王宮のトランペット 第十話

 にやりとヘンリーが笑った。玉座の傍らに堂々と立っている。大半の客は何も気付かない。ランスただ一人、真っ赤になり、そして青ざめた。
「きさまっ、時間稼ぎか!」
楽士長ジェロームは、悠々とメロディを進行させていた。式典の始まる前、ヘンリーと相談して、コリンズが現れるまで入場の曲「王宮のトランペット」をエンドレスにすることにしたのだった。
「勇者殿もごいっしょだし、もともとコリンズのことだ。それほど長くはかからないと思うが」
はっは、とそのときジェロームは笑った。
「王宮のトランペット吹きを信用なされ。いくらでも伸ばしてみせましょう」
ビアンカは夫を顔を見合わせ、痛快そうに笑った。玉座にどっともたれかかって、デールがくすくすと笑った。
「やりましたね、兄さん」

 コリンズはぎゅっと帽子をにぎりしめた。
「父上の作ってくれた、貴重な時間だ。さあ、城へ戻るぞ!」
「よかったね、コリンズ君」
「ありがとう!おまえ、いいやつだなっ」
「今頃、言うの……」
 さっとカイが宿の外へ飛び出した。
「急いで!その帽子、ほんとは……ううん、あたしがルーラするわっ」
アイルとコリンズが続いた。
「イリスちゃんも」
ついさきほどまで注目の的だった少女はきちんと靴を脱いで手に持っていた。
「あたしはいいわ。コリンズ君、がんばって」
コリンズは、早口に説明しようとして言葉に詰まった。
「おれ、あの、おれ」
「靴のこと?やだな、あたし、コリンズ君のお嫁さんになれるなんて、誤解してないからね?お城の儀式なんて、かたっくるしいの嫌いだから。さ、行って」
二回目のBパートが始まっている。
「ごめん、あとでね!キリ、イリスを頼む」
「気にしないでよ。だって目を見ればわかるよ。コリンズ君は……」
 カイのまわりには、薄い水色の魔方陣が浮かび上がり、魔法力がスパークしてばちばちと音をたてていた。アイルとコリンズが魔法陣の中へ走りこむ。足元から竜巻のようなものが湧き上がり、三人の姿は消えた。
「カイちゃんのことが好きなんでしょ?」
苦笑しながら、イリスはつぶやいた。その言葉は、はたして三人に届いたかどうか。

 着地したところは、城周辺の濠を渡った先、城のまさに入り口だった。数段の階段の上に、大きなアーチ型の扉がある。三人を見つけた兵士たちが、あわてて左右から扉を開いた。
「さあ、行って」
双子に背中をたたかれて、コリンズは式典会場のホールへ走りこんだ。内部は外よりは薄暗いのだが、天窓から大量の光を採り入れて、中央が明るくなっている。
 客席の後ろでコリンズは立ち止まった。手には風の帽子を握っている。はあ、はあと肩で息をして、一度呼吸を整えると、正面奥の玉座にいる叔父と、その隣の父と目が合った。
 ヘンリーは目を見開いた。その唇から、ふうと長く息を吐いた。ものすごく緊張させ、心配させていたのだ、とコリンズは悟った。
 一歩、歩き出した。客席の向こう、階段のところでショーンが式服を手にあわてている。コリンズは片手拝みにした。服は、ごめんね?このままで行くよ。
 ショーンは、わかってくれたらしい。苦笑したが、急に落ち着き、しゃんと姿勢を正すと、がんばって!と手を振ってくれた。
 風の帽子を片手に、コリンズはまた歩きだした。楽士の席で、楽士長がコリンズに気付いたようだった。Bパートのあとの後奏部分が堂々と奏でられていく。
 一歩前へ進む勇気を。
 何があっても、常に変わらぬ歩みを続ける力を。
 諦めない決意を。
 メロディはそうコリンズにささやきかけ、静かに終わった。
 コリンズは宣誓台の中央に立った。やはり安心したようすで、儀典長が告げた。
「コリンズ殿下には、王太子の宣誓をなされますように」
玉座から、デール王が立ち上がった。コリンズは両手で風の帽子をささげた。
「私、ラインハットのヘンリーの子、コリンズは」
この言葉をここでいうために、どれだけの人にどれだけの苦労をかけたことか。コリンズはできるだけ胸を張り、喉を広げ、声を高めにした。
