子供たち 第一話

 ラインハット風の焼き菓子は、薄くて、パリパリしていて、縁がキツネ色に焼けて、バターの香りがする。
「お父さんの言ったとおりだね?」
アイルがそう言うとルークは微笑んだ。
「ああ、この味、なつかしいよ」
「ルークさん、おぼえていてくださったのですね」
マリア大公妃は、うれしそうな顔になった。
「最近はメルダの娘のクリスが、それは上手に焼いてくれますのよ。さあ、たんと召し上がれ、殿下方」
陶器の皿に盛った焼き菓子をアイルとカイの方へ寄せてくれた。
「ありがとう!」
 マリア大公妃はやさしく微笑む美しい人で、いかにもお母さんという感じがした。ラインハット城奥のこの部屋も、どこかマリアの人柄に似て、人を安心させ、包み込むような雰囲気があった。
 双子とルークは、この前日にトレミアのはずれでヘンリー親子を救出して、ラインハットまで飛んできた。
 その夜ラインハットは騒然となった。ヘンリーは宰相の名においてトレミア全域に緊急非難と立ち入り禁止の命令を出し、王国正規軍に集合をかけて出発させる騒ぎになった。ルークは国王の御前会議に加わって夜更けまで会議室にいた。双子は先に疲れて眠くなってしまい、マリア大公妃の配慮で客用寝室に入れてもらって休んだ。
 一夜明けて、城はやっと落ち着きを取り戻していた。
 マリアは“ありがとう”と言って侍女の手から銀のポットを受け取った。
 室内を飾る織物の類は、暖かい色を使い、銀の器はどれもぴかぴかに磨き上げる。マリアは自分の“巣”を、しごく立派に、そして楽しんで切り回しているようだった。
「あいかわらず辛い旅を重ねていらっしゃるのですね、ルークさんは」
もの思わしげにマリアは言った。
ルークは首を振った。
「辛くはないよ。今は子供たちがいっしょだから」
マリアはポットから黒く見える液体を、なみなみとカップに注いだ。すばらしい香りが漂った。
「コーヒーはいかがですか?今のラインハットは、すっかりコーヒーの町ですわ」
ルークはカップをもちあげ、香りを楽しむかのように顔を近づけた。
「昔、テルパドールの町で飲んだよ。テルパドールのコーヒーはショウガが入ってたかな。香りが強くてね。ラインハットにまで広まっていると思わなかった」
若い侍女がやってきて、マリアに何かささやいた。マリアはうれしそうに笑った。そうすると、ぱっと少女の顔に、この人はもどる。
「ヘンリーが来ますって。国王陛下もご一緒だそうです」
装飾パネルのついた扉を左右に開かせて、国王が最初に入ってきた。ルークは椅子から立ちあがった。
「ああ、ルークさん、どうぞそのままで。やっと落ち着いたので義姉上にコーヒーをご馳走になろうと思ってきただけです」
若い国王は、はにかんだような笑みを浮かべた。
「夕べはきちんとご挨拶もできなくてすみません。あらためて、お帰りなさい。あなたが無事で本当によかった」
アイルは、その若い王様がちょっと好きになった。とても誠実そうで、心から無事を喜んでくれているのがわかった。
「恐れ入ります、デール様。どれだけの方にご心配をかけたかと思うと、恐縮です」
「堅苦しいことはどうかおっしゃらずに。私たちは、同業者だと思うのですが」
ルークは笑顔を見せた。
「そう言われれば、確かにそうですね」
 そのときアイルは、その子に気がついた。デールの後ろからヘンリーが来たが、その子はヘンリーの背中に隠れてじっとこちらを見ている。昨日、ヘンリーといっしょにいた男の子だった。
 顔中に、はでにそばかすを散らした男の子で、明るい緑の髪をしている。大きな目にくっきりした眉毛といい、むっと結んだ唇といい、意志の強そうな顔立ちだが、その子はにらみつけるようにルークを、ルークだけを見ていた。
