強き心は 1.不思議な絵の中へ

 妖精城は、騒然としていた。
美しい妖精の女王は、華奢な玉座のひじかけを、指でこつこつたたきながら報告を待っていた。
 後ろで侍女、女官がおろおろしているのはわかっているが、いらだちはとうてい抑えられなかった。事態は困った方向へ向かっていた。この世とこの妖精の世界にとってたいへん貴重な存在が、完全に失われるかもしれないというせとぎわなのだった。
 階(きざはし)を駆け降りる音がした。
「なにかわかったの?」
顔を上げて、思わずとがった声をだしてしまった。女官の一人が、走ってきた兵士から報告を受け、眉をひそめて顔を上げた。
「いえ、子どもたちのことではありません。奥の間においてある、“時の結晶”にひびが入ったそうです」
女王はうめいた。
「無理もないわ。一度だけならとにかく、二度なんて……」
思わず、指で目をおおってしまった。
「なんてことでしょう。あの子たち、ああ、いい子たちなのに。しかも、大事な使命を持って生まれてきた双子なのに。もしも取り返しの付かないことになったらポワンにもう、顔向けできないわ。“お世話になった人だから、くれぐれもよろしく”と言われていたのよ」
そのとき、静かな声が聞こえてきた。
「あの、なにかあったのですか?」
女官たちがざわめいた。女王は、自分の地位にふさわしい義務を果たさなくてはならない時が来たのを知った。
 ゆっくりと顔を上げると、その青年と目があった。玉座の間の入り口で、ふしぎそうな顔で立っている。若きグランバニアの国王、と人ならば言うであろう。が、妖精の女王にとって彼は、妖精世界の恩人、そして、この世を救うべく何世代にもわたって用意された計画の、最大の要だった。
「ルーク殿。落ち着いて聞いてください」
「はい」
「あなたのお子方が、いなくなりました」

 妖精城の二階には、ふしぎな絵の部屋がある。女王はめったに離れない玉座から立ち上がり、ルークといっしょにその絵の前にいた。
「王子と王女を最後に見たのは、この部屋の者です」
その妖精は、涙にくれていた。
「申し訳ございません。こちらで遊んでいらしたのは、知っていました。お二人とも、お父さまのお帰りをここで待つのだ、とおっしゃって」
「それで……?」
ルークは、そっと続きを促した。
「それだけです。一度目を離して、ふとお声が聞こえないことに気が付きました。ふりかえったときは、もう誰もいませんでした」
女王は絵に近寄った。
「おや、また絵がかわっている」
「ぼくも帰ってきたときに、見ました。サンタローズの絵ではなくなっていました」
「ここがどこだか、見当がつきますか?おそらくお子方は、この絵の中へ入ってしまったのでしょう」
ルークはしばらく絵を眺めていた。
「わかると思います、女王様。ぼくが、あの子たちを連れ戻しに行きます」
女王は、そっと若者の顔を見た。
「だいじょうぶですか?絵の中に入るのは、負担だったはずです」
ルークは、さびしげな微笑を浮かべた。
 妖精ならば知らず、人の一生は短い。愛する者との別れは、常に起こりうる。この若者は、哀しい状況の中で失った父に再会し、そしてもう一度自分の意志で別れてこなければならなかったのだ。
「つらかったです。でも、子どもたちのためなら、何度でも耐えてみせます」
人の一生は短く、人の生命は儚い。だが、人の子の心は、妖精には思いもよらぬほど、強いのだった。

