王宮のトランペット 第一話

 千枚の金の鱗が太陽を浴びていっせいに輝いた。巨大な竜は優雅な動きでラインハット城上空を旋回している。炯炯とした眼光、力強い爪、長い尾、全身を覆うきらびやかな鱗を、惜しげもなく披露していた。
 世界を統べる、竜の神、マスタードラゴン。
 市民と王家が見守る中、黄金の巨大竜は、高度を次第に下げて地に降り立った。天を覆うほどの翼を収めると、その背中から、地に滑り降りる人影が認められた。大人の男女と、双子らしい少年と少女だった。
 子供らしい屈託のない表情で、まず男の子がすすみでた。
「勇者様だ!」
とたんに声があがった。
「万歳!」
「勇者様!」
少年は照れくさそうな顔で立ち止まった。
「かわいい!ほんとにあの子なの?」
誰かがささやいた。
「ほんとだとも。あの装備を見ろよ」
それは美しい鎧だった。白銀の地に金の縁飾りをつけ、輝く魔法石を配置し、両肩に天空の竜を模した翠の装飾をほどこすという華麗さである。
「天空の鎧だ」
少年……勇者アイトヘルは、天空の鎧の上にグランバニア王家の紫のマントをつけ、左手に竜の翼のような飾りのついた兜をかかえている。マントの背にはやはり翠の竜の形の柄をつけた巨大な剣、天空の剣を背負っていた。
「小さいながら、立派なもんじゃないか!」
人々は、少年勇者を惚れ惚れと眺めた。
 誰かが言った。
「勇者様もいいけれど、お隣にいるのは、王女様だろう?」
 グランバニア王女カイリファは、その愛らしさや幼さにもかかわらず、強力な魔法使いとして知られていた。今日は大きな襟にふくらんだ袖、花びらのようなぺプラムのある青い上着の下に、光沢のある黄色い生地の大きく広がるスカートという装いだった。だが、手に杖を持ち、双子の兄弟と同じく、魔法使いの戦闘装束であることを示している。
 勇者と王女は連れ立って群衆の中を少し進んだ。湖のほとりにある町の広場の真ん中だった。広場の反対側、湖の岸辺には、出迎えのラインハット王家の人々が集まっていた。
 ラインハット全体がわくわくと待ち焦がれたイベントの、まさに開始のときが来たのだった。
 まず、明日の夜、長い間中断されていた湖の精霊祭が復活する。それからアイトヘル王子を招き、対魔王戦の勇者一行の勝利を天に感謝して共に祝うため数日にわたって大パーティが催される。期間の最後にコリンズ王子を正式にラインハットの王太子として任命するための儀式、立太子式が、グランバニア王家の立会いの下に挙行される予定になっていた。
 王子と王女は、歓声の中をほほを染めて歩いていたが、ふと歩みを止め、ふりかえった。
「お父さん、お母さん、早く早く!」
子供たちのはしゃいだ声にこたえて、直立するマスタードラゴンの陰の中から一家の父親が出てきた。一段と大きな歓声が彼を迎えた。
「グランバニアの王様だ!」
「聖獣王ルキウス!」
「ラインハットの友、ルーク!」
ラインハット最大の国難のとき、当時のヘンリー王子を助けて国を救ってくれたこの英雄を、ラインハットはあらん限りの歓呼の声で迎えた。
 長身を華麗な紫のマントで包んでいる。手にしているのは剣ではなく、竜の姿を模した一本の杖。
「王者のマントに、ドラゴンの杖だ。よっく見て置け?そんじょそこらにころがっているものじゃないんだからな」
群衆の中に、伝説に詳しい武器屋がいたらしく、しきりに感嘆している。
「マントに杖か。鎧に剣の方が、強そうだけどな」
誰かがつぶやいた。
「それじゃあおまえ、あの王様が弱そうに見えるのか?」
王は賢者のようなおだやかなものごしだったが、全身から発する力強さは、見間違いようもない。彼こそが当代において最高の戦士であることを疑う者はいなかった。
「いや、強そうだ。それに、なんてえか、いいねえ、あの人は。来いといわれたらどこまでもついていきたくなっちまう」
 人間のみならず、モンスターからも無条件で慕われるほどのそれを、単に「魅力」とも「スター性」とも言いにくい。町を埋め尽くす群集に、にこ、と笑顔を見せただけで、熱狂的な歓呼の声がかえってきた。
「文句なしに男前よねえ!」
「あんな優男で、それでめっちゃくちゃ強いんだってねえ!」
「魔物使いなんだってさ。ああ、あたしゃいっそ、モンスターになりたい」
 グランバニア王は子供たちに歩み寄り、一家の最後の一人が加わるのを静かに待った。