「ラインハット王デール一世に忠実であり、また、彼を支え彼を援け、次代の王にふさわしい器量を身につけるべく努力することを、ここに誓います」
 その瞬間、コリンズの手の中で、風の帽子の鉢金にとりつけられた魔石がきらりと輝き、帽子全体が光を発して、ふわりと手の中から浮き上がった。客席からどよめきの声があがった。
 風の帽子は、ゆっくりとコリンズの手の中へもどっていく。だが、全体が薄青い光に覆われたままだった。
 そうなることを予想していたように、デールが静かに口を開いた。
「私、ラインハット王デール一世は、ヘンリーの子、コリンズを受け入れ、我が後継者、次代の王である王太子に彼を任命します」
そしてデールは微笑みかけた。
「王の責務は重いのです。よく学び、よく励みなさい、コリンズ」
「はい!」
 あとからホールへ入ってきたアイルとカイが拍手をリードした。会場全体が暖かい拍手に包まれた。コリンズは客席の方へ向き直り、青い帽子を高く振ってみせた。いっそうの拍手と歓声があがった。ランスたちの周辺からはぶつぶつと声があがったが、それはすぐにかきけされてしまった。

 長い緊張からやっと解放されて、マリアは絞り上げていた両手の指をやっとひきはがした。ヘンリーが横から微笑みかけた。手を差し出している。マリアはその手を取って立ち上がった。
 コリンズが宣誓台を降りてこようとしている。コリンズは、やはり緊張していたのだろう。今は足元が軽くふらつくほどだった。今頃青ざめ、冷や汗を浮かべている。
 けれど、大きくなったのだわ、とマリアは思った。生まれたてのときは、子猫のような声で鳴いていたのに。そのときのヘンリーの感想はとんでもないものだった。
“こんなに何もかも小さいのに、よく生きてんな、こいつ”
 マリアはふっと笑い、そっと夫の腕に触れた。きっとヘンリーも、あの子の小さかった頃のことを思い出しているにちがいない、とマリアは思った。
“おまえのおかげで、みつかっちまったよ、コリンズ”
“コリンズのヤツ、たらいの中で、おたまじゃくしを飼ってるんだぞ”
“どうしてこう憎たらしいかな、このガキは”
 ようやくコリンズが、出迎えに来た両親に気付いた。
「父上、母上」
張りつめていた気持ちが、いきなりゆるんだらしい。膝が笑っている。マリアは、大事をやりとげた息子を安心させようと微笑んで見せた。が、いくつもの思い出といっしょに、涙があふれだした。
「王太子殿下」
本当に普通の冷静な、それだけに感情を隠しているとわかる声で、ヘンリーが言った。
「がんばれよ」
コリンズは口がきけなかった。風の帽子が手から転がり落ちる。がばっと両手を広げて両親に抱きつき、コリンズは顔を埋めた。ヘンリーの手がコリンズの頭に触れ、髪をそっと撫でた。

 ラインハット城は、少々惰弱に流れるきらいあり、とグランバニアの誇り高き騎士ピエールは考えていた。たとえば敵兵の来襲を受けた場合、この城はどのていど持ちこたえることができるだろうか。わがグランバニアの鉄壁の守りを見よ、とピエールは思い、専門家の目で城の大広間を点検した。
「ただし、お祭り騒ぎをやる分には、これで不足はないである」
そうつぶやいたとき、宴に集うラインハット貴族たちの中から、数名がこちらを振り向き、ひっと悲鳴を上げた。そのまま、周囲の客たちは、なにやら硬直している。
「あ、あのう」
グランバニアの世継ぎの王子、アイトヘルが、人々に向かって話しかけた。
「このひとは、スライムナイトのピエールです。で、お父さんの友だちでぼくの仲間です」
カイリファ姫までがその傍らに立ち、今にも逃げ出しそうな客たちに、熱心に訴えた。
「いきなり攻撃したりしません。ピエールは、紳士なんです」
 ピエールは胸を張った。
 さきほどの立太子式は無事に終わり、会場を移して酒食を供じる宴のときだった。場所は、国王の謁見に使われる大広間を再びみやびやかに飾り付けて使用している。もう、長テーブルが運び込まれ、給仕たちがいい匂いのする大皿やボウルをいくつももちこんでいた。
 貴族たちのなかから、美々しく装った一人の男が進み出た。
