小さな未来 1.第一話

 千の灯りの町、と人は呼ぶ。北の大陸の巨大都市、オラクルベリーの夜は、まぎれもなく光り輝いていた。
 星の数ほど並ぶ店の、それぞれ多様に煌く灯火の中で、もっとも華麗なそれはもちろん、オラクルベリー名物のカジノだった。
 ちゃりん、ちゃりんと響くのはすべてぴかぴかのゴールド金貨の音だった。カジノの支配人室では、贅沢な身なりをした客が詰め物をした椅子にふんぞりかえり、勘定が終わるのを待っていた。 客は、若い男だった。目のつんだ質のいい生地を、サラボナ風の、しゃれた仕立てにカットした衣装に身を包んでいる。
「7、8、9、10と。これで全部でございます」
グールド支配人は金貨の山を数えて袋にしまい、厳重に封をすると、揉み手をしながら客の顔をうかがった。
「あの、アムブローズさま、かなりの金額でございますから多少、重いかと存じます。全部お持ちになりますので?」
 アムブローズはサラボナの大きな商店の若旦那である。あのルドマン商会ほどではないが、けっこう繁盛している老舗の末っ子で、見聞を広げるため、という名目で、召使や護衛をひきつれてこのオラクルベリーへ大名旅行にやってきたのだった。
「ああ、全部いるよ。あたしゃ、占い婆に将来を占ってもらいにいくんだ」
支配人は大げさに笑った。
「若旦那でしたら、前途洋洋、決まってますですよ」
「それがわからないから行くんじゃないか。そのためならこのていどのお金、安いもんだよ」
「さすがはお大尽でいらっしゃる。ですが、あの婆の出没するあたりは、オラクルベリーでも少々物騒でございます。荷物もちをお付けいたしましょうか?」
「気が利くね。頼んだよ」
「かしこまりました」
深々とグールド支配人は礼をして、それから黙って壁際に立っていたボーイたちに声をかけた。
「ルーク、ヘンリー、お客様のお荷物をお持ちしてごいっしょしなさい」

 アムブローズは自分の一行を引き連れて夜のオラクルベリーへと繰り出した。歓楽街の広場とは違って、そのあたりは建物が入り組んでいた。古い粗末なレンガづくりだが、建物の階数だけは多く、夜空が細長く切り取られて見える。まるで迷路だった。煌くような店の灯りどころか、家の窓や月明かりさえ、届かない。
 近くの海から霧がのぼってきたらしい。視界が不十分だった。オラクルベリーの街のざわめきは、はるか彼方から潮騒のように聞こえるのみ、犬の遠吠えや自分たちの足音までが不吉な印象だった。
 一行は、いつのまにか無口になっていた。アムブローズの前後には、親が雇ってくれた護衛の戦士たちがいた。武器に手をかけいつでも抜けるようにして、油断なくあたりに目を配っている。アムブローズの隣は、護衛戦士の隊長だった。
 ルラフェンからサラボナあたりでは有名な傭兵だという隊長は、背の高い、肩幅の広い大男だった。上半身は裸で、太い革のベルトを胸の上で交差させている。浅黒い顔の髯面に大きな切り傷があった。得物は身長ほどもある槍で、その穂先は研ぎ澄まされていた。
 アムブローズのすぐ後ろには、グールド支配人がつけてくれたカジノのボーイ二人が、肩に大量のゴールド金貨や金塊、宝石の入った袋を担いでついてきた。
「その袋はボーイに持たせておくような値打ちのものじゃありません。わたしらが持ちましょう」
最初、隊長はそう言って、ボーイの一人に合図したのだった。
「さ、よこしな」
 ボーイの一人は、長い黒髪を首の後ろでくくった、まだ少年のように愛らしい横顔の持ち主だった。酒場の従業員らしく、立ち襟の白いシャツの上に筒袖のチュニックを身に付けている。仕事中は前掛けをつけ、トレイをもっているのだろう。
 黒髪のボーイは素直に“どうぞ”と言って金塊の入った大きな袋を手渡した。そのとたん、隊長がうっとうなった。
「お、重い」
アムブローズは眉をひそめた。
「なんだい、情けないね。もっと重い武器を振り回して戦うんだろう?」
「ですが、これは、ちょっと」
別の戦士が、もう一人のボーイから袋を預かり、今度はへたりこんで動けなくなった。
「おや、これじゃいかれないじゃないか」
二人目のボーイは、緑色の髪をおかっぱに切りそろえた若者だった。
「カジノの従業員は、金袋の扱いに慣れております。よろしければお預かりいたしますが」
口調は慇懃だが、目が笑っていた。戦士たちは忌々しげな顔になったが、元通り袋をあずけた。かなりの重さの袋を、ボーイたちは苦もなく受け取った。