 石畳を敷き詰めたラインハットの広場に、マスタードラゴンの巨体がそびえ、その後ろに短い陰を落としている。その陰の中から、ゆっくりと彼女が現れた。
 その一瞬、ラインハットが静まり返った。
 黄金の王妃、ビアンカである。
 夫に負けないほどの長身は、まず足元から光の中に現れた。軽くヒールのある、銀のすねあてを膝の上まで配した戦闘用のブーツ。コツン、とつま先が石畳にあたり、一歩彼女が前に踏み出す。膝のやや上までのスカート状の服は、ローブではなく明らかに鎧下着、その上にまとうのは、銀に輝く鎧だった。
 コツン。彼女の半身が光にさらされる。鎧は鎖帷子ではない。プレートアーマーの一種だが、胸を保護するための部分は女性的な曲線を持ち、ウェストできりりとひきしまって腰へと続く。脇にちらりと見える黒革の止め具は使い込んで擦り傷があり、持ち主の戦場慣れを物語っていた。
 コツン。さらにもう一歩。大きめの肩当をつけて両肩を保護し、そのうえのオレンジ色のマントはくるぶしまでとどく。碧玉を配した金の襟止めがマントを鎖骨の位置でとめていた。
 コツン。ついに全身が現れた。黄金の髪はうねるような三つ編みとなってマントの上に流れている。そのりりしい顔立ち、聡明な青い瞳。
「ビアンカ!」
耳を聾する大歓声がわきおこった。ビ・アンカ、ビ・アンカ、と拍子をとり、ふしをつけて、ラインハット全体が歌っている。
 灼熱の魔法使い、炎の女戦士、そしてグランバニアの女王である彼女に、ラインハットは一目で恋していた。
 ラインハット王家の列から、一人の男が進み出た。激しく求愛する群集に、手で静かに、と合図した。
「ヘンリー様だ」
「お友達の、お出迎えか」
ラインハット人たちは、王国宰相の挨拶を浮き浮きと待った。
「美人のお出迎えなら、お手の物だろうよ」
 ヘンリーは、一家の前で立ち止まると、大きな帽子を取って一礼した。
「ようこそ、ラインハットへ」
ビアンカが話しかけた。
「それが、ご挨拶でしょうか?」
ヘンリーは真顔で彼女を見つめた。
「かつてわが国は」
と、ヘンリーは言った。
「近隣の国々に戦いを仕掛け、罪なきサンタローズの村を焼き滅ぼした」
政治家としての来歴は10年以上。演説慣れした彼の声は、よく通る。ラインハットの人々は息を呑んでヘンリーを見守った。
「今、われわれはそのことを悔い、将来にわたってそのような非道はしたくないと心にきめている」
ヘンリーの後ろでは、正装したデール王が、裁決を待つかのように佇立している。
「このようなラインハットを、ビアンカ王妃、あなたはご自身の友情に値する国として受け入れてくださるだろうか?」
針が落ちても聞こえるような沈黙が広場を支配した。ビアンカは口を開いた。
「悔いている、とおっしゃったそのお言葉、口先だけでないのなら」
ヘンリーは真剣なまなざしのまま、かすかにあごをあげた。
「すでにアルカパ、サンタローズを訪れて、今の村のようすを、私たちのしてきたことをご覧になったはずだ」
ビアンカはうなずいた。
「アルカパは私のふるさと、サンタローズは私の大切な人たちの愛した村です。ラインハットのしたことを、忘れることはできません。しかし、未来を信じ、今日、ここから、友情を育みたいと思います」
大歓声はなかった。そのかわり、静かな拍手が起こり、それはしだいに高まっていった。とどろくような拍手のなかで、ヘンリーはビアンカに歩み寄って片手を差し出した。ビアンカは厳粛な表情でその手を握り、不意に顔を寄せてささやいた。
「どこまでも過保護なお兄様ね。弟さんのお仕事じゃないの?」
くす、とヘンリーは笑った。
「デールは俺より頭がいいけど、俺のほうが度胸がある。紅蓮の王妃ともあろう方が、弱いものいじめじゃないだろ?」
ビアンカも、ふっと笑った。戦女神のようなりりしい表情がさっと変わり、はつらつとして愛らしい少女の顔になる。ヘンリーはちょっと見とれた。
「王妃さま……次はダンスのときに、手を握らせていただけますか?」
「いっぺん、足を踏まれてみます?」
 グランバニア一家の後ろで、マスタードラゴンが大きく伸びをした。今まで、じっと見守っていたようだった。ルークは片手をあげて竜に挨拶した。竜は、大きな頭を一度動かして挨拶に答えると、たちまち両翼をいっぱいに広げ、再び天へと舞い上がった。巻き起こる嵐に、うれしそうな悲鳴や歓声があがる。
