初恋の終わり 4.第四話

 真っ先に否定したのは、命を狙われたカリューだった。
「そんな、バカな。シリンだなんて!オレを殺したいほど憎んでいただなんて、ウソだろう?そう言ってくれよ!」
シリンはのろのろと首を振った。
「だって、呪いをかけたの、あたしだから」
「なぜだ!」
つかみかからんばかりのカリューの腕を、そっとリーザが抑えた。シリンの顔に、苦い笑いが浮かんだ。
「カリュー兄さんには、恨まれる覚えはないでしょうね。あたしが勝手に兄さんのことを好きになっただけなんだから」
カリューが動きを止めた。
「ごめんなさい。初恋でした」
シリンはそう言った。おどおどした田舎娘は消え、恋の苦味をとことん味わった一人の女がそこに立っていた。
「最初から、カリュー兄さんとあたしは住む世界が違うって知ってました。でも、それでもあなたは、あたしを好きにさせた!そして、なんでもない顔をして、自分の世界へ、エンドールへ帰っていった!」
迫力のある上目遣いで、じっとシリンはカリューを見つめる。
「でも、もし、あたしがエンドールへ来なかったら、初恋の人ともう一度出会ったりしなかったら、こんなに憎まなかった。どうしてあなたは、あのときと同じ顔、同じ声で、堂々とリーザさんに恋していられるの!あたしが逆立ちしてもかなわないような女性(ひと)と」
シリンは震えていた。
「憎い。口惜しい。殺してやりたい。そう、思ったのよ」
吐いて捨てるようにシリンは言った。動ける者はいなかった。
 ミネアは、ようやく話しかけた。
「それでもシリンさんは、カリューさんが死ぬことに耐えられなかったんですね。だから、わたしに相談に来た。“あのひとを、助けて”と」
うっとシリンは言った。それまで溜めていたような涙が、ぼろぼろとほほを伝って流れ落ちた。そのまま地べたに崩れ落ちて、シリンは子供の声でわあわあと泣きじゃくり始めた。

 意外なことに、頼もしかったのはアリーナだった。シリンが泣き出したのを見ると、とっさに走っていき、近くの教会からクリフトを引きずり出してきたのだった。
「慰めるの上手だから!」
という理由で、目を白黒しているクリフトに、シリンをまかせた。クリフトは今、アリーナと二人でシリンを教会へ連れて行き、話を聞いてやり、慰め、そして光のほうへと導いているはずだ。
 アリーナが自分の従者兼神官に寄せている信頼のほどがわかって、ミネアはなんとなく、ほほえましかった。
 アーサクのほうは、かなり渋ったが、呪いを未遂に終わらせる、というしきたり破りをしでかしたのを、ピサロが黙っている(「くだらん!そんなことを言いふらすほどひまではないわ」)という約束で、魔界へ帰っていった。
「ユーリさん。あのとき、呪いをかけたのがシリンさんだって、どうしてわかったんですか?」
雑踏の中を歩きながらミネアは聞いた。ユーリは華奢な面に辛そうな微笑を浮かべた。
「初恋のときを思い出したら、なんとなく、ね。シリンは、リーザさんよりもカリューという人を憎んだのじゃないかと思ったんです」
ミネアは意外な気がした。ユーリの生まれた故郷がどうなったか、パーティでは知らぬ者もいない。初恋のことなど、今まで聞いたこともなかった。
「ユーリさんに、いたのね、初恋の人が。知らなかったわ」
「なんだか、言いそびれて」
「憎らしいと思ったの、その人を?」
十中八九、村の滅亡と運命をともにしたはずだと、心の中でミネアは思った。
「ええ。憎くて、憎くて、この手で刀を取って、殺そうとしました」
ユーリはうつむき、足元の石畳に向かってつぶやいた。
「だって、わたしの初恋は、村の外から来た、かっこいい吟遊詩人だったんですから」
 ミネアは足をとめた。そしておそるおそるふりむいて、ライアンとマーニャといっしょに後ろから来るピサロの姿をうかがった。
「まさか」
「そのまさかです」
ユーリは、吐息をはきだした。
「初めてあったときと、同じです。さっき、町で見たとき、息がとまるかと思った。あの人です。わたしの、初恋の……」
 ミネアは何もいえなかった。手でユーリをうながして、雑踏から抜け出し、近くの建物の壁に寄った。小さな酒場らしく、中からにぎやかな声が聞こえてきた。石壁に二人でもたれて、ユーリは話し続けた。
「村から出たことのなかった私にとって、外の世界から来たっていうだけで、もう特別でした。遠い国々をたくさん歩き回ってきた大人の男性。村の人とはぜんぜん違う。きれいな銀色の、しかも長い髪なんて、見たこともなかった。吟遊詩人のローブがよく似合って、すてきな、深い声で話していた」
涙をこらえるかのように、ユーリの声は一度小さくくぐもった。
「話しかけてみたんです。すごく勇気がいったわ。自分がすごくちっぽけで、世間知らずの田舎者みたいな気がして、怖くてたまらなかった。でも、あの人は優しかった。風変わりな瞳の色。“こんな山奥に、きみのような子供がいたのですか?”って、上品な話し方なのに、すごくどきどきして……」
「ユーリさん、もう、いいから。辛いでしょう?」
ユーリはそっと首を振った。
「今は、シリンさんの気持ちがよくわかる。どうして魔王のままでいてくれなかった。なぜ、あのときの姿で現れたの!」
「敵と味方だったのが、いけなかったの?」
「いいえ!」
ユーリは唇をひきむすんだ。
「もしも恋がかなうなら、神様に逆らってもいいと思った。でも、あの人には、ロザリーさんが」
ユーリは顔を両手で覆い、嗚咽をもらした。ミネアは思わず、少女の巻き毛の頭を自分の胸におしつけ、そっと抱え込んだ。えっ、えっ、とユーリはミネアの腕の中でしゃくりあげていた。

