王宮のトランペット 第九話

 ランスロット・オブ・クレメンスは、いらいらしていた。荘重な音楽に乗って国王デール一世とグランバニア国王夫妻が入場したまではよいが、デール王が式典に先立って感謝の辞を述べ始めたのだった。
「くそっ、長い!」
デール王は学問好きで知られ、博識だった。ラインハットの歴史を語り、故事を引き、かなり長く話し続けている。ときどきランスと目が会うと、薄く微笑むほどの余裕だった。
 国王は、だが、もともと病弱でもある。いつまでも演説していられるほどの体力はなかった。
 ランスは周囲を見回した。この席の周りには、反ヘンリー派とでもいうべき、ランスの仲間たち……現在の体制に不満を持つ貴族階級の若者たちを集めてある。彼らに視線を走らせると、みんないらだった表情を返してきた。王が着席したら即座に、仲間を扇動して騒ぎだす。ランスはそう心に決めていた。

 その宿のフロントの前に、宿の主人と女将、使用人たちがそろっていた。うわさのコリンズ王子がガラスの靴の乙女を探しに来たというので、全員興味津々だった。泊り客のうち、女性はすべて列を作ってガラスの靴の順番を待っている。
「うまく靴をはけたら、未来のお妃様になれるかもしれないわ」
「かかとにせっけんを塗っておいたの!何が何でもはいてみせる」
「あの従僕、はかせ方が生ぬるいのよ。一回でだめだったら、あたし、自分で靴を履くわ。コツを知ってるの」
今まで捜索に訪れたどの家にも負けず、にぎやかだった。
「ミアさん、どうですか?」
小声でカイは聞いた。かもめ亭の新米女中、ミアは、イリス以外で「レディ・アーシュラ」と小間使いを間近で目撃した唯一の人間だった。女将がミアを差し向けてくれたおかげで、捜索はかなりはかどっていた。
「あの3番目に並んでいる、商売屋の奥さんといった方、なんとなく、似てます」
「あの人が?」
カイは驚いた。
 とたんにじろ、とテディが視線を向けてきた。カイは口元をおさえた。ミアが名指した女は、いかにも堅気の地味な女だった。カイはささやいた。
「なんだか、話に聞いてたのとちがうんだけど」
「ええ、あたしも自信はないんですけど、ほら、口元にほくろがありますよね。あれがそっくりなんです」
カイはテディの視線の下からコリンズに合図をした。
「あの、3番目の人」
コリンズは視線でわかった、と言っただけだった。
 順番はすぐにまわってきて、問題の女が宿の用意した椅子に腰掛け、いかにもつつましくスカートを引き上げ、足首まであらわにした。キリがその前に膝をつき、ガラスの靴を取り上げてはかせようとした。
「ん……入らないようですね。これ以上進めると、靴が壊れます」
「まあ」
女は上品にほほを染め、足を抜いて、自分の靴に戻した。
「ご自分でお試しになりますか?」
キリが言うと、女はいいえ、と言った。
「私は夫のある身でございますから。もっとお若い方に試していただいてくださいまし」
潔く言うと、席を立った。
 しばらく靴試しが続いたが、誰も靴を履くことはできなかった。
「残念でしたわねえ、コリンズ様」
宿の女将が愛想笑いをしてそういった。
「ほかに、女の人はいない?」
ぽん、と女将は手を打った。
「お客さんのとこの、小間使いさん、来てないね」
さきほどの地味な女にそう言った。
「ええ、ちょっと部屋においてきました」
「来てもらってください」
コリンズが言うと、女は動揺した風もなく、わかりました、と答えた。
「あの、実は親戚の子を預かっていますの。ちょっと具合が悪いので小間使いに看病をさせていました。一人にしておけませんのでいっしょに階下へ連れてこさせますが、粗相がありましたらお許しくださいませ、王子様」

 デール王は挨拶を終え、玉座に落ち着いた。そのそばに、すっとヘンリーがよりそった。彼は周囲に聞き取れないような声でささやいた。
「疲れただろ?ありがとうな」
デールはまだ微笑を浮かべているが、こめかみのあたりに汗を浮かべていた。
「いえ、あまり時間稼ぎにならなくて。ごめんなさい」
「いや、助かった。さあ、少し休め」
「はい」
 貴賓席からもそのやりとりは聞こえなかったが、大体の見当はついた。グランバニアのルークはじっと出入り口に視線を注いだが、コリンズは現れなかった。