「グランバニア国王の随員であれば、もちろんラインハットは歓迎しよう」
見覚えのある若造、ヘンリー・オブ・オラクルベリーだった。
 かぶとの下からピエールはとくと観察した。いっしょに旅をしていたときと比べると、ずんと貫禄がついたように見える。さきほどの式典をすべて宰領したとも、ピエールは聞いていた。ルークをはじめ、王子たちまでが口々に誉めそやしていたのである。
 軽い嫉妬心が、ピエールを動かした。
「さすがは、我が剣友、ルークである」
またがっているスライムをバウンドさせて、ピエールは前に出た。
「当代のグランバニア王が天才的なモンスターマスターだということが、このような田舎まで知れわたっているのである」
ぴくん、とヘンリーの眉が動いた。
「ネビル」
そばにいた従僕を呼びつけた。
「騎士ピエール殿にふさわしいおもてなしをご用意してくれ」
ネビルと呼ばれた従僕は、やたらおしゃれなかっこうをして、へっぴり腰でこちらを見ている。
「ふさわしい、とおっしゃいますと」
不安そうな顔でこちらを見ている。ピエールは声を張り上げた。
「いやいや、おかまいくださるな。下戸の宰相がいる城では、もともと期待できないのである」
「ネビル」
不気味に穏やかな声でヘンリーが言った。
「今すぐ厨房へ行って、料理用の酒精の使い残したやつを全部持って来い。ピエール殿の御所望だ」
「ふ!味のわからぬ下戸のいいそうなことである」
「ネビルっ」
「はいっ」
従僕が飛び上がった。
「酒はやめ!一番大きなたらいに一杯、ただの水を汲んで来いっ」
かぶとの陰でひそかにピエールは笑った。宰相姿が板についているとは言っても、ちょっとゆさぶりをかけるとすぐに熱くなるあたり、ヘンリーは若い頃とあまりかわっていないようだった。
「今度は水か。宰相殿は、わめきたてて喉が渇いておられるのである。せいぜい飲まれるがよい」
「誰が飲むと言った。てめえを頭っから漬けてやるんだよっ」
「来るなら来いである!」
「うるせえ、腕の長さで勝負が決まるんだ!」
 ヘンリーの後ろにルークが顔をのぞかせた。
「久々だからって、のりすぎだよ、二人とも」
ヘンリーもピエールも聞かなかった。
「国外追放にしてやるからな!国境に手配書まわしてやるっ」
「ルーク!大神殿の次はラインハットと定まったである!」
苦笑するルークのそばに、ビアンカ王妃やマリア大公妃、双子とコリンズ王子がいた。
「あんなに父上を怒らせるやつ、初めて見たなあ」
目を丸くしている。アイルとカイは笑った。
「もともとピエールは、きざっていうか、う~ん」
「“人を怒らせるの上手”?」
「そう、それなんだけど、あんなにリアクションのいい人も少ないよねえ」
「でも、どうしよう。なんか、本気っぽい」
「大丈夫よ、カイ」
カイは、ビアンカを見上げた。
「ほんとう?ケンカじゃないの?」
「一種のご挨拶よ。ね、マリアさん」
マリア大公妃は、ほのぼのとした微笑を浮かべた。
「そうですとも。まあ、ヘンリーのうれしそうなこと」
ヘンリーもピエールも、まだぎゃあぎゃあとわめきあっている。
「男の子って、わからないわ」
カイはそうつぶやいた。
「あのさ」
横から誰かが、低い声でつぶやいた。
「え?」
コリンズだった。なぜか、もじもじしている。
「ちょっと、こっち来てくれ」

 イリスはどぎまぎしていた。さきほどコリンズの従僕、キリにつきそわれてこのお城へやってきた。来るのは二度目だが、通されたのは別のところだった。あれよあれよというまに周りが騒ぎ、つぎの当たったスカートとうわっぱりを脱がされて、気がついてみれば、イリスは再びお姫様になっていた。
「今度は、ニセモノじゃないんだわ」
鏡に向かってイリスはつぶやいた。
「そうですとも」
ショーンと言うらしい侍女が髪を整えながらそういった。
「ディントン大公の血を引くお嬢様でしょう」
ディントンの一件は、ばればれだったらしい。
「さあ、国賓級のデビューですよ。介添えはマリア奥様がしてくださいますからね。大丈夫、優しい方ですよ」
