ゴールド金貨25枚の謎 2.従兄ネビル

 あ、また、とリアラは思った。
 それはいつものとおり、若い男だった。
 身なりからして、貴族や僧侶ではない。かと言って、窓のところに置いた手は白く、農夫や漁師のように日焼けがなかった。職人にしては指にたこがない。 商人、しかも中小規模の、とリアラは見当をつけていた。
 だが、男は今日も妙にそわそわしていた。
 リアラは格子窓の前の、自分の席に座った。
「はい。承りますが」
「こいつを、ひと差しにしてもらいてぇんで」
セルジオ商会の金差しは持ち運びに便利なので旅人もよく両替に来るが、この男の言葉にはオラクルベリーの下町風の訛りがあった。
 格子の下の狭い隙間に、男はばらばらとゴールド金貨を置いた。
「少々お待ちください」
リアラは慣れた手ですばやく金貨を数えた。ちょうど25枚だった。男から金貨を引き取り、赤いひもで編んだ25ゴールド差しを隙間から差し出した。
「お待たせいたしました、どうぞ」
リアラが勘定する間も、男はいらいらしたそぶりを隠していなかった。出てきた25ゴールド差しをつかむと、どうも、とつぶやいてすぐに両替窓口を離れ、小走りに立ち去った。
「ありがとうございました」
 リアラは後ろ姿にそう呼びかけた。今月の初めから数日置きに、あの男は決まって両替を頼みに来るのだった。受け取った25枚の金貨を金貨入れにほうりこもうとして、リアラはためらった。根拠はなかったが、あとで父か番頭に見てもらおうと思ったのである。
「リアラちゃん、今さっき、お招きって言わなかったかしら?」
ミランダは舌なめずりしながら言った。リアラ背筋が寒くなった。

 その両替にきた男のことをリアラが話す気になったのは、なんとかしていまいましいネビルの口を封じたくなったからだった。
 その日の夜は、セルジオ邸の園遊会だった。今は広い客間を開け放ち、柱廊からたっぷりと初夏の夜風をとりいれていた。セルジオが理事長を務めるオラクルベリー商人組合の理事たちとその家族、そして今夜はオラクルベリーの領主ヘンリーと、その新妻が主な客である。客たちは料理を楽しみながら、思い思いに話の輪を作っていた。
 セルジオは年に一、二回はこういう集まりを催すので、リアラは、死んだ母に代わって女主人の役を果たすのに慣れていた。
 しかし。今夜は勝手がちがった。
「~でございましょ。お嫁さんたちが苦労しますわぁ」
ミランダである。自分がパーティの主役とばかりに振舞っていた。小さなグループを渡り歩いて、相手の興味のあるなしにかかわらずしゃべりまくる。今も自分の知り合いだという一家の話を、迷惑そうな婦人(確か商人モナーラの妻)に向かってまくしたてていた。
「長男、次男、三男と、息子が三人に嫁も三人いましてね。それぞれ腕のいい職人なんですけども稼ぎという稼ぎはぜんぶそのおばあちゃんが取り上げて、小遣い銭ていどしかやらないんですのよ」
「まあ……、お気の毒に」
「末の息子さんのお嫁さんなんて、『嫁いできてからあたしは紐のついたお金を見ていません』って言って泣くんですのよ~」
そばにいたリンダがちっと舌打ちをした。
「まいったなぁ、モナーラの奥様つかまえてなにやってんだか」
「そう思うんなら、リンダがとめてきてよ」
「リア姉さんたら、落ち着いてちゃダメよ。言うに事欠いておばさんたら、とんでもないことをほざいてるわよ」
「まさか………」
「そのまさかよ!おばさんに言わせると、姉さんは今晩ネビルをお婿にしてセルジオの家を任すって発表することになってるわよ」
「冗談じゃないわよ!」
 自分の妄想を事実のように喋り散らすミランダに突進しかけたところを、誰かに腕をつかまれてリアラはつんのめった。ネビルだった。
「リアラ、大事な話があるんだ」
「あとにしてちょうだい」
顔も見ずにリアラは行こうとしたが、ネビルは強引にリアラを柱廊の陰へ引っ張り込んだ。
「何するのよ!」
ネビルは、小鼻をすぴすぴとふくらませていた。自己陶酔しているときのクセである。リアラの抗議は耳に入っていないようだった。
「リアラ嬢、落ち着いて聞いてほしいのだが」
リアラはあきらめた。
「聞いてあげるから手短にね」
「実は、とある伯爵のお姫様、ええ、年のころは十六で、かわいらしくすなおな気立ての令嬢なのだが、ほかにご兄弟もなく、ご両親様の大事な一人娘としてお育ちになり、芸事もまことにおみごとで」
「だから何なのよ!」
ネビルは、ふ、と吐息をもらした。
「やきもちを焼かないで」
「誰が!」
「どうやら、背の君に、このわたしをおのぞみのご様子がちらちらと拝見できる」
リアラはばかばかしさで怒り狂いそうになった。
「またぁ?今度はなに?落としたハンカチを返したあげたら、恥ずかしそうに微笑んだの?」
ネビルはこの類のバカ話で、しょっちゅうリアラを悩ませていたのである。
「いや、代官に任命されたことを報告にうかがったおり、意味ありげに“いつからご着任ですか”とお聞きになって」
「早く追っ払いたかったんでしょ?」
ネビルの耳に、おそらくリアラのつぶやきはもう聞こえていない。
「伯爵と奥方も、以来なにがなしに暖かく接してくださるし」
「クビになったって知らないのよ」
「きっと婿にと言うお話も近いだろう。しかし!」
電光石火の早業でネビルはリアラの手を取って握り締めた。
「安心してくれ。わたしはリアラ嬢以外の婦人を未来に描いたことはないのだ!もし、今、あなたがここで、将来をともにすると誓ってくれるなら、未来の伯爵をあきらめる。セルジオ商会の主でいいのだ……」
リアラはもがいたが、ネビルのバカはしっかり手を押さえて離さなかった。
「どうしてそんなに簡単に九代目セルジオをやれると思うの!」
ネビルはきょとんとした。
「だってわたしは、セルジオ家の血を継いでるし、自分でいうのもなんだが、頭もいいし」
リアラは怒るより先に唖然とした。
 ネビルがヘンリーの言ったことを一字一句たがえずに繰り返すことができるのは、ラインハット王家から伝わった特殊能力のおかげだった。やたらにものおぼえがいいのである。
 一度会った女の顔と名前は十年経っても忘れないと豪語した先代国王エリオス、帳簿を一冊丸ごと暗記しているセルジオ、幼いころにわかれた兄をすぐに識別した現国王のデール、そしてどうやらヘンリーも、同じ能力を受け継いでいるらしい。ちなみにネビルのばあい、この能力を使うのは主に人のあげ足を取るときだった。
 だが、セルジオ商会のような大きな店の主は、ちょっとくらい記憶力がいいくらいでつとまるものではなかった。
「悪いけど!」
リアラは勢いをつけて自分の手をひきぬき、返す裏手でネビルの顔に平手打ちをかました。
「あたし、バカはきらいよっ」