強き心は 3.戦士パパス

 ラインハット城の構造は、アイルたちの時代と変わっていなかった。何より、コリンズが教えてくれた秘密の通路がそのまま使えた。アイルたちはかなり近道をして、東翼にある王太子の居住区を目指した。
 それでも、しかめっ面の従者や、ひどく偉そうな態度の侍女たちが、城のあちこちにいて、ときどきじろりとアイルたちをにらみつけた。なかにはあからさまに追い出そうとするものもいた。
「どっから入ってきたの、まったく?」
「下々がうろつく場所ではないぞ!」
兵士詰め所のそばを通ったときなどは、体格のいい傭兵がげたげたと笑いながら大きな刀をふりまわし、周りの人に当たりそうになっていた。
 城に仕える人たちや、外から来た人たちは、みんなおびえたような目をして、小さくなっている。あまりの雰囲気の悪さに、カイは顔色さえ悪くなっていた。
“ヘンリー様の遊び相手として、お城に呼ばれました”という言い訳を何度もくりかえしたあげく、ようやく東翼にたどりついた。
 見覚えのある通路を曲がったとき、背の高い人影が目に入った。
堂々としている。
 それが第一印象だった。
 身なりは旅の戦士のそれで、華やかな宮廷にはけして似合うとは言えない。日焼けした肌に髪は黒く、口元にひげをたくわえていた。
 周囲には、尊大な侍女や従僕がかたまっている。王太子付きの召使たちらしい。じろじろと彼を見てこそこそ話すのだが、戦士はまったく気に留めていないようだった。
 人を小ばかにしたような顔の従僕が、この男を値踏みする目つきで見て、通り過ぎる。一瞬戦士と目が合った。戦士は、ふっと微笑んだ。従僕は、はっとした顔になり、それから自分のほうが恥ずかしそうにうつむいて、こそこそと通っていった。
 カイがささやいた。
「パパスおじいさまだわ」
高く頭を上げ、腕を組み、パパスは軽く足を開いて立っている。アイルとカイはうれしさと誇らしさがこみあげてくるのを感じていた。雰囲気最悪のラインハット城の中で、身なりがどうのこうのと言う前に、もっと根本的なところでパパスは高貴であり、誰よりも力強かった。
 パパスのすぐ前には、子どものヘンリーがいた。さきほどまでわめいたいたらしい。ランスたちを翻弄していたときとはぜんぜん違う、真剣に怒っている顔をしていた。
「お守りなんか、いるか!あっちへ行けったらっ」
パパスは、おかしそうに笑った。
「私が殿下の命令を聞かなくてはならない理由は、なにかな?」
ヘンリーは言葉に詰まったようだった。
「おまえは、親父の命令で来たんだろう?」
「いや、彼は私に、殿下と少し話しをして欲しい、と頼んだのだよ」
けっ、とヘンリーは吐き捨てるように言った。
「頼んだあ?説教なら、勘弁してくれよ」
「そんなによく、お説教されるのかね?」
「一日一説教さ」
「では、わたしは、違う話をしよう。こう見えても、あちこち旅をしてきたのでな。見聞もいささか広いつもりだ」
ヘンリーの表情が変わった。
「おまえ、海を見たことがあるのか!?」
にやとパパスが笑った。
「ついこのあいだ、船で旅行したよ。うちの息子もいっしょだった」
「船って言ったな?どんな船だ。早いのか?」
パパスは、かるく眼を閉じて記憶をたどるように首を動かした。
「いい、船だった。またおそろしく、でかかった。こう、細身で、波を切るようにできていてね。それなのに、船内はあきれるほど広いのだ。息子はおおはしゃぎでね。船首から海上へ突き出した舳先のはしまで行って、海鳥の飛ぶのを見るのが好きだった」
ヘンリーは両手でこぶしを作り、ぶんぶん振った。
「すげー、すげー!」
 遠くから見ていたアイルは、目を見張った。海と船の話を聞いているヘンリーは、アイルの知っているコリンズと、本当によく似ていると思った。
「なんでも、サラボナの大商人の持ち船だそうだ」
「そんなもん、どうやって乗ったんだ」
「船長と、知り合いだったのだよ」
「なあ、おれも、乗せてくれるか?」
「きみが?ううむ」
パパスは、かるく口ひげをひねって考え込んだ。
「いいかもしれんなあ。世間を知るのは、王族には必要不可欠だ」
「親父に頼んでくれよ。おれが船に乗れるように!そうしたら、いくらでもいい子にしてやるよ!」
