王宮のトランペット 第四話

 慣れない上靴で早足に歩いたせいか、イリスの胸はどきどきしていた。義理の母に見つかりたくない一心で大広間を飛び出してしまったが、どこをどう歩いたのかもわからない。ラインハット城の高い天井を見上げて、イリスは呆然としていた。
「迷子になっちゃったんだ」
あたりには人影はなかった。ろうそくを何本もつけた燭台が、美しく飾りつけた回廊をほのかに照らしている。夢のような眺めだが、イリスの心は沈むばかりだった。
「アーシュラ奥様になんていおう。こんなに肩入れしていただいたのに、あたしが根性なしだったばっかりに、こんな……」
とぼとぼとイリスは歩き出した。
 どうやらそこは肖像画を掛け並べた回廊らしい。昔の衣装を着た王様や女王様の絵がたくさんあった。廊下の一方の側には、長く展示台が置かれている。何の気なしに寄ってのぞきこんだ。
 宝石や剣、碧玉などなど、いろいろなものが置いてある。王家の宝物なんだ、とイリスはぼんやりと思った。しょんぼりしてしばらく歩いていたとき、知っている名前に出くわした。
「“風の帽子”?」
展示品の前には、小さなカードがあり、そう書き記してあった。カードの奥にあるのは、小さめの青い帽子だった。なぜか両側に鳥の羽がつけられている。
「これだ!」
思わずイリスはつぶやいた。
「奥様の、風の帽子だわ!」
ユリア大公妃さまが取り上げたんだっけ、とイリスは思った。よくわからないけ、ここに貸し出されているんだわ。これを持って帰れれば!イリスは強く願った。イリスばっかり損をして苦しんでいるときに、奥様だけは優しくしてくださった。これをお返ししたら、どんなに喜んでくださるかしれない。
 イリスは展示台のふたを両手で抱え持ち上げようとした。強い抵抗があった。ロックされているらしい。
「あきらめるもんですか!」
隅に灯っていた燭台を取り上げると、火を吹き消してろうそくを引っこ抜いた。ろうそくを立てるための尖った部分で、蓋のガラスを強く突いた。
「くっ、これ、ぶ厚い!」
だてにガチョウ番をやってきたわけじゃない。あたしの腕力をなめるな、とイリスは燭台を持ち替えた。そして渾身の力をこめて、燭台の台座でガラスの蓋を殴りつけた。

 夜警に立っている兵士が敬礼してきた。コリンズは敬礼を返し、グランバニアのアイトヘル王子とカイリファ王女は、手を振った。
「これが近道?」
「ああ。厨房のメルダのところにいくなら、こっちの方が早い。肖像画の回廊っていうんだ。今はいろんなもんを展示してあるって父上が言ってた」
大広間のむんむんする熱気から逃れたくて、子供たちはこっそり大広間を出て城内を歩いていたのだった。
「コリンズ君広間にいなくて大丈夫?」
コリンズは片手を振った。
「今、叔父上に謁見の列ができてただろ?当分終わらないから、大丈夫。おれの出番はもっと後だ」
「じゃあ、冷たい水をもらいに行っていいんだね」
「厨房には井戸があるからな」
夜のお城は少し不思議に見える、とコリンズは思った。よく知っている場所なのに、知らないところのような気がするのだった。
 がしゃ、という音を聞いたのはそのときだった。
「なんだ!?」
コリンズは走り出した。誰かが展示台に何かしている。
「泥棒みたい!」
追いついてきたカイが叫んだ。
「つかまえようよっ」
「よしっ」
何事ですかっ、と警備の兵士たちが後ろからやってきた。
「追いかけろっ」
大声でそれだけ言うと、泥棒は気がついたらしくぱっと身を翻して走り出した。
「けっこう早いな!」
賊はみるみるうちに肖像画の回廊を走りぬけた。その横手から、トムの部下たちが殺到してきた。泥棒は反対方向へさっと折れて逃げていく。
「逃がさないぞ!」