「まだ見つからないのかしら」
心を読んだかのように、隣でビアンカがつぶやいた。
「ああっ、待つだけっていらいらするわね?子供たちといっしょに行けばよかったわ!」
「まあまあ」
ルークはそっと手を伸ばして、妻の手に自分の手のひらを重ねた。
「大丈夫。待とうよ」
「ルークは、あいかわらずね」
「のんびりしてるって?」
くす、とルークは笑った。
「だって、ほら、今日の式典はヘンリーが仕切っているだろ?どうにかなるよ」
「もう……」
ビアンカは、苦笑交じりだった。
「『だって親分だから』だったっけ」
「そう。ぼくは子分歴が長いんだ」
冗談を言うときのくせで、ルークは目を細めてふふっと笑った。
「ぼくよりヘンリーの子分歴が長いのは、デール王くらいだよ」
ビアンカは十指を組んだ上にあごを載せて、横目でルークを見た。
「あたしの子分歴は?」
「ええと、ヘンリーの子分歴より、二年長いな」
「よろしい!」
 急に客席の一箇所が騒々しくなった。何人かが集団になって、足を踏み鳴らしているのだった。
「まだか!」
「時間稼ぎはやめろ!」
厳粛な場にそぐわない声が、最初は小さく、次第に大きくなっていく。無作法な集団に巻き込まれ他の客たちの間にもざわめきが広がっていった。
「なんなの、あれ!」
ビアンカは叫んだ。
「このあいだ飛び込んできた、クレメンス子爵という人が真ん中にいる。式を邪魔する気なんだ」
ルークはもう一度、出入り口のほうを見つめた。が、コリンズは現れなかった。
「静粛に!」
儀典長が叫んだが、ランスたちはおさまらなかった。
「早く、早く!」
「王子はいないのか!」
ひときわ大声で、誰かが叫んだ。
「風の帽子を持ってきて見せろ!」
どっと嘲笑の声があがった。ビアンカは貴賓席から立ち上がった。式典用のドレスのスカートをぎゅっと握り締めてささやいた。
「こんな……ひどいじゃない!」
ルークは思わず、妻の横顔を見上げた。
 数を頼みに一方的に苛めにかかる者たちを、ビアンカは絶対に我慢できないのだ。昔アルカパで、小さな猫が悪童どもにつかまってなぶられているのを見たときと同じ表情で、同じ怒りをビアンカは燃やしていた。
「王子は逃げ出したか!腰抜けがっ」
デールは玉座から立とうとしたが、めまいがしたのか、できなかった。下品な声があがり、足を踏み鳴らす音が高まった。
「やめなさいっ!」
ビアンカだった。
 会場は静まり返った。ビアンカは席を立ち、あっけにとられている儀典長とヘンリーの前をずかずかと通って、中央の宣誓台へやってきた。
 炎のような視線でランスたちの席をにらみつける。甘やかされた無礼者の集団が思わず萎縮するほど厳しい、そしてぽかんとして見とれるほど美しい顔だった。
 ビアンカは客席の方へ向き直った。
「私、グランバニアのビアンカは、この慶賀すべき式典を祝い、マスタードラゴンに感謝するために捧げものをいたします」
ほっとした表情のデール王が、従僕の手を借りて玉座から立ち、深々と一礼した。
 ビアンカは高い天井を見上げた。湖の精霊が彼女を見つめ返した。紅の唇を開き、彼女は歌いだした。
「冴ゆる夜空に天竜舞う、金の満月のかたわらに
 のぼる小さな月、あれぞ天空の花嫁」
明るく華やかな声質、たっぷりした声量に、ビアンカは恵まれていた。朗々とした歌声がホールいっぱいに鳴り渡る。思いがけない“歌の贈り物”に、会場の客はうっとりと酔った。
「妙なる調べ、手と手をとりて
 花嫁は舞う、花婿の腕に。
 祝え、人よ、満天の星よ
 喜びに揺れよ、手を鳴らし、歌え」
 歌を引き立てるために楽士長の指揮でリズムが取られ、さりげない伴奏がついた。だが、それよりも何よりも、彼女の体に流れる天空の血が歌声に魔力を与えたのかもしれない。至上の喜びが音に乗ってあふれ出し、会場を歓喜で満たす。先ほどのちょっとした騒ぎのことなど、もう誰も、思い出しもしなかった。
 ビアンカが歌いおさめ、余韻が沈黙に消えた瞬間、割れるような拍手が起こった。ビアンカは初めてほほを染め、はにかんだような笑顔になった。ルークは小さく手を振った。ビアンカは先ほどとは打って変わった優雅な足取りで自分の席へ戻った。
