エルフの時代 2.死せる少女の羽帽子

 グランバニアの国王一家がちょくちょくお忍びで町へ出かけることに市民はもうだいぶ慣れていた。優しくて男前の国王が美人の王妃とかわいい王子王女を連れてグランバニアの町のあの大通りを歩いていたりするのは、なかなか絵になる情景だったし、そんな時話しかければ気さくな返事が帰ってきたりする。ロイヤルファミリーはグランバニアの人気者だった。
 だが、その日町の宿屋に集まった一家には重い空気が漂っていた。ルークは手を伸ばし、眠るアイルの額にあてた。
「もう一回ベホマしてみようか」
そばにいたビアンカは首を振った。
「たぶん、だめだと思う。ケガじゃないから。ラリホーみたいな魔法の眠りというわけでもないみたいだわ」
専門家の意見にルークはうなずいた。ビアンカはまちがいなく、今のグランバニアで最高の魔女だった。
「アイル、大丈夫かな」
カイリファ王女、カイは、双子の兄を見つめてつぶやいた。カイは、その日はたまたまドリスとビアンカと一緒にいて、兄やコリンズと遊びに行かなかった。そのことでずっと自分を責めているのをルークは知っていた。
「大丈夫だよ、カイ」
カイは手を伸ばし、ぎゅっと父の服をつかんだ。
「あ、あの」
コリンズはそう言って、気おくれしたように口ごもった。
「なんだい、コリンズ君?そういえば、お礼を言ってなかったね。君の機転だったんだってね、アイルとこの人が助かったのは」
「おれは何にも」
言いながらコリンズは赤くなった。
「あの、おれ、見てたんですけど、あのエルフの女の人からアイルは何か受け取ったんです。ようすがおかしくなったのはその直後でした。だから、それを取り上げれば、目覚めるかも」
 ピピンの母親が経営している町の小さな宿屋は、一室がそれほど広いわけではなかった。庶民的で汚れの目立たない茶色の板壁である。だが掃除が行き届いてちりひとつなく、ベッドの白い敷き布はふっくらしているし、かけ布は清潔だった。女将の心づくしで小さな卓の上に野花が飾ってあるが、今はその清楚な美しさに心を惹かれる人もいなかった。
 寝台の一つにはアイルが、隣には謎のエルフが寝かされている。どちらもまだ意識はなかった。
 ルークはアイルの胸までかかっている上掛けをそっとめくってみた。アイルの片手に、まだ布の塊が握り締められていた。
「これだね」
「ルーク、気をつけて」
「うん、でも、危険そうには見えないよ?」
ルークはアイルの指を広げて、布の塊を引き出した。
そのときだった。アイルの唇からうめき声がもれた。
「アイル?アイル、わかる?」
ビアンカが真っ先に声をかけた。アイルはまぶたを震わせ青い目を見開いた。新しい涙がほほを伝って流れた。
「あ……お、おかあさん?」
「そうよ?ああ、もう、心配させないでちょうだい」
笑うような泣くような顔でビアンカはそう言い、アイルを抱きしめた。
「お母さんだよね。それと、お父さんと、カイ」
「おにいちゃん!」
ルークとカイも、アイルの身体に触れて励ますように微笑んだ。
「よかった……みんな、死んじゃったかと思った」
「さっきもおまえ、そう言ったよな」
コリンズはつぶやいた。
「え、あ、コリンズ君、だよね?」
「はあ?何バカ言ってんだ。親分の顔を忘れたのかよ」
「う、うん。変な話だけど、まるでぼく、別の人間になったみたいだった。それとさ、いつ親分になったの」
ルークはアイルのベッドの端に腰を下ろした。
「アイル、何があったのか、父さんたちに話しておくれ」
「うん」
アイルはビアンカに助けてもらって身体を起こし、ベッドにすわった。
「あのエルフの人にその古い羽帽子をもらったとき、なんか見えたんだ。どこかの村だった。ダンカンおじいちゃんの山奥の村にちょっと似てた。斜面じゃなくて平地だけど、立ってる家とか似てて、牧草地、共有の池、畑があって、それに村の中に花の咲く小さな空き地があった」
「いい村だね。それなのに悲しかったのかい?」
「だって」
アイルはためらった。
「みんな死んでるんだよ、村の人が。お父さんと、ああ、お父さんとは別のお父さんのこと。ちょっとおじさんだったけど、優しい人だよ。なんでか、僕はそのことを知ってる。それと剣の師匠や魔法の先生、よく知ってる村の小父さんやおばさんたちも」
「どうして?モンスターに襲われたのかい?」
「……それよりなんか、戦争みたいだった。家は全部燃えてたし、凄い顔つきの鎧を着た怪物がたくさんいて、剣で村の人を追い回してるんだ。戦ってる村の人もいたけど、たいていは怪物にはかなわなくて地面につっぷしてた」
アイルは真剣な目で訴えた。
「みんな殺されてしまうんだね?それで、夢の中のアイルはどうしたの?」
「それが」
アイルはためらった。彼は勇者であり、その任務と責任をとても幼いころから受け入れてきた。そのアイルが小声で言った。
「ぼくは、殺されに行くんだ」
「倒しに、じゃないのかい?」
