初恋の終わり 3.第三話

 それは、ちょっと妙な組み合わせだった。荒くれと、詩人である。
 ピサロは、エンドールの街中を待ち合わせに指定しただけあって、人間の姿を装っていた。吟遊詩人の着る、大きな袖、すそ長のローブに、幅広の赤いサッシュを巻いている。白銀の髪は束ねることもせず背中へとき流し、普段のバンダナのかわりに革紐でおさえていた。
 素性を疑わせるものは、とがり気味の耳と、赤い瞳。だが、その目も、生き生きと輝くアリーナのそれとはちがうが、古い高貴なワインの色に似ていて、とりたててまがまがしいわけではなかった。
「あらピーちゃん、似合うじゃない、そのかっこ。虫も殺さないように見えるわよ」
ピサロはうんざりした顔でマーニャを見た。
「おまえに会わなくて済むように、宿を避けたのだがな」
「こーの照れ屋さんめ」
首に腕を回して顔を引き寄せた。
 往来を行く人々が、足を止めて見守っている。珍しいくらいの美男美女の組み合わせでは無理もないかしらとミネアは思った。吟遊詩人姿のピサロはミネアも初めて見るが、正体を知らなければ実際うっとりするかもしれない。
 ライアンは咳払いをした。
「マーニャどの、ピサロ殿が困っているぞ」
マーニャはふりむいて、あでやかに笑った。
「あんたが妬いてくれるなら、離れてもいいわよ」
にやにやと壮年の戦士は笑った。
「ああ、嫉妬で気が狂いそうだ」
マーニャはピサロを放してライアンに近寄り、顔をしかめて見せた。
「笑いながら言うようになったわね、このいけず親父」
ミネアが覚えている限り、初めてパーティに参加した頃のライアンは、マーニャがこんなふうに近寄るたびにぬおぉだのなんだのと叫んで、いちいち大騒ぎをしたのだった。確かに、進歩したかもしれない。
「さっさと用を済ませるぞ」
見た目は詩人だが、決定的に愛想のない声でピサロは告げた。
 ピサロの隣にいるのは、かなりの大男だった。上半身は裸である。顔は上半分が皮のマスクでおおわれ、赤い目だけがのぞいていた。なんとライアンよりもピサロよりも、背が高い。高いのみならず、岩のような体つきだった。
 その荒くれを親指の先で示して、ピサロは言った。
「こいつだ」
えっとミネアは思った。
「じゃあ、こちらは、もしかして」
「アーサクと言いやす」
荒くれは自ら名乗った。
「エンドール界隈で呪いを請け負う、けちな魔族でござんす」
ミネアたちは、お互いの顔を見合わせた。
「あ、初めまして」
“ども、ども”と、アーサクというらしい魔族は頭をさげた。体型からして、ギガンテスとか、アークデーモンとか、本来の姿はそのへんの重量級ではないかとミネアは思った。
「ええっと、あっしに御用ってのは、こちらの綺麗どころで?」
気さくな調子でアーサクは言った。
「なにせ、魔界でダチとたむろってたら、いきなりこちらの旦那が踏みこんできて“エンドールで仕事をしているやつは前に出ろっ”なんですよ。おっかなかったんで、へいって言ってくっついてきました。おかげで詳しいことは何一つ聞いちゃいないんです」
 ミネアは笑いをこらえた。かわいい人と二人きりの時間をジャマされた彼は、魔界の下っ端を手荒に引き立ててきたらしい。
「カリューって言う人をご存知ですか?」
「はあ。あの件なら、あの一日二日でカタがつきやす」
「いえ、カタをつけないでください!」
思わずミネアは言った。
「カリューさんを助けて欲しいんです」
気さくな魔族は、人差し指でかりかりと頭のわきをかいた。
「いったん呪者の手を離れた呪いを、とりやめるんで?そんな殺生な」
アリーナが口を挟んだ。
「あんたが“もうやめ”って言えばいいんじゃないの?」
アーサクは首を振った。
「お嬢さん、ご冗談言っちゃいけませんや。しきたりってものがありますからね。あっしのような下っ端がしきたりを破ったら、ピサロの旦那をはじめ偉いみなさんからどんな目にあうか、わかったもんじゃありません」
まじめな口調でユーリが言った。
「そうなったらわたしが守ります。だから、この呪いはやめてもらえないですか」
アーサクは、笑い出したいような、複雑な顔になった。
