領主登場

 オラクルベリーは、レヌリア大陸の沖に浮かぶ大島である。
 その歴史は古く、レヌール王国の最盛期エリック大王の治世には、すでに天然の良港として、また商人の都として、その名を知られていた。
 やがてラインハット王国が起こりレヌリア大陸を二分する戦争となったとき、アルカパ、サンタローズは中立を守り、オラクルベリーは町をあげてラインハットへ味方した。
 現在オラクルベリーは、飛び地のような形でラインハットの版図に数えられているが、事実上の自治都市であり、町を支配する商人組合の同意なしには、たとえ領主といえども余分な課税も兵役も科すことはできない。
 それは、ラインハット王国初代国王が許したオラクルベリーの特権であり、セルジオ家に伝わるオラクルベリー御免状として今も続いている。
 オラクルベリーは歌に歌われるとおり、身持ちの固い、誇り高い美女なのだった。
 ラインハット王国にとって、この美女を味方につけておくことはきわめて重大であり、オラクルベリーは王の親族か、信頼の厚い家臣が歴代の領主を務めてきた。
 領土そのものはそれほど広くないが、オラクルベリーからは通常の課税でも莫大な収入があり、海の出入りを扼すという軍事的に重要な位置を占める。
 つい最近まで、オラクルベリーの領主はゴーネン公爵だったが、オラクルベリー御免状をひそかに強奪するという暴挙に出た。そのあげく歴史的取り決めを無視して過酷な税を科し、商人組合からマムシのように憎み恐れられた。
 領主交代の報が届いたのは、つい先日である。
「十八!」
ネビルの前で、一人の老人が驚きの声をあげた。
「新しい御領主は、御年十八というのか」
「王兄殿下であらせられるとか」
 天下の商人組合理事、モナーラとトトである。モナーラは五名の理事のうち最年長で、枯れたような年よりだった。トトは十ほども若いが、商いはもう守りにまわったようで、冒険はしない。新領主の情報についても収集に遅れをとっているらしかった。ネビルは心の中でほくそえんだ。
 領主を出迎えるために、商人組合の理事たちはそろって盛装して町の大門の前に並んでいた。あたりは歓迎の儀式のために幕で覆われている。大きな幕にはオラクルベリーを意味する“銀の地に赤い天秤赤の縁取り”の図形と、ラインハットを示す“緑の地に金の波型十字”の図形が大きく描かれていた。
 ネビルの叔父八代目セルジオは、最年少の理事であると同時に、オラクルベリー一の凄腕である。新しい領主については、ラインハットにある商会の支店から逐一情報が入ってきていた。
 新領主はラインハット王家の長子であること、行方不明から劇的に帰還したこと、数名の仲間とともに太后の座についていた人外の化け物を退治したこと、自らは王位を望まずに弟をたてたこと、それによって国民から絶大な支持を寄せられていること、等々。
「たしか称号は大公殿下だそうな。先代の陛下によく似た若殿とか。ご免状は取られてしまったが、税や兵役についても話のわかるお方だといいですな」
オラン理事は何代も続いた薬種商の主で楽天家、町のかみさん連中が井戸端会議に興ずるような調子だった。
「いやいや、わかりませんぞ。あまりお若い御領主だと、やり手のご家老か何かがついてくるのが常道ですからな」
モナーラがオランをたしなめた。
「なに、しょせん王族出の、しかも坊やです。オラクルベリーが呑んでみせましょう。魔都の名にかけて」
と言って理事サイクスは言葉を切った。サイクスは福福しく肥え太った男だが、一代で身代を築いたほどの、利益のために手段を選ばない商人だった。
 誇り高き美女オラクルベリーは、また悪名高き魔性の女でもある。にもかかわらず先の領主ゴーネンのために、オラクルベリーは月が買えるほどの大金を差し出さなくてはならなかった。そのうえ戦争用に商船を借り上げるといわれ、いっときオラクルベリー全体がパニックになりかけた。船は商人の命なのだ。
 オラクルベリーは町の大門を固く閉ざして身構えていたところだった。ゴーネンが失脚し、新領主が決まったという知らせはそのさなかにもたらされた。
 門の両側の見張り台から知らせが来た。オラクルベリー市自体は兵力を持っていない。知らせに来た兵士はセルジオが雇った私兵だった。
「新しい領主の御一行がオラクルベリー大橋を渡り、門へ近づいています」
「紋章を確認したか?」
セルジオの問いに兵士は答えた。
「盾を四分割して、第一、第四クォータに緑の地に金の波型十字銀のレイブル重ね、第二、第三クォータは銀の地に赤い天秤赤の縁取り、盾の上に帽子、盾の後ろに宰相のバトンです(*)」
セルジオはうなずいた。さらに見張台からは、特に武装はなく、随員もそれほど多くない、ただ何か大きな荷物を載せた馬車が一行に混ざっている、と知らせてきた。
「では、御出迎えに参りますか」
セルジオは四人の理事たちを促して前へ出た。ネビルをはじめ随員も威儀を正した。
