エルフの時代 4.妖精族の滅びの元

 大地は滅亡の臭いを放っていた。もともとごつごつとした岩の多い土地である。かなり大きな島だが、面積の半ば以上が荒野であり、北側には世界で最も高い山が聳え立っていた。中腹までは緑もあるが上はほぼ完全な岩山であり、ふもとからは頂上を仰ぐこともできない。遠い港町の高い灯台の上からならば白い雲の上にある山頂部分が見える。純白の大神殿がまだ建っているはずだった。
 ビアンカは顔をしかめた。あまり楽しい思い出ではなかった。ざく、ざく、と音を立ててパーティは行く。グランバニアからここまで船で乗りつけ、あとは空飛ぶじゅうたんを使って河の上を進んできた。上陸地点はいくつもない。森が途切れてようやくじゅうたんをおろせる場所から内陸へ上がったとき、それが見えた。
 北側に巨大な岩山、南側には壮大な廃墟。
 ふとビアンカは気づいた。ルークはビアンカと同じく大神殿のある岩山を見上げている。だがピサロは反対側に顔を向けて、空を切り取るほど巨大に見える古代の塔を見ていた。
 その塔は完全な廃墟になっている、とビアンカは聞いていた。
「柱なんか今にも崩れそうでね。瓦礫の山で通れない道もたくさんあったよ。でも残っている飾りなんか見たらきっと昔はきれいだったんだろうと思う」
と、ルークはいつだか言っていた。
「いくら綺麗だったとしても、どうしてあんな古い塔に凄い名前がついているの?『天空の塔』だなんて」
なにせ塔は、一定以上の階から上はぽっきりと折れてなくなっているのだから。
 ビアンカが見ていると、ピサロの足が少しづつ遅くなっていた。ついに歩みを止めて、天空の塔をしげしげと眺めた。
 こうして近くから塔を見上げると、本当に大きい、とビアンカは思う。廃墟はどれも寂しげなのだろうと思うのだが、この天空の塔のなれのはてにはひどく哀切な雰囲気があった。
 ちょうど日が暮れかけ、空は赤みがかっている。その空を背景に廃墟はそびえ立っていた。輪郭を見てもパーツが欠け落ちているのがわかる。塔の最上階は柱が乱杭歯のように立ち並び、外壁が不規則に崩れているせいで、がたがただった。がたがたのシルエットのまま塔は黙って西日に照らされていた。
「ピサロ、どうしたの?あの塔が珍しい」
「いや」
とピサロはつぶやいた。
「ひどい姿だと思っただけだ」
「ほんとね」
ねーねー、と誰かが言った。アイルとカイだった。
「ぼく、入ったことあるよ?ほんとはもっと高かったんだろうね、あれ」
「ベホズンとは、あそこで会ったんだっけ」
 アイルはあれからまもなくアイルにもどった。内心ビアンカはものすごく安心した。あのままユーリルという名の勇者のままだったらどうしようと思ったのだ。だが、双子の妹がもどってきて兄の名前を呼んだ瞬間に勇者ユーリルの意識は退き、アイルは元にもどった。
 二人とも本当は教会の中にある学校の先生から宿題をもらっているのだが、ルークとピサロが妖精の女王に会いに行くと知ると、絶対についていくと言ってきかなかった。どうやら二人とも、以前魔界の町で出会った魔王ともう一度旅をしたかったらしい。彼、ピサロが戦士、武闘家、魔法使いのみならず、ベビーシッターとしてもたいへん優秀だという驚愕の事実をビアンカは知っている。
「ねー、ピサロ?」
ピサロは我に返ったようだった。試すような目でアイルを見た。
「おまえ、覚えていないのか」
「何を?」
あどけない視線でアイルは魔王を見上げた。小さくピサロは頭を振った。
「なんでもない」
複雑な表情だった。
「前にピサロが地上にいたとき、あの塔は建ってたの?」
「ああ」
「きれいだった?」
「私の趣味ではないが。いちおう機能していた」
「なんであんなになっちゃったの?」
皮肉な微笑がピサロの口元に浮かんだ。
