泣き虫親分 2.お菓子盗み

 レンフォード家のおぼっちゃまの顔がどす黒くなった。
「きさま、おれにそんな口をきいて後悔するなよ?」
フランクじいは歯の抜けた口で高笑いをした。
「どこへ持ち込むんじゃ?親父殿に泣きつくか、え?」
「おまえ、ひどい目にあわせてやるからな!」
「ランス、よせよ」
ヘンリーが言った。
「フランクじいは、この城の親分みたいなもんだ」
「ヘンリー、おまえもこいつに好き放題させるのか?」
ランスは、ヘンリーが自分と同意見だと信じているような口ぶりだった。
「あの猫、捕まえるときにひっかいたんだぞ」
すすり泣くような声で、ランスの後ろにいた身なりのいい少年が訴えた。肥満気味でおちつきのない男の子が、横でおおきくうなずいた。
「逆らうんだから、お仕置きしてあたりまえだ。じじいはほっといて、猫を探しに行こうぜ?」
 今度はヘンリーが腕を組んだ。
「おれは、やめる。テディ、マックス、猫はほっとけ。いいな?」
テディとマックスは、後ろからランスのようすをうかがっていた。
「どうするんだ、なあ?」
ランスは、顔をゆがめ、はき捨てるように言った。
「こいつに言ってやろうぜ」
ランスは今までとは違う表情をしていた。
「なんか言いたいことがあるなら聞いてやるぞ」
ランスの顔に、せせら笑うような表情が広がった。
「もう遊びは終わったってことだ」
「なんだよ、それ」
「夕べ、母上がおれに言ったんだ。もう、おまえの言うことを聞かなくていいってさ。父上も同じ意見だ」
「なんだと?」
ランスは、テディとマックスの方を向いた。
「おれたち今度から、デール王子のお相手役になることに決まったんだ」
二人の少年はなんとなくきまりのわるい表情でうつむいていた。
「おまえの相手はもうおしまいだ、ヘンリー。それがどういうことか、わかってるか?おまえ、負け犬なんだぜ?みんな、デール王子のほうが次の王様になるって言ってるぞ」
「何を言っとる!」
またもやフランク老人の雷が落ちた。
「兄弟がいれば、兄のほうが王位に着くのがラインハットのしきたりじゃ!デール様だと?そんなでたらめが通ってよいことがあるかっ」
ランスはにんまりした。
「今言ったこと、全部王妃様に言いつけてやる。おまえ、追い出されるぞ」
テディは嫌な笑い方をした。
「牢屋へ入れられるかもしれないよね」
「そうだ、そうだ!」
 ふん、とヘンリーは言った。
「ばかか、てめえら。フランクじいは、偉いんだ。戦場でおれのじい様の命を助けたから、ずっとこの城で暮らしていいことになってるんだぞ」
「かび臭いお手柄のきれっぱしがいつまで役に立つと思ってるんだ?」
聞いていたオレストは眉をしかめた。言っていいことと悪いことがある。
 そのとき、ヘンリーがランスの目の前に指を突き出した。
「じいに、謝れ」
「負け犬の言うことなんか、聞く気はない」
「おれが負け犬なら、おまえらは犬にたかるノミじゃないか」
ヘンリーはたじろがなかった。ランスの顔にくやしそうな表情が、見る見るうちに浮かんできた。
「行くぞ!」
乱暴にそう言うと、マックスとテディをひきつれて中庭から足早に出て行った。
 フランク老人は、ヘンリーの顔を覗き込んだ。
「気にしなさるな、若」
「してないよ、おれ」
「よいですか、御家争いは残念ながらラインハットの気風じゃ。わしが先代様のお命をお助けしたのも、あの方が実のご兄弟と争われての戦場じゃった。だが」
老人は、ヘンリーの肩をつかんだ。
「覚えておきなされ、王になるのはあなた様じゃ。亡くなった母君様の父上、タンズベールのお殿様が、きっとよいようにしてくださる。デールさまが何を狙っておられようと、気にされてはいかん」
ヘンリーは首を振った。
「おまえも、タンズベールのじいも、勘違いしてる。デールはおれの弟だ。それにおれの、一の……いい子なんだ。本当なんだぞ?」

