王宮のトランペット 第二話

「なんか、用ですかっ?」
「ああ、あるとも。お嬢さん、この婆が怖いのかい?」
魔女かと思ったその老女は、黒い頭巾のついたぼろぼろのローブを身に着けている。手にしているのは、ふしくれだった杖だった。頭巾のために顔は暗くて上半分がよく見えないのだが、頭巾の陰で双眼は邪悪な、貪欲な光を放っていた。イリスは後ずさった。老女は大きなほくろのある唇を開き、ねっとりした口調でたずねた。
「さっきの話、本当かい?」
イリスは黙っていた。どうしても魔女に見える。信用する気になれなかった。
「いやだわ、おばあちゃん、本気にしないでよ。義理のお母さんが厳しいもんだから、空想で遊んでたのよ」
ひひ、と老女は笑った。
「じゃあ、空想だとしようじゃないか、お嬢さん。でもあんたが持っていた招待状は本物だ。そうだね?」
「ええ」
しぶしぶとイリスは認めた。
「で、おまえさんは、それを持ってお城に行く。はたして入れてもらえるかね?」
「もらえるわ!だって、これ、本物だし」
老女はにやりとした。
「お城の兵隊の身になってごらん。おまえさんが、そのガチョウ番のなりのまんまでお城の入り口に現れて、入れてくれ、と言ったところで、入れる気になると思うかい」
イリスはとほうにくれて、視線を足元へ落とした。穴の開いた靴下。身丈の合わないスカート。何日も着たっきりですりきれた上着。
「あたし……あたし……」
「ねえ?」
老女は舌なめずりをした。
「どんなすごい品物を隠しているのか知らないけど、あんたのなりじゃ、お城へ入れてもらえっこないよ」
イリスは呆然としていた。さきほどまで空中に描いていた虹色の未来が、音を立てて崩れていく。
「ああ、泣くんじゃないよ、お嬢さん」
老女はイリスの肩をそっとたたいた。
「いいことを教えてあげよう」
老女はささやいた。
「ラインハットの町の中に、かもめ亭っていう宿屋があるのを知ってるだろう。カフェのほうじゃない、宿をやっているほうだよ」
イリスはこくんとうなずいた。
「今、そこに、とあるお屋敷の奥様が泊まっていらっしゃる。このお方は、たいそうお優しくて、正直者の娘がお好きなんだよ。あそこへ行って、“舞踏会へ出るから、衣装を貸してください”と言えば、きっと貸してくれるよ」
「ほんとう!?」
「本当だとも。話をつけておいてあげるよ。宿屋の裏口へ行って、頭巾のハンナに言われてきた、と言ってごらん。奥様に会えるからね。よっくお願いするんだよ、いいね?」
「でも、あのう」
「あんたの人生だろう?ここぞってときに勇気を出さなくてどうするんだい。でかい魚を逃すと、後で後悔するよ」
そう言ってイリスをじっと見つめる目が、なんだか底光りしている。イリスは、ぎくしゃくとうなずいた。

 空気を切り裂いて火薬玉が夜空へ上がっていく。ひゅるるるる、と言う音の後に、大音響が響いた。天上に咲く、巨大な華。
「わああああっ」
ラインハットの人々は、大歓声で花火をたたえた。湖の精霊祭の始まりである。
「凄い、きれい!」
カイとアイルは、真上を見上げっぱなしだった。
「きれいだねっ、コリンズ君!」
「ああ。おれも見るの初めてだ」
コリンズは言った。
「でも、聞いてた通り、すげえなあ。ほら、また上がる!」
今度の花火は、爆発のとたん、金色の筋を四方八方にひき、その中に真紅の星をたくさんちりばめてあった。
「ねえ、見て見て!」
カイは下のほうを指差した。
 子供たちがいるのは城の正面バルコニーだった。城の門をはさんで、ラインハットの湖が見える。花火は水面に姿を映していた。金と赤の星は、天上から湖へ降り注ぎ、湖の底から水面へと昇ってくる。華麗な双花だった。
 花火が終わると、飾り立てた船がこちらと向こうの岸から出発し、湖の中央へ向かって漕ぎ出した。水面に映る市街や城の灯火が、さざ波にゆらぎ、砕けていく。
 中にひときわ大きな、王家のお召し船があった。船の上にラインハット王家の戦旗が大きく翻っている。船首には、護衛の兵士や御付きの貴族たちに囲まれて、デール王が立っていた。そばに従僕が従い、大きな花輪をささげ持っている。
 お召し船は湖の中央に漕ぎ出してきた。小さな舟はその周囲に同心円状に広がり、儀式を待った。王が従僕の手から花輪を受け取り、船のへさきに進み出た。
「ラインハットをみそなわす、湖の精霊よ。われらを護りたまえ」
そう言って水面に花輪を投じた。花輪は暗い水面に浮かび、光る波につかのま漂って、それからゆっくりと沈んでいった。
 岸壁から音楽がわきおこった。精霊が花輪を受け取ったことを祝い、これから一晩中、町をあげての宴が続くのである。お召し船は波を切って静かに岸辺へと戻っていく。そのへさきに、誇らかに顔を上げてデール王が立っていた。
「叔父上、体の調子がいいみたいだな」
コリンズの叔父、デールは、子供のころから病弱だったのだが、最近は体調がよく、よく公務をこなしていた。
「よかったね」
アイルはコリンズの横顔を見た。アイルの国グランバニアと違って、ラインハットの王位継承は複雑である。デール王が引退すれば、王座の重責はどっとコリンズにかかってくるはずだった。
「王太子は大変ね?」
カイが話しかけた。コリンズはちょっと赤面した。
