王宮のトランペット 第六話

 その日の早朝、湖の岸辺の広場に、新しい立て札が掲げられた。
 昔は強制徴兵を告げて人々を恐れさせた立て札は、今日は打って変わって華やかだった。
「コリンズ王子殿下は、昨夜舞踏会に現れた令嬢をお探しである」
と、立て札はうたっていた。
「姓名不詳のこの令嬢は、ガラスの靴をはいておいでになった。本日、殿下の使者が、令嬢の残したガラスの靴をもって、ラインハット近郊の捜索にあたる。繰り返す。ガラスの靴をはくことのできる令嬢をお探ししている。国民諸君は鋭意協力してほしい」
 その言葉の意味を取り違えるようなアホウがラインハットにいるだろうか?人々は目混ぜして、言い合った。
「コリンズ様の花嫁らしいな!」
晴れて暖かく、湖の波は穏やかにゆれ、太陽の光にきらめいている。湖の精霊祭の期間中、ただでさえ浮かれやすいラインハット市民はみな早飲み込みに飲み込んだ。
「いやあ、春だねえ」
「そりゃあ、とっくに春なんだが、なんと本当に花嫁選びだったとはね」
「けど、そんなかわいい子なんて、夕べの舞踏会に来てた?」
誰かが言い出した。人々は首をひねった。
「さて、客が多かったからな」
ウワサに興じる人々のそばを、ガチョウ番の少女が早足で通り抜けて歩いていった。
 イリスは、つぎはぎのあるスカーフをあごの下で結びなおした。なんであの子……コリンズ王子は、あたしのことなんか探しているんだろう。花嫁、というのはちょっとありえない。コリンズの目を見て、それはイリスにはもう、わかってしまった。
 もしかして、とイリスは思った。私に会いたい、と言ってくれたのカイちゃんかな。生まれついての王女様のはずなのに、偉そうじゃなくてなんだかすごくいい子だった。好みと言ってもいい。
 イリスは、あふ、とあくびをした。実は昨夜、舞踏会から帰ったのがとても遅い時間で、それなのに今朝はいつもと同じように早起きして働いている。眠くて仕方なかった。
 いつもの店にガチョウの卵を売ってお金をもらい、別の店に入って縫い物に使う針と、黒い糸の大きな糸巻きを買った。どの店でも、“ガラスの靴の美少女”のことで、話題はもちきりだった。イリスはくすぐったいような気持ちになった。
「ああもう、むずむずする。いっそ、自分から行っちゃえ」
イリスは買い物を入れたバスケットを抱えて、ラインハット城の門が見えるところへやってきた。コリンズ王子が外出したら、話しかければいい。しばらく待っていると、本当に眠くなってきた。お堀のわきに植えてある並木のところへ行き、日当たりのいいのを選んで背中をもたれかけた。ちょっとだけ目をつぶろうと思い、そのままうとうとしてしまった。
「イリスちゃん?」
誰かに肩をゆさぶられた。驚いて目を開けると、目の前にカイがいた。
「あれ?あたし……」
「立て札見てくれたのね?よかった」
カイの後ろには、アイルとコリンズがいた。三人とも、ごくめだたない身なりである。カイとアイルにいたっては、長すぎるのですそを縛ったマントの下に、雨風にさらされて色が落ちたような旅人の服を着ているだけだった。
 カイは座りなおした。
「寝ちゃってたのか、あたし。ごめんね。ゆうべ、ほとんど寝てないの」
「おれたちもなんだ」
とコリンズが言った。
「風の帽子を持ち出したのがあっさりばれちゃってさ」
「怒られたの?」
「まあ、そんなもんだ」
イリスは真剣に謝った。
「ごめんね?あたしのために」
コリンズたちは、微妙な表情をしていた。
「そのう、一度あげるって言ったのに申し訳ないんだけど、あれ、一回でいいから、貸してもらえないかな」
イリスはうなずいた。
「うん、それなら大丈夫。アーシュラ奥様は優しい人だから、きっとコリンズ君に貸してくれるよ」
カイはぴくんと眉を動かした。
「じゃあ、もう、奥様と言う人にお渡ししたのね?」
「ほんとにその奥様の風の帽子だった?」
イリスは首を振った。
「それが、あたし、夕べはあのあと奥様に会わなかったの」
「どういうこと?」
