主ヘン十題 8.凶器 中編

 店主は無表情のままだった。
「それは急なことで。持病でもお持ちの方でしたか」
「いや、憎まれっ子らしく頑丈でぴんぴんしていたよ。だが、中から鍵のかかった部屋で、刃物のあとも傷も何もなしに死んだんだ。誰でも病気だと思うじゃないか」
店主は咳払いをした。
「確認させていただきたいのですが本当にほかに凶器はなかったのですね?」
「首を絞めるような紐も、殴りつけるような重いものも、毒薬の入ったビンも、凶器じゃないかと疑えるようなものはなにもなかった。それで私は自分のパズルボックスを自室へ持って帰った。ほんとに怖かったのはその夜だったよ」
男は泣きそうな顔になった。
「音がするんだ。梱包した荷物の中から、かりかり、かりかりって」
げっそりした顔の原因を、ルークはやっと悟った。この商人は決定的な寝不足なのだった。
「梱包品はこのパズルボックスだった。だが、中には何も入っていないし、手に持って耳に当てても音はしない。でもよそへしまって寝ようとするとまた始まるんだ。かりかり、かりかり……夜明けまで続いたよ」
「お客様、失礼ですが」
男は決然とさえぎった。
「いや、私がおかしいのじゃない。同室の商人仲間も聞いたんだ。とにかくこの箱は呪われてる」
店主の顔が珍しく険しくなった。
「めったなことをおっしゃるな」
「ああ、いや、クレームというのじゃない。だから、1000ゴールドで引き取ってくれとは言わない。だが、家族のところへ呪われているかもしれない土産を持って帰るのはどうしてもいやだ」
その剣幕に押されたのか、店主は不承不承うなずいた。
「では……500でお引取りしましょう」
寝不足の商人は、どっと肩の荷をおろしたようだった。
「よし、売った。ああ、これで眠れるよ」
男は金貨を受け取ると、パズルボックスを残して晴れ晴れとした顔つきで店を出て行った。
「荒稼ぎするなあ、マスター」
からかうようにヘンリーが声をかけた。店主は柔らかい布を取ってパズルボックスを拭き清めると、ヘンリーとルークのほうへ押しやった。
「800Gの値札をつけて、そこの平台へ置いてくれ」
「はい、わかりました」
ルークは箱を取り上げて台の上にそっと載せた。
「おれたちは店員じゃないぞ?」
両手を腰にあててヘンリーが文句をつけた。が、店主は平気な顔だった。
「年寄りの言うことは聞くもんだ」
ヘンリーは肩をすくめた。
「へいへい。これ1000じゃなくていいのかい?」
店主はぼそっと答えた。
「出戻りだからな」

 3度目に馬車の代金を払いに行ったのは、それから数日たってからのことだった。ルークは店に入ると真っ先に平台へ目を向けた。800Gのパズルボックスは、見えなかった。
「あれ、売れたんだ」
「そうらしいな」
「今度は変なことが起きないといいけどね」
ヘンリーは返事をしなかった。店の奥で店主と話している若い女客の方を見ていた。
「ヘンリー?」
「いや……どうも、ダメだったみたいだぞ」
「ダメって?」
「人死にがあった後みたいだ」
いつも仏頂面で愛想笑いひとつしない店主は一段と苦々しい顔になっていた。その前には、あのパズルボックスが置かれていた。
「お葬式の代金もないんですよ」
ため息混じりに女客が言った。
「800Gじゃなくていいんです。品物はお返ししますから、なんとか少しでも払い戻していただけませんか」
「当店は返品は」
「そこをなんとか!」
「この商品に瑕疵はありません」
「でも、叔母がこのパズルボックスを買ったとたんに亡くなったのは確かなんです」
 客は若い娘だった。やせてガリガリの体、粗末な服に、ひどい手荒れで、どう見てもこき使われている女中というところだが、髪だけはしなやかで美しく、それを長い三つ編みにしていた。ルークはビアンカを連想した。
「叔母は、病気で死ぬような人じゃありません。すっごく丈夫で、いつだって怒鳴り散らして、あらさがしとえこひいきが大好きで、殺しても死なないってよく言われてました。あたしが親からもらった遺産を管理してくれているはずだったんだけど、かなりの部分が叔母の贅沢好きに消えてしまったような気が……」
娘は話がそれたことに気づいたようだった。
「とにかく、いざお弔いをしようと思ったら、ほんとにお金がないんです。この品物、なんか縁起が悪いし、なによりも高く売れそうだし、だめですか?」
店主は黙っていた。娘は肩を落とした。
「じゃ、しょうがないわ。ほかをあたります」
「待ちなよ、お嬢さん」
ヘンリーだった。
「なあマスター、これ、引き取ってやったら?」
「返品は受けないのが当店の決まりだ」
「いやだって、このお嬢さんがよそへ持ち込むだろ?そこの店が引き取って別の客へ転売するだろ?で、なんかあったりしたら、パズルボックスの素性を調べられるんじゃねえ?」
なんかあったり、のあたりを強調してヘンリーは話した。店主の眉があがった。
「調べられてもかまわないが、お葬式を控えているのならお嬢さんもお困りだろう。引き取りましょう」
「ほんとですかっ?」
三つ編みの娘は飛び上がった。
「400ではいかがで?」
娘はおおきくうなずいた。
「それだけあればちゃんとした葬式が出せます。ありがとう!」
金貨の袋を大事そうに抱えると、少女はきびすを返した。
「あの」
ルークは話しかけた。
「その箱、かりかり言う?」
「え?箱?ううん、知らない。これ、音がする箱なの?」
「そうじゃないんだけど、この箱を同じ部屋に置いて寝たりした?」
「それをやったのは叔母だけよ」
「そう。急いでいるところをごめんね」
 三つ編みの娘は会釈してさっとホイミスライムののれんをくぐって出て行った。
「呪いとか考えないんだろうなあ、あの娘。いい傾向だ。たくましく生きてほしいね」
店主は耳がないような顔をして、しばらくパズルボックスを磨いていた。
「マスター?」
「……」
「マスター?平台へ載せてやるから貸せよ。今度はいくらだ?」
ヘンリーが言うと、店主は珍しく渋った。
「このところ返品続きだ」
だよね、とルークは思った。
「パズルボックスのせいですよね」
じろ、と店主はルークをにらみつけた。
「うちのかわいい商品にいちゃもんはやめてくれ」
その顔が意外に真剣で、ルークは少し驚いた。
「600Gと言いたいが、運がいいとは言いにくいアイテムだ。550にしよう」
「500にしたら、マスター?いちおう儲けはあっただろ?」
「550!それ以下では売れん」
ヘンリーはパズルボックスを取り上げると、そっと平台へ載せ、からかうようにつぶやいた。
「おお、あなた、私の友達……」