「あ~、おれはまだ本物の王太子ってわけじゃないんだ。立太子式でちゃんと宣言されるまでな」
「それって、何日か後の、お祭の最後にやる儀式でしょう?」
「うん。おまえらも見てくだろ?」
「そのつもりよ」
へへっとコリンズは笑った。
「立太子式って、どんなことするの?」
「おまえんとこは?」
アイルはん~とつぶやいた。
「ええと、お父さんとお母さんと、オジロン大叔父様たちの前で、マスタードラゴンに“ぼくは王様を助けてグランバニアのためにがんばります。将来王様になるために、今はたくさん勉強します”って誓った」
「うちもなんか、そんなもん。でも儀式のときに、特別なアイテムが必要なんだ。先祖のコリンズ一世の持ち物なんだけど、魔力のあるモノらしい。それをもって宣誓するんだって」
「ぼくはまじめな態度と真剣な気持ちを持て、って言われた」
「いいなあ、おまえんとこは。おれはコリンズっていう名前をもらったから、特にアイテムが必須だって。ないと、立太子式ができないくらいのものなんだってさ」
「へんなの。アイテムがあったってなくたって、コリンズ君はコリンズ君なのに」
コリンズは湖の岸を眺めた。お召し船が着岸して従僕を従えたデール王が船から下りてくる。その周囲をうやうやしくラインハット歴代の貴族たちが取り囲んでいた。
「おれのとこ、石頭のやつがたくさんいるからさ。叔父上のちゃんとした後継者になるためには、文句の付けられないような儀式が必要なんだって、父上が言ってた」
「じゃあ、しょうがないね。大丈夫、緊張するけど、すぐ終わるよ」
コリンズは顔を上げた。
「よし、今のうちにたっぷり遊ぶか!」
ほら、始まった、とカイは目でアイルに言った。コリンズは気づかない。
「明日からお城じゃパーティ続きのカンヅメだからな、今夜のうちにお祭り見に行こうぜ!」
「うん、行こう!ね、カイ?」
目の前にひろがるラインハットの夜景は、たいそう陽気で楽しそうに見えた。にぎやかな音楽が風に乗って漂ってくる。カイの心も動いた。
「そうね、少しだけなら、いいかしら」

 自分で洗濯して糊をきかせた服におろしたてのエプロンをつけて、イリスはかもめ亭のフロントの前に立っていた。ものすごく緊張していた。
 宿の女将さんは、年寄りだが、しゃっきりした人だった。
「ハンナさんに言われてきたんだって?」
ちょっと首をかしげたが、すぐに女中を呼んで、取り次いでくれた。
「待っている間、ゆっくりすわっていらっしゃい」
イリスはどうにか微笑んだ。女将のオルガさんはいい人だ。うちの継母や義姉に見習わせたいほどだったが、これから会う人にするお願いのことを考えると、心臓が縮み上がるようだった。
 奥様とか言う人がオルガさんほど優しい人だったら、どんなにいいだろう。女中が戻ってきた。
「イリスさんですね?お客様がお待ちですって。どうぞ」
イリスはきちんと返事ができず、うなずいただけで女中について部屋へ入っていった。部屋は広くて、贅沢とは言えないにしても快適な雰囲気だった。若々しくてみなりのいい女性が一人、小間使いらしい女を控えさせて、大きな椅子にすわっていた。彼女は顔をあげた。
「いきなり来て、ごめんなさい!あたし……」
つっかえながらイリスが言い始めると、その女性はさっと椅子から立ち上がってぐっと近寄ってきた。
「顔を見せて?まあ、あなた、あたしの死んだ妹にそっくりだわ。ハンナの言っていた通り」
女性はうれしそうに言うと、なれなれしくイリスを抱きしめた。
「マスタードラゴンのお引き合わせじゃないかしら。お名前は?イリス?どこかしら、高貴な響きじゃないこと?」
イリスはめんくらった。女の声は笛のように高く、なめらかに歌うように話す。
「おいくつなの?10?大きいのねえ、14ぐらいかと思った。さあ、お菓子をどうぞ。チョコレートは嫌い?好き?あらよかった。ラインハットのお城で作るのと同じレシピなのよ」
小間使いにお茶をいれるように言うと、彼女はイリスとよりそって椅子にすわった。
「あの、奥様は」
「レディ・アーシュラ。未亡人だけど、家族名のほうは、聞かないでくださいね。ちょっと、事情がありますのよ」
はい、とイリスはつぶやいてぼうっとした。おそらく、夫だった人には、別に妻がいるのだろう。そういう立場の裕福な未亡人というわけだった。
 イリスの表情を見て、レディ・アーシュラは微笑んだ。
「生まれ育った家の方は、少しは誇りにできると思うの。あのグレイブルグ一族の分家の出なのよ」
「それなら、奥様とあたし、親戚なんだわ!」
イリスは興奮してそういった。
「死んだ母は、ディントン大公アドリアン様の娘だったんです」
レディ・アーシュラは、感に堪えたように両手で口元を覆った。
「まあ、なんてことかしら。グレイブルグ家はオーリン様が起こした家系なのよ」
「そして、アドリアン様、オーリン様は、先の国王エリオス様の御連枝(兄弟)なんですもの」
イリスとレディは手を取り合った。
「あたしたち、同じひとつの家系から出てきたのね」
イリスは感動していた。ずっと一人ぼっちで、ガチョウを相手に自分は本当はお姫様なのだと言い張ってきた。やっと、大人の、しかもこんなにきれいで立派な貴婦人が認めてくれた!