「ほら、あたし……お借りしたドレス破いちゃったじゃない。申し訳なくて、顔を合わせられなかったの」
本当はディントンの領地を取り戻してくる、と言った手前、実行できなくて恥ずかしかったのだが、イリスはその辺は黙っていた。
「だから、奥様の泊まっている宿屋に行って、宿の女中さんにドレスと風の帽子をお渡ししてくれるように頼んで家へ帰っちゃったの。真夜中だったしね」
「それじゃあこれから、その宿屋へ行って奥様に会えばいいんだ。どこ?」
「かもめ亭よ」
コリンズが飛び上がった。
「なんだ、おれ、知ってる。ジュストの実家だ!みんな、行こう」

 

 かもめ亭本館の女将オルガは、今日もシャンと背筋を伸ばしてフロントにすわっていた。彼女と夫が創業したこの店は、小さいながら何度も危機を乗り越え、この街のこの場所でずっとがんばっている。
 一人息子のジュストはラインハット一のカフェの主人になったし、兄のオレストも王国の将軍として羽振りがよかったが、彼女は今だに小さな宿屋の女将として自分の店を精力的に切り回していた。
 ちなみに息子も兄もようやく嫁をもらったので、オルガは最近、ほっとひといきついている。
 扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
最近雇った若い女中が声をかけた。
「あのう」
見覚えのある少女が顔を出した。
「レディ・アーシュラはおいでですか?」
女将は首を振った。
「今朝、お発ちになりましたよ」
えっ、と少女は絶句した。
「どうしよう、コリンズ君!」
後ろから子供たちがどやどやと入ってきた。全部で三人、10歳前後である。その一人を見て、女将は声をあげた。
「ま、コリンズ様じゃありませんか。どうなさいました?」
コリンズ・オブ・ラインハットは、オルガがひいきしているヘンリー大公の一人息子である。まだ赤ん坊のころからヘンリーに連れられてカフェにも宿にもよく来ていた。最近ますます父親似になってきている。
 コリンズはフロントにやってきた。
「この宿に泊まってたレディ・アーシュラっていう人を探してるんだ。その人の持ってる帽子があるんだけど、おれ、どうしてもそれが要るんだ。女将さん、どこ行ったか、知らない?」
「そうですわねえ」
オルガは女中を呼んだ。
「ミアや、おまえ、レディ・アーシュラのお部屋の係だったね。どこへおたちになったか、聞いちゃいないかい?」
ミアは申し訳なさそうな顔になった。
「行く先のことは、何もうかがっていませんが。レディはとにかくお急ぎだったんですよ。あたしが、ほら、こちらのお嬢さん、イリスさんでしたっけ、から衣装を受け取ってそれをレディのお部屋にお持ちしたとたん、大声で『やった!』とおっしゃって、それからすぐでした」
イリスは不思議そうな顔をした。
「『やった!』って、おっしゃったの、あの奥様が?」
ミアは肩をすくめた。
「あの奥様ねえ、イリスさんの前じゃ、ずいぶん淑女ぶってましたけど、ほんとはくだけた話し方をする人でしたよ。『やった!』のあとは、『期待してなかったのに、あの小娘、ほんとに持ってきやがった!棚からボタ餅だよ、すぐに殿様にお目にかからないと。高く売りつけてやるわ』って」
イリスは青ざめていた。
「小娘って、あたしのこと!?」
ミアはためらった。
「ごめんなさいね。たぶん、そうだと思うわ」
「あたし……あたし!」
イリスはこぶしを握り締めた。
「ごめん、コリンズ君、あの帽子持っていかれちゃった。要るんでしょ、あれ?」
コリンズは低い声で言った。
「たいしたことないさ。ちょっと……立太子式ができないだけで」
イリスは息を呑んだ。
「へへ、やっぱまだ、父上みたいに平気そうな顔ができないや。でも、イリス、気にするなよ?絶対、イリスが悪いんじゃないからな」
「ごめんね?ごめんね……」
イリスの肩を、そっとカイが支えた。
 コリンズが言った。
「ミアさん、その奥様、急いでたんだろ?宿を出るとき、辻馬車を呼ばなかったか?」