コリンズは叫んだ。
「出入り口を固めろ!被害を調査!」
「はっ」
兵士たちの足音が響く。コリンズたちは、城の玄関ホールへ通じる廊下へやってきた。
「この先は二手に別れる。別々に探そう!」
「わかった!」
アイルとカイは声をそろえ、さっと分かれていく。グランバニアの双子にとっては何度も遊びまわって、勝手知ったるラインハット城だった。コリンズも分岐の別の方をたどっていった。
 どうやら、こちらが当たりらしい。曲がり角の向こうに、白い人影が逃げていくのが見えた。
「おい、待てよっ」
人影はちらりとふりむき、それからスピードをあげた。驚いたことに、それは女だった。しかも、コリンズとあまり年の変わらない女の子だった。白いパーティ用のドレスを着ている。となれば、靴はダンス用の上履きのはず。走るにはむかない靴で、凄い速さで駆けていく。
「くそっ」
 廊下のはしは、玄関ホールに続く大階段である。チャンス、とコリンズはスパートをかけた。白い少女は階段のおどりばで、一瞬立ち止まった。足でもくじいたか、と 思ったとき、何か飛んできた。なんと、上履きを投げつけてきたのだった。
「わっ」
あわててコリンズはのけぞり、はずみで尻からころんでしまった。ばたばたと駆けていく足音がする。あわてて立ち上がったとき、少女はどこにもいなかった。
 もういちどくそっとつぶやいて、コリンズは階段を降りてみた。誰もいない。表から兵士たちが、後ろからアイルたちがやってくる。
「コリンズ君、いた?」
「殿下、こちらには来ませんでしたが」
コリンズは情けなくてしかたなかった。カイの前で、なんたるドジ。
「わりぃ、逃がしちまった……まったく、ひどいじゃじゃうまだ」
 別の兵士がやってきた。
「被害は展示台の蓋のみです。中に被害はありませんでした」
「そうか。それだけでもよかった」
「捜索を続けます」
「わかった。トム隊長にも報告してくれ」
「はっ」
わらわらと兵士たちが走っていく。コリンズはちょっと下を向いたまま、階段をあがった。アイルたちが寄ってきた。
「逃げちゃったの?」
「ああ。しくじったよ」
そう言ってコリンズはふと妙な物を見つけた。廊下のすみで、何か光っている。あの白い少女が投げつけたのにちがいなかった。
 コリンズは、ゆっくりそれを拾い上げた。
「犯人の遺留品だね!」
アイルはわくわくしているようだった。コリンズは、“遺留品”を目の高さに持ち上げてみた。それは、かかとの高い、舞踏会用の上履きだった。足を入れる部分のふちは金のラインとなっていて、足の甲には金線細工で模様を描いてあるが、そのほかの部分はきらきら輝く透明な物質だった。
 片方だけの、ガラスの靴だった。

  白いドレスは目立ちすぎる。イリスの唇がわなないた。激しく走ったために呼吸が荒い。片方だけになってしまったので、靴は脱いで手に持っている。裏庭へ飛び出し、目に付いた最初の小屋へイリスは飛び込んだ。奥へ、と思ったとき、立て続けにびりびりと音がした。釘でひっかけてドレスを破いてしまったらしい。飛び込んだのが馬小屋だったらしく、イリスは頭から 、わらまみれになってしまった。
「何一つうまくいかない!」
イリスは涙ぐんだ。どうしてあたしのやることなすこと、こうもうまくいかないのか。ほんの少し前には、ディントンのお姫様として認められる夢を描いていたのに、今は馬糞の匂いが漂う小屋にしゃがみこんでいる。王様に直訴どころか、どうやって馬車のところまで帰ればいいかさえ、イリスには見当も付かなかった。
ディントン大公家の血筋を証明してくれるガラスの靴は半端ものになってしまった。いくら頭に血が上っていたとはいえ、大事なガラスの靴をぶつけるなんて!