 晴れた青空に金の竜を見送って、デール王がコリンズ王子を連れて進み出てきた。
「コリンズ君!」
少年勇者は、顔を輝かせてコリンズの手を引きにきた。
「お母さん!ぼくたちのビアンカ母さんだよ」
王女が、そっくりの母を見上げた。
「この子、コリンズ君よ。前に話した子」
ビアンカは膝に手を当てて少年の顔をのぞきこんだ。
「こんにちは!うちの子どもたちと、仲良くしてくれたんですって?ありがとう!」
ぱっと笑うと、花のような笑顔だった。コリンズは驚いて若々しいビアンカを見上げ、赤くなった。
「おお~、美っ人~」
「ありがと」
「おれ、コリンズです。はじめまして」
ビアンカが笑って手を差し伸べた。コリンズは、いっぱしにその手をとって甲に唇をちょんとつけた。
「あらっ」
ビアンカが笑う。女神と戦士と少女が同居する、あでやかな人に、ラインハット全体が見とれていた。

 祭りの予感が、町全体を覆っている。派手で豪華な、お楽しみ尽くめの7日間がこれから始まろうとしている。
「すてきじゃないか、グランバニアのご一家は!」
人々は口々にそんな話を交わしていた。
「ああ、パーティがあるんだろ?」
「コリンズ様の立太子のお披露目パーティは国中の女たちに招待状がばらまかれたんだって?」
「そうよ、あたし、もってるもの」
話好きらしい娘が一人、ふところから封筒入りの招待状を取り出してみせた。
「あの嵐と地震と大混乱の中でも、これだけは手放さなかったの!」
「あたしだって、あるわよ。じきじきにコリンズ様の従僕からもらったんだもの」
物見高いラインハット人たちは、歓迎式典を取り巻いて、うれしそうに騒いでいた。
「楽しみが増えたわね。本命のコリンズ王子に、独身のデール様に」
「ヘンリー様とルキウス様は奥さんもちだけど、かわいい勇者様がおいでになるわ」
「乗り気じゃなかった男衆が、身を乗り出してたわよ?」
「それはだって、ビアンカ様とカイ王女を近くで見られるかもしれないんだもの」
「マリア大公妃も当然いらっしゃるだろうし、なんと、太后アデル様もお見えになるんですって」
「ええっ、アデル様、おいくつ?」
「かなりのお年だろうけど、かつては王国一の美女と言われた方よ。一見の価値ありだってさ。ユリア様はそれほどじゃないだろうけど」
「ユリア様って?」
「グレイブルグ大公妃さまよ。ヘンリー様と対立してからこっちずっと引退状態でいらっしたのだけど、これを機会にまたお城に出てくるらしいわ。珍しい顔だってことは確かね」
 そういったときだった。急に吹いた風が、おしゃべりをしていた娘の手から、ふっと招待状を奪い取った。
「あっ、待って」
風は群集の上を吹きすぎていく。招待状は、群集の輪の一番外側の、貧しげな身なりの少女の足元へ運ばれた。少女は、さっと招待状をふみつけた。
「ちょっと、このへんにコリンズ様の招待状が来なかった?」
娘が二人、はあはあ言って走って来た。貧しげな少女は眉ひとつ動かさない。
「誰か、見た人いない?取り戻してくれたら、10ゴールドあげるわ!」
少女はちらりとその娘を見た。
「何か紙みたいなもんが、あっちへ飛んでったわ」
「あっちね?」
少女はすかさず、手を出した。娘はもどかしげに金貨をおしこんだ。
「行こう!」
娘たちは走っていってしまった。しばらくしてから、少女は靴の下から、泥だらけの招待状をつまみあげ、10ゴールドといっしょに手にしたバスケットの中へしまいこんだ。きょろきょろと辺りを見回し、さっときびすを返して町の門へと向かった。

 封筒は泥に汚れてはいたが、その中の招待状無事だった。豊かなクリーム色に金の縁。封印はまぎれもなく、ラインハット王家のもの。オリジナルの紋章に銀のレイブルを載せた、コリンズ王子の紋章だった。
「○月○日、ラインハット城大広間にて、舞踏会を開催いたします。つきましては、貴女にご出席の栄を賜りたく、ここに御招待申し上げるものであります」
 招待状の縁が指のあかぎれにひっかかり、イリスは痛みで飛び上がりそうになった。
「つっ……これ、本物なんだわ」
がさがさのやせた手でイリスは招待状をひっくりかえし、封筒の中を広げて底まで確かめ、じっくりと眺めた。
「宛名が書いてないわ」
 頭上から木漏れ日がちらちらとイリスの上に降ってくる。ガチョウの群は、池の上でのんびりと泳いでいる。池の周りの木々は陽射しに揺れて、眠くなるほど平和だった。
