ヘンリー20のお題 17.息子

 ルーラで到着したのは、ラインハット城の正門の前だった。この城の警備兵はグランバニアの国王一家や王家の兄妹がいきなり現れても、驚かなくなっていた。
 父は友達に会いに行き、母は、マリア大公妃にお土産を渡しに行った。これでとうぶん、おしゃべりをしているにちがいない。子供たちのほうは今日は女中頭のメルダの監督の元、コリンズと三人で、お菓子をつくることになっていた。
「コリンズ君、いる?」
グランバニアの王子、アイルが、控えの間をのぞくと、コリンズ付きの従僕で、顔見知りのキリがいた。
「今はお勉強中です」
「遊ぶ約束をしたんだ」
「忘れていらっしゃるのでしょう。入って、お誘いください」
「うん、ありがとう」
コリンズの主な居室は、ふた間で一室になっている。ドアを開けると、手前のほうの部屋で、コリンズは机に向かっていた。大きな本から石版に、なにか書き取っている。図形を書き写して、公式を証明しようとしているようだった。
「難しいの、やってるんだね?」
「ああ」
「遊ぶ約束、したろ?」
「まあな」
「クッキー、好きだったよね?」
「そうかも」
一音節の返事を返して、コリンズは一生懸命勉強している。机の上に積み重なった羊皮紙の下のほうには、ラインハット史や古代語、地理なども勉強したあとがあった。
「いつもこんなにやってんの?」
コリンズは、石版から顔を上げた。
「ひと事みたいに言うなよ。おまえだって、将来王様になるんだろ?こんなもんじゃ、足りないくらいだ」
アイルは目をぱちくりした。
「コリンズ君、悪いものでも、食べたの……」
バンと音を立ててコリンズは石筆を机に置いた。
「おれはまじめだ!」
「へ、へえ。でも、なんでいきなり、猛勉強始めたのさ」
コリンズは、指で石筆をもてあそび、しばらく黙っていた。
「叔父上が、言ったんだ。おれが王様になるときが近づいてるって」
「え」
コリンズの叔父、現国王デール一世はけっして体の丈夫なほうではなかった。
「そうしたら、どうなるか、わかるか?」
「政治の心配はしなくていいんじゃない?コリンズ君は、お父さんが補佐してくれるんだから」
デール王に仕える王国宰相、ヘンリーは、いたって健康だった。
「それが問題なんだ」
と、コリンズは言った。
「父上が、おれの宰相になるんだ。おれが国王になったら、父上がおれの前に膝まづいて、剣をささげて忠誠を誓うんだぞ」
コリンズは怒ったように首を振った。
「あの、意地悪で、人を食った、性格の悪い、じゃじゃ馬みたいな、ずるいくらい頭のいい、傲慢不遜で、プライドの高い、傍若無人の、父上が!」
ヘンリーさんも、えらい言われようだとアイルは思ったが、コリンズの葛藤は少しはわかった。
 コリンズは、そのヘンリーにそっくりの表情で、ふんとつぶやいた。
「だからおれは、父上が安心して剣をささげてくれるように、立派な王様にならなきゃいけないんだ。叔父上よりも、えらい王様になるんだ!」
自分のうちとコリンズ君のとこは、ちょっと雰囲気がちがうかな、と、前からなんとなく感じていた。しかし、結局のところ、コリンズはやっぱりコリンズの父上が好きなのだとアイルは思った。
「それで勉強してるんだ?」
「ああ。ジャマするな」
そう言ってコリンズは、また石版の上にかがみこんだ。
「残念だね。じゃ、クッキー作ったら、あとでカイといっしょにもってくるよ」
ぱっとコリンズは顔を上げた。
「カイも来たの?」
「来たよ?」
コリンズはうなった。
「早く言えよ、まったく、トロいやつだな!」

 開け放した窓を通じて、子供たちの高い声はよく響いた。
 ヘンリーは、両手を頭の後ろに組むと、いすの背もたれに体重を預け、ぶすっとした口調でつぶやいた。
「いっちょまえ、言いやがって、ヒヨコのくせに!」
そばにいたルークは、おもわずにやりとした。
「ヘンリー、ヘンリー、きみ、顔が笑ってるよ」
ヘンリーは大きな帽子を目の上までひきずりおろした。
「うるさい」
彼が照れるのを見るのは、珍しかったので、ルークは口元をこぶしで押さえてくすくす笑っていた。
「笑うな。それと、雰囲気読め。まったく、トロいやつだな!」
口癖まで同じらしい。
 壁の向こうにいる子供たちに聞こえないように声を抑えて、ルークはまた笑い出した。