 だが、イリスはくすっと笑った。追いかけてきた子、靴をよけたときすっころんでいた!あれは痛快だった…………でも、あの子、誰だろう。身なりのいいのは、あの舞踏会にでるくらいだもの、いいご身分だからにちがいない。だが、あの子の顔、どこかで見覚えがある、とイリスは思った。
 隣の馬房で、いななきの声がした。
「しっ」
誰かの声がそう言った。イリスはさっと緊張して、声を殺した。
「静かにして?あの子を驚かせたくないの」
その声は女だった。それもイリス自身とあまりちがわない少女の声に聞こえた。イリスは体を低くかがめた状態で、馬小屋の闇の中に目を凝らした。
 誰かが小さく咳払いをした。
「あの、いるでしょ?」
イリスは息を呑んだ。
「お馬さんたちが、あなたがここにいるって」
バカな。
「あたしにはわかるの。出てきてくれない?あの、誰にも言わないわ。あたし、この城のお客だから、あなたのこと捕まえなきゃならないわけじゃないの。助けたいだけ」
何を言っているのだろう、この娘は。
「あなた悪い人じゃないわ。違う?兵士さんたちは、“何も盗られてない”って言ってた。だから、こっそりお城を出れば、大丈夫」
「だまされないわ!」
言ってしまってからイリスはぱっと口に手を当てた。
「そこね?」
誰かがわらをかきわけて、ごそごそと寄ってくる。イリスは身を固くした。まもなく藁の中に誰かが頭を突き出した。
「ほら、やっぱり」
「…………」
「怖くないよ?助けに来ただけ」
ようやくイリスは言った。
「…………なんで」
「お馬さんたちがね。あなたが怖がって、悲しんで、後悔して、苦しんでるって、そう言ったから」
「あんた、おかしいんじゃないの?」
思わずイリスは言った。不思議な少女は首を振った。
 小窓から差し込む月明かりでよく見ると、本当に子供だった。自分と同じくらいの年だろうと思う。だが、ピンクがかったクリーム色の、ハイウェストのドレスはかわいらしく、レースを使ったぜいたくなものだった。髪は柔らかそうな金髪、頭の両側で髪をひと房づつ取って、ピンクとブラウンの花飾りでとめている。そのすべてを、イリスのところへ来るだけのために、彼女は藁まみれにしていた。そしてその瞳は、吸い込まれそうな青だった。
「あたし、グランバニアのカイ」
「……イリス」
カイはにこっと笑った。あまたのモンスターでさえ心を開く父親譲りのその微笑が、ふっとイリスの恐怖を軽くしてくれた。

 厨房の木のたるの上に、イリスはすわっていた。だいぶはたいたのだが、イリスも、隣のカイも、まだあちこちに藁をくっつけている。
「はい!ハチミツ入りの牛乳。あったかいよ」
カイによく似た男の子が、マグカップを目の前の木のテーブルにおいてくれた。その子の着ているかっちりとした青い上着は立ち襟にも袖口にも金のラインをほどこした、いかにも品のいいものだった。肩章を帯び、そこから短い金モールが下がっている。
 そんなフォーマルなかっこうなのに、その少年はかいがいしく陶器のカップを運んできた。
「カイにも」
「ありがとう、お兄ちゃん」
どうやら、双子らしかった。
「イリスちゃんて、コリンズ君に似てるね」
 男の子は、そばの壁に腕を組んでもたれているもう一人の少年……イリスが靴をぶつけた子……に声をかけた。イリスはぎくっとした。
 では、この少年は、コリンズと言うらしい。ラインハット王国の開祖と同名で、この舞踏会に参加していて、10歳前後、とくれば、次期国王、コリンズ王子にまちがいなかった。イリスは首を縮めた。どうりで似ていると思った。コリンズとイリスは、祖父どうしが兄弟という関係で、“また従兄弟”にあたる。
「おまえ、もしかして」
イリスはひやっとした。ディントンの名前を出されては困る。まだ領地も返してもらっていないのに、泥棒だったなんてことになりたくない。
「あたし!」
イリスは大声を出した。
「恩のある奥様のために、風の帽子が欲しかったんです!」
これは嘘ではない。イリスの目に涙があふれてきた。子供たちは顔を見合わせた。
