ジャハンナへの道 3.用心棒

「アンドレアル様」
一番後ろに控えていた甲冑の騎士、ピサロナイトが言った。
「あの町は、奇妙なことに魔族の侵入を防ぐ措置がしてあるのです。町の入り口だけではなく、上空から入り込むこともできません」
「そんなばかなことがあるか」
筋骨たくましい髯の大男、ヘルバトラーがうめくように言った。
「本当です。町の周囲を聖水の流れる濠が取り囲んでいるためと思われます」
「その流れを、なんだ、どうにか停めることはできんのか?」
「巨大な水車で注ぎ込んでいるようです。外部から停めるのは、まず無理かと」
ほほの肉に埋もれそうな小さな目を油断なく光らせたギガデーモンが、けっとはき捨てた。
「盗人が逃げ込むにはいい町だな。だが、なんだって魔界の中にそんな町があるんだ」
「町の者の話では、最近、表の世界から来た女性がそのような仕掛けをほどこした、ということです」
聞いていたルークは、ビアンカと顔を見合わせた。声をかけたのは、ビアンカのほうが早かった。
「あの、最近て言ったけど」
ビアンカは言った。
「それは魔族にとっての“最近”じゃない?具体的には何年ぐらい前のことなのかしら」
ピサロはたずねるような視線でピサロナイトを見た。
「聞いた話によると、だいたい30年くらい前でしょうか」
「それだ」
とルークは言った。
「母さんが魔界へ連れ去れらたころだよ」
「じゃあ、その町を作ったのは、マーサさまかもしれないのね?」
ルークはピサロの方へ向き直った。
「いっしょに行かせてください!」
ざくっと音がした。ギガデーモンと呼ばれた大男が、威嚇するように自分のライバーンをルークの目の前に割り込ませたのだった。
「おい、図に乗るなよ、人間ふぜいが!」
アンドレアルも冷たい目で見ている。
「そもそも我らとは敵対する者。なぜおまえたちと同行せねばならんのだ?」
ルークは視線を上げてギガデーモンたちを見上げた。
「なぜ、ぼくたちが敵対しなくてはならないんですか?」
一瞬、沈黙が訪れた。何と答えて言いかわからない顔でギガデーモンたちが黙ってしまったのだった。
「こやつらにかまうな」
静かにピサロが言った。
「だが、あの町の捜索は必要だ。大軍で強襲をかけることができないのなら、少数からなる捜索隊をおくりこむべきだろう」
「おまかせを」
「いや、それがしが」
熱心に名乗りを上げる部下たちをピサロは見回し、ピサロナイトのほうを見た。
「申し上げにくい事ながら、生粋の魔族の方々は、町の入り口で拒否される恐れがあります」
なんだと、と武将たちは口々に言った。
「おまえはどうやって入った?」
「私は、ご存知の通り、半分ヒトですから」
アイルが驚いて顔を上げた。
「本当?」
下から見上げる小さな少年のために、ピサロナイトはさっと翼竜の鞍から降り、片膝をついて少年と視線の高さをあわせた。
「覚えていらっしゃいませんか……いや、別の勇者殿ですね」
甲冑の兜のために表情は見えないが、面頬の中の目は優しく、どうやら微笑んでいるらしかった。
「昔お目にかかったときも少年らしさの抜けない方でしたが、また一段とかわいらしいお姿になられた」
アイルはもじもじした。
「ぼく、ごめんなさい。覚えてなくて」
「お気遣いなく。それから、私は、魔族の父と人間の母から生まれたものです。それで、あの町に入ることができ、少し調べてまいりました」
「そうなのか……お父さん!」
ぱっとアイルはふりむいた。
「たいへんだよ。それじゃ、うちのモンスターの子たち、いっしょに町へ入れないよ!」
「その心配はあるまい」
とピサロが言った。
「おまえ、地上でもモンスターを連れて人間の町に出入りできただろう」
「え?あ、うん」
「それがマスタードラゴンが、勇者とその近しい者に与えた特権だ」
「ほんと?知らなかった」
「平たく言えば、勇者のパーティに加わったときに自動的に出入り自由になる」
「そっか。よかった!」
太陽のような笑顔をアイルはピサロに向けた。
「じゃ、ピサロもいっしょに行かれるんだね?」
は?と声にならない声が魔族のあいだからもれた。
カイが前の方に出てきた。
「わあ、うれしい!ほかのひとたちも、いっしょに行こうね?ええと、アンドレアルさんとヘルバトラーさんと、ギガデーモンさん?」
うふふっとカイは笑った。
「殿下……ピサロさま」
とまどった顔でアンドレアルが言った。
「たしかに、勇者と同行すればあの町に入れることになるな」
「まさか本気で!」
「おまえたち、人間と同行するのは不服か」
高位の魔族ならはっきりと不服を唱えるかと思ったのだが、アンドレアルはばつの悪そうな顔になった。
アイルとカイはそろって魔族たちを見上げた。
「ねえ、いっしょに行こうよ」
「それほどひまではない!」
アンドレアルが言うと、カイは切実なくちぶりで訴えた。
「でも、私たち、道案内が必要なの」
「ぼくたちだけじゃ、道に迷っちゃうもの。お願いだよ!」
ギガデーモンもアンドレアルも、進退窮まったという顔をしている。ヘルバトラーは豪快に笑った。
「どうなさる、ピサロさま。今ひとたび、勇者殿に助太刀なさるか」
ルークは目を見開いた。今、ピサロの口元に、かすかな笑みが浮かびはしなかったか。
「泣く子と勇者には勝てんな」
子供たちは、ぱっと顔を輝かせた。
「わあっ、やった!」
ふわりとマントを翻して、ピサロはライバーンロードから飛び降りた。アイルとカイはまっすぐかけよってまとわりついた。
