大都市の片隅で 第一話

 大通りに面したファーストフードの店は、遅い朝食をとる客で込み合う時間だった。
 目の前でその男は、アイスコーヒーとハンバーガーを買い、壁際の席にすわって新聞を広げた。彼の周りに、大都市特有の無関心なざわめきが、幕のように張り巡らされていく。
「あれか?」
手元に置いた写真と見比べて、同僚が短く返事をした。
「ああ」
冷房の効いた店の中、彼は青いシャツの袖を肩までめくりあげ、ときどきハンバーガーをかじりながらテーブルの上の新聞を読みふけっている。
 書類上の経歴では、彼はこのラインハット市の大学を卒業して職業はフリーのライターということになっているが、むろん、まったくのでたらめだった。
「堂々としたもんだ」
レンガのように見せかけた赤茶色の壁紙に、鮮やかな緑の髪が映える。手探りでコーヒーの容器を持ち、ストローの先をくわえてひとくちすすった。
 何か興味を引く記事があったのか、軽く身を乗り出し、片手をあごにあてて、じっと視線をそそぐ。
 同僚が、小声でたずねた。
「ここで逮捕するのか?」
「いや、誰か接触してくるかもしれない」
同僚は肩をすくめた。
「この時代への不法侵入者がまだいるのか?」
「可能性がある、ということだ」
テーブルの上の写真はかなり大きな版だった。映っているのは油彩の肖像画である。中世後期ラインハット風の華麗な装束を身につけた青年貴族。その大きな目、自信に満ちた表情は、小学生でも知っていた。歴史の教科書に必ず載っている顔なのだ。
「ラインハットのヘンリー。本物が座ってるんだからな、あそこに」
同僚は、ちょっと身震いした。
 カウンタの中で売り子が職業的に笑顔をつくり、いらっしゃいませ、と言った。新しく入ってきた客は、背の高い、黒髪の青年だった。ヘンリーはその客に向かって、片手を挙げた。
「こっちだ」
黒髪の男は、カウンタで紅茶とサンドイッチの代金を払ってから振り向いた。同僚の喉がひくっと音をたてる。
「あ、あれは、まさか」
男はトレイを片手にもってヘンリーのテーブルへやってきた。
「おもしろい記事があった?」
「見ろよ、これ」
男の髪は長めで、首の後ろで束ねている。白皙の美貌の持ち主だった。カットソーにジーンズという身なりだが、なんとも言えず……
「気品?」
同僚が唾を飲み込んだ。
「気品があっちゃおかしいか?間違いない、グランバニアの聖獣王だ!なんていう大物が……おい、本部へ連絡だ、急げ!」

 客足はようやく減ってきたようだった。カウンタの中でアルバイトの女の子たちが、片隅のテーブルを盗み見て、きゃあきゃあ騒いでいる。
 うわさの的になっていることにはおかまいなく、黒髪の男は新聞をとりあげ、視線を走らせた。
「で、伝説の聖なる王が『ラインハット・タイムズ』を読んでるなんて……」
「しっ!課長が来てるぞ」
あわててふりむくと、入り口に長身のダークスーツの女性が立っているのが見えた。髪をアップにして小さめのサングラスをかけている。問題の二人をさりげなく観察しながら、課長はこちらへやってきた。
「彼らね?」
「はい。”地震”のあと、私、ブラウンがこちらで発見しました。グレイが追っています」
「すでにこちらの時間で滞在は一月になります」
「そう……」
課長はサングラスをはずした。驚いたことに、目元がかすかに染まっている。
「こんなところで会えるなんて……ずっと憧れだった」
アルバイトの女の子たちに負けないほど熱い視線を課長は彼らに送っていた。
くす、と視線の先で笑い声がもれた。
「なるほどね。うまくいったみたいだ」
”聖獣王”は新聞越しに相棒を見た。
「美術館のは、たぶん新しい。駅の古い反応と、交差点のところのかなりくっきりした反応があっただろ?だいぶわかってきたな」
赤いレザー張りのストールに座りなおして黒髪の若者は聞いた。
「今日はまたトラップを張りにいくのかい?」
「いや、人と会う約束があるんだ。美術館には行くけど」
言ったとたん、着メロが鳴った。ヒップポケットから携帯を取り出して、ヘンリーはメールをチェックし、舌打ちした。
「副業のほうが忙しくなるなんてな……」
「使い方、上手になってきたね?」
「毎日やってりゃあ、な。いっしょに行く?仕事明けで眠いんじゃないのか?」
課長が小さな声で聞いた。
「か、彼は、なにをやっているの、グレイ?」
グレイはせきばらいをした。
「グランバニアの伝説の王の副業は、バーテンダーです。ゆうべはこの近くのバーでずっとカクテルを作っていたはずです」