「ねえ、話してみて?」
「あたし、ほんとのお母さんが死んじゃって……お父さんも……それで、義理のお母さんと姉さんに、毎日こき使われて……」
しゃくりあげながらイリスは話し続けた。くやし涙があとからわきあがり、鼻がずるずるしてうまくしゃべれない。それでも、親切な奥様が見かねて、死んだ妹さんの衣装を貸してくれて、この舞踏会へ送り出してくれた、とだけは話した。
 突然イリスは、肩をそっとたたかれて、はっとした。
「かわいそう。ほんとに亡くなったの?ご両親とも?」
「イリスちゃんは、もう二度とおかあさんたちに会えないんだね。そんなの、辛いよ」
双子がイリスに向ける視線が、まったく変わっていた。
「しかも、新しい家族がいじわるなんて。パーティにつれてきてくれないなんて、ひどいな。来たくなったの、よくわかるよ」
イリスは、目的は直訴だ、というあたりを涙といっしょに飲み込んだ。
「それで、意地悪な姉さんたちに見つかりそうになって、逃げ出したの。でもそのときに風の帽子を見つけて、せめて、せめて、ご恩返しに……って」
優しくイリスの肩を撫でていたカイが、コリンズのほうを見た。
「こんなわけだったのよ。ねえ、トムさんには言いつけなくていいでしょう?」
うう、とコリンズは言った。驚いたことに、目が赤くなっている。もらい泣きしてくれたらしい。
「わかった。そういうわけがあったんだな。ユリア大叔母様には、欲しがり癖があるんだ。そうか、風の帽子って、人から取り上げたものだったのか」
「それ、イリスちゃんに返してあげられないかな!」
突然男の子が言った。
「いい考えだ、アイル」
アイルと言う子はにこっとした。
「じゃ、さっそく」
「待てよ」
とコリンズは言った。
「風の帽子を取り出すには、父上に事情を話さなけりゃならないぞ。そうしたらさっきの騒ぎのことも言わないくちゃならない」
「え~」
とアイルは言った。
「そんなことしないで、そっと送り返してあげられないかな」
「そうよ」
とカイも言った。
「コリンズ君ならできるでしょ?そっと風の帽子をぬきとってこれない?」
「そうだな……」
イリスはおそるおそる言った。
「でも、あの、展示台の蓋は、鍵がかかってたわ」
「鍵?はは~ん」
コリンズはひとつうなずいた。
「みんな、ここで待っててくれ。おれ、鍵をとってくる」
「どこにあるか、わかるの?」
「父上は、大事なものはみんな、蓋に緑の鳥のついた箱にしまうんだ。書斎にある。探してくる」

 からからからから、と軽い音を立てて馬車が走っていく。ラインハット市街の大通りは、石畳できれいに舗装されているのだ。だから雨が降ってもどろどろのぐちゃぐちゃになったりしない。
 赤い布張りの座席にすわりこんで、イリスはふうっとためいきをついた。窓の外のラインハット城の尖塔が、だんだん遠くなっていく。時刻は深夜。町に人影はなかった。
 膝の上には、風の帽子が乗っている。あのあと、コリンズは鍵をすぐにもってきてくれた。子供たち4人で肖像画の回廊へひきかえし、今度は鍵を開けてすぐにこのアイテムを手に入れることができた。
 アイルがコートをとってきてくれて、みんなで馬車溜りまで送ってくれて、イリスは奥様の馬車に再び乗り込んだ。
「みんな、ありがとう!」
心からイリスは言った。
「いいよ、いいよ」
「これからもがんばってね?」
「きっといいことあるからっ。親がいなくてもめげるなよ」
今夜はたいへんだったとイリスは思った。何もかもうまくいかない、と思ったら、今度はなんか、友達ができてしまった。あたしのために、みんな、あんなに……
 ぐしっとイリスは手の甲で涙をぬぐった。感傷に浸っていてはいけない。奥様にドレスをお返ししなくては。
「でも」
イリスはつぶやいた。
「王様には、会えなかったんだ、あたし」
小さくため息をついた。あんなに勢い込んで出かけたのに、奥様になんて言えばいいだろう。
 馬車はもうすぐ、かもめ亭に着く。そこからイリスは、歩いて帰る事になるだろう。夢の一夜も終わるのだ。イリスはためいきをついた。