大穴30倍 5.カジノ・コイン

「バカやろう、レース始まってんだよっ」
助手はがたがたとゲートをゆすった。が、青スライムは動かなかった。上からも罵声がふってきた。
「なにやってんだーッ」
「走れっ、このやろう!」
「お客様、少々、お待ちを!」
青くなった支配人が、レース場の上から身を乗り出した。
「そいつをはがせっ」
助手はあわててスライムの体をつかんでひきはがそうとする。青いスライムは、人間には表情のわかりにくいまるい目を、それでも一生懸命怒らせ、頑固にゲートにへばりついていた。
「おまえ、なんで、今日に限ってふてくされやがるっ。見ろ、赤はもう、あんなとこまで行っちゃったぞ」
 赤スライムはすさまじい勢いで突進していた。コースの大半を第二集団につけ、ゴール前ですばらしい差し足を見せるのが赤の流儀なのだが、それを忘れたかのような走りっぷりだった。まるで、ライバルである青のようなスタートダッシュに続き、他のスライムを引き離して走りまくっている。目が充血するほど興奮していた。
「おい、赤も、変だぞ」
客も気付き始めていた。くねくねコースにさしかかった赤が、最初の蛇行で壁にぶつかっていた。
「赤スライムが、あんなとこでひっかかるなんて」
転倒しても、すぐに立ち上がる。目の前に壁のあることを分かっていないかのように、赤はぐいぐいとつっこんでいく。そのうしろを、他のレーススライムたちが駆け抜けていった。
「あ、ゴール、です。一着、黄緑、二着、オレンジ……」
一応のアナウンスはあったが、誰も聞いていなかった。
「なんだこのレースはっ」
「ばかにしやがって、金返せ」
「本命も対抗も走らないダービーがあるか、バカやろう!」
レース係の助手がコースの中に入り、まだ壁に向かって狂ったように突進していく赤スライムを助け出した。
「おい、あいつに食わせたの、特別料理だったよな?」
ウェイターらしく壁際にいたヘンリーが、隣のルークに聞いた。
「え、ああ。支配人さんから、さしいれの」
「何か入れたんじゃないか?たとえば」
「“ファイト一発”?」
「おおかた、そんなところだろう。しかも、人間と同じ分量を」
客たちも感づいているらしい。怒号はさらに大きくなった。そのとき、誰かが前へ進み出た。
「お客様、お静まりを」
カジノの主人、サイクスだった。
「不手際がありましたようでまことにもうしわけない。このレースは無効とします。皆様お手持ちの券はどうかそのまま。明晩、再度レースを行います」
かっぷくのいいサイクスがだみ声でしゃべると、客たちは互いに顔を見合わせ、それからぶつぶつ言いながらも退いていった。サイクスは、スライムレース場を出る客たちに頭を下げ、にこやかに、だが、有無を言わせないという態度で送り出した。その横で支配人が青ざめた顔に冷や汗をたらして、ぺこぺこしている。
 ヘンリーはふと壁際を離れた。
「どこ行くの?」
「スライムたちを地下へ戻さないと。来いよ」
「ああ」
レース場では、助手が暴れる赤スライムに手を焼いていた。
「こうなっちゃあ、だめかな。処分するしかないかもしれないな」
「処分て、なんですか?」
「ああ?こいつを育てたところへ返すんだよ。野性に戻すんじゃないのか?」
「そんな。赤だって、凄くいいスライムなのに」
ヘンリーが声をかけた。
「“ファイト一発”なら、しばらくすれば抜けるよ」
「声がでかいぞ!」
「みんな感づいてるぞ?」
「それより、青を何とかしてくれよ」
ルークはゲートに手を入れた。青はすなおにルークの手のひらに乗ってきた。
「どうして走らなかったの?」
「ぴきぃ」
大きなまるい目に涙を浮かべて青は繰り返した。
「ぴきぃ。ぴきぃ!」
「立派なレーススライムにならなくてもいいのかい?君は……いっしょに来たいの?」
「ぴきっ」
「だめだよ。君はここで」
青スライムの体が急に流体化し、ルークの手首に巻きついた。
「ぴぃ、ぴぃ」
「ルーク」
ヘンリーだった。
「いっしょに来たほうが幸せか、残ったほうが幸せか、そのスライムにしかわからないじゃないか。そいつの好きにさせてやれよ」
「ぼくの旅は、危険が多いんだ。どこまで行けばいいのかもわからないんだし」
ヘンリーは真顔だった。
「そうかもしれない。それでも、行くか残るかは、そいつが決めることだろ?」
ルークは青の目を覗き込んだ。
「そうなのかい?」
「ぴきぃ」
ルークは片手の指で、そっとスライムの滑らかな体を撫でた。
「わかったよ。ぼくたち、仲間だね。いっしょに行こう」
「おい、めったなことを言うなよ!」
レース係の助手が、聞きとがめてきた。
「グールドさんが聞いたら、どうなると思ってるんだ。そいつは明日、絶対レースに出ないとだめなんだからな。こっちへもらうぞ」
青はもう一度、ルークの手にしがみつこうとした。
「こら」
ヘンリーがスライムに声をかけた。
「今は行っとけ。おれがなんとかする」
「ぴきぃ?」
「信用しろよ。明日は、走れ。ぶっちぎってみせてくれ」
青スライムは、目をぱちぱちさせると、ルークの手から助手の手にぽんと飛び移った。
「何か、考えがあるんだね、ヘンリー?」
ヘンリーは、片手で前髪をかきあげた。
「考えってほどでもないけどな。まかせとけよ」
そう言って、に、と笑った。

 ウェイターの制服二人分と真鍮の盆を、ヘンリーは支配人室の机の上に置いた。
「おれたち、今日で辞めます」
「えっ」
給料係は目をむいた。
「いいのかい、お金がいるんだろ?」
「いるねぇ。だから、勝負に出ようと思ってさ」
「よせよせ。カジノで働いたならわかるだろ?どうやったってカジノが得するようにできてんだよ」
ヘンリーはたしなめるように指を振って見せた。
「人間、夢を捨てちゃおしまいだよ。さ、日当払ってもらおうか」
「あんたたち二人で、ええ、20ゴールドか。ほら」
だが、ヘンリーもルークも、金貨に手を出そうとはしなかった。
「なんだよ、おい」
「勝負に出ると言っただろ?」
ヘンリーは金貨を給料係のほうへ押しやった。
「こいつで、カジノ用のコインを一枚、売ってくれ」