城下町の少年 第二話

 キリは、ジュストが光の教団に入信していたのは知っていたし、少ない稼ぎからよく献金したり、家の手伝いもしないで奉仕に出かけていることも知っていた。
 キリの祖母は魚を行商していて、よく買ってくれる宿屋の女将がジュストの母親だった。女将がしょっちゅう愚痴を言うのだ。
 ジュストたちはキリとヘンリーに目隠しをして、ヘンリーからは武器を取り上げたらしかった。
 キリはおとなしく目隠しさせてやった。生まれも育ちもラインハットの下町である。目をふさがれても、耳と鼻が、町のどこらへんにいるのか教えてくれた。
 ジュストたちは二人を、魚の臭いのする小屋へ連れこんだ。誰かの手が目隠しを解いてくれた。ヘンリーはあたりを見まわした。
「教会じゃないみたいだな」
「光はあまねく耀く。祈りの場所はどこでもよい」
ジュストの仲間が言うと、ヘンリーはクックッと笑った。
「バカにつける薬はないな」
「手を上げていろ」
ジュストはもう一度毒針をつきつけた。ヘンリーはひじから上を軽くあげたが、しゃべるのはやめなかった。
「光の教えはおまえたちを救ったりしないぞ。信者を使いつぶすためにあるんだ」
「悪魔の言葉に耳は貸しません」
仲間の少女が吐き捨てるように言った。
「おまえはよそ者だからわからないでしょうけど、今のラインハットは地獄なの。それもすべて、宮廷にいる邪悪な貴族のせいよ。私たちの教団はそのうち太后様にお願いして、大貴族を追放させるわ」
「たとえば?」
「ゴーネン宰相のようなあたしたちを苦しめる者どもよ」
「ぼくはグレイブルグ大公領から来た」
小太りの若者が言った。
「さっき広場にいた、あのユリア大公妃の領地だ。あそこじゃ作物を作ってもほとんど全部取り上げられる。飢え死にしそうだったから家族と一緒に逃げてきたんだ。でも尊師は、光の教えを信じていればユリア大公妃は打ち倒されるっておっしゃった」
「つくづくおめでたいなおまえら」
ジュストは毒針をヘンリーの喉にあてがった。
「いいかげんにしろ」
「おまえたち、ルークを怒らせただろ?あいつはおれより強いんだ。もし、風がうなるのを聞いたら、悪いことは言わないからすぐ逃げろよ」
 どこかで声がして、小屋の扉が開いた。教団の白い服を着た中年の男と、頭からマントをかぶった小柄な人物が入ってきた。
「よくやった、ジュスト、ポルト、バートン、ジェニー、ジャン」
若者たちは次々に頭を下げた。ジュストはヘンリーを促して、マントの人物の前に立たせた。
「その針を離せよ」
ヘンリーはいらだたしげにジュストを遠ざけると、やおら片手を胸に当て、片足をひいて、優雅に一礼した。
「お久しぶりです、ユリアおば様」
 マントの人物はびくっとした。マントから細い腕がのぞき、被り物を取った。厚く化粧をほどこした貴族的な顔立ちの女性が現れた。濃紫に塗った唇から、ため息が漏れた。
「本当に本物のヘンリー殿下なのね」
「どうしてわかりました?」
「お顔ですわ。広場で太后様のおそばにいたら、正面に殿下を見つけてびっくりしました。亡くなった陛下にそっくり」
貴婦人はうきうきしていた。飾り扇の先にヘンリーのあごをすくうようにしてのぞきこんだ。
「親父に似てきたとは知らなかった。で、義母上は気づかなかったのですか?」
「ええ。だから、殿下は私だけのものですわ。いまお城へ御帰りになっては困りますのよ。兄のボガートが次期国王になれなくなったら大変ですもの」
ユリア・オブ・グレイブルグは、しとやかな口調に似合わず目をぎらつかせていた。
「そりゃたいへんだ。始末なさいますか」
ヘンリーはまるで他人事のように聞いた。
「とんでもない。殿下は太后様に見せるとっておきの切り札よ。悪事の生き証人ですものね。大事にしまっておきましょう」
ジュストたちは呆然としていた。つい先ほどまで、ユリア大公妃を非難していたポルトは、口をぽっかりあけたままだった。
「尊師様、この女は教団の敵ではありませんか」
だが、尊師はいかめしく言った。
「ひかえていなさい。これは教団の上のほうがかかわることです」
ユリア大公妃は平の信者たちにはかまわずに手を高くたたいた。扉の向こうから返事があり、侍女が現れた。
「馬車を回して。別荘へ行きます」
尊師はあわてた。
「大公妃様、この者をお連れになっては困ります」
「おさがり」
大公妃は背を向けた。尊師はさっと両手を構え、呪文を唱えた。貴婦人は立ち止まり、その場へ上品に崩れ落ちた。
「奥方様!」
侍女は悲鳴を上げ、逃げようとした。尊師が娘の腹を強く殴ると、うずくまって動かなくなった。
