大穴30倍 2.にらめっこ

「まあ、見てなよ」
ルークは、ひしゃくでエサをすくって、スライムたちに公平に食べさせていた。が、青のスライムは、自分の檻から出てこようともしなかった。
 ルークはひしゃくに深くエサをよそうと、体をかがめて檻をのぞきこんだ。
「おいで。おいしいよ?」
青のスライムは、ぺったりと檻の底へはりついたままだった。
 助手は笑った。
「ほら見ろ。あの青はな、どうしようもないやつなんだ。レースに出すと必ず転ぶから、ちゃんとゴールしたことがない。そのくせ失敗するとああやって檻にしがみついて強情はるんだよ。無理にエサをやろうとすると、エサ係にぶつかったり、顔に張り付いたりするんだ。やつにエサをやれるのは、今の世話係の子くらいのもんで……」
助手の声が小さくなった。
 青のスライムが、動いていた。ほんの少し、ひしゃくの方へ寄っている。
「ぼくは、知ってる。君は、いいレーススライムだ。ずっと君を見ていたよ。君は能力もある。でも、なかなか発揮できないんだね。さあ、お食べ。食べていいんだ。それからぼくと一緒に考えよう。どうすればちゃんとゴールできるかをね。食べないと、体がもたないよ?おあがり。そして、一緒に闘おう」
 始めは低く、ささやくように、やがて確信をもって、ルークはスライムに話しかけた。青のスライムは、ほんの少しづつ寄っていき、やがて、ひしゃくに顔を入れて、エサを食べ始めた。
「ありがとう。ぼくたち、仲間だね?」
掃除女はけたけたと笑い出した。
「すごいじゃないか、あのルークって兄ちゃん。おまえさんの負けだよ」
レース係の助手はあっけにとられていたが、舌打ちをして服をさぐり、金貨を数枚取り出した。
「ちっくしょう。そら、おまえのだ!」
「どうも、と言いたいところだが」
ヘンリーはにやっとした。
「金貨はしまっときなよ。そのかわり、頼みがあるんだけどな」
「あ?なんだ?」
「人の来ない時間にレース場が開いていても、見ないふりをしてくれないか?」
「おまえ、まさか、本気か?」
「おれじゃなくて、相棒が本気なんだよ。あの青を、レーススライムとして訓練する気なんだ」

 天下のオラクルベリーのカジノは、終夜営業である。正午に店が開き、夕方までに昼のシフトが終わる。日が暮れてからが稼ぎ時で、夜シフト、深夜シフトと続き、看板は明け方だった。
 このカジノに人のいないとき、というのは、普通の職人や商人などが、まさに働く時間、午前中だった。
 レース場は、夜の熱気がうそのように静まり返っていた。椅子を全部テーブルの上にあげて、その下を掃除婦が愚痴をこぼしながら拭いていた。
 ルークは、レース場の横にある、重いハンドルを回していった。きしむような音を立てて、扉が開く。ふぁああ、と声を立てて、横でヘンリーはあくびをした。 警備係の男がふりかえった。
「こんな早くから何やってんだ」
「レース係から聞いてない?ちょっと、目をつぶっててくれよ」
警備係はにやにやした。
「ああ、おまえらか。青をトレーニングだって?夕べはおまえ、その話で警備室がもちきりだったぜ。どこの物好きが、ってよ」
「好きなだけ笑ってろよ。そのうちあの青で、すごい大穴をあててやるからよ」
ヘンリーたちが軽口をたたくのを聞きながら、ルークは手の中の青いスライムをそっとなでた。
「心配しなくていいよ。外はヘンリーが見ててくれる。ここにはぼくたちだけだ」
青いスライムは、ぴきぃ、とつぶやき、不安そうにみじろぎした。
「ここがスタートだね」
ルークは青いスライムを、ゲートの中へ置いた。