「そういうことは、殿下が直接言いなさい」
ヘンリーの顔がくもった。
「なんでだよっ。あいつは絶対、おれの頼みなんか、聞いてくれないからなっ」
「どうしてそう思うんだね?頼んだことが、あるのかな」
ヘンリーはうつむき、口ごもった。
「殿下に必要なのは、素直に父君と話をすることだ。きっと父上は、それを待っているよ」
うるさい、うるさいっ、とヘンリーは叫んだ。まわりで召使たちが非難するようにぶつぶつと声をあげた。
「誰があんなやつと!」
「殿下」
「もういいっ」
そう言ってきびすを返した。
「どこへ行くのだね?」
「自分の部屋だ!いいか、おまえは入るなよ!きさまらもだっ」
最後のは、召使たちに言ったようだった。語気も荒く言い捨てて、ヘンリーは部屋まで走っていき、手荒く扉を閉めてしまった。
 アイルとカイは顔を見合わせた。呆れ顔の召使たちは、三々五々と散っていった。だが、パパスは苦笑して腕組みをし、その場に残っている。アイルたちが近寄っていくと、パパスはふりむいた。
「やあ」
アイルとカイは、なんと言っていいかわからなかった。
「あ、あの、こんにちは」
組んだ腕をはずして、パパスは笑いかけた。目がちょっと細くなると、とても優しい表情になった。
「君たちも、王子様の遊び相手かな?」
“そうです”といいかけてアイルはためらった。この人に嘘をつきたくなかった。
「ぼくたち、あの、本当は」
「おや、迷子になったか」
アイルは困りきって、妹の顔を見た。目でカイが訴えた。
“未来から来たあなたの孫です、なんて、きっと信じてもらえないわ。どうしよう?”
もじもじしている子どもたちをどう思ったのか、パパスはじっと見ている。
「はは、どうしたのかな。何か言いたいのは確かのようだが。おじさんにも子どもがいてね。君たちより、少し小さいんだが、ときどきそんなふうにするんだよ。目を伏せて、唇を噛んで、ふるえてね」
アイルは思わず顔を上げた。
 そのときだった。曲がり角から、一人の男の子が姿を現した。
 紫のターバンの下から、黒い髪が飛び出している。この城にはあまりいないようなごく庶民的な身なりの子どもだが、おびえたようすも、卑屈なところもない。彼は城の雰囲気にまったく毒されていなかった。
 あどけない表情、不思議な瞳。それをアイルとカイは、よく知っていた。
「お父さ~ん」
少年は駆け寄ってきた。後ろから、オレンジ色のとさかのある猫が追いかけてきた。
 パパスはにっと笑った。
「おお、ルークか!よくたどりついたな」
「お城を探検してきたんだよっ。王様が、お父さんはこっちだって、言ったから」
幼いルークの身長は、パパスの胸にも届かない。パパスは膝を折り、息子と視線をあわせた。
「そうだ、父さんはヘンリー王子のおもりをたのまれたのだ」
「赤ちゃんじゃないのに、おもりがいるの?」
「いろんな子がいるのだよ。エリオ……父君の話では、かなりお守りの必要な子らしいのだ」
小さなルークは、唇をとがらせた。
「ぼくは、ぼくも……」
自分のお守りもしてほしい、かまってほしい。でも甘えん坊だと思われたくない。アイルたちには、彼の考えていることが、よくわかった。
「なあ、ルーク。仕事のことで、頼みがある」
とパパスが言い出した。
「父さんは守役だから、本当は王子のそばにいたいのだが、まいったことにキラわれてしまったらしい。だがお前なら子供どうし友だちになれるかも知れん。父さんはここで王子が出歩かないよう見張ってるからがんばってみてくれぬか?」
頼りにされている、そう思うことが、小さなルークのほほを、誇らしさで染めたようだった。
「ぼく、やってみる!」
パパスは笑った。
「よろしくたのんだぞ」
小さなルークは、かたわらの猫……キラーパンサーの幼獣に、行こう、と声をかけた。
「待って!」
思わずアイルは叫んだ。このまま進行すれば、必ずヘンリーの誘拐事件が起こり、それに続いて大きな悲劇が始まってしまう。
 無邪気な表情で、小さなルークはアイルたちを見た。
「なに、お兄ちゃん?」
「ぼくはおにいちゃんじゃないんだ。ぼくたちは、きみの……」
その瞬間、大きな手が、アイルの肩にかかった。アイルはどきりとして背後を見上げた。
 アイルの父、ルークが立っていた。