王宮のトランペット エピローグ

★全体が一種の冗談です。DQ5と同じ世界で何百年か未来からDQ5の時代をふりかえっている、という設定だと思ってくださいませ。ストーリーはなく、一種の登場人物紹介、と「あの人は今」です。

 かつてのラインハット王宮、現在の国立美術館には、中庭を見下ろす位置に長大な肖像画の回廊が設けられている。歴代国王や王妃、王子女、王族、重臣などの肖像画がかけ並べられている場所だった。

 ラインハット王国の開祖にして英雄、コリンズ一世の肖像画のあるあたりはいつも人気があるが、美術品として見ごたえがあるのはもう少しくだってエリオス六世からコリンズ二世へと続く、激動の時代のものである。このあたりは見学者が絶えない。

 右手の最初にあるのが、エリオス六世の肖像である。ラインハットの爛熟期の王で、王家独特の、なかなかハンサムな顔立ちをしたしゃれ者。派手な装飾を施した玉座の間に立ち、豪華な衣装を見せびらかして薄く笑っているが、奇妙に怠惰で生きることに飽いたような印象がある。見ようによっては、生きる悲しみさえ感じさせる。

 回廊の反対側には、ラインハットの画家が外国に出かけて模写してきた他国の、はっきり言えばグランバニアの王族の肖像画が掲げられている。エリオス王と時代が同じなのは、グランバニアの“放浪の王”パパスである。

 真紅の上着と漆黒の頭髪が見事な対照をなしている。まっすぐなまなざしは、見る者の心に切り込んできそうだ。もう口元にひげを蓄えているが、肖像が描かれたのは結婚の直後といわれている。一番幸せだった時代であり、絵の中の王はどことなく微笑んで見えるのだが、このあとの彼の苦難の一生と信念を貫いた生き方を思うと、無量の思いを禁じえない。

 ラインハット側にはエリオス王の隣にヘレナ、アデル両后の肖像が続けて飾られている。ヘレナ王妃は、透き通るような色白で、淡色の衣装を身に着けて庭園の花の中にすわっている。短命な彼女にふさわしい、どこか天使めいた肖像である。

 だが、となりのアデル王妃ははるかに強い印象である。薄暗い室内の豪奢な椅子に彼女はすわっている。衣装のはしや片手の先などは薄闇に飲まれて見えないが、ドレスは黒を基調にしたもので、胸元にはエメラルドと金の“アデルの首飾り”が見てとれる。未亡人となってからの肖像であると言われている。美しいのだが、どこか人形めいた人工的な顔立ちの中から、底光りのする眼が異様に輝いている。

 あまりに人間離れした雰囲気があるため、これはアデル王妃本人ではなく、アデルに化けたモンスターの肖像だ、という伝説が長く伝わっているのだが、真偽は定かではない。

 グランバニア側は伝説的なマーサ王妃の肖像が飾られてしかるべきだが、彼女は伝説にふさわしく、ロケットに入れる細密画以外に肖像画が残っていないため、そこから先は次の世代となる。なお、この細密画は今でもグランバニア領名産品博物館に展示されている。

 次世代の最初の絵は、デール一世。エリオス王とアデル王妃の子である。治世の前半は母太后が摂政をつとめ、ラインハットはこの時代、どん底を迎えていた。国力は増していたのだが、国民はむしろ疲弊し、極限状態にあった。デール自身の決断により、摂政は廃止され宰相が交代した結果、国の状態はよくなっていった。が、たまたま世界的な危機が訪れたために、彼の時代ラインハットは雌伏のときをすごすことになった。王の最晩年は危機も回避され、このときの政治が次のコリンズ二世治下のラインハット黄金時代の基礎となっていく。

 肖像は、即位当時の少年時代のものと青年時代のものと存在するが、展示は二十代のころに描かれた作品。毛皮のマントに金と緑……ラインハットカラーの重々しい王の装束を身につけ王錫を手にしている。近景には豪華な机があり、何冊もの本が重ねられ、一番上に凝ったインク壷とペンが置いてある。

 デール王は“学者王”として知られる博識の人で、現在の国立ラインハット大学の創設者でもある。彼の死後、蔵書は大学へ寄贈され、キングデールズ・ライブラリとして今も残っている。