「天の竜が打ち倒したのだろうよ。地上の者がぞろぞろと天空へ上がってきては困るだろうから」
「えーっ、マスタードラゴンはそんなことしないよ」
「どうだか」
「しないもん!」
子供たちはむきになっている。わかった、わかった、という手つきでピサロは子供たちのほうに手を振った。
「本当のことを言うと、乱暴な王女が奇声を上げて柱をけとばして回り、酒乱の踊り子がイオナズン100連発をやり、太った商人が壁めがけて破壊の鉄球を振り回したのだ」
双子は笑い出した。
「また、ウソばっか~」
ピサロはため息をついた。
「ウソでしょ?ね?」
「ああ、そうだ。もちろんウソに決まっているさ」
肩をすくめてピサロは付け加えた。
「常識で考えれば本当のはずがないな、まったく」
知らないということは幸せだ、などとつぶやいてピサロは廃墟から眼を背けた。
「行くぞ」
少し先でルークがパトリシアを停めて待っていた。
「目的地はもう少し先です。ちょっと山道になりますが、入っていくと湖がありますから」
「その湖に妖精が住んでいるのか」
「湖の中のお城です」
 道はだんだん登り坂になり、空気の中に湿気がまざってきた。霧が出始めている。あたりに背の高い木々が増え、道は林道となった。ビアンカが覚えている通り、道はやがて一行を静かな霧の湖へと導いた。
 山々と森に囲まれた湖はあいかわらず霧にけぶり、とても美しかった。魔法のかかったいかだが、前に来たときと同じようにたったひとつの桟橋にもやってあった。周囲はまったくの沈黙だった。鳥さえ住んでいないようだった。波の寄せる音が規則的に響いている。
「ビアンカ、あれ持ってきた?」
「これでしょ」
 それはビアンカが出発の前に預かり所から引き取ってきたものだった。装飾のついた青いホルンをビアンカは手渡した。
 ピサロが幌馬車の中からロザリーを抱き下ろしていた。ピサロは一流の戦士であり、その体はよく鍛えられてたくましい。ロザリーはすらりとしたエルフだがきゃしゃな子供ではなく、艶麗な貴婦人だった。ピサロがロザリーの背と膝裏に双腕をそれぞれ回して横抱きにすると、赤みがかった黄金色の髪が流れ落ちてピサロの白銀の髪に混ざり合い、黒いマントとともに妖精のドレスの裾がふわりと翻った。
「お姫様を助け出す騎士だわ……」
 昔読んでもらった童話を思い出したほど、絵になる一対だとビアンカは思った。
 ピサロはロザリーを腕に抱えたままいかだへ乗り込んだ。なんとなく、みんな口を閉ざし、音を立てないようにしていた。
 パーティが乗り込むといかだはひとりでに動き出した。ミルク色の霧の中をいかだはすすんでいく。晴れた日の真昼なら水面には青空が映り、まるで空を行くような心地がするのだが、今は広いトンネルの中にいるような気がした。ときどき樹木の立ち枯れたものが黒いシルエットになって見えていた。
 やがていかだは湖の中央へ達した。ルークは立ち上がり、妖精のホルンに唇をあてて吹き鳴らした。
 おおらかな音が湖の上をすべるように渡っていく。妖精城へ入りたい者はこうして来意を伝えるのだった。
 そのときだった。何の前触れもなく前方に巨大な水柱が立った。いかだが揺れる。ルークはふりおとされそうになってあわててしゃがみこんだ。
「ちょっと、何なのこれ!」
ビアンカはあたりを見回した。霧のなかに何かがいる。凄い速さでこちらへ向かってくるのがわかった。
「来るぞ」
冷静にピサロが言った。
 え、と聞き返そうとしたとき、音を立てて飛来してきたものがあった。ビアンカはぞくりとした。いかだには白く塗った矢が突き刺さっていた。
「どうして、こんな!」