「今日は何てうれしい日なのかしら」
高価なレースのハンカチで目元をおさえて、レディはささやいた。
「やんごとない雰囲気は、抑えられないものだわねえ。イリス、いえ、イリス様には気品がおありだわ」
イリスは思わず赤くなった。
「そんな、奥様」
「頭巾のハンナがなんとか言っていたわね?ディントン大公のお血筋の姫様が舞踏会に着ていくお召し物に不自由なさっていらっしゃるんですって?」
「はい、それで、もし貸していただけたら……」
イリスはどきどきしていた。
「きっとお礼はいたしますから」
まっ、と言ってレディはのけぞった。
「お礼なんて、そんなことおっしゃらないで。妹が着る予定だった衣装がたくさんありますの。イリス様に袖を通していただけたら、あの子も浮かばれます」
レディは小間使いを呼んだ。
「アガサ、姫君にふさわしいお衣装をお見立てしてちょうだい」
 お衣装。お見立て。イリスはわくわくしてきた。
 一時間後、イリスは鏡の中の自分に向かって、目をぱちくりさせていた。自分はお姫様なのだとばかり思っていたら、ほんとにお姫様だったなんて。
「小さい方には、けばけばしい色はよろしくないと存じます」
アガサとか言う名前の、気取った小間使いがそう言った。
「ドレスも髪飾りも、清潔な白で統一しました」
シルクにサテン、フリルにレース。ずっと昔、お父様が存命中でも着たことのなかったすてきなドレスだった。なにしろ、本当の舞踏会用の衣装である。
「ただ、靴は意外でしたわ。おみ足、小さいんですことね。なかなか合うものがなくて」
「あ、靴はいいです。自分のをはきますから」
「舞踏会用の上履きをお持ちですか?」
疑い深そうにアガサは言った。
「はい!」
元気よくイリスは答えた。
「ほんとにかわいらしいこと」
レディは鏡の前に立つイリスの肩を後ろから抱くようにしてその姿に見とれた。
「残念だけど、今日は脱いでお帰りなさいね。パーティの当日、おうちを抜け出してここへいらっしゃい。このお部屋で着替えて、お城へ行けばいいわ。馬車と御者も手配しておくわね」
イリスはレディを見上げた。
「奥様とごいっしょできるんですか?」
レディは寂しそうに笑った。
「未亡人ですもの、華やかなお席は遠慮しているの。それに」
急に顔がくもった。
「奥様?」
「あ、ごめんなさいね。なんでもないの」
「そんな、聞かせてください。あたしたち、血がつながっているんですわ!」
「そうねえ」
レディは軽く首をかしげた。
「では、ここだけのお話にしてちょうだいね。あたしの夫は、代々伝わるアイテムを持っていたの。でもグレイブルグ大公家のユリア様に献上してしまったのよ。いえ、無理やり献上させられた、というのが正しいわ」
強欲で有名だったこのユリア様のことは、イリスも知っている。
「はい!死んだ父も、ずいぶん土地や屋敷を取られました」
「ね?身内を悪く言いたくないけどそういう方なの。ラインハットのお城にはユリア様もおいでになるのでしょ?あのアイテムを持って。それを見るのが辛いわ」
「お気の毒な……」
イリスは義憤に震えた。
「どんなアイテムなんですか?」
「“風の帽子”というの」
風の帽子ね?イリスはその名を胸に刻み込んだ。あたしの土地を取り戻すことができるなら、お姉さまとも慕うレディのために、そのアイテム、きっと手に入れてみせる。
 と決心したイリスの後ろで、レディの唇がにんまり、と笑ったことには、イリスは気づかなかった。