 ライアンは、マーニャに言われて、ミネアとユーリを探していた。いつのまにかはぐれてしまったらしい。見当をつけて路地を歩いていると、前方に見知った人影があった。が、ようすがおかしかった。
 ユーリは辛い言葉をつむぎ、そしてミネアの胸に顔をおしつけてしまった。
「むむ、乙女の秘密というやつか」
どうにも声を掛けられずにライアンは路地を下がり、角を曲がった。その先に、当のピサロを見つけてライアンは思わず声をあげそうになった。
「今のを聞いて」
ピサロはライアンのほうを見ると、人差し指をたてて、自分の唇に当てた。ライアンは、言葉の残りを呑みこんだ。この男の耳が人間より格段にいいらしいということは、ライアンも知っていた。
 ピサロは、急に歩き出した。ライアンも後を追った。大通りに出たとき、聞きなれた声がした。
「あら、こんなとこにいたの?探しちゃったじゃない」
マーニャが、妹と勇者を見つけたのだった。
「さ、かえろ」
「そうですね、ユーリさんも」
手で涙をぬぐってユーリがうなずいた。
 ピサロがつかつかと近寄っていった。
 ライアンは思わず息を呑んだ。
「勇者よ」
ぎくっとユーリは向き直り、それから、驚異的な自制心で声を絞り出した。
「今夜は、ありがとう。協力してくれて」
ピサロは、冷たく言った。
「したくてしたわけではない」
ユーリは片手で胸をおさえた。深い呼吸をしているらしい。
 とつぜん、ピサロの周囲がゆらめいた、とライアンの目には映った。旅の吟遊詩人の姿が、見る見るうちに闇に溶けていく。一度揺らめいた輪郭が、再度はっきりしたときは、彼はすでに人ではなかった。
 はたして、結界の術でも使ったのか、見回せばあたりは闇の中だった。たった今まで立っていたエンドールの町並みが、消えうせていた。
 真の暗闇の中に、色白の端正な顔立ちがまず、浮かび上がる。人間に擬態していたときの世俗の仮面がぬぐいとられ、魔性の美貌が鮮やかに映えた。
 その瞳は、まぎれもない鮮血の色。豊かな銀の髪がさらりと額にかかり、それからばさりと落ちて腰まで流れ落ちた。
 漆黒の衣が、その優美で精悍なデザインを次第に整えていく。大きくくつろげた襟の間の、むきだしの胸にあるのは、まがまがしい髑髏の飾り。そして白く曝した骨の巨大な肩当て。真紅の帯の飾り紐も、不吉で、そして息を呑むほど美しかった。
 一陣の突風が吹き、闇色のマントを大きく翻す。魔界の刀匠が献上した邪剣が左腰に異彩を放つ。天、人、魔の三界に隠れもない、悪名高き魔王がそこに立っていた。
 ユーリは大きく息を吐き出した。真剣勝負のように相手を見据え、静かに言った。
「今度あなたを呼び出すときは、きっと戦場へ連れ出そう」
吸い込まれそうな真紅の瞳の目元が、ふとゆるんだように見えた。
「それならば、どこまでも付き合おうか」
その言葉を残して、魔王は闇の中へ歩き去った。結界はまもなく消え、夜のエンドールの歓楽街がもどってきた。

 ユーリは肩を落とした。
「わたしの初恋、今、終わりました。ミネアさん」
マーニャがユーリの顔をのぞきこんだ。
「な~に?いったい」
ミネアはあわてて言った。
「あの、いろいろと深いわけがあって」
ふ~ん?とマーニャはいぶかしげな顔になっていたが、やおら、ユーリを抱きしめた。
「おめでとうっ」
「えっ?」
ばんばんとユーリの肩をたたく。
「失恋第一回目ね?いいのよ、それで。若い娘は失恋で女を磨くんだからね」
「姉さん?」
「ぐずぐずしないで、お酒注文してきてよ」
我が姉ながら、唐突だと思った。
「はい?」
「こういうときは、ぐでんぐでんになるまで飲むの!それがお約束ってものよ」
「そんな約束、いつできたのよ」
「あたしが決めた!」
堂々とマーニャは言った。
「宿へ帰るわよ。腰すえて飲むんだからね」
ライアンはユーリとマーニャを見比べた。
「大丈夫か、マーニャどの。拙者がいっしょに」
「だめだめ。こういうときは、女の子限定。ミネアも飲むでしょ」
「わたしは失恋なんて」
「ああん?しなかったって言うの?」
 ミネアはちょっと黙っていたが、くすりと笑った。なつかしい目のその人は、ベッドの上だった。自分以外の女性が、優しくオーリンを介抱していた。ミネアに入り込む隙などなく、感謝の気持ちを伝えることしかできなかった。
「ええ、したわ。けっこう、きついのを」
「じゃ、資格ありよ。じゃんじゃんいこう、ね、ユーリ」
ユーリは、泣き笑いのような顔で、うなずいた。
「マーニャ殿」
ライアンが呆れている。
「あ、ライアン、宿までお酒届けてね。よろしく!」
きゃはは、と笑っている。しらふのうちからハイテンションだった。たまには、思いっきり飲んで、酔いにまかせて思いっきり泣いたり愚痴ったりするのもいいかもしれない。ミネアはそう思った。
「あたしなんか、三日に一度は恋に破れてるわよ。それがキレイの秘密。さあ、行くわよぉ!」
こぶしをぐっと突き上げて、マーニャは歩き出した。今夜は長い夜になりそうだった。