ジャハンナへの道 7.水車小屋の大騒ぎ

 マーロンの後ろで、武器屋の主人がごくりと喉を鳴らした。
「ありゃあ、魔界の鎧だ!」
「なんだと」
 魔界の鎧と兜に身を固めた男は、やはりつむじ風となって主人のもとへ飛んできた長い剣を手にしていた。柄の部分に造り付けた凶悪な魔界の獣の大きく開いたあぎとから、戦慄すべき刀身がまっすぐ伸びて先端で優美に反りかえっている。かなり広幅、厚手であり、なんとも切れ味の鋭そうな、つまりよく鍛えた業物特有の青みがかったいい色あいで、マーロンは内心ぞくりときた。
 魔族は片手に軽々と剣を握りまっすぐカンダタ子分の顔の前に突き出した。
「これが私の得物だ。よく見るがいい。魔界の剣と言う」
「ひいいっ」
もうカンダタ子分は恥も外聞もなく震えていた。目深にかぶった魔界の兜の下で眼が光ったようだった。
「しばらく血を吸わせていないな。試し切りといくか」
ぎゃっと一声叫んでカンダタ子分が逃げ出した。黒い風のように魔界の剣士が後を追った。
「あ、だめよ」
金髪美人があわてて叫んだ。
「みんなっ、止めて!」
人間の子供たちや黒髪の男、モンスターまでもがいっせいに走り出した。

 こちとら魔界っ子でぇ、と自慢しただけあって、カンダタ子分はジャハンナの街中を機敏に逃げ回ったが、ついに追い詰められて大きな居酒屋へ飛び込んだ。驚く客を突き飛ばすようにして地下へ続く階段へ走りこむ。ルークたちは、カンダタ子分とピサロの後を追いかけて、やはりその階段を降り、酒の貯蔵庫らしいところから別の扉をくぐった。
 ルークは立ち止まった。そこは、思ったよりよほど広い空間だった。普通の家なら三階建てぐらいある高さを吹き抜けにして、中に巨大な機械を据えてある。機械の上部からはなにやらからくりが突き出し、歯車に続いている。見慣れないその機械は、どうやらその歯車を回転させているらしかった。歯車の回る音や機械そのものの稼動する音がやかましく、耳がおかしくなりそうだった。
 機械音に混じって、どうどうと激しく水の流れる音がしていた。
「滝の音がするよ?」
ルークはよりそってきた息子の耳元で言った。
「あの水車だ。ほら、町の中にあった」
「聖水を汲みあげてるあの大きな水車だね?」
ルークは歯車の先の長いシャフトを指差した。シャフトの先は壁を貫いて外につながっていた。
「あれがくるくるまわってる。あの先にきっと、水車の車輪があるんだ」
この巨大なからくりを動かしていたのは、それでは大勢の奴隷ではなく、不思議な機械であったらしい。とりあえずほっとしたが同時に不思議な気持ちがした。同じようなからくりを見たことがある。一度はあの大神殿の建設現場で。そしてもう一度は、天空城を抱え込んでいた湖へといたるトロッコの洞窟の中でのことだった。
「それはいいとして、ピサロと子分さんはどこにいるのかしら」
一家はきょろきょろした。あたりはむきだしの土床だった。壁に沿ってところどころにむしろが置かれ、そのうえに樽が二つ三つ転がっているだけだった。が、一箇所にはしごがあった。
「おとうさん、あそこ!」
カイが叫んだ。指差した先ははしごの上の粗末な木の回廊だった。つきあたりにカンダタ子分がいて、逃げ腰になっている。その前に完全武装した魔王が刃をかざして立っていた。
「行こう!」
 ルークはまっさきにはしごに取り付いて登り始めた。のぼりながら横目でピサロのようすを探った。紫がかった鎧が第二の皮膚のようにしなやかにまとわりつき、小さめの兜の下から長い髪が流れている。不吉な、そしてたいそう美しい、鎧姿だった。
 カンダタ子分は、後ずさりしながら後ろ手で壁を探っていた。その手が取っ手をさぐりあてた。
「そんなもん、振り回したってへでもねえや!」
脚をがくがくさせながら、まだ強がりを言う。
「やれるもんならやってみな!」