 グランバニアで同期の王こそ、“聖獣王”ルキウス七世である。反対側の壁には彼の大きな肖像が掲げられている。父、パパス王、母、マーサ王妃。波乱万丈の一生と、モンスターに及ぼす神秘の力のために、歴代グランバニア王の中でもっとも有名かつ人気が高い。肖像は、有名な不思議な瞳を丁寧に描写している。金と紫の美しいマントで全身を覆い、グランバニア城の屋上庭園に立つ姿が描かれている。その手には竜の姿を模した杖(グランバニアの国宝、ドラゴンの杖)を握り、長い黒髪の先を風になびかせ、静かな微笑を浮かべて画面からこちらを見つめている。また彼は、歴代でもっとも秀麗な、美貌の王として知られている。

 彼の隣には、王妃ビアンカの肖像がある。彼女もまた、歴代王妃の中で1、2を争う美女に違いない。軽くふりむいて正面を見るという肖像画には破格のポーズだが、光のドレスは王妃の艶やかさ、美しさを十二分に引き立てている。戦の女神のような峻厳な表情もある、と古書には記録されているが、肖像の中の彼女はむしろ元気のいい少女のようで、三つ編みにした金髪を背中に躍らせ、明るい笑顔は輝くような生気に満ちている。このとき、記録上30歳前後のはずだが、10歳以上若く見える。

 グランバニアの“黄金王妃”には、いろいろな伝説が残っているが、美しく、愛らしい人であり、王の恋人にして戦友であったことはまちがいない。ただ、なにがどうまぎれこんだのか、グランバニアの古文書の中には一種類だけルキウス王の妃を“白薔薇王妃”としているものがあり、研究家を悩ませている。

 翻ってラインハット側はコリンズ二世の肖像となる。父、オラクルベリー大公ヘンリー、母、マリア大公妃。ラインハット黄金時代の王である。ラインハット王家共通の顔立ちで祖父エリオス六世、叔父デール一世によく似ているが、悪童めいた表情は彼独特のもの。この絵はコリンズ王の妃を決めるときに、花婿紹介用として外国へ持ち込むために描かれたらしい。そのためか、王の装束を着ておとなしく室内に立っているが、両手を腰に当てて仁王立ちしてしまうあたり、この王のひととなりをある意味でよくあらわしている。彼のそばかすが全部消えたのは二十歳以後だったという。

 グランバニア側でその姿を見守っているのは、“英雄王”アイトヘルである。父、ルキウス七世、母、ビアンカ王妃。グランバニアの王としてよりも、天空の勇者としてのほうが有名。そのため、天空の鎧、兜、盾を装備し、柄に両手を重ねて天空の剣のきっさきを床にたてる姿で描かれている。肖像は王太子時代、十代の終わりごろのものである。少年勇者のイメージが強いが、この肖像の中の彼は、祖父、父譲りの容貌を持つハンサムですらりとした若者である。ルキウス七世の治世が非常に長かったため、アイトヘル王が即位したのはむしろ遅かったのだが、王太子時代は父王に協力してよくグランバニアを治めた。

 アイトヘル王の双子の妹、カイリファ姫は、二つの肖像がこのギャラリーに展示されている。ひとつはグランバニアの王女、カイリファ。母ビアンカ王妃に似た金の髪を細い金冠でとめたほっそりとした乙女の姿で、当時十七歳の花のようなプリンセスである。

 もうひとつの絵は、ラインハットのコリンズ二世の王妃、カイリファ。白い立ち襟の豪華な花嫁衣裳を身につけた堂々たる若き王妃であり、その胸元には“アデルの首飾り”を見て取ることができる。どちらも、何か楽しいことをひそかに知っているような微笑の、あまり堅苦しくない、魅力的な表情を浮かべている。

 ラインハットの黄金時代、コリンズ二世の治世は、国内が安定して繁栄を享受した時代だった。が、それまでラインハットの歴史上よくあったように、盛時において軽佻浮薄な国民性が退廃に流れそうになるのを、この愛らしい王妃はよく手綱をひきしめた。事実、彼女が故国から持ち込んださまざまな良習は今も残っている。黄金時代を長く続かしめたのは、ひとえにこの女性の努力であったかもしれない。