ミアはさっと明るい顔になった。
「そう、お呼びしました。ジェップさんの辻馬車です。あたし、呼んできます!」

 ラインハット王国宰相、オラクルベリー大公ヘンリーがクレメンス侯爵の邸宅を訪問したのは、その日の昼下がりのことだった。
 クレメンス子爵ランスロットは、召使からそのことを聞いたとき、なんともいやな予感した。
「義父上、あの男はどうも信用できません。お会いにならないほうがよろしいのでは」
クレメンス侯爵は、肩をそびやかせた。
「まだ、おまえの指図を受けるほど、わしはもうろくしとらん!」
 侯爵の先祖はラインハット王家から出てクレメンス家を興した。領地は北部ラインハットにあり、広くはないが、なかなか豊かな土地だった。その財力と、若いころにつちかった人脈。それが侯爵の誇りである。
 だが、現国王デール一世は、政治家としてのクレメンス侯爵をまったく省みることなく、兄、ヘンリーにすべてをゆだねてきた。
「馬の骨が何人来ようと驚くようなわしではないわ!」
頭からヘンリーをバカにしているのがかえって危険なのだとランスは思ったが、これ以上は何を言っても聞いてくれそうになかった。
「では、どうか油断なさいませんように」
念のため、大公の護衛の兵士などは部屋に入れるな、と言いつけたが、召使は首を振った。従僕だけで、兵士の姿は見えません、と。
 侯爵家の従僕が、客を案内してきた。祭の期間中とあって、オラクルベリー大公は今日も華やかに装っていた。豪華な宮廷服の上に長めのマント、羽根飾りのある大きな帽子をつけている。マントのすそがまとわりつく足元にヘンリーは宰相の職権を示す宰相杖を軽くついて、室内に現れた。それは旧時代の大公級貴族のいでたちであり、付き従う従僕も、背の高さのそろったのを選び、大公家のお仕着せを着せている。随員が五人ほど、というのも身分にふさわしい数だった。
「何のようだ、ヘンリー」
ヘンリーは彼を黙殺した。
「ご当家の子息は、少々礼節にかけるところがおありのようだな、侯爵」
「そういう君は、どこの誰だ」
尊大に侯爵は言い返した。
「今日は、この国の王の使者として来た」
ヘンリーはそういうと、片手に宰相の杖を持ち、その下のほうをつかんで握りを侯爵に差し出した。
「本日ただいま、おれは宰相職を辞任する。国王陛下には、貴殿に後任を任せたいとおおせである。受け取られよ」
侯爵は、とっさに切り返せないようだった。大きく息を吸い込むと、信じられないという表情で宰相の杖を見つめていた。
「待て」
とランスは言った。
「どうしておまえが辞任するんだ。条件を言え」
「話が早いな」
ヘンリーはつぶやくように言った。
「宰相の職より大公の位より、おれは息子のコリンズのほうが大事なんだ。風の帽子を持っているなら、返して欲しい」
ランスは思わず侯爵と目を見交わした。
 風の帽子を盗むといういやがらせを思いついたのはランスだった。侯爵はランスと、ほかに何人か下々の者を雇って風の帽子を盗み出させようと計画をすすめたが、実際はまだ、現物を見てはいなかった。
 侯爵は咳払いをした。
「わしは……」
ランスはさっと義父のそばへ寄って耳打ちした。
「義父上、お待ちを。交渉などは私におまかせください」
ランスはわくわくしていた。
 子供のころから、どれだけこのチャンスを待ち焦がれていただろう。ついにヘンリーの弱点をつかんだのだ。どれだけいたぶっても足りないような気持ちだった。
「風の帽子を、返してやってもいい。だが……」
思わず、舌なめずりしそうになった。
「ただというわけにはいかん。まずは一千万ゴールドだ。きさまの領地、城館、所有している財産のすべてを売り払ってもらおうか」
「そんなことか」
静かな微笑が、ヘンリーの表情に漂った。
「この国へ戻ってきたとき、おれは無一文だった。元に戻るだけだ。いくらでも支払おう」
ランスは歓喜の声をあげそうになった。せっかく旧家、クレメンス家のむこになったのだが、この家は実家と同じく、派手な暮らしを支えるには収入が足らなかったのである。
