ネビルの災難 第三話

 鼻の穴を思い切り広げて息を吸い込み、それからできる限り静かに吐き出した。
 ひだになった大きなレースの襟は、優雅に広がっているだろうか?ダブレットの袖の切れ込み細工はきれいに映えているか?帽子につけた羽は、正しい方角へピンと伸びているだろうか?
 先の領主ゴーネンが凝りに凝ってつくらせたオラクルベリー領主館の一階ホールは、壁面の一部に大きくて滑らかな姿見を作りつけてある。ネビルは鏡の中のおのれをちらちらと眺め、会心の笑みをもらした。
「先日、緊急の布告で表明したように、本日このオラクルベリーで、雑税13条E項を徴収する」
すでに布告は領内全域に行き届いているのだろうな?という威嚇をこめて、ちら、とネビルは部下たちに目を配った。
「納税者たちには威厳をもってあたり、公正に徴収してもらいたい。彼らにとっても、われわれにとっても、法のもとに定められた税を国庫へ納めることは、崇高な義務であり、忠節の道である」
ネビルは効果を出すために一度言葉を切った。
「ラインハットは、各人がおのれの義務を尽くすことを期待する」
 きまった、とネビルは思い、じんとするような喜びを味わった。ふぅと息をついて、町役人たちを見ると、あまり感激したような顔はしていなかった。
「あのう、ネビル坊ちゃん、その」
それは、ウォルという若い役人だった。ウォルの親が昔からセルジオ商会で働いているので、子どものころから坊ちゃんと呼びつけている。
 ネビルは、こほ、と咳払いをした。
「あの、」
ネビルはうんざりした。王宮では、呼びかけ方やしぐさに無礼があったときは、咳払いかあるいは目配せだけでそれと悟るものなのだ。
「坊ちゃんではない、代官殿、だ」
「はあ」
わざわざ説明してやったのに、ウォルはあまり恐れ入っていないようだった。なにやら言いにくそうにしている。
「13条E項、ですね。それですと徴税の対象となるのは、領内に一年以上住む15歳以上の未婚の女子だけですが」
ネビルは赤くなった。
「揚げ足を取るな!“彼ら”と言ったのは言葉の綾だ、言葉の。もちろん、E項の徴税は婦人のみだ。そんなことぐらい、知っている!」
あとでラインハット法典をこっそり読んでおかなくては、とネビルは思った。部下のほうが税法に詳しいと気づかせてはならない。
 ウォルは、同僚と顔を見合わせて、もじもじしていた。
「質問があるなら言いたまえ!」
「は、その、E項では、代替物を持って納税できることになっておりますが、それはその、どこで」
「ん?どこかそのへんでよかろう」
ウォルをはじめ役人たちは、困惑したようにあたりを見回した。
「フロアの上、じかに、ですか?」
 ネビルは記憶を手繰った。以前叔父とともにこのホールへ人頭税を払いに来たとき、たしか簡単な敷物があり、そのうえにみな、じゃがいもだの塩漬け魚だのを置いていた気がする。むろん、叔父もネビルも人頭税はちゃんとゴールド金貨で支払ったのだ、貧乏人とは違って!
「そうだな、カーペットでも敷いておけ」
「はっ」
そのとき、大公館の召使が、表にご婦人方がみえている、と言いにやってきた。ネビルは余裕を見せてうなずいた。
「おお、そろそろだな。各自、努力するように」
 おどおどしている小役人たちが、それでも確認係、収納係等にわかれて配置についた。
 大公館の従僕たちが、一階ホール正面の大扉をゆっくりと左右へ開いた。ネビルは、わざと姿見のほうを向いた。オラクルベリーの市民がホールへ入ってくるのが視界の隅に見えた。
 その一人が知り合いであることにネビルは気づいた。叔父のセルジオの理事仲間、モナーラである。その横に、15、16歳の少女がいた。孫娘である。去年のパーティで紹介されたことをネビルは思い出した。
「たしか、社交界デビューのパーティで、ええ、メリンダ嬢か」
オラクルベリーでは、15歳つまり結婚適齢期にはいったとみなされる娘は、パーティを催してその旨を知らせるのが一般的だった。
 ネビルは、おもむろにモナーラに歩み寄った。“誰かと思えばネビル君じゃないか。なんと立派になって。お若いのに代官とは、叔父上もさぞ……”
 モナーラの言いそうなセリフを頭の中で反芻しながら、優雅に挨拶を、と思ったとき、モナーラは思わぬ行動に出た。孫娘の手をいきなりひいて、自分の体でかばったのである。
「おじいさま!」
メリンダは悲鳴をあげて、祖父に抱きついた。
 ネビルはあっけにとられて立ちすくんだ。
「確かに支払ったぞ!」
そう叫んでモナーラは、孫を抱えるようにしてホールを出て行った。握手のために差し出した手をぷらんとさげて、ネビルはその姿を見送った。
「なんなんだ、いったい?」
まるで、極悪人が近寄ってきたような態度ではないか?