 デールの挨拶、ビアンカの歌。かなりの時間を稼いだ、とルークは考えた。それでもやはり、時は来る。

 開いた窓から風に乗って、美しい歌声が流れてきた。
「この歌知ってる」
カイはつぶやいた。
「お母さんが歌ってるわ!」
コリンズは窓の方に顔を向けた。
「おれのために、あの人が時間を作ってくれてるのか。急がなきゃ」
 宿のフロントにはまだ使用人や客たちが集まって、小間使いと親戚の少女が降りてくるのを待っていた。小間使いは女主人に負けずに地味で堅実な身なりの、若くはない女だった。彼女は10歳くらいの少女の肩を抱くようにしてフロントに現れた。
 質素だがきちんとつくろった上着と、野菜のしみがついて少し丈の短くなったスカートに見覚えがあった。少女はあたりをうかがうように顔を上げた。イリスだった。
 コリンズたちは、すばやく視線を交わした。
 ここで名前を呼んじゃダメ。知らないふりをしないと。
 イリスのほうも、コリンズたちを見つけたはずなのに、そしらぬふりをしている。いかにも体の具合の悪そうなようすでうつむいているのだが、額と目を隠すような前髪のすきまから、ちらっとカイと目を合わせた。
……イリスちゃん!
 声を出さずにカイがささやくと、イリスは一瞬首を曲げ、自分の耳の後ろをさらけだすようにして見せた。毒針があった。小間使いの女は、手の中に隠した毒針でイリスを人質にしているのだった。
「キリ、頼む」
コリンズは、冷静に声をかけた。
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ。靴を試してください」
小間使いはつまらなそうな口調だった。
「いえ、あたしは舞踏会など行っていませんから、無駄です」
コリンズが声をかけた。
「一人ひとり、試して欲しいんです。どうぞ」
王子に強くうながされて、小間使いは渋い顔になった。
「このかわいそうな子を置いておけませんわ。靴をこちらへもってきていただけません?」
キリはしかたなくクッションごと靴を彼女の足元へはこんだ。妙にぞんざいなやりかたで女は自分の靴を脱ぎ、さっとガラスの靴をあてがって、すぐにあきらめた。
「どう見たって、はいりゃしません」
はああ、と周りの人々からため息がわいた。キリは靴を抱えて引き下がるしかなかった。
「もういいんじゃないですか」
不満もあらわにテディが言った。
「あきらめたらどうです」
嘲笑まじりにテディは言った。
「手ぶらでおかえんなさい、コリンズ殿下。どうやったって、見つかりっこないんだ」
テディの後ろで、マックスがいかにも退屈そうにあくびをした。
 コリンズは皮肉な目で二人を見た。
「さて、どうかな?まだ一人、試していないご婦人がいるじゃないか」
そう言って、はっきりした声でキリに命じた。
「そのお嬢さんに、靴を試していただけ」
コリンズの視線は、イリスに向けられていた。
「お嬢さん、こちらへおいでください」
小間使いが不承不承、イリスの肩を押して歩き出した。
「あなたは、もういいです」
きっぱりとコリンズが言った。
「ですが」
「離れてください。お嬢さんだけ、こちらへ」
小間使いの顔に、初めてあせりの色が浮かんだ。イリスは片手で前髪をかきわけた。
「あたしも、靴をはけるかどうか、試したいんです」
はっきりと彼女は言った。
「行かせてください」
小間使いは、まだ手をイリスの肩にかけていた。
「なんだ、なんだ、行かせてやれよ」
「せっかくのチャンスじゃないか!」
まわりが騒ぎ出した。あわてた顔で女主人がやってきた。が、イリスが体をもぎ離す方が先立った。二人の女は、少女を捕らえようとした。さっとアイルとカイが割って入った。
「だめだめ」
「ここで見てて?」
イリスは、視線だけでありがとう!とカイたちに言い、すたすたとキリのところへ行って椅子に腰掛けた。
「お願いいたします」
 女主人と小間使いがうめいた。が、イリスは無視して、固い木の靴を脱いだ。
 キリは、もう何十回もそうやってきたように、クッションの上からガラスの靴を取り上げて両手で持ち、イリスのつま先からそっとおさめていく。まるで吸い付くように、靴はイリスのかかとへすんなりとおさまった。