「尊師」
ジュストが当惑してつぶやいた。
「おまえたち、教団のためです。そやつを殺しなさい」
ポルトが青くなった。ジェニーは小さな悲鳴を上げた。
「あたしたち、そんな」
「教えを疑うのか?」
尊師はおしかぶせるように命じた。
「殺して、首を取りなさい。言うことを気かないと」
「大神殿へ送って奴隷にする、か」
ヘンリーがあとを続けた。尊師は一瞬、明らかにぎくりとして、それから怒鳴った。
「殺せ!」
 バートンとポルトはとびあがって、左右からヘンリーの腕を押さえた。ジュストはヘンリー自身の剣を取り、手のひらでヘンリーの額をつかんで後ろへのけぞらせた。
光る刃を首筋にあてがう。
 その手がためらってふるえた。
「あんた、何者なんだ」
「ヘンリー・オブ・ラインハット」
「死んだんじゃないのか?本物なのか?」
「生きてるし、本物だ」
ヘンリーは真上を見上げさせられたまま、ちょっと悔しそうに笑った。
「そうじゃなかったら事は簡単だったんだけどな。今ごろは相棒といっしょに地平の彼方だ」
「貸しなさい」
尊師はいらついてジュストから長剣を取り上げた。逆手に持ってまっすぐヘンリーの喉をえぐろうとした。ジェニーは両手で目を覆った。
 いきなり風が吹き込んだ。ユリアの侍女が開けたままだった扉から、黒い塊が飛び込んできて、尊師にぶつかった。
「おうっ」
尊師はみごとにひっくりかえった。ヘンリーはとっさにポルトたちを振り払って横へ逃れた。
「動くな」
飛び込んできたのは、ルークと黒い犬だった。尊師は低い姿勢からルークの顔と目の前の杖を見比べた。顔つきが卑しくゆがみ、口元から蛇のような歯擦音が出た。
「ふうっ」
ヘンリーは大きく息を吐いて、床に転がった剣を拾い上げた。
「ヘンリー、けがは?」
「ない。だいじょうぶだ」
ルークは尊師を立ち上がらせた。尊師はわめいた。
「おまえたち何を見ている。五人でかかれば私を助けられるだろう!」
ジュストたちはまだ動揺していた。
「そうだ、そこにいるガキを人質にしろ!」
キリはぎくっとした。
 黒い犬はルークにまとわりついていたが、急に牙をむいてジュストたちに向かってうなった。
 ルークは犬の頭に片手を置いて、静かにジュストのほうを見た。
「もう、やめてください。いろいろとわかったはずだ」
若い信者は誰も動けなかった。
「キリを返してもらうよ」
 キリはジュストたちをうかがい、小走りでルークのところへ行った。
 その瞬間、尊師は人間ばなれしたリーチでキリをさらった。
「あっ、この野郎」
ヘンリーが言うのと、ルークが杖を振り上げるのが同時だった。尊師は肩先から腕をちぎり飛ばされていた。紫の体液が飛び散った。
「ひっ」
モンスターの血がはねかかり、キリは悲鳴を上げた。シュルシュルという音を盛大に吐き出して、片腕のない尊師は飛び出して行った。
「あいつ、人間じゃないな」
ヘンリーは肩をすくめた。
「いろいろ聞きたかったんだが、仕方がない」
ルークは床のうえのユリア大公妃と侍女を見て戸惑った。
「この人たちをどうする?」
「叔母上なら、ほっとけよ。馬車が近くにいるらしいから、目がさめたら自分で帰るだろう。おい、おまえらも早く帰れ」
 ヘンリーはジュストたちにそう言うと、先に外へ出た。キリはルークといっしょに敷居をまたいだ。黒い犬が後からついてきた。
 外はもう夕暮れになっていた。キリがにらんだ通り、そこは湖の東岸だった。城下町のある西岸にくらべて、人気の少ないところだった。岸辺に桟橋がいくつか突き出し、腐りかけた柱を湖の波が洗っている。水面のさざなみは夕日の色だった。
「一歩ラインハットへ入っただけで親戚に出会うとは思わなかったよ。用心しなくちゃ」
砂を踏んで歩きながら、ヘンリーが言った。
「やっと帰れるな、キリ、向こう岸へ戻ったら城の裏口をちゃんと教えろよ」
「今のほうがわかりやすいと思うよ」
キリは湖を指差した。対岸は城の向こうからさす夕日を浴びて赤く輝いていた。
「あそこだよ、お城をよく見て。おれ、いつも姉ちゃんといっしょにお城の見える広場で商売してんだ。もう少しすると、ホラ、跳ね橋が上がる」
日没とともにちょうど橋はゆっくり引き上げられるところだった。
「よっくみな、お城が水面にくっつくあたりに、入口があるだろ」
城の基部の一ヶ所がほのかに異なる色調になっていた。ルークが先に気づいた。
「ああ、ほんとだ。小舟があれば、あそこから入ることができるよ」
「たぶんね」
とヘンリーは言って、かるく唇をなめた。
「ただ、位置からして、入った先はたぶん、地下の牢獄だ」