 うしろでひそひそと声がした。列を作って並ぶ市民たち、特に納税に来た婦人たちだった。白い目である。ネビルは一歩あとずさった。ある者は腕を組み、ある者は腰に手を当てて、害虫でも見るような目つきでこちらを見て、なにやら非難しているようだった。
「なんなんだ、私が何をした?」
漁師の女房らしい女が二十歳前の娘といっしょにやってきて、収納係の机にたたきつけるようにゴールド金貨の袋を置いた。
「これでいいんだろ?まったく!」
そう言って、じろりとネビルをにらみつける。
「だって、税金……」
女とその娘は、ぷいっと顔をそむけて足早に出て行った。
 その次に順番が来たのは、弟らしい子の手を引いた少女だった。下町の道具屋の住み込みで名前はミミだと女は確認係に言った。
「父も母もいません。お金がないんです。道具屋の女将さんにも、税金の立替までおねがいできなくて」
目に涙をためてミミは言った。
「“代替物”でお支払い、します」
役人たちはいっせいにうろたえた。
「だ、代官殿、代官殿」
ウォルが真っ赤になってやってきた。
「お代官様ですか?」
ミミはネビルのほうを向いた。15歳だと言っていたが、木の枝に服を着せたようなやせっぽちだった。長い栗色の髪を二つに分けて、顔の両側にお下げにしてたらしている。
「あの」
「なんだ?用意してきたのなら、早くしなさい」
ミミの青白い顔がみるみるゆがんだ。親の仇でも見るような顔でネビルをにらみつけていたが、ぼそっとつぶやいた。
「さいてい」
何でそんなことを言われなくてはならないんだ?とネビルは思ったが、妙に迫力のあるその娘に、言い返せなかった。
 そのときだった。きりっとした声が割って入った。
「ちょっとどいてね、お嬢ちゃん?そんな最低男でも、あたしの従兄弟なの。ここは身内が意見するわ」
言うよりも早く、よい身なりをした若い娘がミミをそっと脇へ押しやった。
「リアラじゃないか!」
ネビルは背筋がびしっと伸びるのを感じた。それはまさしく、セルジオ家の3姉妹の長女にして、ネビルの従姉妹、リアラだった。
「リアラ、いつにもましてお美しい。仕事の後でご機嫌を伺いに」
「この、けだもの!」
 次の瞬間、火花が飛び散った。それがリアラの平手打ちだと気づくまで、たっぷり1秒かかった。ネビルは思わず泣き声を出した。
「リアラ、なんで」
「あんた、最低よ!」
「わたしはただ、13条E項の雑税を徴収するために、オラクルベリー大公の代官として」
「E項ですって?処女税と言えばいいでしょ、もったいぶって」
ネビルは硬直した。
 リアラの、そしてオラクルベリーの女たちの異様に冷たい視線がネビルに押しつぶし、しばらく口が利けなかった。どこかから、色魔、とそしる声がして、ネビルはようやく唾液を飲み込んだ。
「し、しょ、じょ?」
「どの領地でも、領主が結婚適齢期の娘に権利を持っているなんて考え方、もう50年も前から通用してないわよ。そんな権利を根拠にした税を集めろなんて本当に大公がそう言ったの?もしそうなら、命令書を 見せてごらんなさい!」
「め、命令書は、ない、けど」
「やっぱりあんたの独断暴走なのね!」
リアラは悪鬼のような形相でせせら笑った。
「ネビル!前からバカだバカだと思ってたけど、あんたそのうえ最低で、恥知らずよ!15になったばかりの女の子を、金づくで!」
「セルジオのお嬢さん!」
涙まじりにミミが言った。
「でも、お金がないんです、あたし。決心はしてきました。お代官様、お願いします」
 歯を食いしばって一礼する。その手を弟がぎゅっと握り、心配そうに見上げていた。ミミは、死刑囚のような足取りでホールの片隅へ歩いていった。
 ネビルは真っ赤になり、それから真っ青になった。その隅には、派手な模様のカーペットが敷かれ、大きなクッションがいくつものっていた。
「あ、アレは、なんだ、ウォル」