 カイリファ王妃と、ディントン大公女イリスの友情は、よく知られている。外国から嫁いできたカイリファ王妃が、自分の宮廷を運営する上でもっとも頼みにしたのが彼女、レディ・イリスだった。イリスの肖像は、やや版の小さいものが同じギャラリーに展示されている。地味な濃紺の、襟のつまった衣装を身につけ、本(一説に帳簿)を腕に抱いて真横を向いた姿を描いたもの。窓から入る明かりが彼女の眼を生き生きと輝かせている。

 ラインハットの黄金時代とその芸術について語るべきことは多い。特にラインハットの誇る工芸技術は、天才ラディーニとランドルを得て、すばらしい発達を示した。が、ひとまず後にまわす。肖像画の回廊は、このあと数点を残して曲がり角となっている。

 残されたもののうちのひとつが、ラインハット貴族成人男子の標準的な衣装を身につけた貴公子を描いたものである。アングルはやや上方から。貴公子は口元に、にっと笑いを浮かべ、こちらを見上げている。銀の宰相杖の握りをつかんだまま肩に乗せ、今にもぱむぱむとたたき出しそうな姿で描かれている。背景はラインハット城最上階の見張り台らしく、背後にラインハットの市街と湖が見えている。

 オラクルベリー大公、ヘンリー。父、エリオス六世、母、ヘレナ王妃。大公の位を持ってオラクルベリーを領有した貴族は彼の前に二人、彼の後に三人いるが、特別な注釈をつけない限りオラクルベリー大公といえば彼を指す。デール一世、コリンズ二世の二人の王に宰相として仕えた。

 浮き沈みの激しい前半生と、国家の危機的状況を良く乗り切った後半生、そしてグランバニアの聖獣王との間に築いた信頼関係が有名。ルキウス七世とは対照的な性格であり、大公自身、“自分は冷酷で計算高くて陰謀好きで人でなしだ”のような発言を繰り返していたが、痛快な言動のために現在に至るまで歴史上の人物として人気が高い。あれは悪ぶっているだけで本当は優しいのだ、という意見もあるが、主張しているのは主に大公の恋女房マリア大公妃であり、大公に仕えた文官その他は、悪ぶっているだけじゃなくて本当にオニだ、と言ったと伝えられている。

 ヘンリー大公の横に、マリア大公妃の肖像が掲げられている。画家は、彼女がやわらかな衣装を身につけ、どこかへ向かって歩き出そうとしている瞬間をとらえている。いつまでも少女めいた雰囲気の人だったと伝えられているが、後述するようにかなり精力的に活動した女性だった。マリア大公妃の出自についてはあまり詳しくわかっていない。彼女が記録に現れるのは、見習い修道女として修道院にいたときが最初である。

 ほとんど駆け落ち同然に大公と結婚した後は、留守がちな夫に代わってオラクルベリーの女主人としてよく領主の役をつとめた。彼女の死後ずっとあとにオラクルベリーはラインハットから独立したが、今でもマリア大公妃はオラクルベリー共和国のシンボルであり、その名を冠した施設、たとえば大公妃記念病院やマリア女子大などが大切に残されている。

 ここで少々、肖像画の回廊から離れ、関係資料を列挙したいと思う。この時代の一級資料で最初に名前が挙がるものが「タンズベール伯宮廷日誌」である。ラインハット政変の直前からデール一世の崩御まで、当時の貴族の一人タンズベール伯爵が、主に宮廷であった出来事をもれなく記述している。

 それよりもやや後の時代をカバーしているのが「ディントン大公女留め書き」。主にコリンズ二世の時代を、王妃の友人の立場から記録したもの。

 両方とも事実の記録が主な目的であり、記述者の感想はそれほどうかがい知ることはできない。

 個人的感想といえば、「オラクルベリー大公にして王国宰相第一秘書回顧録」があげられる。作者の名はネビル。肩書きはタイトルにあるとおりだが、実際は大公の従僕、のちに私設秘書だった。妻はオラクルベリー経済界の事実上の支配者、セルジオ商会の女主人リアラ。