「ピサロさま!」
あわてる部下に、ピサロは落ち着いて命じた。
「ストラヴィをつれてもどれ。私の兵も、魔王宮へ戻して待機させろ」
ストラヴィと言うのは、騎乗してきたライバーンロードのことらしい。ピサロナイトがその手綱を取った。
「しかしピサロさまは」
「一人で行く」
アンドレアルがあわてた顔になった。
「それはあまりに」
「慣れたものだ」
「王国はどうなさる」
「しばらくは、ヘルバトラー、おまえにまかせる。ギガデーモン、アンドレアル、山狩りは続行しろ。何か発見したとき連絡には、ピサロナイト、おまえが来い」
ピサロナイトは片手を胸に当てた。
「かしこまりました」
この人だけは落ち着き払っている。ストラヴィの鞍かばんから大きな袋を取り出すと、うやうやしくピサロに手渡した。ピサロは袋の口を絞る紐を右手に持って肩に引っ掛け、左手で腰に装備した大きな剣の柄を軽くつかんだ。
「行くぞ」
ルークは息が止まりそうだった。
「ほんとうに?ほんとうですか?」
「やめてもよいぞ」
「いえ、とんでもないっ」
たいそう気位の高い用心棒が、こうしてできあがった。

 岩山へ入る前に、仲間モンスターのうち飛べるものや身長の高いものなどを中心にして、あの食用の果実をたくさん集めることになった。ルークもビアンカもその監督に忙しい。子供は遊んでいなさい、といわれて、王子と王女は馬車から少しはなれた場所にいた。子供たちのお守はいつものようにプックルだった。が、今日はもう一人、心強い守り手がいた。
 雑用をしに来たのではない、とピサロが言ったとき、ビアンカがぴしゃりと、“じゃあ、あなたは子守ね”と言ったのだった。
 大きな岩を背にして草地のうえにピサロは腰を下ろした。片膝を立て、その上にひじを載せ、前方の岩山を見上げた。
「ねえねえ!」
アイルだった。
「なんだ」
これをはずして、と少年はピサロが腰に帯びた剣をひっぱった。ピサロがベルトをはずして剣を草の上におろすと、アイルはピサロの膝に上がりこんだ。
「あなたはぼくの前の勇者を知ってるはずだって、お父さんたちが言ってたよ。ほんと?」
大きな目で間近から魔王を見上げ、熱心に訊ねる。
「ああ」
「じゃあ、その人のことを話して」
ピサロは黙っていた。やおら手袋をはずし、長い指でアイルの金髪をそっとつかみ、感触を確かめるようにいじっていた。
「顔は、それほど似ていない」
静かな声音だった。
「髪や目の色も違う。性質も少々異なるようだ。明るく振舞ってはいても、私の知っている勇者はやや内向的で、自罰傾向が強かった」
「ジバツって何?」
「自分を責める、ということだ。あれは、自分の住んでいた村が、養父母や友達を含めて全滅させられたのは自分のせいだと思い込んでいたのだ」
ピサロの手から、柔らかい金髪の束がさらさらとこぼれおちた。
「本当は、私が焼き払ったのに」
アイルは不思議そうな顔でじっとピサロを見つめていた。
「勇者の半生そのものを、私は奪った。だから、あれが私を殺すために強く成長し、刃を手に戦いを挑んでくるなら、私には納得がいった。だが、彼はその代わりに、私にとって大切な存在を死の淵から取り戻し、私に与えた」
「その人は、魔王のあなたにお友達を返してあげたの、勇者なのに?」
「そういうことになるな」
ピサロは眼を閉じた。再び赤い瞳を開いたとき、そこには沈痛な光があった。
「もう、昔のことだ」
「ピサロは、それからずっとお友達といっしょにいるんだね?」
「いっしょ、とは言いにくいな。あれはエルフなのだ。魔界の空気はあれの命を縮めてしまう。別のところに住まい、私はときどき会いに行くことにしている」
「そうなの?でも、会えるんだね?」
「そうだな。ロザリーは健在だが、導かれし者たちは世を去った。天界の血を与えられた勇者は、まだ生きているはずだと思った。今なら彼は、私に恨みを言うだろうか。再び会った時いったい彼が何と言うかと、私はずっと考えていた」
アイルは黙ってピサロを見上げた。
「まさか天空城にいないとは、思っていなかったのだ。彼が私のことを本当はなんと思っていたのか、今となっては知りようがない」
アイルは言った。
「その人、ピサロを友だちだと思ってたんだと思うよ」
「私は魔族、彼は勇者だ。そのようなことがあるものか」
「だって、ぼくもお父さんも妹も、モンスターの子たちと仲良しだよ」
すでにルークやピエールたちから、この一家の素性をピサロは聞いていた。グランバニアの国王一家だという。一国の王のくせにふらふらと魔界まで出歩くのはどうかと思うが、とりあえず今の自分が言えた義理ではない、とそのときピサロは思ったのだった。
「おまえたち一家が変わっているんだ」
「そんなことないよ」
アイルは正面からピサロを見上げた。
「勇者は、あなたを好きだったんだよ」
ピサロは息を呑んだ。青いはずのこの子の瞳が、光線のかげんで紫に近い、赤みがかった色にに見えはしなかっただろうか。
「おまえ、何を」
「なあに?」
少年はまじめな顔をしていた。
「……いいや」
少しはなれた岩場で、カイが兄を呼んだ。
「ねえ、ここ!お花が咲いてるの!」
さっとピサロの膝を離れ、少年は走っていく。
「どこどこっ?」
その後姿を、ピサロは眺めていた。紅唇がかすかに開き、人差し指の関節に軽く歯を立てた。
「きさまの差し金か?マスタードラゴン」
答えは、どこからも返ってこなかった。