コリンズ君、青ざめる 1.第一話

 ラインハット城は強風の中にあった。空は暗く、嵐が次々と雲を運んでいく。その暗雲の下、城壁の上の回廊に人影があった。
「お待ちください、コリンズ様」
「とめるな、キリ!」
コリンズ王子付きの従僕、キリは、風に負けないように大声をあげた。
「一国のお世継ぎが家出をしてもいいかどうか、よくお考えになってください!」
コリンズは振り向いた。贅沢な服のひだのある立ち襟の上に、意志の強そうな、だがやや青ざめた顔がのっている。薄い緑色の髪が風に吹き乱されていた。
「何を言ってもむだだぞ、おれは、行く」
きっぱりと言ってコリンズは白い大きな袋を肩にかつぎあげた。袋の中身は「世界のカエル大事典」、母のマリアが縫ってくれた服、自分で作った木製の舟のおもちゃ、中身のあやしい壷などなど。
「母上にはもう、置手紙をしてきたんだ」
コリンズ・オブ・ラインハット、8歳。決意は固かった。
「しかし、コリンズさま、どちらへ」
コリンズは無言で嵐の空を見上げた。乱流の中にひらひらと舞うものがあった。空飛ぶじゅうたんだった。美しい色模様のじゅうたんは、次第に高度を下げて、ラインハットの城壁の高さに降りてきた。
 その上から、誰かがふわりと降りてきた。紫のターバンにマントをつけた旅人である。キリは息を呑んだ。時のグランバニア国王にまちがいなかった。
「あ…」
コリンズにも意外だったらしく、当惑した顔になった。
「ごめんよ」
と彼は言った。
「子供たちは、家にいるんだ。少し宿題をためてしまってね。かわりにぼくが来たよ。遊びに来ることになっていたの?」
「遊びじゃないです」
コリンズは意を決したように口を開いた。
「お、おれ、家出します!グランバニアへ連れてってください!」
王は目を丸くした。
「ヘンリーは知ってる?」
コリンズは首を振った。王は手を伸ばして、コリンズのおかっぱ頭をそっと撫でた。
「どうしたの。話してごらん」
コリンズはきっと王を見上げたが、その目が潤んできた。
「おれ……」
キリは驚嘆した。この、生意気が服を着たような王子が、“話してごらん”などといわれて素直に口を開く相手は、城内では母のマリア大公妃くらいのものである。だが、不思議な目をしたこの旅人はやすやすとコリンズのガードを超えた。
「父上が……父上がおれのこと……」
小さくしゃくりあげながら、コリンズは彼に話し始めていた。

 コリンズは傍聴席の扉をそっと開くと、空いている座席に座った。従僕のキリは、さきほどまでコリンズが受けていた地理の授業の本をそろえて、コリンズに従った。
 コリンズ本人に言わせると“地理なんか全部覚えているから、いまさら授業なんかつまらない”そうだが、それを抜きにしてもコリンズは、父のヘンリー大公が出席している会議を見学する方に熱心だった。
 今日は国王デール一世も臨席していた。本日の御前会議は、高位の貴族同士の、領地争いの裁判のようだった。壁に掲げてあるのは、ラインハット東部の大きな地図である。
 ヘンリーは白手袋をはめた手に、銀の宰相杖を握り、その杖の先で地図に軽く触れた。現在27歳。濃紺の貴族の服におそろいのケープ、白い羽を飾った青い大きな帽子という宮廷装束が、すっかり板についている。
「残念ながら、あなたの負けだ。伯爵」
伯爵と呼ばれた、高いほほ骨に濃い眉の男が、ぎりぎりと唇を噛んだ。
「どうしても領地を裂いて与えなくてはだめでしょうか?」
ヘンリーは肩をすくめた。伯爵は、向かいに座っている、ずるそうな顔の小男をにらみつけた。
「貴様にはもう、広い土地を分けたではないか!」
甲高い声で小男は答えた。
「毒の沼地やらなにやら、役に立たない土地ばかり私に押し付けたくせに。先祖代々の土地は、公平に分けてもらおう!」
伯爵は、むっとした顔だった。
「私の取り分だって、ごく狭いのだぞ。分けてしまったら畑も作れなくなる!」
まあまあ、とヘンリーは言い争う2人を分けた。
「では、毒の沼地のあたりを王室が買い上げよう。伯爵が先祖代々の土地を取り、あなたが土地の代金をとる、ということにしてはいかが」
領地を争ういとこ同士は、お互いをちらちらと盗み見ていた。小男が、震える声で聞いた。
「いくらほどで買っていただけるので?」
ヘンリーは眉をひそめた。
「いくらの値をつける?」
小男は上目遣いになった。
「二万ゴールドあたりでは…」
「二万?たしかさきほどは、役に立たない土地だ、とおっしゃったようだが」
「いや、それは」
すると、上座にいたデールが口を開いた。
「兄上、その2万ゴールド、払ってあげてください。それで領地争いが決着となるなら、安いものです」
ヘンリーは、優雅に頭を下げた。
「御意。では、その土地は、あなたのおっしゃるとおり、二万ゴールドだ」
ヘンリーが合図すると、秘書が金貨の袋を持ってきた。
「すべて解決でまことにけっこう。では、土地代金を受け取った旨、一筆書いていただきたい。そうそう、ありがとう」
コリンズは傍聴席で、声を立てずに笑った。
「父上もワルだな」
「え、なんですか?」
貴族たちはもったいぶって握手を交わすと、国王に挨拶している。
「だってさ、父上が巻き上げた土地をよく見ろよ。毒の沼地と、川沿いの細長い土地じゃないか。川沿いの土地にうまく水門を作れば、毒の沼地はちゃんとした耕作地になるんだぜ?そうしたら、2万ゴールドなんていう値打ちじゃないんだ」
「えっ」
 キリは眼をぱちくりした。コリンズはこの年齢で、19歳のキリにさえわからないポイントを見抜くことが出来るらしい。だてに会議を見学しているわけではないようだった。
「もっとも、水門を作れば土地の値打ちがあがる、って教えてやっても、あいつらじゃあ工事なんてできそうにないもんな。父上だからできるんだ。あ~あ、前の方から見てればよかったな」
コリンズは不満そうにつぶやいた。
 コリンズが初めて会議を見学したのは、王太子に内定した6歳のとき。そのときコリンズはキリに、興奮してしゃべりまくった。
「父上がね、ひっかけたり、おだてたり、おどかしたりするんだ!そんで、ぜんぶ、父上の思った通りになるんだぞ!」
どうやらコリンズは、同じ年齢の子供たちが祭りの日の屋台の人形劇を喜ぶように、会議を楽しんでいるらしい。