 侯爵は満足げだった。できることなら、喉を鳴らしていただろう。笑いがとまらないのを必死にこらえた顔で、ヘンリーに歩み寄り、その手から宰相杖を取り上げようとした。
 そのときだった。いきなりヘンリーは杖に手を沿え、杖の握りを渾身の力で侯爵の腹にぶちこんだ。
 ぐぇ、と叫んで侯爵が崩れ落ちた。それまで慇懃な態度で控えていた従僕たちが、いきなり侯爵をとりおさえる。同時に扉が乱暴に開かれ、召使を蹴散らして兵士たちがどやどやとなだれこんできた。
「なんだ、なんだ、なんだ!」
兵士の先頭に立つのは、見覚えのある男だった。オレスト将軍である。
「捕ったぞ、オレスト!すぐに王宮だ」
「はっ」
と叫んでオレストが合図する。ヘンリーの従僕、に扮していた兵士が二人、ぐったりしている侯爵を抱え上げた。
「きさまらっ」
思わずランスは叫んだ。
「なんてことをするんだ!」
さきほどまでの、心配に身も世もないような父親の顔とはうってかわって、ヘンリーは笑い声をあげた。
「だからツメが甘いってんだよ!」
その目がきらきらしている。
「おれをこの家に入れた時点で、てめえもう、終わってんだ」
「か、風の帽子が帰ってこなくてもいいのか!」
見下だすような目つきでヘンリーはふん、と笑った。
「まだ風の帽子を手元に持っちゃいないんだろ?」
見透かしていたようだった。ランスはあせった。
「い、いや、ちゃんと」
「それじゃあここへ出して見せろよ」
ランスは答えに詰まった。くっくっくとヘンリーは笑った。
「風の帽子がなくなったとわかったのが今日の夜明け。そのときから今まで、オレストが部下を連れて、ずっとこの家を見張ってたんだ。帽子盗人はまだ、この家に来ていない。それなら黒幕を先につぶした方が早い。先手必勝、ってね」
「ヘンリー様」
外からオレストが呼んだ。兵士たちが侯爵を連れて行き、外の馬車に閉じ込めているところだった。
「よし、そのまま城へ急げ。ちょっと窮屈だろうが、ただのいやがらせとは違う、王国に対する反逆罪の被告だ。我慢してもらおうか」
館の召使たちはおろおろするだけで、正規軍の兵士に逆らおうとする者はいなかった。
「どけっ」
 ランスはびくびくしている召使を突き飛ばすようにして裏口へ急いだ。侯爵は捕られてしまったが、クレメンス家の人脈はまだランスの手の内にあった。今、ヘンリーの手を逃れられれば、まだ勝ち目はある。風の帽子は、まだどちらの手にも渡っていないのだった。

 コリンズたちが城へ帰ってきたのは大捕り物のあとだった。宰相執務室にはヘンリーとデール、そしてグランバニア国王夫妻が顔をそろえていた。
「父上、イリスを見つけたよ!」
部屋に飛び込むなりコリンズは言った。
「イリスは風の帽子をレディ・アーシュラって女に渡して、そいつは宿から逃げ出してた。辻馬車を雇ってラインハット市内の」
そこまで言いかけたときにヘンリーが先に後を続けた。
「クレメンス侯爵邸へ行こうとした」
「なんだ、知ってんのか」
「まあね。それからどうした?」
「辻馬車の御者はジェップってんだけど、クレメンス邸のそばまで行ったら、お城の兵隊がたくさん来てたんだって」
「ああ、オレストの部下だ」
「そうしたらお客の方が、どうもよくない気がするから行くのをやめるって言いだした」
「勘のいい女だな」
「ジェップが『かもめ亭さんへ戻りますか』って言ったら、お客は断って、湖の広場のすぐそばで馬車を降りたって」
大人たちの口からいっせいにためいきがもれた。
「ではコリンズ、結局その盗人は風の帽子を持ってラインハットの町の中に潜伏しているのですね」
「そうだと思うよ、叔父上。町の門に検問の兵士が出てたから、つかまりたくなかったんじゃないかな」
「そうですか」
デール王はためいきをついた。
「立太子式は明日です。兄上、どうしましょう」
ヘンリーは軽く腕を組んで考え込んだ。
「そうだな……」
「ひとつ、いいかな?」
ルークだった。