだけ、うっすらと床の模様が見える。二人の背後には壁や窓、調度品があるようだった。
 幻の部屋の中で巫女は目元を染め、逃げ出したいのをこらえてふるえながら男に何かを差し出していた。どうしても相手を正面から見ることができず、長いまつげを伏せ、真っ赤になって恥じらっていた。
 巫女の前に立っている若者は、驚きに目を見開いた。信じられないことを聞かされたかのように呆然としている。おそるおそる巫女に近寄ると、手に持ったものと彼女の顔を何度も見比べた。
 ルークに似た若者が何かつぶやき、巫女が何か答えた。が、二人の声は全く聞こえなかった。
 巫女が差し出した手を若者は突然自分の両手でくるみこんだ。巫女がはっとした。きゃしゃな少女の体を、若者はむしろ荒々しくひきよせた。巫女は泣きたいような笑いたいような独特の表情になり、自分から若者の胸に飛び込んだ。
 その二人が間近に顔を寄せ、見つめ合った瞬間、あっけなく幻は消えた。
「あら? いま そこに どなたか いらっしゃいませんでしたか?」
不思議そうにマリアが言った。
「ルーク、見たよな?」
ルークは口も利けないような顔で立っていた。つばを飲み込むとやっとしゃべった。
「見たよ。あれは、父さんだ」
十年前ラインハットの古代遺跡の中でゲマに謀殺された、ルークの父パパスにまちがいなかった。
「え、お父様だったのですか、あの男の方が?そういえばルークさんに似ておいででした。でも」
マリアはとまどった表情だった。
「ああ。俺の知ってるパパスさんよりうんと若い」
まあ、とマリアは言った。
「なんで、いったい、こんなとこで」
ルークはまだ呆然としていた。
「そうだわ、神の塔はたましいの記憶が宿る場所とも言われているそうです」
とマリアが言った。
「だからこそ、すべてを見通すふしぎな鏡が祀られているのだとか……。今の幻影も、もしかしたら誰かのたましいの記憶だったのかもしれません」
ルークは片手を胸に当てた。
「魂の……、ぼくが生まれる前の記憶なのか」
「あの人の姿は忘れないぜ。あれはパパスさんだ。たぶん、おまえの魂が覚えていたんだろう」
ルークは、ルークらしい顔でヘンリーの方を見て小さくうなずいた。
「幻でも会えてよかったな。なあ、あれがパパスさんだとすると、あの女の人がもしかして、いや、あのようすなら当然、おまえのお母さんなんじゃないのか?」
あっと小さくルークはつぶやいた。
「そうか。あれが母のマーサなんだ」
やっと気づいたらしいルークの顔が、さきほどの身も世もないほど恥じらっていた少女の顔に重なった。
「たぶん、ガチだな。おまえあんがい、母親似だよな」
「そ、そうかな」
笑顔の戻ったルークが指をターバンの下にいれてかりかりと掻いた。
 マリアが小さくつぶやいた。
「ルークさんのお父様と、お母様」
「ラブラブって雰囲気だったよな。うらやましいぜ」
「ら、らぶらぶ……」
修道女のほほがみるみるうちに赤くなっていく。両手でそのほほを包み込むとマリアはうつむいた。
「だからあんなものを渡しておられたのかしら……」
小さくきゃあとつぶやくマリアがすごくかわいらしかった。
「あんなものって?おれにも渡してくれる?」
冗談を装ってマリアの顔をのぞきこんだ。マリアは一段と赤くなり、両手で口元を覆ってしまった。
「あの、あたくしったら、どうしましょう」
きゃわいい、きゃわいい、きゃわいい!世界中にそう叫びたいほど恥ずかしがるマリアはかわいかった。
「マリ……」
言い掛けたとたん、尻をつっつかれた。
「若造!清らかなる修道女の身に、その汚れた手をかけるでない!」
振り返ってみるまでもなく、くそいまいましいスライムナイトだとわかった。
「誰が汚れだ、誰が!」
