玉座の間

 ラインハット王家伝統の玉座は何代目だかの王が金に飽かせて作ったそうで、たいそう豪華なものだった。普通の椅子の倍近い大きさがあり、豪華な装飾を入れ、かつ、坐り心地がいいように工夫されている。座面を広く取り、詰め物をいっぱいいれて柔らかくし、優雅な肘掛と高い背もたれをつけてあった。
 歴代ラインハット王は、この玉座の上からさまざまな問題が検討されるのを見てきたはずだった。大は国家間の外交から、小は愛妾の飼い猫の粗相まで。
現国王デール一世は軽く坐りなおし、手を肘掛に置いた。あくまで礼儀正しく、中立な態度が必要だった。デール王はそっと背筋を伸ばした。
 目の前の“問題”はかなり険悪な雰囲気になっていた。ラインハット貴族を代表するクレメンス侯爵が、デール王の任命した王国宰相に不満を表明し、即刻罷免するように要求してきたのである。
 クレメンス家は何代か前にラインハット王家の王子の一人が起こした家系だった。非常に誇り高く、格式を重んじる。だが、デールの見たところ、今のラインハットが必要とする国家運営能力に恵まれているとは思えなかった。
「陛下は騙されておいでです」
侯爵は白髪をふりたてて叫んだ。
「その男は陛下の兄上などではない。どこかの馬の骨だ!」
デールはひそかにためいきをついた。十年ほど行方不明だったヘンリーを、誘拐された第一王子と同一人物ではない、と決め付ける者はまだ多い。デール自身は自分の記憶力に自信を持っているし、ヘンリーは間違いなくヘンリーだと思う理由もある。だが、なんとか中立の立場に見せたいデールとしては、声高に主張するのははばかられた。
「馬の骨?」
玉座のすぐ脇にいるヘンリーが眉をひそめた。
「言ってくれるじゃないか、侯爵」
「なれなれしく呼ぶな、小僧」
「こっちのセリフだ。百歩譲っておれが先の国王の息子じゃないとしても、今は王国宰相だ。ふさわしい礼儀を守ってもらおうか」
「きさま、ぬけぬけと!」
 侯爵は、先代国王のころから宰相の地位を狙っていたのである。偽者ではあったがアデル太后が宮廷を支配していた時代は、皮肉なことにアデルの手で侯爵は政治的晴れ舞台から完全に遠ざけられていたのだった。
「てめえ、あのバケモノが城を仕切っていたときに何やってたんだ?やつらの好き放題にさせてたくせに、今頃のこのこ出てくるんじゃねーよ。とっとと国へ帰って日向ぼっこでもしてやがれこのよぼよぼが!」
 デールは片手を軽く額にあてた。ヘンリーは、かつての第一王子ヘンリーだ。それはまちがいない。ただし大量の罵詈雑言をボキャブラリーに加えて彼は帰国したのだった。
 玉座のあるこの部屋は、王宮内で一番広い部屋ではないが、一番贅沢な部屋だった。高い天井は装飾付きの太い柱を二列に並べて支え、玉座は正面奥の一段高いところに置かれている。城を建設したときにむきだしだった石壁には豪華な刺繍入りの壁掛けをかけまわし、天地いっぱいの大きな窓は深緑色と金のぶ厚いカーテンで覆っている。カーテンを絞る太い綱には大きな金色の房がついていた。
 同じ緑と金の長いじゅうたんで玉座の間は覆われている。その上にデール王の宮廷の貴族たちがかしこまっていた。周囲の貴族たち、タンズベール伯爵やオレスト将軍、ヴィンダンなどは宰相のヘンリーと侯爵のやりとりに口を挟めず、困った顔で見ている。侯爵にいたっては、憤怒のあまり満足に口も聞けないようすだった。
「こっこのっ……先祖代々、由緒正しき我が一族を……無礼者が……」
宰相杖の先端でヘンリーは侯爵の胸を押した。
「由緒だけで国がうまくいきゃあ世話ねえんだよ」
「陛下!このような粗野な若造に宰相杖を任せてはなりませぬ!行政とは広い経験と深い知識を必要とする深遠な世界ですぞ。さらには宰相となれば軍事をつかさどり、さらにはすべての人事を」
つばを飛ばして侯爵はまくしたてた。
「やかましいっ。この国のもんは城の台所に転がってる卵のカラにいたるまで、何一つてめえの好きにはさせないからなっ」
文字通り侯爵が吼えた。
「陛下ーっ」
デールは深呼吸をした。
「兄上……大公。少し言葉を慎んでください」
けっとつぶやいてヘンリーは腕組みをした。
「侯爵、あなたの経験も知識も、私は深く尊敬しています。どうでしょう、その経験を生かして、国王特別親衛騎士隊の総監督をお願いしたいのですが」
「よせよせ、デール」
とヘンリーがさえぎった。
「そんなじじいにつとまらねえぞ」
ぐいっと侯爵が前に出てきた。
「なんとおっしゃいました、陛下?」
「特別親衛騎士隊を組織したいと思っているのですが、その騎士を選び、訓練をほどこし、財務を管理する大役を誰にまかせればよいか、迷っていました。が、侯爵ほどの適任はありません」
侯爵のほほにぽっと赤みがさした。
「なるほど。しかるべき家系の者から人格剣技などを見て騎士を選ぶ…そう、私ならばできるでしょうな」
「ひきうけてもらえますか?ヴィンダン、鍵を」
財務を管理するヴィンダンがうやうやしく立派な金の鍵を王にささげた。
「これは、特別新鋭騎士隊の諸費用をまかなう宝物庫の鍵です。これをあなたにさずけ、すべてを任せます」
侯爵はどうしても笑えてくる口元を苦労して押さえながら鍵を手に取った。
「おれは反対だ!」
腕組みをしてヘンリーは言った。
「ほかに誰かいるだろう!そんな大事な地位をそのじじいにくれてやったら、コネと賄賂のてんこもりにするだけだぞ」
「だまらっしゃい」
侯爵は胸を張って一喝した。
「ふん。小僧にはつとまらんよ。指をくわえてみているがいい」
「てめぇ」
言いかけたヘンリーをデールがさえぎった。
「あなたにはすでに宰相の職を提供しました。それに、口をつつしんでくださいと言ったはずです」
ヘンリーはやんちゃな悪がきだったころと同じように、腕組みのままふいと顔を背けた。
「では、侯爵、近いうちに人選のリストを見せてくださいね」
「御意にございます」
オレスト将軍が堅苦しい口調で声をかけた。
「特別親衛騎士隊は、正規軍より上位に位置することになるわけですな。なにとぞよろしく」
「適当な指導者を手配する。君は兵士出身だったな?いろいろと教えを請うことも多いだろうな」
タンズベールが控えめに声をかけた。
「私の係累に、特別親衛騎士隊に志願したいという者がいるのですが」
「そのような相談は、我が侯爵邸でお伺いしよう。しかるべき土産を用意してくるように言いなさい」
ヘンリー一人は、顔をそむけたままだった。そのようすをせせら笑うと、侯爵は華やかな言葉でデール王に感謝を述べ、もったいぶった態度で玉座の間を退出していった。

