大穴30倍 3.ぶっちぎり

 昼過ぎのカジノは開店しているとは言っても、がらんとした店に客がぼちぼちいて、スロットマシーンを回しているていどだった。夕方近くになって、地方からでてきたおのぼりさんの団体が、ものめずらしそうに店に入ってきて、しきりに感嘆の声をあげていた。
「そろそろ、レースやるってさ。ヘンリー、ルーク、手伝ってくれ」
助手が呼びに来た。地下室へ降りながら、助手はせかせかと話し続けた。
「出走は紫、緑、黄色、ピンク……いや、赤は出さないって。まだ前座なんだ。夜の方がお客が燃えるから、そっちで走らせるんだろう」
ルークたちは指定されたスライムを檻から出し始めた。
「これで4匹か。数が足らないな。青も出してくれ」
一瞬ルークは、ヘンリーと顔を見合わせた。ヘンリーが無言でうなずいた。
「ぴきっ、ぴきっ」
ルークは檻を開けて、青いスライムを両手の平ですくいあげた。
「大丈夫。君はいいレーススライムだ。それを確かめに行っておいで」
「ぴきぃ」

 カジノの付属バンドが、景気のいい音楽を流し始めた。何事か、とおのぼりさんたちが近寄ってきた。
「さあ、オラクルベリー名物、スライムレース。これを見ていかなきゃ、オラクルベリーに来たかいがないよっ。コインの交換はあちら、スライム券の販売はこちらでございます。さあさあ、賭けた、賭けた」
 客は、ものめずらしそうに身を乗り出し、助手がスターティングゲートにスライムたちを納めるのを眺めた。
「一等と二等をあてるんだと」
「黄色が、イキがよさそうだ」
「ピンクのにするべ」
レース係は、大きな黒板にチョークで倍率を書き込んでいく。
「120倍?ってことは、一枚賭けて勝てば、120枚もらえるってことかね」
「すっげぇ~。なんだ、1-5……緑と青か。よっしゃ、1-5に一枚!」
「はい、まいどっ」
「あの青いスライムが5番だな?おれは5で流す。120倍、84倍、92倍……すげえぞ!」
客の一人が笑った。
「ばっかだなや!倍率が高い組み合わせは、それだけ弱いんだよ。来そうにないから、いい倍率がつくんだ。おれは鉄板でいく。2-3だ」
「はい2-3ね。何枚いきます、お客さん?」
「よしっ、思い切って、10枚!」
「レースってものをわかってるね、この人!さあもうないか、賭けるのは今だけ、レースが始まる前だよっ」
ベテランだけあって、前座でもレース係は手際よく場を盛り上げていた。賭けがひとしきり落ち着いたと見ると、レース係は片手で合図をした。ファンファーレが響き渡る。一瞬場内が沈黙した。レース係の助手が、カウントダウンしていく。
「3,2,1、スタートォ!」
レース係はアナウンス席に飛び込んだ。
「さあ、本日最初のレースです。各スライム、飛びだしました。毎度入れ込みぎみの5コース、青がロケットスタート。最初の直線だけなら無敵なんですが、序盤のでこぼこ地獄、乗り切れるか?」
ベテランのレース係が、そのとき一瞬、沈黙した。
「ぬ、抜けました!」
青いスライムはいつもと同じスピードででこぼこへさしかかると、大ジャンプひとつで鮮やかに飛び越してみせたのである。客の間から歓声があがった。
「いいぞーっ、120倍!」
「青、飛ばします。これもいつものことなんだが……失礼、黄色とピンク、ようやくでこぼこを抜けました。紫が頭ひとつ前へ出ます。ああ、ピンクがへたっています。スタミナ不足か」
「きさま~っ、鉄板だろうがっ」
「紫、スピードを上げます。びしびし飛んでいる。が、青はすでにくねくねコースへさしかかりました。紫、青を捉えた。必死で追随します。ここは頭を使わせるコース……青はいつもここで……」
もたつきます、と言おうとしたにちがいない。だが、レース係はツバを飲み込んだ。
「青、凄い。ふくらみをおさえて、きれいなカーブですっ。こんなばかな……いやいや、紫、距離をあけられました。紫あせる。あっ、くねくねコースの出口でこぶにひっかかった!紫、転倒、転倒!」
ちくしょーっ、と誰かが叫ぶ。
「コースは青の独走。ゴール前はバンカーのある難しいコースですが、青、わきめもふらずに飛ばします。もう、誰にもとめられません。ジャンプ、ジャンプ、ミスなしで……ああ、これは夢なんじゃぁ……ゴール!ゴールしましたっ、一位です。5番、青、先頭でゴール!大穴、ひ、120倍ですっ」
「ぴきっ、ぴきっ」
 青いスライムはへとへとになっていたが、ゴール前でまだぽんぽん跳ねていた。
 レース係の助手は声を低めてルークに言った。
「おまえ、あいつに何をやったんだ?店は大損だぞ」
「何も。あれがあの子の実力なんです。ごほうびの燻製肉、あの子にやってもいいですか?」
ふん、と助手は鼻を鳴らしたが、とめはしなかった。ルークは大きな燻製肉を、優勝トロフィーのように青い小さなスライムに差し出した。青は、目をぱちぱちさせると、大きく口を開いて燻製肉をくわえ、目を細めて笑った。

