ヘンリー20のお題 11.剣

 上段の剣がうなりをあげてつっこんでくる。トムは自分の剣で押さえ込んだ。ヘンリーのかかとが軸になり、急激に向きがかわる。押さえたはずの剣がするりと抜け出し、トムの首筋にぴたりとつけられた。
「まいりました」
 トムが言うと、ヘンリーは剣をひいて、不満そうにつぶやいた。
「城に居座って以来、少々練習不足だな、おれは」
シャツ一枚のかっこうで、ヘンリーは細身の剣をふった。練習相手のトムも、荒い息をしていた。
「いえいえ。たぶん、今でも、ラインハットスタイルの剣にかけては、王国一、二の腕前ですよ、殿下は」
 兵士詰め所から城の中庭へ降りてすぐのところに、練習場が作られていた。
 最近、王国の東部で新しく大掛かりな土木工事が始まることになり、それにからんで土地の利害関係者の間を調整すると言う作業が続いている。ヘンリーのストレスはたまり気味だった。
 にっこり笑って土地持ちの老貴族たちを送り出したあと、ヘンリーはトムのところへ大またに歩いてやってきた。
「あ~、むしゃくしゃするっ。トム、久しぶりに手合わせしてくれよ」
というわけで、ヘンリーは上着を脱ぎ、軽い剣を手にしてトムと仕合っていたのだった。
 城の中庭の井戸から、若い兵士が水を汲み上げてきてささげた。
「お、気が利くな」
飾りも何もない素焼きの碗から、喉を鳴らして水を飲んでいたときに、その兵士が遠慮がちに言った。
「あの、さきほどから、バンゴさまが、お見えになっています」
兵士は片手で、中庭の出入り口のほうを指した。青い鎧をつけた大男が立っていた。そのとなりに見慣れない戦士がいた。
「申し訳ありません、ヘンリーさま」
バンゴがやってきた。大柄で見るからに逞しいバンゴは、声は意外に高めで、朗々と響く。
「古い知り合いが、仕官したいのでお引き合わせを、と申しまして。ドークスです。サラボナ近くの出身で、剣を使います」
ヘンリーは、細い剣を若い兵士に渡して聞いた。
「ドークス殿か。バンゴの傭兵仲間か?」
ドークスはやせて目つきの悪い、油断のなさそうな男だった。陰気な口調で答えた。
「傭兵でした。が、もう若くもなし、落ち着けるところを探しております」
「得意なのは、剣か?」
ドークスと名乗った男は、背中に幅広の両手剣を背負っていた。
 苦笑するような表情で、ドークスは言った。
「失礼ながら、殿下の仕合を拝見しておりました。立ち会えば、申し上げにくいことながら……」
バンゴが色をなした。
「おい」
「いや、いい。正直な男だな。確かに、練習不足を感じていたところだ。このあいだサラボナで、おれの古い友達にあった。凄いくらい腕を上げていたよ。あいつには足元にも及ばないさ」
ドークスは、ヘンリーの表情をうかがっているようだった。
「殿下は、ラインハット王国軍の、最高の権限をおもちでいらっしゃる」
「弟の代理としてだけどな」
「もしいま、軍が出動することになれば、殿下が指揮を執られるのですか?」
ヘンリーはまだ持っていた碗から水を飲み干し、兵士に渡した。
「いいや?オレストと、そこにいるバンゴにまかせる。なにせ、戦場で軍を指揮した経験が一度もないんだ。こんなド素人に命を預けるんじゃ、兵士がかわいそうだからな」
「自信過剰でないのはけっこう」
「口が過ぎるぞ、ドークス」
あわててバンゴが言った。
「なに、本当のことだ」
「ずいぶんと、率直でいらっしゃる」
「どうも」
ドークスは軽く首を傾けた。
「不思議ですな。私がお仕えしようかと思った君主の方々は、たいていどちらかに自信をお持ちでした。ご自分が剣術自慢か、でなければ軍略の才を誇るか。プライドをお持ちでないのか?」
わははっとヘンリーが笑った。
「おまえ、それだけ遠慮なしに言って、よく今まで傭兵がつとまったな!」
バンゴは冷や汗をかいているようだった。
「申し訳ありません。これだけ無愛想な男でも戦士としての腕は一流なもので」
ドークスは平気な顔をしていた。
「バンゴ、おまえいったい、このお方のどこがよくて、仕官を決めたのだ?」
バンゴは助けを求めるような顔でヘンリーを見た。
「ドークス、おまえ、『今軍が出動することになったら』と、言ったな?そんなときがあったとしたら、おれが何をするか、教えてやろうか」
「承りましょう」
従僕のジュストが、ヘンリーの服を両手に捧げて無言で近寄ってきた。宰相のスケジュールは、押してきているらしかった。
 ヘンリーは、ジュストの腕から美しい青い上着をとった。
「敵よりも多くの兵士を集め、より高度な訓練を施し、機動力、守備力、攻撃力ともに、より優れた装備を与える。敵よりも多い武器や糧食をそろえる」
上着を広げ、袖を通し、ベルトをしめた。
「こちらの選んだ戦場に敵をおびき寄せ、こちらの都合のいいときに戦端を開く。味方の士気を高め、敵の戦意をくじく。敵の、そのまた敵と連携して背後を脅かす。敵軍の糧道を断ち、大軍を分断する。戦いが始まる前から、味方が勝つようにすべてを運ぶ」
ケープを肩に掛け、ジュストの差し出す帽子をかぶり、形よくきめた。
「すべて、おれの得意技だ。可、ならざるはないね。どうだドークス、納得がいったか?」
ドークスの表情は、不満そうなものから次第に変化していった。ドークスは目を見張り、冷や汗を生じていた。
「なんと、恐ろしい方だ」
ヘンリーは、ちょっと苦笑した。
「どってことないさ。おれの守備範囲は、人間どまりだし」
そう言って、ヘンリーは片手をふり、城の中に消えていった。