「ちがうんだ。へんだよね。夢の中のぼくは、自分が“勇者”だって知ってる。ぼくは、喜んでるんだ」
「なんだって?」
「夢の中でぼくは、やつらをだましてやれる、って思って喜んでる。大好きな花畑の中に立ってぼくがいるってことを見せ付ける。『勇者はここだぞ!ぼくが相手だ!』叫べばあいつらが押し寄せてくる。ぼくはたった一人。覚悟と自己犠牲が必要だってことをぼくは知ってる。ぼくは、笑う」
アイルの瞳からまた涙があふれだした。
「それで?“勇者”は、何を考えているの?」
とカイが聞いた。アイルの答えは、明確だった。
「ぼくは、安心してる」
「安心?」
「うん。襲ってきたモンスターたちの目から凄く大事なものを隠しとおせることがわかって、ほっとしてるんだ」
ビアンカはアイルの頭を腕で抱え込んだ。
「もうやめて。アイル、それはどのみち、夢よ?もうやめましょう。お母さん、なんだかこわいのよ」
母の胸にもたれて、アイルは赤ん坊のように顔をすりよせた。
「うん。そうだね」
ルークは手の中の布の塊をもう一度調べた。エルフの姫君のほうはまだ目覚める気配はなかった。
「あの、おれ、そろそろ帰らないと」
コリンズが言い出した。
「私、送っていくわ」
カイがそう言ってさっと立ち上がった。
「ああ、頼むよ、カイ。今日はありがとう、コリンズ君」
いいえ、とコリンズは少し赤くなってつぶやいた。
「さ、いこ?ルーラなら早いから」
カイはコリンズの手を引いて宿屋を出て行った。
「ぼくたちも上へもどろう」
上、というのはグランバニア城内の王族居住区のことだった。
「この人はどうするの?」
アイルはエルフの女性を心配そうに見ていた。
「上へお連れしたほうがいいと思うよ。ぼくがやる」
ルークはエルフを腕に抱え上げた。信じられないほど軽い身体だった。彼女はまだ、めざめない。

 グランバニア城は、城であると同時に巨大な町でもあった。城壁で囲まれた町の上に大きな蓋がかぶさっている。その蓋を突き抜けてグランバニア城は建っていた。
 上階からの眺望はすばらしかった。樹海を眼下に見下ろし、北方にはキマッザ湖の水面がきらめくのを、南方には雪を戴いたチゾット山脈を見ることができた。
 ルークは腕の中に見知らぬエルフを抱えて客室のひとつにやってきた。天地いっぱいの窓を持つ、見晴らしのよい部屋だった。床も壁も石造りだったが、壁掛けや敷物であたたかみを出している。どれもグランバニア風の美しい刺繍がほどこされていた。
 清潔なベッドの上にそっとルークはエルフをおろした。そのまぶたがかすかにふるえたが、目覚める気配はなかった。
「見れば見るほど綺麗な人ね」
彼女の胸にかけ布を引き上げながらビアンカはそう言った。
「フローラさんの美しさともちがうわ。なんだか、神秘的な感じがする」
「天空人みたいだね」
「天空人はおすまししてるけど、ほんとは人間と同じ感情を持っているんだと思うの。でもこの人は、なんかちがうわ。エルフってこういうものなのかしら」
「僕の知ってる妖精の一人は、明るくていたずらっけのある元気な娘だったよ」
とルークは言った。
「それから、コリンズ君の話が本当なら、この人も何かにとりつかれた状態だったみたいだし」
「あの子の観察眼は信用するわ。こういうのはどうかしら、この人がずっとこのままだったら、妖精の女王様に相談してみない?」
「ああ、そうだね。世界のどこかで迷子になった妖精のお姫様がいるかどうか聞いてみたほうがいいかもしれない」
 二人の後ろで王室付きの女官長が心配そうに立っている。ルークは振り向いた。
「この人が目を覚ましたら教えてください」
「かしこまりました。陛下、ほかに何かこちらでお世話することはございますか」
「ぼくも妖精さんをお泊めするのは初めてだから、何が要るのかわからないんです。とりあえず、着替えになるものがあるといいかも」
「私の服でよかったらお貸ししてあげて」
「そう、見たところビアンカ様のお召し物でしたら間に合いますでしょうね。バストはともかく、ウェストなどはちょっとあまるかもしれません」
「いやだわ、太ったかしら」
「そんなことないよ」
ルークはそう言って愛妃を抱き寄せた。
「それと、さっき言い忘れたけどビアンカはね、エルフよりも天空人よりも……」
ほとんどくどき文句に似た言葉をささやこうとしたときだった。客室の外からせっぱつまった足音が聞こえてきた。扉が乱暴にひき開けられ、兵士の一人が頭をつっこんだ。
「陛下!よかった、すぐにおでましください」
ぱっとルークはビアンカを放した。
「どうしたんだ!」
「わが国が魔物に襲われております!」
「なんでそんな、いきなり!」
「凄い大群なんです。どうか、どうか」
ルークは自分の杖を取り上げた。
「今行く!」
「あたしも行くわ」
国王夫妻は、グランバニア最強の戦士と魔法使いだった。ほっと安堵のため息を漏らす兵士を置いて、ルークは部屋を飛び出した。