 デールは緊張を解いて、玉座に深くもたれてため息をついた。
「よーし、みんなもういいぞー」
上機嫌のヘンリーが言うと、芝居につきあってくれた貴族たちや観客役の兵士たちから小さく声があがった。
「デールもな。うまくいったじゃないか!」
「兄さんのシナリオどおりでしたね」
「とくべつ……なんだっけ?」
「特別親衛騎士隊ですよ。でっちあげにしてはいい名前でした」
「あー、それそれ。あのじじい、頭ん中はニワトリ並だな。実際的な権限のある宰相と騎士隊みたいな名誉職のどっちがいいか、まるでわかっちゃいねえ」
「偉そうなほうに飛びつく、と踏んだ兄上の勝ちですね」
「王国宰相になりたいってのも、もともと“聞こえがいいから”みたいな理由なんだろうよ」
最初ヘンリーがわざと侯爵を口汚い言葉で挑発する。デールが見栄えだけは非常にいい役職を提供する。ヘンリーがわざとむきになって反対してみせる。オレストやタンズベールがおだてる。そういう流れに乗せて侯爵はまんまとおし流されたのだ。もう侯爵の頭の中には宰相職のことなどまるっきりないに等しかった。
「蓋を開けたら、どうなりますかな、侯爵様は」
にやにやとオレストは笑った。ラインハット正規軍の責任者であるオレストは、もともと侯爵のような人々が軍の方針に口を出すことに反対だった。“特別親衛騎士隊”は、うるさい連中をまとめて祭り上げるための、ていのいい囲いなのだった。
 ヴィンダンも笑いを抑えきれないようだった。
「あの鍵で宝物庫を開けたときの顔を見たいもんです」
「何を入れておいたんだ?」
「ヘンリー様のお言いつけの通り、捨てる予定のがらくたです」
くすくすくす、くっくっくっと笑い声があがった。やがてそれは我慢できないようなほがらかな笑い声になって、玉座の間を満たしたのだった。

 話を終えるとデールはまだくすくす笑いながら玉座に座りなおした。コリンズはデールの足元にずっとすわって、話を聞いていたのだった。
「じゃあ、ヴィンダンもオレストも、み~んな承知でお芝居をしてたんだね?」
「そうしてくれ、とヘンリー兄さんが言ったのですよ」
「好きだなあ、父上は」
玉座の間の大扉が開いた。秘書のネビルを従えたヘンリーが入ってきた。
「なんだ、おれのうわさか?」
闊歩するたびにケープがひらりと舞い、手の中の宰相杖が踊った。玉座の間を舞台にした大芝居が、今日もまた始まるのだ。オラクルベリーのヘンリーを長とする閣僚たちが、軽く会釈してよこす。ヘンリーはよっと手を上げて挨拶した。
「今日もよろしく頼む」
おまかせをという声や妙にうずうずしたような笑い声が返ってきた。
 コリンズは立ち上がり、玉座の斜め後ろの定位置についた。今日はまだ見ているだけ。だが、いつかそのうち、この玉座の間のスターにコリンズはなるつもりだった。
「おれだって、いつか父上みたくなるんだからな」
コリンズは胸の中でそうつぶやいた。そのつぶやきが聞こえたかのように、ヘンリーはちょっとふりむき、にっと笑った。