主ヘン十題 7.恐れ 前篇

 むき出しの皮膚に、鳥肌がたった。連れてこられた場所は、ものすごく寒かった。
 薄暗い、岩屋のような場所だった。光源は高いところにある小さな窓だけで、そこから、肌をかむようなきつい冷気が流れ込んでくる。
 地べたはむき出しの岩に、むしろを敷いたもののようだった。壁の隅のほうから、人の呼吸する音が聞こえてくる。目が慣れてくると、かなり大勢の人間が集まっているのがわかった。
 大勢の人間、というより、みすぼらしい灰色のあかじみた塊といったほうがいい。男も女も、がりがりの手足にあばらの浮いた体、伸び放題の髪をして、救いのない目つきでこちらを見ていた。
「このガキ、金目のもん持ってやがる!」
立って歩く獣のようなモンスターが、鞭を振り回す小男といっしょになって、子供用の衣服をまさぐっている。
 金目であたりまえだ、と小さなヘンリーは思った。ラインハット王家は、第一王子に愛情と思いやりは与えなかったかもしれないが、贅沢は大盤振る舞いだったのだ。
 裸のままうずくまってヘンリーは必死に頭を働かせていた。持ち物を全部取り上げられた以上、金と引き換えに脱走、という手は使えない。考えろ、考えろ。ようやくあのうざったい城と縁を切ることができたのだ。ここで死ぬ手はない。
 だいいち、ここで死んだら、おれたちの眼の前で生きながら燃え尽きたあの人に、なんて詫びればいい?
 ヘンリーは、真横に横たわっている、黒い髪の男の子を横目で見た。魔法でここへつれてこられた時から、何をされてもただぼんやりしている。看守役のモンスターが寄ってたかって服を脱がせて持ち物を取り上げたが、抗議の声さえあげなかった。おびえているというより、目を開いたまま寝ているような、意識のないような感じがした。まるで人形だった。
 ばさ、と音がして、何かが頭の上にふってきた。荒い繊維を編んだ、大きな袋のようなものだった。
「それでも、着てな」
甲高い声で鞭男が言った。かぶってみると、首を出す穴が開いていた。袋は二枚ある。ヘンリーは、となりの子に声をかけた。
「おきろよ、ルーク。ほら、寒いから」
反応がなかった。ヘンリーはぎょっとした。死んじまったのか?!あわてて揺さぶったが、目を閉じたままだった。
「ルーク、おい、ルーク!」
すぐ後ろから声がして、ヘンリーはぎょっとした。
「死んだのなら、そのままにしておやり」
ふりむくと、ざんばら髪に歯の抜けた老婆が、そこにすわっていた。
「それが、慈悲だよ」
「冗談じゃねえよ、ばあさん」
「あんたの友達は、生きていたくないんだよ」
見下ろすと、ルークの顔はすべての感情を失ったような無表情だった。
 こいつに会ったのはたった数日前だった。ある日突然自分の部屋に現れた、不思議な目の少年。たしかに付き合いは短かったが、こいつは友達であり、あの人が死ぬまで守ろうとした息子であり、何よりもまず、ヘンリーの子分だった。見捨てるわけには、いかない。
「だめだ、起きろ!おまえの親父さんが言ったこと、忘れたのかよ!ルーク!」
「うるさいぞ!」
 足音が近づいてきたと思ったら、次の瞬間、巨大なひずめでルークごと蹴り飛ばされた。前に見たやつよりはすこし小型だが、同じ種族の馬頭のモンスターだった。
 声も出せずにヘンリーは腹を抱えこんでうめいた。
“親父にもぶたれたことないんだぞ……メルダは別として”
 そう考えたのが、顔に出たらしい。今度は髪をつかんでひきずられた。あまりの痛みに両手で髪の根元おさえて悲鳴をあげてしまった。
「まだそんな目つきをするかよ」
馬面の吐き出す、くさい息が顔にかかる。
「おい、こいつらの、焼き入れはどうなった」
鞭男が、甲高い声でけらけらと笑い出した。
「ああ、もうすぐさ。もっと真っ赤に焼けたらな」
ヘンリーはぞっとした。馬頭は彼を乱暴に地べたにたたきつけると、ルークの横腹を蹴った。
「こいつ、死んだふりか?ふてえガキだ」
鞭男が、歌うように言った。
「なあに、焼き鏝をあててやれば、死人だって生き返るさ」
まわりのモンスターたちが、声をそろえて歌う。
「そうさ、そうさ」
「じゃあ、こいつからだ」
馬頭が幼いルークの、裸の体を前へ投げ出した。鞭男が、教団の紋章の焼印を持って近づいてきた。
「やめろ!」
言ったとたん、馬頭がどかっとヘンリーの背中をふみつけた。痛みのあまり、うめいてしまった。
「そんなに焦るな。すぐにおまえの番だよ」
ひどくうれしそうに言った。
 ルークは地べたにうずくまったままだった。鞭男は片手を子供の肩にかけ、仰向けに直そうとした。
 そのときだった。ルークが薄く、目をあけた。鞭男は、ひいっと叫んで後ずさった。
「何をやってんだ」
馬頭が舌打ちをした。鞭男は、口の中で、あわわ、とつぶやき、じっとルークを見ている。
 ルークは、体を起こした。鞭男は、まるで武器か何かのように、焼き鏝をかまえた。
 小さな赤い唇から、なんとも不似合いなうなり声がもれる。ルークは立ち膝の姿勢になり、体をかがめた。まるで、獣のようだった。
「なんだ、なんだ、なんだ!」
「奴隷のガキ一人に」
「遊んでんのかよ」
まわりからは、あざけりの声があがる。だが、鞭男は、脂汗をかいていた。
「おれ、いやだよ……あんた、やってくれよ」
そう言って、馬頭に焼き鏝をわたそうとした。
「はあ?何やってんだ、まったく」
馬頭が離れたすきに、ヘンリーはそっとルークのほうへ這っていった。
「今のうちに隠れちゃおうぜ」
声が聞こえたらしく、ルークがふりむいた。
 その瞬間、ヘンリーは硬直した。
 人ではない。とっさにそう思った。今の今までうつろだった瞳に、なにか、この世ならぬものが宿っていた。
「ルーク、おまえ……」
ヘンリーが感じたのは、言いようのない恐怖だった。

 巨大な歯車がきしみながら回転する。大量の土をバケツに入れて、歯車で上へ運び上げているのだった。一度上へ上がった巨大なバケツは、奴隷の手で空にされ、また下へおりていく。
 その回転も、何人もの奴隷が取り付いて回す横木から生み出されている。はだしの足が土を踏みしめ、やせた腕が横木を支えてぎりぎりとまわしていく。彼らは、鎖で手首を横木につながれているのだった。
「もっと、急げ!」
ぴしりと鞭を鳴らして、奴隷監督が叫んだ。
 巨大なバケツは、巨大な竪穴のなかへ、するすると下っていった。
大神殿建設現場である。それは、10年近い歳月をかけて、地中深くまでくりぬいた大穴だった。