 ぶっちぎりでゴールへ飛び込む青いスライムが有名になるまで、三日とかからなかった。カジノのほうが、いまだに青に高めの配当をつけるので、みんな大喜びで5番を買うのである。
 支配人のグールドが、経営者のサイクスに呼ばれたのは、数日たってからだった。
「なんだ、このざまは」
 カジノの二階にあるサイクスの部屋は、これでもか、と金ぴかに飾り立てられた派手な部屋だった。その主、大兵肥満のサイクスは、対照的にひょろりとした支配人を横目でにらみつけた。
「わしの言うのはわかっているな?スライムレースだ……いいか、客はな、十回レースをやって、最後の一回にうまく当たれば、満足して帰るものだ。それをだな、このところ、大穴を出し続けているではないか。どうなっているんだ、え?」
グールドは情けなさそうな顔になった。
「申し訳ありません。番狂わせがありまして」
サイクスは、たっぷりと詰め物をした椅子に深く腰掛けた。
「話せ」
肉の塊の中から、小さな目が冷たい軽侮をこめて、支配人を見据えた。
「5コースの青、どうやっても勝てないはずのくずスライムが、いきなりバカ勝ちをはじめたのです。信じられません」
くどくど言う支配人に、サイクスはいきなり命じた。
「倍率を修正しろ」
「いえ、今までの成績がありますので、客の手前、あまり倍率を下げられないのです。が、昨夜、ぎりぎりまで修正いたしました」
「ほう?」
「今まで三桁の倍率だったのが、せいぜい20倍かそこらで」
「それで大穴20倍をあてられた、というわけか」
「もうしわけ、ございませんっ」
サイクスは、自分の太い指を調べ始めた。夕べ、お抱えの美容師たちに、爪の手入れをさせたばかりだった。マニキュアのはげを見つけて、サイクスは顔をしかめた。
「損失は許さん。あの青を使って儲けを出してもらおうか」
「は、その、努力します」
「努力だけか?」
「とおっしゃいますと」
「この部屋へ呼ばれたのだ。これからどうするかを考えていないと言うことはないな?もし空っぽのままの頭で来たのなら、このまま店を出て行け。空っぽのままの手ぶらでな」
支配人はツバを飲み込んだ。
「あ、赤と青を競わせたらどうでしょう。赤は今まで、一番強いレーススライムでした。前座には出さず、深夜シフトのレースだけです。青も深夜へ出します。両方とも人気がありますので、きっと評判になります。カジノのコインの売上もあがるでしょう」
ふむ、とつぶやいて、サイクスは目を閉じた。
「このレースでは、赤が有利になるようにしておきます」
サイクスは無言だった。
「サイクス様」
サイクスは目を閉じたままつぶやいた。
「もうやることがわかっているのなら、なぜ早く準備をしに行かんのかな、この男は……」
グールドは、脱兎のごとく部屋を飛び出した。