 アムブローズがそんなことを考えていたときだった。敷石を敷き詰めた細い小路をひとつ曲がったとたん、くぐもった悲鳴が聞こえた。
「敵襲!」
隊長が叫んだ。
「どうせ金目当てのチンピラだろう。みんな、若旦那をお守りしろ!」
アムブローズは、驚いてはいたが、とりあえず大丈夫だと思った。なんといっても、このために護衛を雇っているのだから。カジノのボーイたちが金袋を担いで立っているのを横目で確認して、すぐ終わるさ、とアムブローズはつぶやいた。
 だが、アムブローズの目の前で、襲ってきたちんぴらの刃が護衛戦士のあごを切り裂いた。
「おっと、お次は喉だ!」
「なんだ、こいつらは!」
と隊長が叫んでいた。
「こっちの攻撃が全部かわされ……うわっ!」
その言葉を最後に、隊長は気絶した。
チンピラの一人が下品な笑い声を上げた。
「オラクルベリーの夜のマダムは、てめえらみてえな俗な客にはうんざりしてなさるのよ。命が惜しけりゃ、とっととかえんな!」
「夜のマダムだって?」
アムブローズは叫んだ。
「占い婆のことか。本当にいるんだね、そうだろう!」
「さあねえ、おいら、何も言っちゃいないよ」
ちんぴらはくすくすと笑った。
「いかにもバカそうな若旦那。そのつら、うざったくてむかむかするぜ。あんたもちょっと痛い目見てもらおうか?」
仲間が汚い指を伸ばしてきた。
「おうおう、すげえお宝があるじゃねえか。ゴールド金貨がぎっちり詰まった金袋だぜ」
「見料ってわけか。そいつをよこしな、バカ旦那。そしたら見逃してやるよ」
「おまえたちなんかにやるためにもってきたんじゃないんだっ」
アムブローズは叫んだ。
「おまえたち、袋を守っておくれ!」
そういったとき、護衛の戦士がいなくなっていることにアムブローズは気づいて青くなった。逃げなかった戦士は、倒されて戦えないのだった。
 どさ、と音を立てて、ボーイが金貨や宝石の袋を地べたにおいた。肩をぐるんとまわし、指を組み合わせてぽきぽきと音を立てた。もう一人も袋を置いて、大きく伸びをした。
「荷物もちに来たんだが、しょうがねえな」
緑の髪のほうがそう言って、倒れた戦士の手から両手持ちの大きな剣を抜き取り、構えた。黒髪のボーイは、あたりを見回して、戦士隊長の脇に転がっていた槍を見つけて取り上げた。
「アムブローズさん、少し下がっていてください」
冷静にそう言うと、脇に槍の柄をかいこんで、ぎらぎらする穂先を敵の集団に向けた。
「うぉらっ」
奇声をあげて敵が襲い掛かってくる。正面から唐竹割りに、大剣がそいつの頭をたたきのめした。
 がらの悪い男たちが、一瞬ひるんだ。その中へ槍の穂先が踊りこむ。少女のようなあどけない顔立ちの若者は、凄絶な槍の使い手だった。槍で横面を薙ぎはらわれた男たちは、血しぶきを上げてうずくまった。まだ立っているのは、もう一人の若者が剣の餌食にした。
 あたりにうめき声が満ちる。カジノの制服にそれぞれ返り血を浴びて、彼らは油断なく武器を構えて、相手に戦う気がなくなるのを見定めていた。
「汚しちまった。グールドさんがうるさいだろうな」
しばらくして、剣を持った若者がぶつぶつとそう言った。
「明日店に出る前に洗わないとね。そうだヘンリー、マントも借りようよ」
ヘンリーと呼ばれた若者は、倒れている戦士たちから、手際よく二枚のマントをはぎとり、一枚を相棒に投げた。
「ほらよ、ルークの分」
これも洗ってからかえさないと、とつぶやき、ルークは戦士のマントを制服の上に着込んだ。ヘンリーは左手で金袋を肩に抱え上げた。
「用意できたぜ、若旦那。行くんだろ?」
うってかわってぞんざいな口調だったが、アムブローズにはとがめる気力もなかった。うわさどおり、オラクルベリーの闇の顔、悪名高き魔性の都市へ、アムブローズは迷い込んでしまったのだ。だが、ここで引き返す気にはなれなかった。
「あ、ああ。そうだよ。行こう」
いったい、何者なんだ、こいつら。

  アムブローズは、しゃれた仕立ての服の隠しから、羊皮紙のメモを取り出してにらんだ。
「このへんに入り口があるはずなんだが」
迷路じみた市街を抜けた先には、分厚い壁が立っていた。奇妙なことにいくつも扉がついている。アーチ型の入り口に鉄鋲で補強した厚い木の扉がはまっているのだが、ドアにはひとつづつマークがつけてあった。
「どのドアですか、アムブローズさん?」