 片足でイリスは立ち上がった。みすぼらしいスカートのすそを引いて、クッションの上に軽く、ガラスの靴をつま先立てた。縁に施された金線細工がきらりと輝いた。
 待ちに待った一瞬が現実となったとき、小さな宿屋は、驚きと羨望の声に大きくどよめいた。
 イリスは笑った。何度も夢に見てきた瞬間をついに自分のものにした者の、最高の笑顔だった。
「イリスちゃん!」
ついひきこまれて、アイルとカイの注意がイリスに向かった。その瞬間、小間使いと女主人は、身を翻して逃げ出した。
「追いかけろっ」
コリンズが叫んだ。

 式典会場では、ヘンリーが儀典長タンズベール伯爵に向かってうなずいていた。
「よろしいのですか」
コリンズ王子はまだ戻っていない。風の帽子もない。城の階段のあたりでは、胃が痛むような顔つきのショーンが、うろうろと歩き回り、祈るような目でホールで入り口をにらんでいる。
 デール王は、すこしぐったりしているがきちんと玉座に腰掛けていた。太后アデルは盛装してきちんとすわり、指を組み合わせ、祈っている。歌い終わったビアンカは、小さく気合を入れなおして席におさまっている。
「ありがとう、ビアンカ。ラインハットのことは、好きじゃないって言ってたのに」
「あたしは……」
ビアンカはせきばらいをした。
「そんな器量の小さい女じゃないのよ。それより、どうするのかしら、ヘンリーさん」
「どうにもならないときにどうにかするのが、親分の仕事なんだよ」
伯爵がもう一度確認した。
「よろしいのですね?」
「ああ。始めてくれ」
伯爵は、楽士たちのほうに、小さく手を振った。
 朝顔形に開いた楽器のふちが、きらりと輝く。王家に直属の10人のトランペット奏者が、紋章入りの吹流しで飾った楽器をいっせいに掲げた。

 二人の女を追って宿屋の階段をかけ上っていたコリンズの耳に、朗々としたメロディが飛び込んできた。
「『王宮のトランペット』だ!」
さきほどの、国王入場のファンファーレともまたちがうメロディが、たしかに風に乗って運ばれてきた。
「コリンズ君の出番てこと?」
カイが聞いた。
「ああ。あれは父上のアラームだ。早く来いって!」
コリンズたちのわきを、二段抜かしでアイルが飛んでいく。
「じゃ、急がなくちゃ」
後ろから、キリや護衛の兵士が、そしていきせききって宿の主人が二階へ上がってきた。
「あの部屋だ!」
ガシャリと音がした。二人の女は、自分たちの部屋に走りこむと、鍵をしめたようだった。
 音楽がやや変わった。トランペットが弦にメロディを渡したのだった。時間がない!コリンズはあせったが、息が切れてよくしゃべれなかった。
「アイル、あいつらあの部屋に、たぶん、風の帽子……」
アイルはにっと笑って見せた。
「大丈夫、ね、カイ?」
「まかせて」
 コリンズが青ざめた。
「『王宮』Aパート終了、Bパートが来た……あと何秒もない」
部屋の扉にたどりついた双子は、両手の袖をめくりあげた。
「宿のおじさん!あとで直すから、ごめんなさいっ」
小さな宿屋の木の扉が、選ばれし天空の勇者と、高貴なる魔法少女の前に、どれほどの耐久力があるだろうか。
「ギガデイン!」
「イオナズン!」
魔界から天空までを一気に貫くような魔法力を浴びて、あわれ扉はこっぱみじんになった。
「ひいいいっ」
双子はさっと部屋にふみこんだ。女たちにはダメージはなかった。見事なピンポイントで破壊した扉の向こうで、抱き合ってへたりこんでいる。その膝の上から、羽根のついた小さな青い帽子を取ると、アイルはコリンズに手渡した。
「あったよ!これだよね?」
 だが、コリンズは、がっくりとすわりこんだ。
「今、Bパートが終わる。おれ、まにあわなかった」
トランペットの輝かしい音色は、美しい余韻となって響いた。
「あきらめちゃだめよ。立って!」
「遅刻したって行かないよりいいよ、絶対」
よろよろとコリンズは立ち上がった。
「おれだって、父上の子だ。うん、遅刻ぐらい、ごまかしてみせる」
 そのときだった。コリンズは信じられないものを耳にした。
「『王宮』Aパート……終わったんじゃなかったの?!」