主ヘン十題 6.帰郷 前篇

 外国から客があったと聞いて、ドリスはまさかと思った。
「グランバニアは取り込み中です、って言ったらいいのに」
だが、母はドリスの服をえらびながら、首を振った。
「国王陛下のお友達が見えたのよ?いくら陛下とビアンカ様がいらっしゃらないからと言って、粗略にはできないわ。歓迎のレセプションはムリでも、お食事会にはお招きしたいの」
 ドリスの従兄ルキウスと、その妻ビアンカは、ひと月ほど前、行方不明になってしまった。おかげでグランバニア城は、今でも落ち着かないことこのうえない。こんな時くらい、“賢き主婦にして良きもてなし役“のプライドを捨ててもよかろうとドリスは思うのだが、母は暗唱するように食事会のメニューを並べ立てた。
「湖で大きなチョウザメが捕れたっていってたから、それをメインにしましょう。それから山鳥のいいのと、冬越しした甘い野菜を煮込んで、香り草を添えて」
ドリスはうんざりした。母のアントニアは、“おもてなし料理”の計画を始めると、他人が何を言おうと、一切耳に入らない。
「デザートには焼き菓子をつくって、新鮮なクリームをたっぷりと……ドリス、どこへ行くの?銀器を磨くのを手伝ってちょうだいよ?」
 そういうわけで本日は、午後いっぱい台所へ座り込んで、台所のおばさんたちのおしゃべり(「あら、ドリスちゃんたら、すっかりきれいな娘さんになって!もういい人ができたんじゃないの、誰なのよ、え?」)を聞き流しながら銀のスプーンを一本づつぴかぴかに磨き上げなくてはならない。夜は夜で、胸までコルセットでしめあげた上に汚しちゃいけない服を着て、お行儀よくお食事会ときた。ドリスは天を仰いだ。
「厄日だ……」
 お食事会の主賓は、ラインハット王国の、ヘンリー・オブ・ナントカカントカ大公という人だった。従兄の友人だという話だったが、友だちなら友だちらしく、わざわざ取り込み中に首突っ込みに来るんじゃないとドリスは思う。
「お隣においでの方は、お嬢様ですか?母上に瓜二つでいらっしゃる。特に、小鹿のような眼と、かわいらしいお口元が」
きざったらしい口調でヘンリーがそう言うと、アントニアはうれしそうに笑った。
「一人娘の、ドリスですの」
ヘンリーはバカでかい帽子を取って、気取ったようすで胸にあてた。
「はじめまして、レディ・ドリス」
アントニアは、ヘンリーがチョウザメの料理をほめちぎった時から、完全にハートをつかまれている。ドリスは舌打ちをして、短く答えた。
「どうも」
不機嫌を歯牙にもかけない、営業スマイルが返ってきた。
「お声も愛らしいですね」
このやろう、とドリスは心中つぶやいた。
 ドリスのむかつきをよそに、また国王夫妻が行方不明なのにもかかわらず、食事会はなごやかにすすんだ。ヘンリーは、自分がルークと旅をしたときの経験を愉快な話にして座を盛り上げた。サンチョは、ルークの子ども時代の冒険談を得意げにぶち、アントニアは小さな王子と王女がどんなにかわいらしいかを熱心に語り、オジロンは上機嫌で昔話を繰り広げた。
「そこにヘンリー殿がいらっしゃるとまるでお父上が座っておいでのようだ。昔、やはりこうしてエリオス王をその席にお迎えしたことがあるのですよ」
アントニアはうっとりと微笑んだ。
「あの方ったら、あたくしの耳元でいきなり、詩をささやいてくださったの。それが、行の最初にあたくしの名前を一文字づつ読み込んで、ね。びっくりしましたわ」
はは、とヘンリーは笑った。
「ご婦人に詩を捧げるのは、親父の得意技なんですよ」
「くっだらないな」
ドリスは思わずそう言った。
「まあ、この子ったら」
アントニアの説教が始まる前に、とドリスは席を立った。
「ごちそうさま。お先に」
「待ちなさい、ドリス!」