そして、勢いよく取っ手を引いてぱっと外に出た。
「わあっ」
カンダタ子分がたたらを踏んだ。回廊にたどりつき、走ってきたルークの目に、その小さな扉の向こう側が見えた。
 大水車の斜め上あたりの高さの、そこは小さな岩棚だった。タンカを切ったはいいが、行き止まりだったのである。はるか下方にジャハンナの町、そのさらに下には魔界のもやに覆われた海があった。水面からすれば、目もくらむような高みに岩棚はあるのだった。
「ほーう?」
皮肉たっぷりにピサロが言った。
「では、やってみるか」
何の遠慮もなく魔界の剣を振り上げた。
「ちょっと待って、ピサロ!」
ルークは声を上げた。
「私に指図するな」
「だからと言って、やたら人を殺すものじゃない」
「魔王が人殺しをためらってどうする」
「でも、あなただってカンダタ親分が魔界最強だなんて思っていないのでしょう」
「あたりまえだ」
「なら、その一の子分なんて雑魚じゃないですか。おやめなさい」
深く被った兜のために、彼の表情は読みにくかった。が、剣を振り下ろすことはせず、しばらく黙っていた。
 アイルが追いついた。
「やめなよ、ピサロ。試合ならぼくとやろう。ね?」
恐れ気もなく魔界の鎧に手をかけて、王子は魔王の顔を見上げた。ゆっくりと魔界の剣がさがっていく。
「勇者が相手ならば、不足はない」
「わ~い」
ピサロは口の中で何かつぶやいた。魔界の武具が大気に溶けるようになくなっていく。たぶん最初から本気ではなかったのだろうとルークは思った。
 カイが後から追いついてきた。小さな扉から外の岩棚に出て、わあっと声を上げた。
「すごい。ねえ、とっても高いところにいるのね」
「高いところが珍しいか」
本当は天空城を駆り、天竜の背に乗って空を飛んだこともある娘だが、地の底の魔界の王に向かっては、輝くような笑顔でカイはうなずいて見せた。
「市場が見える。それと、あたしたちの通ってきた道も。ね、お兄ちゃん!」
「見える、見える!おもしろいなっ」
あきれた顔で“ナントカと猫は高い場所が好きだそうだ”などとピサロはつぶやいていた。
「ひやひやしたわ」
ビアンカだった。
「そう?かなり楽しんでたでしょう、ビアンカは」
ルークがそういうと、かわいい笑顔でビアンカはふふっと笑った。
「だって、がまんできなかったのよ。ピサロのおすまし顔が、一瞬本当にずっこけたの」
「ぼくも見たよ。魔王様には言えないけどね」
そう言ってルークが帰ろうとしたときだった。誰かがあのう、と言った。
「カンダタの子分さん?」
若いちんぴらは、こそこそとルークとビアンカの後ろに隠れていたらしかった。
「そちらの旦那にはお世話になりやして」
「いいんだよ。でも、あまりあの人を挑発しないでね」
「とんでもない!もう街中でお見かけしたらこっちから消えますんで」
そしてふところをごそごそとかきまわした。
「こいつは、カンダタ親分から金に換えろといわれた品物のひとつなんですが、なかなか引き取り手がねえんです。お礼代わりに、ひとつ……」
カンダタ子分が差し出しているのは腕輪のようだった。
「きれいだわ。それに金でできてるんじゃないの?宝石もついているし。こんな高価なもの、いただけないわ」
「いやその、どこの店に持っていっても、こいつだけは誰も引き取らねえんですよ。なんでかなあ?ジャハンナじゃ、シャンパーニュあたりと趣味がちがうんでしょうかね。親分の話じゃ、ある国のお姫様の身代金になったほどの品だってんだが」
カンダタ子分は深々と頭を下げた。
「そんなわけでそのう、もし姐さんのお気に召すようでしたら、もらってやってくだせぇ。そのほうが助かりますんで」
 そのときだった。誰かが咳払いをした。ふりむいてルークはちょっと驚いた。モンスターである。人間よりやや大柄な体格の二足歩行型で、全身を赤紫の体毛におおわれ、頭には角があった。
