南の国の結婚式 第一話

 大型の帆船は、サラボナ港の桟橋にゆっくりと接岸した。
 世界一とうたわれる豪商の目で、ルドマンはその船を値踏みした。よく荒波に耐える造りだが、やや老朽化している。船名は「疾風の女王」。はるかオラクルベリーより、このサラボナで行われる結婚式の招待客を乗せてきた船だった。
 帆船から最初に降りてきたのは背筋の伸びた壮年の男だった。船の帆についたトレードマークから、それが噂に高いオラクルベリーの大商人、セルジオだろうとルドマンは思った。
 すぐそのあとから、一人の貴公子が降り立った。大きな帽子もケープも、ラインハット貴族の装束だとルドマンは聞いていた。南国のサラボナにあっても、彼はどこか涼しげな、洗練された動きをした。
 ほう、とルドマンは思った。この公子が、本日の花婿、ルークの友人にちがいなかった。命令することに慣れた態度や、年齢を越えた貫禄を別にしても、彼はルークと共通した雰囲気を持っていた。
 なかなかどうして、悪くない、と思ってルドマンは苦笑した。若い男を見ると、娘の婿にできないかと考える癖は、そろそろやめたほうがいいようだった。
 第一、貴公子は、美しい女性の手をとってやさしく帆船から助けおろしてい る。白いベールと海の色のドレスが映える貴婦人だった。
「ヘンリー」
ルークは公子の名を呼んで駆け寄った。ヘンリーと呼ばれた若者はふりむき、突然少年のように顔を輝かせ、ルークを受け止めて抱きしめた。
「ひさしぶりだなっ」
「来てくれたんだね」
 こんなに嬉しそうなルークを見るのは、珍しかった。ぼくにとって、ヘンリーは兄弟と同じです、と話してはいたが、実の兄に会ったとしても人はこれほど喜ぶだろうかとルドマンは思った。
「おまえ、日焼けしたじゃないか。うん、元気そうだ。それにしても」
と言ってヘンリーはルークの周りを見た。
「増えたな……」
落ち着いたものだ、とルドマンは思った。娘の婿にと見こんだルドマンさえ、ルークの周りにいつもうじゃうじゃいるモンスターには、閉口している。
「なんか、淋しかったらしくてね」
ルークは照れくさそうに言った。
「気がついたら、仲間をこんなに集めてたんだ」
この子がメッキー、こっちがパペック、それからジュエルに、クックルー、ベホマンとホイミンのコンビ、スラリンは知っているね?いつもながら、ルークは人間の友だちを紹介するような言い方をした。
「そうだ、この子も紹介するよ、と言っても、ヘンリーとは初対面じゃないよね」
 ルークの後ろから、のっそりとキラーパンサーが顔を出した。たいていの人間は魂が消えるような思いをする。大猫というより小型の牛くらいあるこの動物は、野にあれば恐ろしく凶暴なモンスターなのだ。
「覚えてる?プックルなんだけど」
さすがにヘンリーは一歩後ずさった。が、プックルがおとなしく座っていると、その真っ赤なたてがみにそっと手を触れた。
「思い出したよ。こいつがあのときの猫?お~い、こいつ何食ってこんなんなったんだ?」 
「ぼくが知るかぎりじゃ、かぼちゃとか、にんじんとか」
「うそつけ。この首のリボン、思いっきり似合わないぞ」
あはは、とルークは笑った。
「ビアンカはかわいいって言うよ」
ヘンリーはにやっと笑った。端正な貴公子から育ちすぎたいたずら小僧へ瞬時にして変わる、独特の笑顔だった。
「で、花嫁さんはどちらに?」
ルークがうっすらとほほを染めた。
「控え室。今、着付けをしているから入るなって言われているんだ。ドレスだから時間がかかる」
へへ、と経験者らしくヘンリーは笑った。
「花婿はヒマなもんだよな」
ルークはすでに、サラボナ風の花婿の衣装を身につけていた。白い長い服に飾り帯を締め、紫色の袖なしの上着を重ねる。相変わらずすっきりとした男前である。