 大きなメスのガチョウが、のたのたと近寄ってきた。平べったいくちばしで、ンガァと鳴いた。“おせっかいやき”とイリスが呼んでいる、年寄りガチョウだった。
「宛名が書いてないんだから、これをもっている人が舞踏会へ行っていいのよね?」
イリスは“おせっかいやき“に招待状を見せた。ガチョウはンガァと答えた。
 屋敷のそばの小屋からこの池までガチョウの群をつれてきて、えさをやり、面倒を見るのが、イリスの仕事だった。いや、他にも山のようにある仕事のひとつだった。
 だが、はてしない野菜の下ごしらえや階段の拭き掃除、女主人のドレスのつくろいや大量のふきんの洗濯などにくらべると、ひとつだけ、すばらしいところがあった。ひとりの時間がもらえるのだ。もう長いこと、10歳のイリスが自分だけの秘密のもちものを確かめるのは、このガチョウの池のほとりと決まっていた。
 秘密と言ってもこのあいだまでは死んだ母親が形見に残したあれこれ……まがいものの宝石をつけたペンダントだの、娘(イリス)のことを書き綴った手紙だのだったが、今日の宝物は、ひとあじ違う。本物の、王子様の舞踏会の、招待状なのだった。
「無駄にするのは惜しいよ、“おせっかいやき”。だって、これ、あたしが自分の才覚で手に入れたのよ?」
“おせっかいやき”は首をひょこひょこと動かして、招待状を眺めた。
「聞いてよ、運が向いてきたかもしれないんだから。あたしはお城へ行くの。そうして、あたしのものを、全部取り戻すのよ」
“おせっかいやき”は首を傾げ、ガチョウにできるせいいっぱいのやりかたで、ウソでしょう、と告げた。
「本当よ!ラインハットのお城へのぼって、デール王に申し上げるんだわ。“アドリアン・オブ・ディントンの孫でございます。二代前に賜った土地を奪われてしまいました。私のためにとり返してくださいませ!”」

 優しくて美しかったイリスの母が病気でなくなって数年後、父は友人の未亡人と再婚した。父の友人と言う人はだいぶ前に「光の教団」というところへ入信したまま、帰ってこなかったそうだ。未亡人は再婚にあたって自分が産んだ娘を一人連れてきて、それがイリスの姉、ということになった。
 父は、長いことがんばった。グレイブルグ大公妃と言う人が一家の財産だった土地を次々と奪っていく間、屋敷とそのまわりの土地だけはなんとか守り通してきた。だが、宰相が代わり、やっと平和な時代になったと思ったのに、父は一昨年の流行病で、あっけなく逝ってしまったのだった。
 そのときからイリスの宇宙は崩壊した。子供部屋と暖かくておしゃれな服とおいしい食事の世界からたたき出され、台所の片隅の藁の山と粗末な衣服と、尽きることのない家事の下働きへと無理やりおいやられた。
「誰も聞いちゃくれないけど、あの家も財産も、あたしのものよ。だって母方のおばあ様が、死んだお母様に書いた手紙に書いてあったもん!おばあ様は昔、ディントン大公と言う方の侍女を務めていたの。すっごくハンサムな王子様で、おばあ様は大公様と恋に落ちて、そしてお母様が生まれたの」
イリスは立ち上がり、両手を広げた。
「どうしてこのエマーソンの土地と家だけは取り上げられなかったのだと思う?ディントン大公のお声がかりで、おばあ様が先の王様、エリオス様からいただいた土地だからなのよ!財産はお母様が引きついで、お父様はその入り婿なの。今お屋敷で主人顔している女ども(お義母さまと、お義姉さまのことよ)は、ほんとはこの土地に何の権利もないんだわ!」
「ンガア!」
ガチョウが大声で鳴いた。イリスはうなだれた。
「うん。証拠はないの。取られちゃったの。おばあさまがディントンのお殿様にいただいて、お母様に引き継いだ証拠の品よ。あれはどうしたってあたしがもらうはずのものだのに、あいつら……」
イリスはだん、と音を立てて地面を踏みつけた。
「“おまえには、もったいないわ”だって。ふん、あれがどんなものだか、知ってんの?そうよ、あいつら、気づいてないのよ。あれはあたしの血筋を証明するものよ。あれを持ってデール様のおそばに行かれれば、あたしの勝ちだわ!」
イリスは勝ち誇ってガチョウを見下ろした。
「そんなにうまくいくかね」
と、ガチョウは言った。少なくとも、イリスにはそう聞こえた。いかにもガチョウらしい、しわがれたガアガア声。
「誰?!」
イリスは振り向いた。イリスの後ろに魔女が立っていた。