「悪い。遅くなった」
ヘンリーはもう、負傷の痕もなかった。前の夜から忙しくしていたはずだが、いたって元気そうだった。
「オレストにつかまって説教されたよ。いくつになっても城を抜け出す癖があるのならコリンズと一緒に閉じ込めるってさ」
ルークはヘンリーの後ろにいた、その子に笑いかけた。
「彼がコリンズ君だね?一目でヘンリーの子供だってわかったよ」
ヘンリーは複雑な顔をした。
「昔さんざん親父に似ているといわれたとき、親子だって知ってるから思い込みがあるんだろうと思ってたんだ。けど、こいつがこう、昔のおれに似てくるとな。しゃれにならないくらいだろ?」
「うりふたつだね」
「でも、性格は違うんだぞ。こいつのほうがいたずらなんだ。まったく、誰に似たんだか」
マリアとデールは、それぞれ別の方角を向き、口元をかるくおさえた。顔の筋肉が震えているのは、笑いをこらえているらしい。
「おれは本気だぞ」
デールは笑いを咳にごまかした。
「ルークさん、いかがですか、久々のラインハットは?」
「なんで話題を変えんだよ」
「ええ、明るいですね、この町は。活気があって、人が生き生きしている。町の入口から城まで、ぼくは次から次と笑顔に出会いましたよ」
「ルーク……」
何か言いたそうな顔のヘンリーを、ルークは笑顔で封じ込めた。
「ヘンリーが宰相としてすばらしい仕事をしてるってことさ。オラクルベリーもそうだったよ。いい領主がいると、町のようすがはっきりちがうからね」
 ふん、とヘンリーはつぶやいた。
「じゃあ、ラインハットの国民にそう言ってやってくれよ。あいつらと来たら、飽きっぽくて遊び好きで、働きもしないくせに、言いたいこと言いやがるんだから」
「苦労してるの?」
椅子に座り込んでヘンリーはぼやいた。
「うちの連中は軽佻浮薄なんだ。グランバニアはいいよな。質実剛健で、規律が隅々まで行き届いてさ。王のために、民は一丸となってくれるし。おれもグランバニアで宰相やってみたいや」
アイルの隣でカイがくすっと笑った。
「あの人、まるで別人みたい」
「ヘンリーさんのこと?」
「そうよ。この間あったときは、とても大人に見えたのに」
 数ヶ月前、双子は偶然、オラクルベリーを訪れたことが会った。そのときたまたま、少女誘拐事件を追及していたヘンリーと出くわしたのだった。
「本当に大人だろ?お父さんより一つ年上なんだから」
「1+8で今は9歳上なのね。でも、なんだか子供みたい。子供って言うか、まるで男の子みたく見えるの」
そういえば、故郷の城下町に、あんなしゃべり方をするいたずら小僧がいたような気がする、とアイルは思っておかしくなった。
 コリンズと呼ばれた子が、ふと手を伸ばしてヘンリーの服を引っ張った。
「父上、おれ、殿下たちをあっちこっち案内するよ」
「今朝はまた、ずいぶんと殊勝じゃないか、コリンズ?」
「大人の話聞いてるの、退屈だもん」
アイルは同感だった。
「お父さん、行ってもいい?」
「行っておいで。迷子にならないようにね」
コリンズはアイルたちに手招きした。
「こっちだよ、ええと、アイトヘル殿下?」
「アイルでいいよ。こっちは妹のカイリファ、カイ」
コリンズは肩をすくめ、なにも言わずに歩き出した。
「コリンズ、両殿下にちょっかい出すなよ」
ヘンリーが釘をさした。
「現役のパーティーに手を出すほどバカじゃないよ」
そう言って部屋を出た。だがアイルは、最後にコリンズが一瞥をくれた相手が、父でも母でも王でもなく、ルークだったことに気がついていた。