 たしかに弱いものいじめはよくない。しかし、強いものいじめ(?)は、してもいいのだろうか?オレストは、複雑な気分だった。
 ラインハット城の厨房は、半地下に設けられた広々とした台所である。毎日、午後のこの時間になると、料理人たちが夜の食事の仕込みにかかり、いい匂いが漂う。菓子職人の頭は料理女たちを指図して、すばらしいデザートをつくっている。
 クリームをつめたパフは、大きな網に並べられていた。あとから銀盆にもりあげて、チョコレートシロップをかけるのだ。その網の乗っている作業台にむかって、そっと接近する影が二つ、三つ。いつぞや料理女に見つかって、さんざんおしりをぶたれたにもかかわらず、ヘンリー王子が子分を連れて、おやつを調達に来たのだった。
「もうちょっとだ!あたりをよく見ろ」
「誰もいません、親分」
「よし!」
 よし、ではない。ちょっと視線をあげれば自分と目が合う位置にいるのだが、たいへん真剣な表情で、いっちょまえに匍匐前進する男の子たちは気がつかないようだった。現行犯で捕まえるチャンスである。
 チャンスではあるのだが。オレストはひそかにためいきをついた。
 オレストたち警備兵は、一般兵士の中から腕の立つものが選抜されて城の警備につく。だが、昔はともかく、オレストが勤務をはじめてからは、剣の実力を見せるよりも、いたずら坊主どもとクッキーの争奪戦をするほうが多かった。おれの剣が、夜泣きしやがる……。
 突然、後ろのほうで人声がした。チャーリーらしい。子どもたちはぴたっと動きをとめた。
「いたいた。何やってるんだ、オレスト?」
「何か、あったのか?」
「フランクじいさんが、ついに年貢を納めるらしいぞ」
「なんだと!」
叫んだのは、ヘンリーだった。
チャーリーは驚いて飛び上がった。
「うわっ、ヘンリー様、またこんなところで」
ヘンリーはチャーリーの鎧をつかんで揺さぶった。
「フランクじいが、どうしたんだ!」
「ええ、その、逮捕されたみたいです。さきほど連れて行かれたのを見ました」
それ以上聞かず、ヘンリーは中庭へ飛び出していった。

 絶え間なく槌音のする鍛冶場の傍らに、元兵士のフランクが老妻と二人で暮らす小さな小屋があった。国王の命を救うという手柄をたてたにしては粗末だが、一介の元兵士としては上等な、それが住みかだった。
 小屋の前には、フランクの年老いた妻が、樽に腰をおろし、前掛けに顔をうずめて泣いていた。
「ばあや、ばあや」
老女の顔を下からのぞきこむようにして、ヘンリーが一生懸命呼びかけていた。
オレストと、“子分”一同は、少し離れ、何もできずに見守っていた。
「いつかこんなことになりますよって、あたしは言ってたんですけど……おじいさんたら、頑固で」
老女はすすり泣いた。
「泣かないでよ。おれが絶対、じいを助けてくるから」
「そんな、いけません。今、アデル王妃様とデール様に逆らったら、どんなことになるか」
「デールのせいじゃないよ」
ヘンリーは、老女の手をとって、自分の頬に当てた。
「だいじょうぶだよ、ばあや。誰にもじいを、いじめさせたりしないから」
「だめです、ヘンリー様」
老女は、男の子のそばかすいっぱいのほほを撫でた。
「ヘンリー様は、今、一番微妙なお立場なんです。うちのおじいさんのことなどを不用意に王様に申し上げたりしたら」
「親父には頼まないさ」
きっぱりとヘンリーは言った。いきなりこちらを向いて、子分たちに言った。
「おい、おまえら、やることができた。手伝え!」
「何をする気なの、親分?」
不安そうに一人が言った。
「凄いことをやるんだ」
胸をはってヘンリーが宣言する。オレストは嫌な予感がした。
「ただで、とは、言わない。さっきのクリームパフな、ちゃんとくすねてきたんだ」
オレストは絶句した。こ、このクソガキ……