 そのあとしばらくなお金はたまらなかった。ルークたちは市内の店で防具類を安く買うための値引き交渉に熱中していたのだった。
「あのくらいで手を打ってもよかったんじゃないかい?」
防具の店から下宿のあるみら亭へもどるとちゅう、ルークはそう言ってみた。
「まだまだ!」
ヘンリーの鼻息は荒かった。
「最初にふっかけてきたのはあっちだからな。受けて立つぜ。粘ればまだ下がるはずだ」
 二人が歩いていたのはオラクルベリーの下町だった。時間はまだ午前中で、カジノのバイトが始まるまで少し時間があった。市場まで歩いて何か腹ごしらえをして、とルークはぼんやり考えていた。
「君たち」
突然、ひとごみから声をかけられた。あたりは人通りの多い街中である。群集を縫って現れたのは、オラクル屋の仙人めいた店主だった。
「ちょうどいいところで会ったものだ」
それほどうれしそうでもなく、店主は言った。
ルークはちょっと驚いていた。店主が店の外にいるところを初めて見たのだった。
「何か御用ですか?」
「ちょっとした実験をしてくれるアルバイトを探していたのだ。君たちでも間に合うだろう」
店主は一人で納得してうなずいていた。
「マスター、パズルボックスじゃないだろうな?」
とヘンリーが言った。店主は一瞬、いやそうな顔になった。
「うわさが広がっているのだ」
やっとルークは思い当たった。10日足らずの間に二人の人が亡くなって、枕元に同じパズルボックスがあったのだ、きっといいうわさの種になってしまったのだろう。
「昨日オラクル屋へ同業者が来て、呪いのパズルボックスはどれだと聞いた」
「これですって言って、売っちゃえばいいじゃないか」
ヘンリーが言うと、店主はじろりと彼をにらみつけた。
「呪われているかどうかわからないしろものをかね。オラクル屋ののれんに傷がつく」
「あのう」
とルークは聞いてみた。
「あのパズルボックス、呪われているほうがいいんですか?そうじゃないほうがいいんですか?」
店主は咳払いをした。
「いいかね、お若いの。呪われている品物なら、それなりの売り方がある。そういう品物を集めている客もいるのでね。そうでない品を求める客には、まっさらなブツをすすめればよい。だが、仕入れた商品がどちらかわからないのと言うのは耐えられん」
「結局、売るんですね」
「私は商人だからな」
“夏は暑いからな”というのと同じ調子で店主はそう答えた。
ヘンリーがつぶやいた。
「手っ取り早く教会へもってって、おはらいしちゃだめか?」
「バカを言いなさい、呪いは解けても品物がなくなってしまっては、元も子もない!」
「じゃあ、どうするんだ」
「そこで実験だ。パズルボックスを寝室において、一晩休んでくれればいい」
「誰が」
「君たちだ」
「呪われてたらどーすんだよ。死ぬじゃねえか」
「君たちは若くて丈夫そうだし、第一、二人だ。一人は生き残るかもしれない」
と店主は真顔で言った。
「残ったほうに馬車を売ろう」
ルークはためらった。馬車はどうしてもほしいが、そのためにルークとヘンリーのどちらかが、あるいは両方死亡というのはごめんだった。
「簡単そうに言うけどさ、マスター」
とヘンリーが言った。
「あんたの商人道のために命張ってくれるアルバイトなんか、そうそういないぞ。”君たちでも間に合うだろう“だって?ちがうね。あんた最初から、おれたちが頼りだった。そうだろう?」
店主は無表情で黙っていた。
「実験、やってやるよ」
とヘンリーは言った。
「そのかわり、あんたは馬車代の残りを全部負けてくれ。いいよな?」
店主は渋い表情だったが、しばらくして、よかろう、とつぶやいた。
「付け値から500引いて2500Gだ」
それはもう、払い込んである金額だった。
「2500、承知した」
重々しくヘンリーは言った。
「いいのかい?」
思わずルークはそう聞いた。
「大丈夫だって。なに、死にはしないから」
「そうかな」
「そうだよ。だって、おまえがいるし」
なんで、ぼくが?思わずルークは友達の顔を見直した。だがヘンリーは自信たっぷりだった。