「ですから、カーペットを、その“代替物”のために」
ネビルはびくっとした。リアラの刺すような視線が深々と背中に突き刺さった。
「何をいまさら。処女税の“代替物”って言ったら、その、それ以外の何なのよ。知らなかったとは言わせないわ」
「待ってくれ、わたしは本当に」
「あのねぇ、これから徴収する税についてまったく無知な代官がいるなんて、信じると思う?」
ここにいます、と言う言葉をネビルはプライドにかけてのみこんだ。
 誰か助けてくれる人はいないかと、せっぱつまってネビルの頭がきょろきょろと動いた。が、ぶつかるのは、婦人たちのさげすむような表情か、気まずそうにうつむく部下たちのそれだけだった。
「リ、リアラ……」
「あんた、自分でなにをやったか、わかってるの?見なさいよ」
リアラの指先はホールの入り口のほうを指している。その先に現れたのは、青い衣と灰色の頭巾をつけた、修道女たちだった。辺鄙な場所にある修道院で祈りと奉仕に明け暮れ、オラクルベリーの住人たちから無言の尊敬をあつめている清らかな人々である。
 彼女たちの中にひときわ高齢の、白い鶴を思わせる人がいた。オラクルベリーの領主とその代官の布告は、この島全体に披露される。南のほうの漁村も、海辺の修道院にも。
「お代官様は、どちらでしょうか」
年齢のため、そしてみずから精霊の乙女に立てた誓いのため、めったに修道院を出ないはずの女子修道院長が、静かにそうたずねた。
 ネビルはあえいだ。風にも折れそうな華奢な修道院長の目が、頭巾の陰で怒りに燃えているのが見えたのだった。
「だ、誰か、助けて……」

 ジュストはすぐにオラクルベリーの門を出て、外でメリムに乗ったまま待っていたヘンリーに報告した。
「修道院長様以下、修道女の方々が、たったいま大公館へ入られました」
「よし」
ヘンリーはオラクルベリーの門を見上げて、わざとらしく片手を胸に当てた。
「ネビル、君の尊い犠牲はけして無駄にはしないぞ?」
拍車をかけるまでもなく、メリムは主の意を察して、街道を南に向かって駆け始めた。
「殿下!」
ジュストも自分の馬に乗って、どうにか追いついた。
「それじゃあ、ネビルをおだてあげたのは、このためだったんですか?」
併走しているヘンリーに聞こえるように大声を出す。
「あのようすじゃ、ネビルのやつ、これから当分のあいだオラクルベリーじゃ変態か色魔あつかいですよ」
「ちょっとかわいそうだったかな?」
ジュストは口元が緩むのを押さえられなかった。
「いえ、よくぞやってくださった、と……」
わははっ、とヘンリーは笑い声を上げた。
「とにかく、あの修道院長様が、かんかんになってオラクルベリーへ押しかけるようにしてほしかったんだ」
片手で手綱を取り、片手で帽子を抑えてヘンリーはジュストのほうを向いた。
「敵将の周囲を固めるユニットは、誘い出して足止めしておくのが兵法の基礎だとよ」
「はあ?敵将とおっしゃいますと」
ヘンリーは答えなかった。
 振り向けばオラクルベリー市の外壁が遠ざかっていく。次第に畑や草地が少なくなり、気がつけばあたりは一面の荒地だった。遠くからカモメの鳴き声がする。
 ヘンリーの横顔がほのかに上気していた。静かに手綱を操り、そっとメリムを停めた。
「ここまでだ、ジュスト」
ジュストも馬を停めたが、まだわけがわからなかった。
「は?」
ヘンリーはため息をついた。
「ここから先は、おれの正念場。小細工も何もなしの一発勝負だ。あたって砕けろ、さ」
照れくさいような顔でヘンリーはジュストのほうを見た。
「その、もしおれが砕けちまったら、おまえが代わりにネビルを救い出してくれないか?」
「よくわかりませんが、でも、おひとりでは」
ヘンリーはぱっと赤くなった。
「この鈍感が!あっちへ行ってろっ」