「おっと忘れてた。こっちも紹介しなきゃな。おれの、奥方」
 ヘンリーは、それまで後ろにいた女性の手を取って前へ連れ出した。彼女がベールをあげると、ルークは目を丸くし、それからプレゼントをもらった子供のような顔になった。
「マリア」
マリアというらしいその貴婦人は清楚な微笑を見せた。
「お久しぶりです、ルークさん。わたしたち、結婚しました。知っておられたでしょう」
「あれから一度、修道院へ行ったからね」
「どうして城へ来てくれなかったんだ?」
「呪文の実験中だったんだ。ごめん。でも、おめでとう。嬉しいよ、ぼくの大好きな二人が結婚したなんて」
ルークはまっすぐにマリアの目を見詰めた。
「すごく、幸せそうだ」
新妻は夫の顔を見合わせて、うれしそうにうなずきあった。
「ありがとうございます。ルークさんも、どうかお幸せに」
メイドがルドマンのところへやってきた。
「花嫁の御仕度ができたそうです」
「よし、いよいよだな」
 サラボナの教会の前は、南国の熱い風に棕櫚の葉が揺れ、噴水の水がきらめいて踊る美しい広場だった。ルドマンはこの広場に張った大天幕のなかで、招待客を接待していた。
 ルドマンはセルジオたちに近寄って話しかけた。
「サラボナへようこそ。御客人のみなさん、式の前に軽く一杯いかがですかな」
「恐れ入ります」
立派な風格の同業者は、随員の若者に何か言いつけてゆっくりと天幕へ入った。
「まずはお慶びを申し上げましょう。良いお式になりそうですな。サラボナのルドマンどの。オラクルベリーに店を持つ、セルジオと申します。この佳き日を御縁にしたいもの」
ルドマンはグラスを手渡した。
「こちらこそ、高名なセルジオどのにお目にかかれて光栄です。オラクルベリーの方とは、かねてからいろいろとお話したい事もございましてな」
サラボナとオラクルベリーを結ぶ遠距離貿易は、どちらにとってもすばらしい利益になるに違いない。思いがけなくいい商談ができそうだった。セルジオは物のわかったようすでうなずいた。
「こちらこそ」
従僕の若者が戻ってきた。貴族の従僕にふさわしく、態度に出すぎたところのない青年だったが、目配りがしっかりとしていて何を任せても頼りになりそうだった。
「殿下とお妃様がお見えになります」
ルドマンは若者にたずねた。
「あの公子はどういう御方かな?」
「オラクルベリーを領有する大公、ヘンリー殿下と、マリア妃殿下であらせられます」
「ジュスト、あらせられますはよせと言ったろ」
粋なしぐさで入り口の垂れ幕をめくって、当の本人が言った。若者らしい、率直な性格のようだった。
「はじめまして、ルドマンどの」
ジュストという従僕の告げた称号が本物なら、ラインハット屈指の大貴族である公子は、気さくに挨拶した。
「オラクルベリーのヘンリーと申します。お見知りおきを。これは妻のマリア」
ルドマンは礼を返した。
「お見逸れいたしました。ルーク君のお友達が、これほどやんごとない方々だとは思っても見ませんでしたよ」
ヘンリーはにっと笑った。
「どうかお気遣いなく。ルークとは奴隷仲間ですから」
マリア大公妃がしとやかに言い添えた。
「私もです」
ルドマンは返事に詰まった。
「失礼します」
ルークが天幕へやってきた。
「式の前だけど、あのう、彼女を紹介するよ」
白い花嫁衣裳のビアンカがいっしょだった。いつも颯爽として女性ながらきりりとした気性の持ち主だが、今日はさながら、白い百合の精霊である。
「ビアンカ嬢、ちゃんと着つけはできたかね」
「後はベールだけですわ、ルドマン様。見てください、フローラさんの着付けの御見事な事」
屈託のない、明るい瞳。娘のフローラとルークを争った当人なのだが、ルドマンにはビアンカが憎めなかった。この性格、この気概、女にしておくのはもったいない、男だったら婿に欲しい、と、考えてルドマンはまた首を振った。