オジロンが呼んでいるのは聞こえていたが、ドリスはさっさと部屋を出た。これ以上つきあってられますか。第一、コルセットで締めた腹が、そろそろ限界に近かった。

 動きやすい服に着替えて、一息ついたとき、扉をノックする音がした。
「どうぞ」
「失礼、レディ・ドリス」
ヘンリーだった。後ろから従僕がついてきた。
「なんか、用?」
「レディに捧げものがひとつ」
主人よりまだもったいぶったようすの従僕が、緑色のクッションの上に一対のイヤリングのようなものを載せてすすみでた。プレゼントで丸め込もうというわけ?いきなりドリスはクッションごと取り上げた。従僕はうわっと叫んで主人の後ろに隠れた。
「わかった、もらっとく。もう用はないでしょ?」
「いえいえ。お話をうかがいことがありまして」
「あんた、いい度胸ね」
ドリスはふん、と笑った。
「グランバニアの鬼姫の噂、誰もあんたに聞かせなかったの?あたしになんの話があるのよ」
だが、ヘンリーは動じなかった。まるでドリスがしとやかに、“なんでもお話しますわ”とでも言ったかのように、まじめに聞いてきた。
「ルークのことを聞かせていただけますか。あいつがこの城へ帰ってきたとき、王族の中では、最初にあなたが話をされたとうかがいました」
ドリスはちょっと、ためらった。
「屋上へ行く。話が聞きたいなら、つきあいな」
「おともいたします」
従僕が、おっかなびっくりという眼で見ている。
「ネビル、先に寝ろ」
「え、いいんですか?」
「バカやろう、気を利かせろよ」
ドリスはかまわずに先に立って歩いた。
 夜の屋上庭園は静かだった。中央の泉水が小さな噴水を吹き上げ、月光にかがやいている。月明かりは青くあたりを照らし、樹海の上、巨大な峰々の重なるはるか遠くに、チゾットの吊り橋のシルエットが見えた。
「あたしは、ちょうど、ばあやと一緒にここにいた」
花壇の前に立ってドリスは言った。
「花を摘んでいらっしゃった、と」
「筋トレしながら、ばあやの愚痴を聞いてた」
ドリスは、ぐりんと肩を回した。横目で見ると、ヘンリーはクックッと笑っていた。からかわれたらしかった。
「で!サンチョといっしょに、坊ちゃんとビアンカさんが来た」
 最初は誰かと思ったのだ。グランバニアはよそから見るとかなり開放的な城らしいが、それでもただの旅人は城の上まではやってこない。はじめにドリスの目に付いたのは、鮮やかな金髪のビアンカのほうだった。物怖じしない、堂々とした態度で、女だけどかっこいいと思った。そのきりっとした美人が、まっさきにドリスのところへ歩いてきた。
「初めまして。あたし、ビアンカ。こっちはルークよ」
あとからついてきたあいつが、苦笑して言った。
「びっくりしたよね?きみの従兄弟なんだ。知らなくても無理ないよ。父のパパスについてこの国を出たのは、赤ん坊のときだったから」
そのときのルークの、優しげな表情をドリスはありありと思い出した。ヘンリーがたずねた。
「おどろいた?」
「パパス王はね、憧れの人だったんだ、あたしの」
グランバニア最強とうたわれた剣士。英明果断なる名君。自らマーサ王妃を捜して旅立った、情熱的な恋人。
「親父がもうちょっと、パパス伯父さまに似てりゃあな、とよく思ったよ」
「ルークはどうでした?」
「ちょっとがっかりしたよ、そのときは。まるっきり優男なんだもん。ビアンカさんのほうが、さっぱりしてて気が合いそうだと思ったくらい。だけど、大臣……てのもいやなやつだった……に言われて、あいつ、試練の洞くつへ行って、ぼろぼろになってもどってきた」
 あのとき、あいつはむき出しの肩に怪我をしていた。さすがのドリスも、試練の洞くつには行ったことがない。あそこは、特に最近は恐ろしく危険なのだった。ケガのようすや、やつれ方から、どんなに凄絶なダンジョンだったか、想像がついた。