 ネビルたちの後ろには、各商会の番頭に手代に小僧、下働きの者たち、その家族たち、さらにオラクルベリーで暮らすさまざまな住人たち、下町に広がる歓楽街の従業員、いかがわしい女たち、船員、荒くれ、その他雑多な人々が、新しい領主のはじめての国入りを見物しようとしてひしめいていた。まるで祭りのようだった。
 塔の上で合図の旗が大きく振られた。
「開門!」
 新領主一行の先導の兵士が、まず開門を要求する最初の一声をあげる。オラクルベリーの門を守る兵士が古式にのっとって尋ねた。
「オラクルベリーの門を入らんとするものは誰か?」
凛とした張りのある声が答えた。
「ヘンリー・オブ・オラクルベリー」
 兵士たちは、大門を閉ざしている大きな鉄鋲を打った扉を左右に大きく開いた。
 理事も随員もいっせいに片膝をついた。うしろのやじうまから、ため息のようなものが漏れた。ネビルはそっと前のようすをうかがった。理事たちの向こうに馬の前足と、そこから降りてくる貴公子の足元が見えた。
 町を代表してセルジオが歓迎の言葉を口にした。
「オラクルベリーは新しい御領主を謹んで御迎え申し上げます」
「それはありがたい」
オラクルベリー大公は儀式的問答を無視してそう言った。セルジオが顔をあげた。そして、長いこと何も言わずに黙っていた。
 ネビルは我慢できずに顔を上げ、叔父の様子をうかがった。セルジオは片膝ついた姿勢のまま、大公をじっと見上げていた。後ろ姿からは、その表情を推し量るすべもない。
 突然大公と視線が合ってしまった。
「よぉ、ネビルじゃないか。久しぶりだな」
若いオラクルベリー大公はラインハット風の帽子の下から、緑色の髪をのぞかせていた。ネビルを見る眼は緑がかった青。薄い唇のはしがもちあがって人の悪そうな微笑になった。
 ネビルはのけぞった。
「き、きさま」
「控えなさい、ネビル」
セルジオが立ち上がった。
「ご無事な御姿を拝見して、慶賀の至りでございます、ヘンリー殿下」
 ネビルはヘンリーを知っていた。貧乏くさいのにひどく生意気な旅の剣士。物のはずみで顔面を殴ってしまったこともあった。ラインハットの下町で出くわしたときは、妙に目つきの鋭い連中にまじってでかい口をきいていた。
 こいつが王兄殿下!こいつがオラクルベリー大公!
「無事を祈ってもらったとは知らなかった」
大公らしからぬ皮肉な笑みがヘンリーの口元に浮かんだ。
「長い付き合いになりそうだな、セルジオ」
「お手柔らかにお願い申し上げます。これなるはオラクルベリー商人組合の理事を務めます者ども。右からモナーラ、オラン、トト、サイクス」
豪商たちは大公をどう値踏みしたものか戸惑っているようすだった。
「おれがヘンリーだ。新しい領主、兼、用心棒か。な、セルジオ?」
セルジオは悪びれなかった。
「そのうちに御手並みを拝見しましょう。本日は、領主館にて宴の仕度がございます。ご案内いたします」
「待った」
ヘンリーは背後に向かって片手を挙げた。
「領主就任にあたっての引き出物だ」
 ごろごろという地鳴りに似た音が響いた。黒い馬が八頭立てで、何か大きな物が乗った荷台を引いてきた。
 馬車は理事たちのそばで止まった。大公の部下が、巨大な荷物を厳重に包んでいる布をはがしていった。
 それは石だった。ネビルは目をこらした。柱ほどの高さの大きな灰白色の岩に、数行の文章が刻まれていた。
「これは」
セルジオは忙しく目を動かした。
「『商人組合の同意なくして、新たな課税なく、兵役も』これは、あの」
「オラクルベリー御免状だ」
ぱし、とヘンリーは平手で岩をたたいた。
「本物はもう、ゴーネンが灰にしたらしい。これはデール一世による新しいオラクルベリー御免状だ。持ち逃げしにくいように工夫してみたんだがね」
単純なオランはおぉと声をあげ、涙さえ浮かべた。モナーラもトトも呑まれている。サイクスさえあきらかに度肝を抜かれていた。
 セルジオは一人うなずいた。
「たいしたものだ。オラクルベリーのために、御礼申し上げる」
ヘンリーは肩をすくめた。
「ラインハットが奪ったものを、ラインハットが返しただけだ」
「宴の場へご案内いたしましょう」
 セルジオはヘンリーと肩を並べ、市街へ向かって歩き出した。オラクルベリーの住人たちが大きく左右にわかれて新しい領主に歓声を浴びせた。
「今日あなた様はこの町全部を味方につけてしまわれた」
ネビルには前を行くセルジオの声が聞こえた。
「ですが、私は心から敬服したわけではありませんぞ」
歓声に手を上げてこたえながら、ヘンリーは答えた。
「まあ見てろよ。そのうち落としてみせるから」
「楽しみにしておりますよ」
「ときにおまえの甥だが」
ネビルは耳をそばだてた。
「おれに譲る気はないか?土地カンのある従僕が欲しい」
「そういうことなら遠慮なく御使いください。あれは少々人間が甘くできていますので、煮るなり焼くなりしていただいて」
 誇り高き美女オラクルベリーは、突然現れた若い領主にあっさりとなびいた。
 だが、わたしはいったいどうなるんだ?見ると肩越しにヘンリーが振りかえっている。腹に一物ある目つき。ネビルの心にいやな予感が走った。
 事実、この予感は、のちに的中することになる。