 ルークは照れくささと誇らしさが入り混じった顔で、花嫁を友人に紹介していた。
「話したことあるだろ?友達のヘンリーとマリア。彼女がビアンカ。ぼくの幼なじみ」
ヘンリーは帽子を取って胸に当て宮廷式に一礼した。
「お初にお目にかかります、ビアンカ嬢、こんなにお美しい方だとは思っていませんでした」
そう言ってさりげなく付け加える。
「夜中にお散歩のせつは、いつでもお供いたします」
ビアンカの目が丸くなり、くしゃっとした笑顔になった。
「恐れ入ります、殿下。おうわさはかねがねうかがっておりました。焼きたてのお菓子が欲しくなったら、お城へうかがいますわ」
取り澄ました物言いの後ろで、鮮やかな精神がきらめく。ビアンカもまた、ルークとそしてヘンリーと共通した何かを心に持って生まれてきたのだと、ルドマンは思った。
「マリアさんですね?」
ビアンカが言うと、マリアはにこっとした。
「はい。ビアンカさん、とお呼びしてもいいですか?よくルークさんがあなたのお話をしていたので、知らない方のような気がしません」
「あら、うれしいわ。ねえ、先輩の花嫁さんでしょう。いろいろ聞かせてください」
「うふふ。花婿さんの前ではちょっと」
ビアンカはピョンと立ち上がった。
「いっしょに来て?フローラさんにも紹介するから。そりゃかわいい人よ。お友達になったの」
マリアは、はっと顔を上げた。
「サラボナのフローラ様……私、その方を存じ上げているかもしれません」
「ほんとう?まあ、どこで」
「精霊の乙女の像をお祭りする修道院のことです。ああ、もし本当にあの方だったら……私、あの、お目にかかってもいいのでしょうか」
マリアはいそいそと立ち上がった。
「もちろん!こちらよ」
女どうしは腕を組まんばかりにして出ていった。
「ルークのこと、話してあげるわ、ちょっと間の抜けた男の子だったのよ、子どものころ」
「想像がつきますね」
容赦のない話し声が遠ざかっていく。
 ヘンリーがそっと言った。
「たいへんそうだな、おまえも」
ルークは、つむじ風のような花嫁に口を挟めないでいたが、やっと首を動かした。
「う、うん」
「一つ忠告してやるよ」
「なに?」
「花嫁を見るとき、あんまりにやついた顔をするなよ」
えっと言って、純情な花婿は口元を押さえた。クックッとヘンリーが笑った。
「式が始まったら、もうちょっと顔を引き締めろよ?」
「ピエールにもそう言われたんだ。うん、気をつける」
「あいつは今、どこで何してんだ?」
「めかしこんでるよ」
「スライムナイトがか?」
「彼には彼の美学があるらしくてね」
ケッとヘンリーはつぶやいた。
 ルドマンは喉で笑った。
「ピエール殿は、野望がおありのようですよ」
「はぁ?」
ピエールというスライムナイトは、どこか人間くさくて憎めないものがあった。ルドマンはピエールのために黙っていることにした。
「いよいよ始まるようですので、失礼します。メイドたちがお席へご案内いたしますので、教会でお目にかかりましょう」
それだけ言ってルドマンは立ち上がった。

 いよいよ式が始まる。そろいのお仕着せを着たメイドたちが、客を案内しにきた。
「セルジオ様、どうぞこちらへ」
「ありがとう」
天幕を出ると、サラボナの空は美しかった。海の色がオラクルベリーよりもはるかに明るく、澄んで見える。町の自慢だと言う大噴水が高く吹き上げ小さな虹をつくった。
 サラボナは晴れて暑く、祭りのように華やかだった。豪商ルドマンは、実の息子でもない男の婚礼に町を上げての宴を張ったらしい。市民はルドマン家が惜しみなく撒き散らす金貨や御馳走に満足しているようだった。
 教会の内部は、ひんやりして心地よかった。祝祭の衣装を着た人々が無意識に起こすざわめきがあたりに漂っている。