 目の前で、荷車の車輪が凄い勢いで回っていた。
「どけどけどけーっ」
大声で御者が叫び、馬の背に鞭を振り下ろした。
「どけ、ガキどもっ、死にてえかっ」
アイルはとっさにカイの身体を抱えて、横っ飛びに飛んだ。すみに積み上げたガラクタの中に、2人は倒れこんだ。馬のいななき、鞭の音、車輪の回る音に、あちこちであがる悲鳴や罵声。それがだんだん遠くなっていく。
「なんだ、ありゃあ」
鎖帷子の上に紋章入りの上着をつけた兵士たちが、ぶつぶつ言っていた。
「でかい顔してやがるな」
「あいつは、ほら、あれだよ。お后様のお気に入りのみなさんの、御用を務めるってやるだよ」
「ああ、お気に入りか。どうりでな。兵士を兵士とも思ってねえ」
 アイルはあたりを見回した。カイとアイルがいるのは大きな城の中庭だった。馬小屋や鍛冶小屋があり、厨房の出入り口が見えた。兵士たちが集まってきていた。
 台所の下働きらしい少女が一人、桶を抱えてやってきた。
「あら、何やってんの、そんなとこで」
下働きの少女はアイルたちを見つけて大声をあげた。
「そこは、卵の殻や骨をいれとくとこよ、さ、どいて」
アイルとカイはあわてて立ち上がった。ちょっと生臭いニオイが、身体についてしまったらしい。アイルのとなりで、うわ~ん、とカイがつぶやいた。
「あんたたち、城の中庭なんかで、何をやってたの?」
「え、あの」
双子は顔を見合わせた。
「迷い込んできちゃったみたいなんです、ぼくたち」
「迷い込んだ?ラインハット城は、複雑なつくりだからね。子どもはうろうろしちゃ危ないのよ」
自分もまだ子どもっぽい女中は、説教がましくそう言った。カイはあたりを見回した。
「ここ、ラインハットなの?」
少女はあきれ顔になった。
「そんなこともわかってないの!子どもだわぁ。で、誰とお城へ来たの?」
「たぶん、お父さんと」
「へ~え」
少女は、アイルとカイを見比べるようにした。
「もしかしたら、あれ?王子様のお遊び相手に呼ばれたの?」
アイルはカイを見た。たしかにコリンズとは遊び仲間だった。
「まあ、そんなもんだよ。お部屋へ行くには、どうしたらいいの?」
「そこに台所の入り口があるでしょ。厨房を通り抜けて、外の階段を上がって東翼へ行くといいわ」
「ありがとう!」
下働きの少女は、肩をすくめた。
「素人みたいね、あんたたち」
「え?」
「同情するわって言ったのよ」

 お城の厨房を通り抜けると、廊下に出た。言われたとおりにあるいて行くと、きれいに装飾した一角にたどりついた。
「ここ、ラインハットよね」
「だって、見覚えあるよ?」
「そうなんだけど」
カイは立ち止まり、あたりを見回してつぶやいた。
「なんか、へんなの」
アイルは黙って待っていた。双子の妹が異常にカンが鋭いことをアイルは知っていた。まゆをひそめ、人差し指の関節をかるく噛んで、カイは考え込んだ。
「雰囲気が、ちがうの。壁のタペストリとか、置きものとか。派手で大ぶりだけど、安っぽいわ。マリアおばさまだったら、もっと品のいい、あたたかな感じになるはずよ」
そのとき、子供の声がした。
「安っぽくて悪かったな!」
アイルはきょろきょろした。廊下のつきあたり、バルコニーの手すりの間に、よく知った顔がのぞいていた。
「コリンズ君!」
白いひだ襟の青い王子服と、赤紫色のケープは、おなじみのかっこうだった。
「義母上の趣味だ。おれじゃねえ。それと、コリンズって誰だ?」
アイルはめんくらった。妹を促して、バルコニーへ寄った。
「からかってるの?」
コリンズにそっくりの少年は、口を開きかけてまた閉じた。何かに気がついたらしく、視線をバルコニーの外へ飛ばした。
「ちっ、あいつらだ。おい、かくまってくれよ」
一呼吸で手すりを乗り越え、バルコニーへもぐりこむ。ほとんど同時に、下のほうから、やかましいわめき声が聞こえた。
「くそっ、あいつ、どこ行った!」
上等な身なりの少年たちだった。アイルたちと年齢はあまり変わらないように見える。一人は大柄というより肥満児、もう一人は対照的に卑屈な目つきの小柄な子どもだった。が、最後の一人はきつい目つきをした、頭の切れそうな少年だった。