 赤紫のケープをひらひらさせて、コリンズは足早に廊下を歩いていった。
「待ってよ、コリンズ君」
 細かくて複雑な唐草模様のタペストリが見渡す限り続いている。アルコーヴごとに大きな陶器の花瓶や、古い鎧が飾ってある。どの廊下もすごくよく似て見えた。
 コリンズは右へ左へとすいすい曲がっていく。
 アイルはぱっと駆け出してコリンズと並んだ。
「コリンズ君、この廊下のつながり全部覚えてんの?すごいな」
コリンズは一瞬驚いた顔をしたが、すぐ怒っているような表情に戻った。
「うん、まあ、覚えてるよ」
「すげ~」
コリンズは速度を緩めた。
「おれ、一度見たものは忘れないんだ」
「え?」
「一度見ればあとから細かいところまで思い出せる。人の顔や名前も忘れない。一晩ていどなら、本一冊丸ごと覚えているくらいは軽いさ。いつもそばにいるやつなら、癖を覚えて、何を考えているかもだいたいわかる」
「え~、じゃあ、神経衰弱、楽勝じゃん」
コリンズは立ち止まり、まじまじとアイルの顔を見た。
「おまえな……」
「うん?」
コリンズは首を振って、また歩き出した。
「父上も叔父上も同じことができるから、誰でもできると思ってたんだ」
コリンズは肩をすくめた。
「そこに気がつくまでに、おれずいぶん友達なくしたよ」
アイルはあっさり言った。
「へんなの!」
 コリンズはまた妙な顔をした。湖を描いた大きな絵の隣で壁にもたれ、片手で頭をかいた。
「調子狂うな。おまえって」
「なに、なに?」
コリンズは、いきなりにやっと笑った。
「ま、いいか。おれはこれから消える。追いかけてみな!」
 とつぜん湖の絵がはねあがった。その後ろにぽっかり開いた空洞へ、コリンズは背中から飛び込んだ。絵が音を立てて元の位置へ落ちた。すべては瞬きするほどの間の出来事だった。
「な、なに?」
カイが湖の絵に近寄って、額縁を引っ張ったりたたいたりした。
「だめだわ、コリンズ君、どうやったのかしら」
「すげー、すげー」
アイルは興奮していた。
「ねえ、でも、どうしよう。コリンズ君がいないと、あたしたち、完全に迷子よ」
「じゃあ、追いかけよう!あ、ほら、あそこだ」
廊下の突き当たりに掛かった大きな鏡の中に、赤紫のケープがちらりと見えた。双子は回れ右をして走り出した。

 赤紫のケープはどこにでも現れた。角を曲がって消え、階段の下のほうをかけ去り、ドアからすり抜けていく。双子はコリンズを追いかけて走りまわった。
 いつのまにか、王族居住区を抜けて、城の表向きのほうへ来てしまっていた。
豪華な執務室の扉をあけると、紙ふぶきのように羊皮紙が舞い上がり、役人が一人、かんかんに怒っていた。
「クソガキ~!」
「あのう、コリンズ君を見ませんでした?」
妙におしゃれな役人は、さっとふりむき、青筋を浮かせて答えた。
「たったいま飛びこんできて、宰相閣下の机から窓の下へダイビングしていったよ!」
あのクソガキ、と役人はもう一度つぶやきながら、宙を舞う書類をかき集めていた。
「コリンズ殿下と追いかけっこ?根性あるな、君ら」
 宰相執務室の下にあるテラスから兵士の待機室までたどりついて同じことを尋ねると、若い兵士がそう言った。
「あっちのほうへ行ったよ。でも気をつけて。入っちゃいけない部屋もあるからね」
「ありがとう!さあ、おつぎはどこだ?」
「アイルったら、ワクワクしてるでしょ」
双子も生まれてからずっと城暮らしで、城というもののだいたいの構造は心得ている。直線の廊下を走っていくと、突き当たりにコリンズが見えた。
「みーつけっ!」
「うわっ、もう来た」
コリンズは飛びあがって、すぐそばの扉から中へ消えた。