居合いの要領で剣を抜いてせまった瞬間、思い切り前につんのめりそうになった。思わぬところにピエールがいて、回廊の向こうをにらみつけていた。
「前をよく見よ、御出迎えである」
エンカウントでなかったら、こいつボコしてやれたのに。ヘンリーは思わず舌打ちをした。
「エンプーサに、ベビーニュート」
ルークは後ろにマリアをかばったようだった。
「行くぞ!」

 ラインハット王国宰相をつとめるヘンリーは、私設秘書の腕の中に書類一式を押し込んだ。
「国王陛下の御前会議は中止だ。デールが熱を出した。お歴々にそう伝えてくれ」
その日は国内の貴族を集めて臨時の話し合いをすることになっていた。
「え、じゃ、これ、どうするんですか?」
「適当にしまっとけ。また使う」
わざとぎょうぎょうしくした書類一式は、はっきり言って小道具だった。
「ちょっとじらすのもテクニックのうちです」
 さきほど本当に微熱を出したデールが、それでも笑ってそう言った。
「嫌よ嫌よも好きのうち、と」
ヘンリーがそう答えて、王家の兄弟は共犯者の笑みを交わし、お互い半日の休暇を楽しむことにしたのだった。
「会議中止。じゃ、帰っていいですかあ?」
気の利かないことでは王国一、ニの秘書であるネビルが、間の抜けた声でそう聞いた。
「ふざけんじゃない。会議中止の知らせは全部お前が手紙で出すんだ。よーっくお詫びしておいてくれ」
「ええっ、そんな!」
「んじゃーおれはあがるからなっ。マーリーアー、今帰るからねっ」
あてつけに歌いながら、ヘンリーは従僕を引き連れて階上へあがっていった。
 ヘンリー一家の居住区は、城の上の方にあった。マリア大公妃は自分の巣を居心地よく清潔に保つ名手であり、ヘンリーはうきうきと家路についた。
「お?」
どこかで大きな音がした。
「宰相さま、あれは」
従僕と警備の兵士が緊張した。
「いや、あれはルーラの着地だろう。お客さんらしい」
そういえば最近ルークのやつ、おみかぎりだな、と思いながら階段の最後の数段をあがった。
「ヘンリー!」
 噂をすれば影か。城の最上階にある見張り台につながる階段を、誰かがすごい勢いでおりてくる。紫のターバン、紫のマント。
「ヘンリー、たいへんなんだっ!」
ヘンリーは、長年の相棒にむかって、よっと片手をあげて挨拶した。
「よう、何かあったのか?ああ、あったんだろうな、そのようすじゃ」
信じられるか?これでグランバニアの王様なんだぜ?
「もう、どうしていいかわからないんだ!やれることは全部やったのに。インクと羽ペンを見つけてちゃんと渡したのに、何も起こらないんだ。もう時間がないんだっ、ぼくはいったいどうすればいい!」
 ふと見ると、マリアが顔を出していた。
「とりあえず入れ。とにかく落ち着け」
グランバニア王ルークは握りしめた両手をわなわなとふるわせた。
「落ち着いていられないよっ、僕が生まれないかもしれない!」
「そりゃあたいへんだ」
そう応じてヘンリーは、どこからつっこもうか迷った。
 上の方から、もう一人客がやってきた。
「もうルークったら」
金髪の三つ編みを片方の髪にかけた美人。ビアンカ王妃だった。
「ごめんなさい。ヘンリーさん、マリアさんも。興奮するとこの人、何を言ってるのかわからないでしょ?」
 ヘンリーは進み出てその手を取った。
「本日もお美しい、ビアンカ様」
手の甲にキスも、お約束というもの。
「こいつがインクと羽ペンを誰かにあげたのに、思うような結果がでない、まではわかりました」
「そこまでわかれば立派だわ」
「つきあいも長いもので」
 マリアが扉口までやってきた。
「お茶を入れさせましたわ。みなさん、お入りください。ヘンリー、お帰りなさい」
「ただいま」