 ビアンカもパーティとしてこの妖精の城を訪れたことがある。妖精の女王、女官たちにまじって、一応武装した妖精族の兵士たちもいた。たしか緑色のサーコートの背に、矢筒を負っていた。隣に居たルークの表情がこわばった。ビアンカも顔を挙げ、思わず手で口元をおおった。
 ミルク色の霧はなおも色濃く湖上に漂っている。だが、いかだを中心とした空間だけが澄んでいた。霧の中から姿を現したものがあった。水面から高く浮かんでいる。おかげでビアンカもルークも見上げなくてはならなかった。
「女王様」
ルークがつぶやいた。きゃしゃでたおやかで優雅な妖精の女王が、花と緑の衣と繊細な金のティアラを脱ぎ捨て、白銀の鎧とかぶとを装備して厳しい表情で立ち現れたのである。その目には、信じられないという表情が浮かんでいた。
 女王の左右からまるで円形闘技場の壁のように、妖精の弓兵がビアンカたちのいるいかだをぐるりと取り巻いていた。鋭い矢をつがえたまま、いかだに狙いを定めているのだった。
「停まりなさい、ルーク」
と、女王は言った。
「まさか、あなただったとは思わなかった。そのホルンを手にしたものが、私たちを裏切るとは」
「ぼくは!」
ルークは注意しながらいかだの上に立ち上がった。
「ぼくは裏切ったことはありません。女王、いきなりの詰問にぼくたちはとまどっています。訪問者にいきなり矢を射掛けるのが妖精族の流儀ではないはずです。何を怒っていらっしゃるのか、まず話してください」
「話す?」
女王は眉をひそめた。
「あなたは私たちの滅亡を招き入れたではありませんか!」
「滅亡って」
女王は白銀の手甲をはめた手でいかだを指差した。
「即座にこの湖から立ち去れ、魔族!」
ビアンカはぎょっとして背後を見た。
まだ不安定ないかだの上に、ロザリーを腕に抱えたままゆっくりとピサロが立った。
「いかにも。私こそおまえたちの“滅び”だ」
紅の瞳が危険な輝きを帯びた。
「愚昧なるかな、妖精ども。この私を怒らせた以上、覚悟せよ」
「待ってください、ピサロ」
「どけ!」
荒々しくピサロはルークをひじで押しのけた。
「どきません!もう少し、僕に時間をください!」
ルークは振り向いた。
「女王、ぼくたちがここへ来たのは、助言を求めてのことです。ピサロは魔族だし、ぼくたちは人間だ。でもこのひとはそうじゃない」
ルークはピサロの腕に抱かれているロザリーを手で示した。
「彼女はエルフです。しかもとても危ない状態にある。助けが必要なのです。お願いします!」
女王は動かなかった。固まっているように見えた。
「エルフ?本当に?」
ロザリーは美しい眠り姫だった。寝顔がどことなく辛そうな、哀しそうな表情になる。ストロベリーブロンドの髪の間からエルフイヤーがのぞいていた。
「本当だ」
ぶすっとした口調でピサロが言った。
「我が祖父ナルゴスが滅ぼしたサムルラーンの王家の姫だ」
エルフの弓兵はとまどったように弓をおろした。口々に何か話し合っている。女王は身振りで彼らに静かにするようにうながした。
「魔族よ、ひとつ聞きます。彼女の名は?」
ピサロは薄く笑った。
「それでひっかけたつもりか?私は彼女をロザリーと呼んでいるが、本来森のエルフは名を持たない」
女王は目を見開いたまま浮いていた。
「サムルラーンの……そんなことが」
ゆっくりと彼女はいかだのほうへただよってきた。宙に浮いたままピサロの目の前に立ち、手を伸ばしてロザリーの髪にそっと触れた。
「なんということか。なんと長い歳月をたった一人で」
女王の背後で妖精の弓兵たちはつがえた矢の先端を水面へ下げた。ビアンカはほっと息を吐いた。
「わかりました。私の城へ入ることを許します。ついておいでなさい」
水面の波立ちがおさまっていく。いかだはゆっくりと進みだした。ばら色の睡蓮が咲き乱れるあたりを越えると、壮麗な妖精城が対岸に姿を現した。