「アンクルホーン?」
言葉がわかるらしい。不機嫌そうな顔つきで、わずかにうなずいた。
「仕事の邪魔だ。出て行ってくれ」
ぼそりと言った。
「ああ、ごめんなさい。ここは?君の職場なのかい?」
アンクルホーンは、じっとルークたちを眺めてからぽつりと言った。
「あんた、人生に後悔してるかい」
ルークはビアンカと顔を見合わせ、それからアンクルホーンに向かってはっきり言った。
「いいや、ぼくは人生に後悔していない」
ビアンカがそっとルークの手を探り、きゅ、と握り締めた。
アンクルホーンはためいきをついた。
「そうか、立派に生きていけよ」
片手でルークたちの視線を振り払うようなしぐさをした。
「あの、いったい」
「もういい。出て行け」
そういうと、あの不思議な機械の背後へ入り込み、姿を消してしまった。
「なんでえ、あいつ」
カンダタ子分がつぶやいた。
「機嫌が悪かったわね」
「よほどうるさかったのかな、ぼくたち」
カンダタ子分は首を振った。
「あいつ、あれですよ。なんでもマーサ様に人間にしていただいたのに、酒を飲みすぎて元に戻っちまったやつだ」
「そんなのがいるんだ……」
子供たちがピサロといっしょに戻ってきたときも、ルークはぼんやりと考え込んだままだった。

 ジャハンナの日常は、奇妙なほど平和だった。周囲を魔界に囲まれた隔絶した町なのだが、元モンスターの住人たちは不思議と和気藹々としていた。生活は自給自足でつつましやかなものだった。
「昔は羽振りがよかったんだよ、わたしゃ」
小太りの商人が、目じりに笑いじわを寄せてそう言った。
「でも、あのころは裏切りと陰謀の連続でねえ。少しも気が休まらなかった。マーサ様には感謝してるんだよ。ジャハンナに住まわせてもらってね」
商人は、片眼をつむってみせた。
「おかげでちょっと太っちゃったけどね?」
「うん、おじさん、サンチョっぽい!」
少年勇者は屈託なく笑い、商人もつられて笑顔になっていた。
 ビアンカはためいきをついた。
「マーサ様のことは、この町じゃみんな知ってるみたい。でも、今どこにいなさるのかだけがわからないわ」
ルークはうん、とつぶやいた。
「やっぱり、この町から先へ行ったのかな、母さんは」
あのとき母の声は、大魔王の力は私が抑えます、と言った。ルークの眼はジャハンナの大水車を越え、暗黒の山にひきつけられてしまう。理屈ではない。本能が、そこへ行け、とルークに命じていた。
「とにかく、宿へ帰ろうか。いったんピエールたちと合流しよう」
「私、ちょっと気になるお店があるの。のぞいてきていいかな」
じゃ、ここで子供たちと待ってるよ、とルークは言い、うきうきしたようすのビアンカを見送った。旅に使える何かを見つけたらしい。彼女のちょっとした気遣いで長い馬車の旅がぐっと快適になる。いつもありがと、苦労かけるねとルークは片手拝みにした。
 見慣れた色彩が視界の隅をかすめた。
「ピサロ?」
 今日はピサロは、別行動をすると言ってさっさと宿を出てしまった。アイルとカイに見つかると面倒だと思ったらしく、早朝からでかけてしまったのだった。半日ジャハンナを歩き回ったにしてはどこか超然とした姿で、ピサロは市場の中の大きな道具屋からでてきたのだった。
 ね~ね~、と声を上げてアイルとカイが飛んでいった。
「ピサロ~」
ぽふん、と音を立てて子供たちはピサロに抱きついた。上目遣いに見上げ、おそれげもなくなじった。
「どこへ行ってたの?」
「寂しかったんだよ」
黒い手袋をはめた手で、ピサロは子供たちの頭を押しのけようとした。
「私になつくな、くっつくな!」
「やだ~」
「わかったから、とにかく離れろ」
ルークはにやにやするのを抑えれらなかった。どうみても、ピサロは本気で嫌がってはいない。本気だったら、力づくでも引きはがしたことだろう。
「私は私の捜し物をしていたのだ」