「お志はうれしいんですが、お嬢ちゃんじゃあ、とても」
ふん、とピサロがつぶやいた。
「アーサク、そいつは、アレだ」
荒くれ男は、ぎょっとしたようだった。
「アレって、アレですか、天空の」
ピサロはあごをしゃくった。
「のぞいてみるがいい」
荒くれはユーリの顔を覗き見るような格好になり、それからぱっとあとずさった。
「まぶしい、まぶしい。本当だ、お嬢さん、お見それしやした」
ユーリは、どこか恥ずかしそうにうつむいた。
「あの、だから、アーサクさん、呪いやめてくれますか?」
「それはしきたりが、あ、そうですね、やめるっていうのはできませんが、返すってのは、やっていいことになってます」
「返す?」
「呪いを、呪われた者じゃなくて、呪った術者に返すんです」
 少女たちは、顔を見合わせた。口を開いたのは、マーニャだった。
「あたしは賛成よ。人を呪わば穴ふたつ、ってのが、昔から相場じゃない」
「姉さん!呪いを返されたら、死ぬかもしれないのよ?」
「運によりけりじゃない?第一、誰よその、術者って」
ライアンが渋い声でたずねた。
「もしや、メランザという若い男ではないのか?」
全員の視線がアーサクに集中した。
「わかりやせん」
「なんですって?」
アーサクはでかい体を縮めたいような顔になった。
「あのねえ、みなさんが誰か呪う時に、自分の名前をはっきり出しますかい?呪いってのは、匿名でやるもんです」
「じゃあ、どうやって引き受けてるのよ、あんたは?」
「祈りっていうのか、声って言うのか、そういうもので届くんでさ」
「じゃ、声を聞けばわかるのね?高い声、それとも低い?男?女?」
「だから肉声じゃねえんですよ、綺麗なお姐えさん」
マーニャは眉を逆立てた。
「情けないわねっ。面通しをやりゃあ、わかる?」
「怒った顔もいいなぁ……はい、気配をおぼえてますからね、わかりやす」
「だそうよ、ライアン?」
ライアンは、あまり楽しくなさそうな顔になった。
「しかたがないな。メランザにあわせてみるか」

 歩きながらライアンはリーザという娘をめぐる三角関係のことを話してくれた。
「そういうやつ、許せないなぁ!」
アリーナが叫んだ。
「卑怯だと思わない?呪い返しがうまくいかなかったら、あたし一発ぶんなぐっていい?」
白い手袋をはめた拳を、架空の敵めがけてつきだした。空気を切り裂く、鋭い音がした。今夜は穏便には済まないのだろうか、と、今からミネアはどきどきしている。
「たしか、その先だ」
ライアンがそう言って、茶色の石造りの建物を指したときだった。建物の間の路地から、数名の男女が通りへ出てきた。
「カリュー、それに、メランザじゃないか!」
二人の若者は、驚いたような顔でこちらを見た。
「先生!」
「どうしてここへ」
 二人とも、剣を手にしている。どうやら、険悪な雰囲気だったらしい。若者たちの後ろに二人の女性が立っていた。背の低いほうが、シリンだった。とすると、背の高い娘がリーザだろうとミネアは見当をつけた。周囲に美人が多くて見飽きているミネアだが、この娘なら二人の若者が取り合って争うこともあるかもしれないと思った。
 シリンはミネアを見ると、走ってきた。
「ミネアさん、あの人たちをとめて下さい。決闘するって言い張ってるんです」
「大丈夫、わたしたちがなんとかします。シリンさんたちは、家に入っていてくださいね。危ないですから」
シリンは、青ざめているリーザを促して、茶色い石の建物に入っていった。
 ライアンは厳しい顔つきで教え子たちをにらみつけた。
「二人とも、恥ずかしいと思わないのか。剣をおさめなさい」
カリューとメランザは、気まずい顔で剣を鞘にしまった。
「私闘に及ぼうとしたのは、軽率でした」
一人の若者が言った。
「ですが、身の潔白を立てるには、ほかに方法がなかったのです。リーザを得るために私がカリューに呪いをかけたと言われては」
くやしそうだった。この男がメランザらしい。着るものがしゃれていて、なかなか姿のいい若者だった。
 もう一人の若者、カリューが、メランザのほうをにらみつけた。
「毎日、命を狙われ続けてみろ。おれはどうにかなりそうなんだ。先生、信じてください。おれはやはり、呪われているんです!」