あうあうとまだ何か訴えたいらしいルークの背中を押して、ヘンリーは家に入った。

 ルークを大きないすにおしこみ、手にカップを持たせてやってから、ヘンリーはもう一度聞いた。
「さて、と。羽ペンとインクは誰にやったんだ?」
「マティース」
と、ルークは答えた。
「誰だ、そいつ?」
「絵描きさんだと思う。父さんが、マーサ母さんの絵を描いてくれって頼んだんだ」
「ふーん。いつ?」
「こないだ」
ヘンリーは両手を相手の両肩に乗せた。
「あのな、自分でへんなこと言ってるとは思わないか?」
あれ、とルークは言った。
「ぼくは言わなかったっけ。妖精の女王様のお城の絵から、ぼくはエルヘブンへ行ったんだ。まだマーサ母さんがいて、そこに父さんが来てた」
「グランバニアの王がエルヘブンを訪ねてたんだな?」
「まだおじいさまが存命で、父さんは王子身分だった。で、正式な訪問じゃなくて、母さんに会いに来てたみたい」
「青春だよなあ。で?おまえの両親がエルヘブンで出会った。こ一年もすればめでたくおまえが生まれる。何も問題ないじゃないか」
 ルークはカップから顔を上げて見上げた。
「それが、だめなんだ。母さんがどうしてもうんて言わない」
ヘンリーはビアンカの方を見た。ビアンカは首を振った。
「マーサ様は、パパス様に色よい返事をしてくださらないらしいの」
「へ?」
 はーとビアンカはため息をついた。
「想像以上の難物だわ。マーサ様は神聖な巫女様で駆け落ちはおろか、殿方と親しくするなんて思いも寄らない。パパス様はパパス様で、そんなマーサ様にいっしょに逃げてくれと強制するなんてとてもできない」
「ちょっとお待ちを。ビアンカ様、そのメンツのなかに、俺の父がまざっておりませんでしたか?」
 金髪美人は皮肉な笑みを浮かべた。
「あたしは直接エルヘブンへ行ったわけじゃないの。でもルークの話じゃ、あなたによく似た女たらしがいたそうよ?若いエルヘブン娘にもれなく声をかけていたそうだわ」
わが父ながら、あっぱれ。もしかしたら、エルヘブンに腹違いの弟か妹がいるかもしれないとヘンリーは思った。
「ふむ。その手の話なら、たぶん父はそうとう経験を積んでいると思いますし、やれと言われればお助け申し上げるにやぶさかではないかと」
ビアンカは手のひらで顎を支えた。
「いざとなったら、あなたのお父様に頼んでマーサ様をむりやりグランバニア行きの船に連れ込もうかと計画してるんだけど、そのあたりの最難関がパパス様なのよ。お義父様ったら、騎士道精神旺盛なんですもの」
ヘンリーは片手を額にあててうなった。
「悪くするとうちの親父がパパス様の逆鱗に触れて、デールが生まれなくなるかもしれない」
 カップの中のお茶をひとくちすすってルークが言った。
「父さんは母さんをグランバニアへ連れていって、結婚するはずなんだ」
「だからおまえがここにいる。そうだろ?」
「わかってるんだけど、あの二人を見てると心配なんだ。お互いの気持ちがすれ違ってる。好きあってるのは確かなのに」
「いや、だから、何が心配なんだ?時間の流れにまかせるしかないだろう」
ルークが顔を上げた。
「ぼくは妖精城の絵を通じて、この時代と過去のエルヘブンを行ったり来たりしてる。そうするとね、こちらの世界で一日たつと、なぜかエルヘブンでも一日すぎているんだ」
へえ、とヘンリーはつぶやいた。
「父さんがグランバニアへ帰る船は、もう明日出航する。時間がないんだ」
「次の航海の時にマーサ様をお連れしたんじゃないのか?」
「たぶんそれはないよ。画家のマティースが依頼されたのは、母さんの絵なんだ。父さんがいつでも見られるように細密画にしてね。もう、来ないつもりなんだと思う。好きな人をあきらめる替わりの、恋の形見みたいな絵なんだよ」