ルークが聞いた。しかたなくアムブローズは、メモをルークに見せた。
「これと同じマークのついたドアのはずだけど」
どれどれ、とヘンリーがのぞきこんだ。アムブローズは悲鳴を上げた。
「ああっ、ていねいに扱っておくれ!その情報を聞き出すために、あたしゃ、ひと財産はたいてるんだ」
へえ、という顔でヘンリーはアムブローズを見た。
「オラクルベリーの占い婆に見てもらうのは、そんなに金がかかるもんなのか?」
「知らないよ。あたしだって、初めて会うんだから」
憤然とアムブローズは言った。
「でも、このルートなら確実に会えるって言うから」
「どうしてそんなに、占ってほしいんですか?」
アムブローズはためいきをついた。
「おまえさんたちにゃわかんないよ、あたしの気持ちなんて。あたしゃね、こういうのもなんだけど、恵まれた男だ。ええ、わかってますよ。親は金持ちで、あたしをかわいがってくれる。苦労知らずで育ちましたよ。だから、怖いんじゃないか」
「何が?」
アムブローズは、いらいらと手を振った。
「そういうもんが、全部なくなるのが怖いんですよ!お金とか、生まれとか、ちやほやしてもらえることとか、もてることとか……今が幸せだから、未来がおっかないんだ。だから、あたしの幸せが一生続くのかどうか、それが知りたくてたまらないんだよ!」
ヘンリーとルークは、顔を見合わせた。
「ほら、バカにしてんだろ、あたしのこと」
いらいらとアムブローズは言った。
「みんなそうなんだ。何を言ってるんだこのおぼっちゃんが、みんなそういう顔をするんだよ」
「いや、その」
ヘンリーは腕を組んで、うんうんと何度かうなずいた。
「人生いきなり大回転てのは、ありだからな」
ルークが深くうなずいた。
「そうだよねえ」
それは、妙にしみじみしていた。
「おまえたちは、バカにしないのかい?」
「いいや、あんた、バカだ」
ずけずけとヘンリーが言った。
「未来の保証なんて、誰にもできないからな。そうなったらそのときで、あんたが努力するしかない」
「だから占い婆様に」
「そりゃ努力じゃねえ、神頼みだよ」
「ボーイの分際でっ」
アムブローズはかっとした。
ヘンリーは背を向けた。
「まあ、いいや。あんたが金をどぶに捨てたいんなら、勝手にするさ。行こうぜ」
そう言って、ドアのひとつに向かって歩き始めた。
「ちょっと、どこへ行くんだ」
「ああ?」
めんどうくさそうにヘンリーは言った。
「メモと同じマークのドアだろ?だから、あのドアだよ」
アムブローズは、ルークの手からメモをひっつかんでドアと見比べた。
「よく調べたのかい?どのドアも、同じマークに見えるじゃないか」
「どこに目ぇつけてんだ、若旦那?」
ヘンリーはびし、と手近のドアを指差した。
「こっちのマークは、外側の線がぎざぎざだ。隣のドアのマークは、左の半分が白黒反転してる。ひとつ向こうのは下側の丸印が一個多い。こっちのマークは丸印が三角になってる」
「ちょっ、ちょっと」
この口の悪いボーイは、ちらっとメモを見ただけで、完全に違いを把握したというのだろうか。ルークがふふ、と笑った。
「アムブローズさん、ヘンリーを信じてください。彼とは十年ばかりいっしょにいますが、この手の間違い探しでヘンリーがミスするのを、ぼくは見たことないです」
「まちがう?どうやって!」
ヘンリーは意外そうな顔をした。
「はっきりくっきり描いてあるのをどうやってまちがえるんだ。一目瞭然てのは、このことだぜ!」
 視覚に関する記憶力が、極端に発達した人間が世の中にいる、とアムブローズは聞いたことがあったし、それを売り物している芸人も見たことがあった。アムブローズは、ようやくうなずいた。
「わかったよ。じゃ、そのドアを開けておくれ」

 しわの寄った太い指に、大きな宝石のついた指輪を2個も3個もはめた手で、占い婆は愛用の水晶玉を取り上げた。
「この道からお客が来るのは、珍しいねえ」
人差し指で水晶の表面を撫でると、もやが晴れたように映像が鮮明になった。
「なんだね、この俗っぽい客は。まさかこいつが、あたしのトラップを抜けたっていうのかい?」
ぐっと目を近寄せた。胸にかけた首飾りが、ジャラジャラと揺れて水晶玉にかかった。
「はあん、この子だね。ほっほぅ、男前じゃないか。ちょいと楽しみになったよ」
占い婆は背もたれのついた古い椅子にゆったりと座りなおした。
「ま、最後のトラップを抜けてこられたら、ひとつ占ってやろうかね」