大穴30倍 6.スラ・ストライク

 サイクスのカジノは、再びダービーの夜を迎えた。
 たまたまその日はオラクルベリー商人組合理事会の懇親会にあたっていた。理事会のメンバーは、八代目セルジオをはじめ、昔から商売をしている老舗の主人が多かった。由緒よりも財産が物を言うこのオラクルベリーでさえ、成り上がりのサイクスは、理事会の中では引けめを感じる立場だった。
 カジノの入り口で、サイクスは理事仲間とその家族を出迎えていた。早くに妻を無くしたセルジオのパートナーは、長女のリアラだった。
「セルジオさんのお嬢さん、いつもお美しいですな。たびたび、カジノへ遊びに来ていただきたいものです」
リアラは、商人の娘らしい愛想のよさで答えた。
「今夜はすてきなレースがあるとうかがって、楽しみにして来ました。サイクス小父様、いつもご繁盛ですわね」
ご繁盛、というのは、オラクルベリーでは最高最大の賛辞である。サイクスは満面の笑みを浮かべた。
「これはどうも、リアラお嬢さん。お礼に、いい情報をさしあげましょう。赤いスライムにお賭けなさい。強いですよ」
一度けちのついたレースだったが、オラクルベリーでも指折りの豪商たちがそろって賭けるとなると、かえって華やかさが加わって、その夜のスライムレースは盛り上がってきていた。
 羽振りのよさをひけらかすように着飾った豪商たち、目つきの鋭いギャンブラーたち、そして一攫千金を夢見る者たちが、レースのコースの周りにびっしりとひしめいている。
「青の単勝に、一枚」
ヘンリーとルークは、スライム券の窓口にいた。
「あんたたちか。店辞めたんだって?グールドさんは、いいウェイターだって言ってたのによ」
顔見知りの窓口係が言った。
「このへんで、ひとつ夢を追おうかと思ってね」
気軽な口調でヘンリーが応じた。
「今夜は青のやつ、何倍ついてる?」
「青ねえ。昨日走らなかったんで、ぐっと倍率が上がったよ。昨日は2倍ていどだったのに、今日は30倍だ。でも、いいのかい?あいつそもそも気まぐれなやつだし。今夜も走らないかもしれないぜ?」
「おれはちょっとばかり、インサイドの情報を持ってるのさ。単勝を一枚くれよ。当たりゃ、大穴三十倍だな?」
「それ、日当の全額なんだろ?増やしたいなら、赤にしとけ。じゃなけりゃ、連勝でいきなよ」
「いいや、初志貫徹。青の単勝だ」
窓口係はためいきをついてスライム券をさしだした。
「頑固だね、あんたも」
ヘンリーは、指先でスライム券を一枚、ぴらっと取り上げた。
「見てな?こいつが、化けるからよ」

 サイクスは、おうように理事たちを招いた。
「さあさあ、みなさん、こちらへ」
 レース場の脇の、一段高くなったところに、特別席ができていた。すわったままコースを見ることができる、理事たち専用のシートである。サイクスの商売敵、セルジオが、堂々と特別席へおさまった。
 相変わらず、上品ぶりやがって、と心の中で思ったものの、サイクスは飲み物をすすめにきた。
「いかがですか」
セルジオは貴族的な手を動かしてグラスをとり、礼儀正しく言った。
「ダービーとは面白い趣向ですな、サイクス殿」
サイクスはにんまりした。
「セルジオ殿にそう言っていただければうれしいですよ。賭けはしていらっしゃるかな?」
「娘が赤を買わせていただいたようだ」
「ほう、セルジオ殿は」
「私は青にしましたよ」
「これはこれは。モナーラ殿もトト殿も、赤に賭けておいでだのに、洞察力があるので有名な貴方が大穴なんぞに頼るとは」
言いかけると、セルジオは、どこ吹く風という顔で言い放った。
「人と同じ事をしていては、商売はできませんからな」
この野郎、今に見てやがれ!サイクスは心中ひそかに毒づいた。昨日の失敗を目の当たりにして、支配人にはドーピングを禁止している。だが、赤スライムの実力はサイクスもよく知っていた。真剣にサイクスは念じた。
 がんばれ、赤!このすかした野郎に一泡ふかせてくれ!

 支配人の合図を受けて、レース係は咳払いをした。
「本日は……本日も、スライムレースにおこしいただき、まことにありがとうございます」
助手がゲートの前に立って、合図を待っている。直前のチェックでは、スライムたちはすべてコンディション良好だった。
「今度こそ、第一回、オラクルベリー・ダービー、これよりスタート!」
時は来た。助手がレバーを倒し、いっせいにゲートが開いた。
「さあ、まずとびだしたのは予想通りに2コースの青。残り集団の中ほどに赤がつけました。この集団をふるいにかけるのは、まずでこぼこ地獄。かつては苦手だったこの難所を、青は鮮やかにクリアしていきます」
「青~、いいぞっ」
 スライムの集団は、コース上のこぶにひっかかって、2匹ばかり転倒がでた。そのためにスピードを緩める者もいて、早くも先行する集団と後方集団にわかれていく。
「逃げまくる青のすぐあとは第一集団。その中央に赤がいます。しぶとい走り。罠にまったくひっかかりません。余裕で追走していきます。先頭の青がくねくねコースへさしかかりました。鋭いラインです。同じコースを早くも赤が。これは美しい。流体化できる特性をいかして、きれいにカーブを処理していきます」
 青、青!
 赤、赤!
 周りからの声が、いっそう高くなった。オラクルベリーの豪商たちでさえ、特別席からさらに立ち上がり、自分の賭けたスライムに声援を送っていた。
 いまやレースは、赤と青の一騎打ちになっていた。
「逃げる青、追う赤。予想通りの展開となりました。ゴールまでに赤が青を捕らえるか?ここからはバンカーの中でコースが上下するスタミナ地獄です。さあ、青は逃げ切れるか?」
「なんだよ、赤はまだ余裕こいてんのか!」
「間に合わないぞ」
「バカ言え、いまに赤が追い越す……見ろっ」
赤は勝負に出た。コース自体が丘に登っていく、その登りきった頂上から、大ジャンプで谷底へ飛び降りたのだった。赤は一気に青と並んだ。青がひるむのが、コース外からでもわかった。
「さすが、強豪赤スライム。青はここまで逃げの一手。そろそろきついか?ここから砂地が交じります。うまく飛び越えないと、時間のロス。が、この競り合いでタイムロスはまことに痛い。次の坂の頂上がゴールです。両者、コースを登りながら、必死のジグザグジャンプが続きます。これはもう、スタミナ勝負。赤か、青か……」
「行け行け~っ」
「抜かせるなっ、そうだっ、ふさげっ」
「精霊様、神龍様、青スライムさまっ」
レース場の興奮はピークに達していた。あまりの怒号に、自分の声さえ聞こえない。ルークはコースにしがみついて、青スライムの姿を追った。
「がんばれっ」
「ぴきぃっ」
一瞬、青は動きを止めた。
 その場にとどまり、前方へ無理やり体を伸ばしていく。
 その横を赤が通り過ぎていく。
 とつぜん、青スライムの体が、パチンコのように飛び出した。
 びしっ、と音を立てて、青スライムはゴールラインを越えた。
 次の瞬間、赤がゴールへ飛び込んだ。
「ゴールッ!」
レース係が叫んだ。
「連勝は2-3、が、単勝は……青です、2コース青スライム一着、3コース赤スライム二着」
その後のアナウンスを聞いているものは誰もいなかった。うおおおおぉ、というわめき声がカジノ全体にどよもした。