ジュストは知らないことだったが、もし、今はカボチ村近辺にいる黒髪の若者がその声を聞いたら、昔ラインハット城で会ったいたずら坊主を即座に思い出したに違いない。
「お待ちください!」
「メリムの足についてこられるならやってみろよ!」
捨てぜりふを残して、ヘンリーはいきなりメリムを駆けさせた。みるみるうちにトップスピードに乗り、いたずら坊主と白い馬は南の海岸目指して走っていった。

 アンナがその人を見つけたとき、あたりは夕方に近かった。院長様たちは、夜までには戻るとおっしゃっていたが、アンナはなんとなく心細かった。
 今、修道院に残っているのは、ここに引き取られた孤児たちのほかは、数ヶ月前に来た見習修道女のマリアだけなのだ。孤児の中で最年長のアンナは、しっかりしなくてはと自分に言い聞かせた。赤ん坊ではない、 六歳である。
 外へ水を汲みに出たマリアが今日は遅いような気がする。マリアが心配だから、という理由を見つけて、アンナは台所口からすべり出た。
 そのときだった。薄闇の中に残る光を受けて、その人はやってきた。
 ブルル、と音を立てて白い馬が鳴いた。岩場を踏む蹄鉄が、ゆっくりしたリズムをつくる。どう、どう、と白馬にまたがった人はそっと馬に声をかけた。
 肩のケープを止める留め金がきらりと輝いた。ケープの下はこのあたりではめったに見ることもない、目の醒めるような明るい青の、美しい服だった。
 この人は、もしかしたら。アンナはどきどきした。
 井戸のところにいたマリアが振り向いて、水がめを抱えたままその人を見上げた。白馬は井戸の前で歩みを止めた。
 マリアが微笑んだ。
「こんばんは」
その人は、馬を下りたが、何も言わなかった。きれいな朱色の手綱を取って、黙って立っていた。
「ヘンリーさん?」
「おれは、なんて言ったらいいか」
「私がお聞きしてもかまわないことですか?」
ヘンリーはうなずいた。まだしばらくためらってから、ようやく話し始めた。
「ずっと考えていた。マリアが喜んでくれるものは何かってことをね。金も身分も権力も、豪華さも贅沢も、君にとっては何の値打ちもないんだね。外見だの年齢だのも、君の目には入らない。それは何か、もっと、ちがうものなんだ。おれに言えるのはただ」
何か言いかけてマリアは片手で水がめを強く抱きしめ、片手で口元を覆っってしまった。
「マリア、愛してる。世界の誰より、たぶん」
堅くおおった口元から、震える手をわずかに離して、マリアはつぶやいた。
「でも、わたしは、あなたにさしあげられるものを何ひとつ持たない女です」
ヘンリーは首を振った。すこしうつむき、力なく下げた両手を、いきなりぐっと握り締めた。
「この世で君の助けを一番必要としているのは、おれです」
そうして、深く息を吸った。
「結婚してください」
 音を立てて水がめが落ち、わずかに残っていた水があたりへ飛び散った。だが、マリアは気づきもしないようだった。
 マリアは、赤くなってうつむき、何か小さくつぶやいた。
 ヘンリーは握った両手を開いて、汗を拭くように一度自分の服に押し当て、それから壊れ物を扱うように、マリアの両肩をそっとつかんで、信じられないような表情で顔を寄せた。
 マリアは顔を上げ、もういちど、はっきりと、はい、と言った。

 ふうぅ、とアンナは息を吐き出した。とちゅうまではらはらしたが、白馬にまたがったその人は、思ったとおり、王子様だったらしい。
 アンナが読んでもらったお話の通り、王子様はマリアをぎゅっと抱きしめた。マリアは、痛いほど抱きすくめられているのに、目を閉じ、世にも幸せそうに微笑んだ。
 そして、王子様はお姫様を抱いて白馬にまたがった。赤いケープがゆっくり遠ざかっていく。その肩に、お姫様の白い指がふるえながらつかまっていた。
 それは、絵本の最後のページそのままだった。だからアンナには、これから先ふたりはずっと幸せに暮らすのだ、と、ちゃんとわかったのだった。