一度優しい奥様というものにだまされている身としてはちょっと信じにくかったのだが、大公妃マリアは“レディ・アーシュラ”とはまったくちがった。
「イリスさんね?やっと会えたわ」
 こうして精霊の祭の最後のパーティの夜、イリスは城の外から憧れているのではなく、ただの客として城を訪れたのでもなく、主人側、王家の一員として、お城の大広間に立つことになったのだった。以前来たときは広間の隅からうっとりと眺めていたラインハットとグランバニアの王家の人々が、イリスを優しく包み込み、守ってくれているのを感じていた。
 視界の隅にコリンズ王子と、カイリファ王女が連れ立ってどこかへ行くのが見えた。
「そうだ、お礼!言ってなかった」
イリスはそっとマリアから離れて、二人のあとを追いかけた。
 そこは大広間から少しはなれた回廊だった。時刻はもう夕方だった。薄闇があたりをおおい、気持ちのいい風が吹いている。
「あのさ。今日なんだけどさ」
コリンズが言いかけた。
「なあに?」
「あ~、その~」
コリンズは手に持っていた物を差し出した。両側に白い羽を飾った青い小さな帽子だった。薄い光に包まれたように、淡く輝いていた。
「風の帽子じゃない!」
カイは驚いてコリンズの顔を眺めた。
「……これ、やるよ」
カイは首を振った。
「だめよ」
コリンズはあせったようだった。
「なんでだ?」
「プレゼントでごまかさないでちゃんとありがとうって言わないと」
「そっ、それは、その……」
コリンズは赤くなった。
「……ありがとう」
 のぞき見していたイリスは、安心してくすっと笑った。コリンズがカイ王女を好きだということは誰の目にも明らかなのだが、カイ本人だけはわかっていない。あれだけかっこいいお兄ちゃんとすてきなお父さんがいれば、あたしだってよその男の子なんかに目もくれないだろう、とイリスは思う。
 それをまた意地っ張りのコリンズが、きちんと気持ちを伝えられないので、イリスはもどかしくてたまらないのだった。
「これさ、キメラの翼みたいなことができるんだって、教えてもらったんだ」
「知ってるわ」
「やっぱ、カイはすごいな。昼間、移動に使えばよかったんだ」
「でも、その帽子、コリンズ君が宣誓したから使えるようになったんだと思うわよ」
「あのさ、カイとアイルとさ、今度、魔界へ行くんだろ?」
 聞いていたイリスは息を呑んだ。なに不自由なく育てられている王女様が、どうして魔界へ行かなくてはならないのだろう。静かにカイは答えた。
「ええ。おばあさまがいるはずなの。お父さんとお母さんとわたしたちできっと助け出すわ」
グランバニア・ロイヤル・ファミリーが、勇者を擁する一家だということをイリスは思い出した。あの日、千枚の金の鱗を輝かせる天の竜の傍らに降り立った一家の姿を、イリスも見ていたのだった。
 コリンズは改めてカイに帽子を手渡した。
「おれには想像もつかないけど、旅がたいへんだったら、ときどきこっちへ戻ってこいよ。これを使ってさ」
「あたしもお父さんもルーラはできるんだけど」
「え、MPもったいないだろ?」
カイはふふっと笑って風の帽子を抱きしめた。
「うん。ありがとう、コリンズ君」
「た、大切にしろよっ……それと、帰って来いよ、絶対」
「大丈夫。みんなで行くんだもの。帰ってくる。それと、これ、大事にするね。ありがとう」
好きな女の子から感謝してもらう、それはコリンズにとって照れまくらずにはいられないことだったらしい。てへ、えへへ、いひひ、と、顔が笑うのを抑えられないようすだった。
 イリスはそっと、その場を離れた。どう考えても、邪魔だった。
「ディントンの姫君」
広間へ戻ると、招待客の一人が声をかけてきた。イリスは女中のような小走りになりかけたのをおさえ、しゃんと背を伸ばして歩き出した。
 ディントンのイリスとして、これから、なかなか複雑な宮廷と言うもののなかで生きていかなくてはならない。大変なのはガチョウ番の小娘だったときと変わらないのだが、ひとつだけ大いに違うことがある。
 身分に伴う責任だった。
 勇者の責任、その妹の責任、王太子の責任。そして、イリスにも。
