初恋の終わり 1.第一話

 石畳のすりへったところに、夕べの雨がたまって水たまりができている。二羽のすずめが水溜りに降り立ち、かわいらしい仕草で水を飲んでいた。
 エンドールのすずめは物怖じをしない。町の中央のにぎやかな交差点は、人や馬が行き交う大通りなのだが、すずめは我が物顔にふるまっていた。
 早朝である。武器屋、道具屋、防具屋が、次々と店を開けていく。大戸をひらき、台を通りに張り出して、品物を並べていくのだ。
 ちょっと離れた教会でも修道士が庭を掃除している。鐘楼には神父が立ち、鐘突き棒を手にしていた。
 ゴォオオオン、と響きをあげて、エンドールの町に鐘の音が響き渡った。町のすずめが一斉に飛び立った。
 明るい空にその姿を見送って、占い師ミネアは、微笑んだ。
「ミネアちゃん、いい天気だね!」
隣の道具屋の若い主人が、気さくに声をかけてくる。
「あ、おはようございます」
「最近、どう。儲かってる?」
「おかげさまで」
道具屋の若い女将が出てきて、亭主の耳をぐいと引っ張り、ミネアのほうへニヤっと笑って見せた。
「ごめんなさいね、うちのが、話し好きで」
「いえいえ。さ、お仕事、お仕事」
 エンドールは好景気に沸いている。王女の結婚相手を決めるための武道大会を催したり、そのあと王女と隣国の王子との縁談が調ったり、それからまたたいそう大々的な結婚式がおこなわれたりして、今のところエンドールは不景気を知らない町だった。人も、物資も、この町をめがけて世界中から集まってくる。
 二本の大通りが交差する、この町の中心地に、ミネアは最近、小さな占い小屋を持つようになった。間口は狭いが、しっかりしたつくりである。鍵をあけて入り、中を掃除して、ミネアは小屋の正面に看板(「ミネアの占い小屋……見料一回10ゴールド」)をかけようとしていたところだった。
 気配を感じてミネアはふりむいた。後ろに、若い女が立っていた。もじもじしている。
 エンドールの垢抜けた女たちとちがい、どこか近在の村から町へ出てきたような感じだった。おどおどしているのだが、同時にひどくせっぱつまっている、そんな顔だった。その表情や態度に、ミネアは思い当たることがあった。
「いらっしゃいませ。占い師に、ご相談ですか?」
女、というより、少女のようなその娘は、びくっとした顔になり、何度もこくこくと顔をふった。
「あ、あの!」
よほど悩んだのだろう。しわがれたような声だった。すがるような目つきで娘はミネアを見た。
「あたし、シリンて言います。おさななじみのカリューが、呪われているみたいなんです。なんとかならないでしょうかっ」

 ライアンは、びしっと剣をふった。
「そこまで」
広い道場のあちこちから、いっせいにためいきがもれた。エンドール王宮付属の、戦士用練習場である。有名な円形闘技場の地下にあり、高い柱に土の床の、広々とした空間だった。
 最近この訓練所は尚武の国として名高いバトランドから戦士ライアンを教官に迎え、訓練生たちははりきっていた。
「朝練は、これまでとする」
“ありがとうございました!”若者たちは一斉にそう言うと、三々五々散っていった。
 ライアンはその一人に声を掛けた。
「カリュー、おまえ、どうした?」
カリューと呼ばれた若者は、はっと顔をあげ、気まずいような顔になった。
「なんでもありません」
ライアンは腕を組み、口ひげをひねった。
「なんでもないというようすではなかったぞ。剣先に勢いがないわ、守りがなっていないわ、どうしたというのだ」
カリューは力なく笑った。
「実は、ここのところ、どうにも運が悪いんです、おれ」
「話してみぬか?」
年は若いが、太刀筋がまっすぐで才能のあるこの若者を、ライアンは本気で心配していた。
「はあ。人に話すと、ばかげて聞こえるのはわかってるんですが」
前置きをして、カリューは話し始めた。
「歩いているときに突然何か落っこちてきて、どきどきすることが、何回かありまして。道端に停まっていた馬がいきなり暴れ出して踏まれそうになったり、食事をしようとしたら中に毒が入っていたり」
「毒?おだやかではないな」
「いえ、ひどい味だったんで、すぐに気づいて吐き出しました。その店の料理人が、うっかりまちがったきのこを使ってしまったらしいです」
「それで」
「いえ、そんなことばっかりで、なんだか毎日びくびくしてるんです。それが原因で、恋人といるときも上の空になっちゃって、彼女を怒らせちゃうし」
この若者に、リーザという名の一年越しのつきあいの恋人がいるのは、ライアンも知っていた。
「それが、新居を決めようとしてたときのことなんです。“あたしのことなんて、どうでもいいのねっ”てなもんで」
「そりゃあ、落ち込むのもわかるがな」
「おかげでリーザ、口を利いてくれません。おまけに、夕べ、彼女の家からメランザが出てくるのを見ちゃいまして」
「メランザ?」
それはエンドールの若い戦士で、カリューと同じくライアンの教え子だった。
「やつは、リーザの従兄弟なんですよ。どうもリーザのお母さんは、リーザとメランザを結婚させたかったみたいなんです」
「メランザ、な」
その若者は口では大きなことを言うが、本当は小心者である。だがライアンの見るところメランザの振るう剣は意外にまっすぐで、姑息な陰謀をたくらむような男には見えなかった。とはいえ、一人の女をめぐる二人の男とくれば、よくあるパターンには違いない。
「呪いなどと、信じたくはないが」
と、ライアンはつぶやいた。