 祭壇の前には式をつかさどる僧侶と尼僧たち。聖歌隊の少年たちが三列に並んで横に控えている。十二本の大ろうそくに火が灯され、灯りを壁面の燭台へ次々と移しながら教会内部をめぐった。光と期待がみなぎる。
 ルドマンが教会中央の通路の真ん中あたりに、花婿を導いてきて立たせた。
「では、花婿の付き添い人は、こちらへ」
花婿側の席からヘンリーが立ち上がった。
「おれが務めます」
そのとき、ぼん、という音がして、何かが通路へ降ってきた。セルジオはぎょっとした。薄い黄緑のそれは一度つぶれてすぐに形をとりもどした。普通より大型のスライムだった。
 スライムの上に何か乗っていることにセルジオは気づいた。スライムナイトのピエールである。
「若造、ひっこんでおれ!」
スライムナイトは尊大に言い渡した。ピエールの“野望”というのは、この結婚式で花婿の付き添いをつとめることだったらしい。
「でやがったな?」
ヘンリーはさっとみがまえた。
「てめえの身長で花婿の付き添いがつとまると思うか。とっとと巣穴へかえって寝てろ!」
「ほざけ、青二才。おぬしの総身には謙譲の二文字はないのか。早々にラインハットへひっこむのである!」
「おれは招待されたんだっ」
「我輩は招待した覚えはない」
「誰がおまえに招かれたと言った!」
「そうか、盗み食いに来たか」
スライムナイトは、なりは小さくても一歩も引かなかった。いっそ、あっぱれであった。セルジオの周りから、くすくす笑いがおこっていた。事実、あの食えない大公殿下がここまでむきになる姿は珍しかった。
 花婿がようやく止めに入った。
「ふたりとも、ひさしぶりだからって、ちょっとのりすぎだよ。後でゆっくり遊ぶといいよ」
「遊んでねぇよ!」
「ルーク、こやつをたたき出してよいか」
 そのとき衣擦れの音がした。マリア大公妃が立ち上がったのだった。
 元は一介の修道女見習、その前は奴隷、生まれは孤児と言う。だが、清楚で聡明なこの乙女を、セルジオは高く買っていた。なよなよとはしていない。つらい経験を人への優しさに変えていく潔さが彼女にはあった。
「私を覚えていらっしゃいますか、騎士さま?」
スライムナイトはくるりと振り向いた。おお、と声をあげ、慇懃に大公妃の手をとった。
「マリア殿。お元気であられたか?」
「はい」
くすぐったそうにマリアは微笑んだ。
「よろしければ、お式を一緒に拝見しませんか?」
「光栄である」
マリアはスライムナイトが差し出した手をとり、最前列の席へ向かった。ヘンリーは口をパクパクさせたが、あえて何も言わなかった。
「ピエール」
華やかな美少女が、席から立ち上がった。ルドマンの一人娘、フローラ嬢に違いなかった。つややかな髪、すらりとした容姿、名家の令嬢の気品と南国の酔うような艶麗が彼女の中に混在している。
 ルークという今日の花婿がこの美少女を、行きがかり上、袖にしたと聞いて、なんともったいないことを、とセルジオは思ったものだ。
「私のお隣に来てくださるのではなかったの?」
もちろん、責める口ぶりは冗談にちがいなかったが、この愛らしい紅唇で訴えられたら、くらりときそうだった。
「フローラ嬢」
とろけるような顔でピエールは彼女を見上げ、マリアを見上げ、ためいきをついた。
「試練である……」
すでに知り合いらしい美少女たちは笑みを交し合った。
「それじゃ、ピエール、真ん中へ来てくださいね」
「騎士さまが守ってくださるなら、安心ですもの」
スライムナイトは胸をはった。
「ご安心あれ、ご婦人方。ルークの付き添いなど、アレにまかせてもなんとかなるであろう。可憐な花々を守ってこそ騎士の本懐」
セルジオは笑いをこらえた。アレ呼ばわりされたヘンリーが、今まで見たことがないほど、いまいましそうな顔だったのである。