 アイルは追いついて勢いよくその扉を開け放った。そこは、武具倉庫のようだった。宝箱や刀架けの向こうから、コリンズはにやりとした。
「ちょっと距離を稼がせてもらうよ」
壁に手を伸ばしてスイッチのようなものを押した。とたんに床一面がうす青く輝き出した。アイルが飛びあがった。
「イタッ」
「アイル、戻って!これ、バリアー床よ」
コリンズは満足そうに人差し指を振ってみせた。
「スイッチはこっちがわだけだよ。回り道を探しな」
「それじゃまかれちゃうよ!みてろ」
アイルは指を組み合わせて印を作り、呪文を唱えた。
「……トラマナ!」
「しまった!」
コリンズはぱっと身を翻して逃げ出した。アイルは後を追おうとした。
「いたっ、痛いっ」
カイがため息をついた。
「だって、アイル、まだトラマナ覚えてないじゃない」

 結局双子は、通りかかった兵士に助けてもらった。
「殿下がよく行くところ?大后様の御庭じゃないかな」
「どうも!」
 大后の小庭園は、森の空き地のような野趣に富んだ美しい庭だった。本物の樹が林のように植えてある。中央に自然石を使った大きな水盤があり、赤い小鳥が水を飲み、睡蓮の葉の上にカエルが黙然と座っていた。
「わ、リス!」
枝を見上げ、カイが喜んで声をあげた。
 双子が庭園を通りぬけようとしたときだった。小鳥がいっせいに羽音を立てて飛び立った。
 水盤の縁に、青光りする蛇がするりと上がってきたのだった。蛇は明らかにカエルに狙いを定め、しゃっという音を立てて獲物に飛びついた。カエルはぎょろりとへびをにらみ、大きな口を開いた。
「きゃあっ」
カイが悲鳴をあげた。
「カイ!」
カイはまっすぐ水盤へ駆け寄ると、苦しがって暴れる蛇のしっぽをつかんで引っ張った。
「ちょっと!この子を放しなさい!」
巨大なカエルは口の中に蛇を飲み込んだまま、迷惑そうにカイを見上げた。
「アレキサンダー、やめろ」
コリンズの声だった。庭園の一階上をとりまく回廊から、コリンズが見下ろしていた。
 カエルのアレキサンダーは、しぶしぶ蛇を吐き出すと水盤の中へもぐって消えた。カイは青い蛇をそっと石の上に寝かせてやり、それからあごを振り上げるようにしてコリンズをにらみつけた。
「コリンズ君がやらせたの?ひどいわ。かわいそうじゃない」
だがコリンズの目は驚きのあまり丸く見開かれていた。おずおずとコリンズは言った。
「あのさ、一つ聞いてもいい?蛇とかカエルとか、怖くないの?」
カイはちょっと赤くなった。
「ふつう女の子は怖がるみたいね」
アイルは胸を張った。
「さっきのコリンズ君じゃないけどさ、カイはクモでも毛虫でもトカゲでも怖がったことないよ。モンスター使いの娘だもん。ドリスもそうだから、みんなそういうもんだと思ってたんだ。本当のことに気づくまで、侍女やアントニア大叔母様にだいぶ迷惑かけたみたい」
「モンスターに比べれば、蛇がなんぼのもんか」
コリンズはまだまじまじとカイを見ていた。それから、ぽつりと言った。
「おまえらがもっとやなやつらだとよかったのに」
「え?」
コリンズはなぜか赤くなった。
「おれを捕まえたと思ったら大間違いだぞ。まだまだだ!」
コリンズは回廊を曲がって消えた。
「今、コリンズ君、変なこと言ったね」
「それ言ったら最初っから変だわ。お城を案内するのに、普通、いきなり追いかけっこする?」
「え、そう?楽しいじゃん」
カイは頭を振った。
「何か考えてるのよ。さっきコリンズ君、ずっとお父さんを見てたでしょ?」
「それは、気づいてた。よし、つかまえよう。直接聞いてみよう」
「ねえ、こっちは二人なのよね?」
そう言ってカイはくすっと笑った。