二十人目の客 第二話

 その日の夜更けまで、とうとう他にお客はこなかった。また、大量の生ごみを捨てなくてはならない。
 リックスはカウンターにすわって、放心したようになっていた。涙ながらにリジーが店を閉める準備をしたところで、誰かが扉をたたいた。
「おーい、まだ起きてるか?」
ヘンリーだった。デイジーとリジーは顔を見合わせ、大急ぎで扉を開いた。
「よかった、まにあったかな」
ヘンリーは両手に抱えた荷物を店の床へ置いた。袋の口をしばっていた紐をほどくと、大きな布(ヘンリーのマントだった)が開かれ、なにやら黒っぽいものがひとやま現れた。
 すばらしい香りが店内にひろがった。
 調理場から漂う焦げ臭い臭気などおいはらうような、思わずつばが口の中に広がるような……
「な、なんだ?」
リックスさえ顔をあげた。
「きのこです」
後から入ってきた若者が言った。紫色の大きな包み(またマント)を広げると、もうひとやま。
リックスが息を呑んだ。
「こいつは、もしかして、トペルカか……」
「おおあたり。これぞ珍味中の珍味、トペルカだ。これでスープを作ってみろよ、うまいぜ?」
リックスがあえいだ。
「こいつは、宝の山だ。ずっと遠くの大陸の森にしか生えないと聞いていたが」
「でも、この子が見つけてくれました」
 紫の若者が、ふところに抱いていたものを見せた。まだ幼いアルミラージの仔だった。ふわふわした毛皮の中から、丸い目がきょとんとデイジーを見ている。
「わあ、かわいい!」
紫の若者は、デイジーの腕に子ウサギを抱かせてくれた。
「アルミラージはきのこが大好物なんだ。そのちびに俺の相棒が、おいしいきのこを見つけてくれるように頼んだら、トペルカがたっぷり生えているところへつれてってくれたわけだ」
うれしそうにヘンリーが言った。
「マスター、あんた、腕はいいんだから、メニューを絞り込んでみろよ。トペルカのスープを目玉にするといい。さっき、パンだけは文句なしにうまかったぜ?おいしいパンとスープ、あとはサイドディッシュ数点。これなら、焦って生煮えになったり、黒焦げになったりしないさ」
「言われてみれば、そうかも」
デイジーは目を丸くした。頑固一徹の父が素直に人の忠告を聞いているところなど生まれて初めて見る。
「あたし、お父さんの手伝いをするわ。焦げていたら火を消すだけでも」
「デイジー」
リックスは、大きな手のひらでデイジーの髪を撫でた。久しぶりだった。
「でも、そうすると、呼び込みがいなくなっちゃう」
「スープを煮ている香りだけで、十分だけどな。じゃあ、文無しのときに泊めてくれるっていう条件で、おれたちが呼び込みをやるよ。な?」
「もちろん!」
「まあ、まあ」
リジーは泣き笑いのような顔をしていた。
「でも、今夜はもう、お店はおしまいですから。お二人とも休んでください。本当にありがとうございます。」
二人は顔を見合わせ、それからお世話になります、と言った。リジーが部屋へ案内していく。
 リックスはうれしそうにきのこの山をキッチンへ運び入れた。
「話でしか聞いたことのない高級食材だ。うまく使ってやらんと。王様のお食事にだってひけをとらねえもんをつくってやる」
手を止めて、リックスはつぶやいた。
「あれ?あの若いの、あんななりをしてるのに、トペルカのスープなんて、いったいどこで飲んだんだ?」

● 

 次の日の夕方、店の調理場から、いい香りが街へ流れ出た。
 リックスの古着を借り、ややさっぱりした服装になって、二人の“呼び込み”は店の前へ出た。
「おいしいスープはいかがですか?」
そんなに気張らない、自然な声。だが、人間関係の乾ききった大都市ではめったに見つからない、あたたかみと誠意がこもっている。人ごみから数人が振り返った。
「トペルカのスープ!オラクルベリーでもここだけ!」
思わず人を微笑ませるような、やんちゃで陽気な声がたたみかける。
 旅の商人らしい夫婦が足を止めた。女房の方がまず興味を引かれた様子だった。
「まずかったらお代はいらないよ、奥さん!」
女房は夫をふりかえった。
「あんた、話のタネに、寄ってみようよ」
「そうだな」
商人は鼻をひくひくと動かした。
「うまそうな匂いだ。入ってみるか」
「デイジー、お二人様ご案内!」
「はあいっ、いらっしゃいませ」
デイジーは信じられなかった。あとからあとから客が入ってくる。なぜかご婦人のお客が多かった。あっという間に店は満員になっていた。目が回るような忙しさである。リジーがあわてた声でデイジーを呼んだ。
「デイジー、呼び込みさんにもういいって言っとくれ!」
「はあいっ」
外へ出てそう言うと、ヘンリーは意外そうだった。
「なんだ、もういいのか?」
ヘンリーは不服そうな顔で、相棒を指して言った。
「こいつ、すごいんだぞ?いっぺんもはずされなかった」
その夜、営業時間が終わるまでに、店は過去最高の売上を記録していた。
「すげぇ、すげぇ」
店が終わってもリックスは興奮しまくっていた。アルミラージはふかふかのクッションの上で、トペルカのきれはしをもらって熱心にかじっている。
「こうなったら、店の名前を変えるか!“あるみら亭”っていうのはどうだ?」

● 

 こうしてあるみら亭は、オラクルベリーで行列のできる店のひとつになった。珍味のスープにうまい食事。呼び込みのお兄さんたちは、女性客にたいへん人気がある。店のマスコットは人になついたアルミラージ。トペルカ掘りの名人だった。
 時がたち、店も大きくなった頃、オラクルベリーの領主様さえ、スープを飲みにやって来たとか、来ないとか……