「君はいつも、真っ先に飛び出す。でも、今日はゆっくりでいいんだ。一回、ゴールまで行ってみよう」
青のスライムは動かなかった。
「ぴきぃ……」
「ぼくもいっしょに行くよ。さあ!」
スライムはゼリー状の体全体をふるわせた。そして弾みをつけてぽんと飛んだ。
「いいぞ」
ぽん、ぽん、ぽん。隣のコースを歩きながら、ルークは話し掛けた。
「それでいいんだ。あせらなくていい。周りをよく見て。そこに君の嫌いなこぶ」
と言ったとたん、青いスライムは停止した。
「どうしたの?こぶがあるだろ?」
「ぴっ、ぴきぃ」
ルークはかがみこんだ。コース序盤の難所である。コースがでこぼこになっていて、高速で飛び込んできたレーススライムがひっかかって転ぶようになっているのだった。
「ほら、ここだよ」
「ぴきぃ?ぴきぴき」
突然、ヘンリーの声がした。
「ルーク、そいつ、見えてないんじゃないのか?」
レース場を見渡すアナウンス席から、ヘンリーがのぞきこんでいた。
「なんだって?」
「青のやつ、こぶがあるかどうか、わかってないみたいだぞ?」
ルークは青いスライムを抱え上げた。
「目を見せてね」
青は、驚いたように二つのまるい目をぱちぱちさせた。
「僕の指を数えてごらん。何本ある?」
三本指を立てて、ルークはスライムの目の前に突き出した。
「ぴきぃ、ぴきぃ、ぴきぃ!」
「じゃ、これでは?」
ルークは、片手にスライムを乗せ、もう片方の手をぐっと放して、指を四本たてた。
「ぴきぃ……ぴきぃ?ぴっ、ぴっ」
「よしよし、わからないんだね?」
「ぴき……」
「ヘンリーの言うとおりみたいだ」
ルークは青をコースへおろした。
「さあ、いいかい?上を向いて。ここから、ヘンリーが見える?」
スライムはふるえた。どうやら、首を振ったつもりらしい。
「君たちスライムは、体の形を自由に変えられるだろう。目の、奥までの距離を調節してごらん。ヘンリーの顔がちゃんと見えるようになるまで、微調整するんだ」
青はがんばった。必死の形相でヘンリーを見上げている。ヘンリーはほおづえをついた。
「なんか、スライムとにらめっこっていうのもな……」
「もうちょっとなんだ、協力してよ」
「ああ、わかった、わかった」
「ぴきっ」
驚いたような声でスライムが鳴いた。
「ぴっ、ぴっ、ぴきっ」
「ああ、見えるんだね?自分の周りを見るとき、遠くにあるものを見るとき、焦点を結ぶように調整するんだよ?じゃあ、もう一回。目の前のこぶをごらん。これはどうしたらいい?」
スライムはぽんとこぶの上に飛び上がって、一気に越えて見せた。
「すごいじゃないか!」
へらへら、とスライムの口がゆるむ。
「じゃあ、もっと行ってみようね」
スライムは、ルークの言葉を待ちきれないように進んでいった。ぽてぽてと進んでは、あたりを見回す。ぴきぃ、ぴきぃと鳴く。
「ああ、そうだよ。世界はそんなふうに見えるんだ。鮮やかできれいだろ?くっきりしてる?」
コースはそこで、右へ大きく曲がっていた。
「いつだったか、君がここまで珍しく転ばないで来たよね」
「ぴー、ぴき」
ルークは、指でコースの上に、架空のラインをとって見せた。
「そこへピンクのスライムが、こんなふうにつっこんできた」
「ぴきっ、ぴきっ」
「怒らないで聞いてくれ。ピンクの子はね、悪気があったわけじゃないんだ。このライン取りが、ここを抜ける最短の行き方だからなんだ。結果としてピンクは君を突き飛ばして、君は気絶しちゃったけどね」
「ぴ~」
「ここからは、君が始めて見るところだ。ゴール前。罠も多いよ。さあ、行こう」
「ぴきぃ!」