 エンドールで一番大きな宿屋は、「金の鱗亭」と言った。なんでも大昔、初代亭主が、金色に輝く鱗が空から落ちてきたのを拾ったことがあるらしい。
 地下のカジノめがけてくるギャンブラー、うまい食事目当ての家族連れ、サービスのよさにひかれくるリピーター、と、「金の鱗亭」はいつも大入りだった。
 がやがやと騒がしいフロント前を抜けて、ミネアは客室のある二階への階段を登った。ここ一月ほど、二階のいくつかの部屋に分かれて、パーティはこの宿に投宿している。
「失礼します」
そう言って、かるく扉をたたいた。“お入り”と返事があった。
 室内には三人の人物がいた。一人は白髪の老人だった。サントハイム王国の誇る主席魔法使い、ブライ。年はとっても、まだまだかくしゃくとしていた。
 魔力も気迫も、若い者に引けを取るものではない。今も、勉強を中断しにきた相手に、じろりと冷たい視線を浴びせ、ミネアだとわかったとたんに、ふっと優しい光が宿った。
 この老魔法使いの忠誠とがみがみ小言の対象が、ブライの前に腰掛けて、分厚い本を広げている少女だった。同王国の世継ぎの姫、アリーナである。
「どうしたの、ミネア?」
勉強を中断できるのがうれしいらしく、声を掛けてきた。
「ちょっと、相談したいことができたんです。ブライさんのお手が空いたら、と思ったんですけど」
ブライはあごひげをしごいた。
「ミネアさんが相談というのなら、こりゃ真剣に聞かねばなりませんな」
「すいません」
アリーナが両手を高く上げて、あ~あ、と伸びをする。そちらのほうへブライは鋭い視線を飛ばした。
「では姫、わしがミネアさんと話をしている間に、今日やったところを全部10回づつ書き取っていただきましょうかな」
「むごいっ」
もうブライは、耳が聞こえないふりをしている。
「うざったいなあ、もう。ねえ?」
アリーナは、自分の隣にいたもう一人の少女に同意を求めた。
 アリーナの真紅の巻き毛が色白のほほに映える。だが隣の少女は鮮やかな翠緑の巻き毛の持ち主だった。皮膚の色はアリーナより濃いめだが、やわらかそうなクリーム色で、肌のきめ細かさは彼女に勝るとも劣らない。そして、桃色の唇は本当にかわいらしい曲線を描き、真珠の歯を隠していた。
 女勇者、ユーリ。
 天空人の血統が、精悍と可憐の奇妙な融合を成し遂げた、不思議な少女だった。
「ごめん、わたしもう、5回書いちゃったから」
「そんなぁ!」
アリーナのかわいい悲鳴が巻き起こる。くすくすとユーリは笑った。
 ユーリの率いるパーティはこのところエンドールに本拠を置いている。特に今は、ユーリ自身のたっての頼みで、彼女が山奥の村で受けていた剣と魔法の修行を完成させるために、それぞれライアンとブライについてエンドールで勉強していたのだった。
 今はアリーナといっしょに、宿屋のブライの部屋を教室にして、魔法習得には必須の古代文字を教わっているところである。
 ユーリの修行中、クリフトは教会で神官として働き、ライアンは王宮で教官として後進を指導し、ミネアは占い小屋を持ち、というように、メンバーはそれぞれ自分の道にも励んでいる。
 特にトルネコは久々に家族とともに店の仕事に精を出し、マーニャはマーニャで宿で酒とカジノと、華麗なステージの日々をおくっていた。ミネアとは同室になる。
 導かれし者のうち、最後の一人は、“必要なときは呼べ”の一言を残して、今はエンドールを離れていた。ロザリーヒルにいるのはわかりきっているので、誰も野暮なまねをしようとはしなかった。
こほん、とブライが咳払いをした。
「それで、ミネアさん」
「あ、はい」
ミネアはブライのほうへ向き直った。
「占いのお客様のことなんですけど」
ほ?という表情でブライは彼女を見た。
「占いのことならば、わしの及ぶところではありませんがな」
「いえ。その方の依頼というのが、いっぷう変わったものでした。ある人にかけられた呪いを解いてほしい、というのですから」
羽ペンにインクをつけて書き取りをしていたユーリが、顔をあげた。
「呪いですか?いったい、誰がそんなことをしたんですか?」
ミネアは首を振った。困っている人がいると、まず見過ごしにできないのが、彼女、ユーリの、持って生まれた性癖だった。
「わからないんです、ユーリさん」
「それはそもそも、呪いなのですかな?」
と、ブライが聞いた。
「いや、年寄りのことで、くどいのは承知のうえじゃが、そこを確かめませんとな」
「実は、私も最初は、それを疑いました。でも、依頼人、シリンさんというのですが、その人のおさななじみでカリューという若者に、説明のつかない災厄がつぎつぎとふりかかるのだそうです」