ライアンはあっさりうなずいた。
「それは知っている」
カリューはめんくらったようだった。
「おい、アーサク、とやら。おまえにこのカリューの命をねらわせたのは、ここにいるメランザか」
アーサクはのっそりと前に出た。
「ちょっと、ごめんなさいよ」
岩山のような大男に顔をのぞきこまれて、メランザはのけぞった。
「な、なんだ、なんだ」
「う~ん」
しばらくアーサクはうなっていたが、首を振った。
「ちがいやす。あっしのクライアントは、この兄さんじゃ、ありません」
アーサクの判断はきっぱりしたもので、疑いようがなかった。ミネアとユーリは口が利けない。代わりにマーニャが文句をつけた。
「あ~ら、やだ、人違い?ちょっと、ライアン、どういうことよ」
ライアンは、むしろうれしそうだった。
「すまん、拙者の勘違いだったようだ。よかった、よかった」
メランザたちは、ぽかんとしていた。
「カリュー、おまえに呪いをかけたのは、メランザではないぞ」
「えっ?」
カリューは、憑き物が落ちたような顔になった。片手を額にあてて、カリューはつぶやくように言った。
「ああ、そうだよな。よく考えれば、おまえがおれをどうこう、なんて、あるはずがない。悪かった、メランザ。許してくれ」
メランザは、へへっと笑った。そうすると、意外にすなおそうな顔になった。
「わかったんならいいや。正直言って、おまえが剣を抜いたときはびびったよ。かなうわけがないからな」
「友達を疑うなんて、どうかしていたよ」
「もう、よせよ。ついでに言うと、おれにはリーザとは別に本命がいる。この縁談は、彼女のお母さんだけが乗り気なんだ」
「早く言ってくれよ」
カリューは頭をかいた。
 マーニャが声を掛けた。
「和んでいるところ、悪いんだけど。カリュー君だっけ?このままほのぼのしてると、あんたの命、今日明日だってよ」
二人は驚いてマーニャのほうを見て、そのまま口をぽっかりと開けて見とれた。褐色の肌をした地上の女神は、容赦がなかった。
「そのバカづらなんとかしなさいよ。それで~?これからどうするの、ユーリ?」
リーダーの少女はじっと考え込んでいた。
「このデカイのに、エンドール中の人間の面通しをさせなきゃだめなわけ?」
ミネアはためいきをついた。
「カリューさん、リーザさんの件のほかに、命を狙われるような恨みをかったおぼえはありませんか?」
「え、おれ?恨みですか?そりゃ、人間ですから、あちこちでトラブルはありますが、命となると、わからないです」
 そのときだった。ユーリがミネアの耳元でささやいた。
「えっ?」
ミネアは思わずユーリの顔を見返した。
「……だって、それなら、リーザさんなんじゃないですか?」
「でも、いえ、ただの直感だけど、どうしてもそんな気がするんです」
外の気配を感じたのか、家の中から、シリンとリーザが顔を出した。カリューとメランザのようすを見て、安心したように外へでてきた。ミネアは心をきめた。
「アーサクさん、ちょっと」
「へい、なんでしょう?」
「あの女性の心を見てください。あなたの依頼人じゃないかしら」
のそっとアーサクが寄って行く。ぎょっとした顔になって、彼女はあとずさった。
「おっ」
アーサクが叫んだ。
「いましたよ。このお姉さんだ、あっしのクライアントは」
ミネアは息を呑んだ。
「本当に?だって、その人は私に、カリューさんを呪いから助けてくれるように頼んだ本人、なのに」
ミネアは口ごもった。アーサクが太い指でつかんでいるのは、シリンの細い二の腕だった。カリューが叫んだ。
「ありえないです、絶対!シリンは、妹みたいなものなんだ。おれに呪いをかけるはずがない」
アーサクはまた、かりかりと頭をかいた。
「と言われてもねえ。だって、このお嬢ちゃんですよ?でしょ、ねえ?」
シリンは青くなって震えていた。
 アーサクは首を振った。
「いえ、あっしはどっちでもいいんですけどね。呪いは呪い。色男の兄さんか、このお嬢ちゃんか、どっちかのお命をいただきますよ?」
人々の視線が、シリンに集中した。
 シリンは、両手で顔を覆った。
「そうです。あたしです」