 エマーソンの家屋敷は、義母と義姉に渡してもいい。だが、ディントンの旧領は所有し、そこからあがる収益でイリスは自分を“レベルアップさせよう”と決心していた。
「イリス姫、この夏のご予定はお決まりなのですか?」
別荘へ誘いたがっている貴族の若者に、にこっとイリスは微笑んで見せた。
「はい。デール陛下の創立された大学へ進むために、勉強を始めますの」

 立太子式のあとのパーティはたけなわだった。大広間には、次々と料理や酒が運び込まれていた。ラインハットの精霊祭から立太子式までの長かった祭の期間が、今日で本当に終わるのだ。人々は思う存分騒ぎ、笑い、はしゃいでいた。
 ラインハットの市街では、祭の最後の大きな花火が打ち上げられることになっている。人々は期待をこめて、夜空の饗宴を待っていた。
 グランバニア王ルキウスは、指を伸ばして立ち襟を少し広げた。パーティの熱気で、蒸し暑いくらいだった。ルークは花火の見えるのと逆の方の回廊へ歩き出した。
 城の周囲を取り囲む外壁の上へ出ると、宴の大騒ぎがウソのような静けさだった。喧騒はかすかに聞こえてくるだけで、涼しい風が吹いている。挟間胸壁にもたれ長い髪をうなじから少し離してみた。気持ちがよかった。
 そのとき、先客がいることにルークは気付いた。
「ヘンリー?何してるんだ?」
ヘンリーは王国宰相の豪華な衣装のまま、胸壁にもたれてすわりこんでいた。片足を投げ出し、片膝を立て、腕を組んでその上に額を載せている。ヘンリーは顔も上げずに言った。
「ルークか」
「君がいなかったら、パーティの会場じゃ、困ってるんじゃないのかい?」
「もうだいじょうぶだろ」
たしかにパーティは盛り上がっていた。先ほどのぞいたようすではピエールの独壇場になっているらしい。誰がどこにいるかいないかなど、気にする人もいなさそうだった。
 ルークはヘンリーの隣に座り込んだ。
「疲れた?ここんとこ、たいへんだったね」
「ああ。くたくただ」
めったなことでは弱音をはかないヘンリーが、ほんとうに疲れているように見えた。
「ヘンリー」
ヘンリーは頭をもたげた。大きな帽子が滑り落ちた。後頭部を壁につけるようにしてヘンリーはかすかに笑って見せた。
「大丈夫だ。ほんとはちょっと、酔ったみたいだ」
この友だちが、実はすごく酒に弱いのだとルークは知っている。おそらく、少し酒精が入っただけで、眠くなってしまったのだろう。
「ここじゃなくて、ちゃんと部屋に帰って寝なよ」
「いや、あとでしめくくりのスピーチがあるし、送り出しも」
「じゃあ、ぼくによりかかって。ほら」
体を寄せると、素直によりかかってきた。ヘンリーはルークの肩に頭を乗せるかっこうになった。
 ふとルークは、こんなことが昔にもあった、という気がした。
「いつだったっけ?こんなふうに二人で座ってたことがあったよね」
耳のすぐ近くでヘンリーがつぶやくように答えた。
「岩山の上だ。暗くて、寒くて、体をくっつけていた時だろ」
「うん、そのときだ。山の上から、どこかに火が見えたような気がしたよね。人が住んでいるんじゃないかって。もしかしたら、ぼくたちを助けてくれるんじゃないかって。そう話しながら、ずっと見ていたんだ」
 あれが本当に灯火だったのか、目の錯覚だったのか、今でもわからない。だが、ヘンリーはそれを、火だ、と言い張ったのだった。
 どこか遠くで、ぱん、ぱあん、という音がした。最後の花火大会が始まったらしい。城の陰になって花火の形はわからないが、空の一角が明るく輝き、ヘンリーの顔の上で光が踊った。
「眠れる、ヘンリー?」
答えはなかった。彼はルークの肩の上で、コリンズそっくりのあどけない顔ですやすやと寝息をたてていた。
 よほど疲れているらしい。
 口に出さずにルークは話しかけた。
 君はがんばってきたんだね。見えると言い張った幻の火を、ずっと絶やさないで君は燃やし続けてきたんだろう?
 あのときから、もっと前から、長いこと、ほんとうに。
 ルークは彼の帽子を拾い上げ、そっと顔の上にかぶせた。
「おやすみ、ヘンリー」