 この回顧録の記述を信じた歴史学の学生や研究者が、今までなんど痛い目を見てきたことか。この回顧録の通りだとすれば、ネビルこそラインハットの危機を何度なく救い、グランバニア王夫妻にさえ感謝され、勇者の知己となり、諸人の尊敬を集める宮廷のスーパースター、貴婦人たちのあこがれ、王都のファッションリーダー、妻と娘の愛と尊敬の的なのだから。研究の結果、彼の回顧録のうち九割が妄想であることがわかっている。ネビルの回顧録は通称「1.5級資料」。

 なぜ「二級資料」ではないか、というと、九割の妄想を除いた一割がまぎれもない真実だから。当時のラインハットで起こった出来事を野次馬根性まるだしで見に走り、ワイドショーのレポーター並みの熱意で証言をとり、しつこく裏を確認して、その結果を丹念に記載している。たいへんな記憶力の持ち主でもあったらしい。ついでに筋金入りの愛妻家であり、ネビルの回顧録は愛妻、9代目セルジオことリアラに捧げられている。

 また、ネビルの記録は、雇い主であるヘンリー大公についてのあけすけな描写も人気がある。たとえばタンズベール伯爵の記録では、大公はある報告に接して「クレメンス君……残念だがしかたがないな」と言ったとされているが、ネビル回顧録ではそのセリフがストレートに「ランスのヤツ、ざまぁみやがれ」になっている。

 同じ時代の資料としては、ネビルと同じく大公の従僕だった男が記したものがある。「かもめ亭日記」がそれである。こちらは、今もラインハットに残る重要文化財「カフェかもめ亭」の主人ジュストの、主に仕入れと売り上げを記録した20年にわたる記録である。が、コーヒー豆の相場と並んで、カフェに来た客のことを細かく記してあり、デール王、コリンズ王などがかなりひんぱんにお忍びでやってきたらしいことがうかがえる。

 「かもめ亭日記」には、一箇所、ラインハットの将軍オレストに関する記述がある。カフェかもめ亭の主人ジュストは、オレストの妹オルガの息子にあたる。オレスト将軍が結婚したのはかなり晩年だった。オレスト夫人は、アデル太后の侍女を務めたセイラであり、新郎新婦はわざわざかもめ亭でうちわの披露宴を行ったことがうかがえる。

 オレストとセイラ夫妻には子供がなく、オレスト自身は甥のジュストを軍における跡継ぎに望んでいたらしいが、けっきょくそれはかなうことがなかった。しかしラインハット正規軍かくあるべし、というオレストの思想や、そこから考え出した手法を副官のバンゴが聞き書きにした覚書は、長いことラインハット陸軍における聖典の位置を占めていた。軍全体がオレストの“跡継ぎ”だったといえるかもしれない。

 この時代の資料はまだあるが、煩雑を避けてここには列挙しない。肖像画の回廊はここから曲がり角となり、次の時代へと進んでいく。

 が、回廊の最後のスペースに、他の肖像画とは趣をことにする一枚の絵が展示されていることだけは紹介しておこう。

 別に大作でもなく、作者さえわかっていない。描かれているのは二人の若者である。二人とも、少年からやっと大人になりかけたような歳である。庶民の着る一般的な服とマントをまとっているのだが、雨風にさらされ、ほこりにまみれている。旅人らしく日よけのマントを肩へずらせていて、その内側に鉄の胸当てが見えている。

 二人のうち緑の髪の若者はかなり使い込んだ鋼鉄の長剣を腰に帯びている。もう一人、黒髪をターバンで覆った若者は、節くれだって重そうな握りの杖をつかんでいる。背後には馬一頭にひかせた幌がけの馬車。

 着古した服、みすぼらしい馬車、護衛の一人も置かないのに、この二人の放つ雰囲気はなんだろう。落ち着きか、貫禄か、あるいは人をひきつける魅力というものか。

 絵の題は「二人の旅人」。

 なぜこの小品が王家のギャラリーに掲げられているのか、理由を知るものはすでにいない。だが、豪華な作品を次々と見続けてきた目には「二人の旅人」は、不思議とさわやかに映るのだ。

 二人の旅人は、この場所からラインハットとグランバニアの歴史をじっと見つめ続けている。