破壊神シドーと緑の王子 8.ルビスの裁き

 大声をあげたのはシドーだった。そのままシドーは、回廊から一階の大広間まで飛び下りた。
「待てよ!ほんとにやるのか」
「それしかないようです」
アムの身体を借りたルビスは、シドーに冷静な視線を向けた。
「なぜ妨げるのです?情けをかけようと言うのなら、よく考えてからになさい。この哀れな魂は、独りよがりな理想を世界に押し付けようとして失敗し、狂ったのです。ここで断ち切らねば、永遠にあなたに粘着することでしょう」
シドーは一度うつむいて、顔を上げた。
「だけど、こいつは言ったんだ。『みごと神を滅ぼせば、認めてやろう、仲間の価値を、物作りの尊さを』。そうだろ、ハーゴン!?」
振り向いてシドーはそう叫んだ。
 ハーゴンは、さきほどのまま震えていた。だが、劣等感のあまりワナワナしているのではなかった。目を見開いて言葉も出ないようすだった。
「アンタ、ええと、ルビスサマっていえばいいのか。こいつを消さないでくれ。この島限定で生きるならいいだろ?ソッチの世界に迷惑はかけさせない」
 いきなりわき腹を小突かれてビルドはゲッとうめいた。
「なにやってんのよ、アンタの出番でしょ!」
ルルだった。
「え、いいの?ルルはあいつと教団にご家族を……」
「それは……アンタとシドーでやっつけてくれたからもういいの。それに」
ルルは胸を張った。
「ルル王国の女王は懐が広くなくちゃ!」
ビルドは目の前が明るくなった気がした。
「ルビスさま!」
回廊からぐいと身を乗り出し、ビルドは叫んだ。
「ぼくも、シドー君を手伝います。たぶん、ルルも!ハーゴン、消さないであげてください!」
シドーがこちらを見上げ、嬉しそうに手を振ってくれた。
 待機場所から、ロイが動いた。サリューと並ぶように前に出てくると、片手を胸に当て、精霊女神に一礼した。
「俺からも慈悲を願い上げます」
「勇者よ……」
そうつぶやいてルビスは沈黙した。
「ルビスさま」
とサリューが言った。
「ハーゴンではならじとおっしゃるのなら、ウーゴならば如何。幸い、こちらとあちらの世界の狭間では今、時の流れが揺らいでいるようです。それを利用すれば、ハーゴンだけなら時を戻せるかもしれません。いえ、全知全能の貴女様ならおできになるはずです」
 ルビスは無言のままだった。ビルドは固唾を飲んだ。
「……よいでしょう」
ついにルビスはそう言った。
「若きビルダーよ」
ビルドはどきりとした。
「はいっ」
「この裁定は貴方の実績を見込んでのことです」
そんなもん、あったかしら、とビルドは思ったが、何も言わなかった。
「少年シドーはあなたと出会ったことで変わりました。彼は今や、夢のなんたるかを解し、愛のなんたるかに触れた、ひとつの知性です。ビルドよ、あなたを信頼してハーゴンの魂を預けましょう」
そう言うとルビスは、ハーゴンに向き合った。
「ハーゴンよ、人生を生き直しなさい。幼な子にもどり、一人の人間として生きるのです。これがルビスの裁きです」
ハーゴンは、黙ったままルビスの裁定を聞いていた。
「今度はオレが育ててやるよ」
そう言われてハーゴンはやっとシドーを見上げた。それまでの狂乱が収まり、くたくたになったような顔だった。
「ああ……。そうだな」
一言そうつぶやいて、ハーゴンは目を閉じた。その顔は、かすかに笑っているようにも見えた。
「シドーよ」
とルビスが言った。
「ハーゴンが人として生き直すには、肉体が必要です。手を貸してください」
「オレが?もう神のチカラは使っちゃったぞ」
「あなたはもともと宇宙を漂う神霊です。神のチカラはその宇宙から流れ込む。尽きるなどということはないのですよ。手を」
シドーは言われるままに片手を上げた。
 ルビスの宿るアムの手から、白の息吹が流れ出した。乙女の繊手から真珠の輝きが煌めき出る。それはまっすぐハーゴンに向かい、からみついた。
 シドーは何か気づいたように自分の手袋を取り、ハーゴンに向けた。その手から赤くオーラが燃え上がり、ハーゴンへめがけて噴き出した。
 赤と白の霊力は渦を巻いてまじりあい、その中にハーゴンの姿は見えなくなった。
――あれは、“ビルド”だ。命のビルドなんだ。
ビルドは息を殺して生成を見守っていた。
 やがて霊気の渦はほどけて消えた。渦巻きがあった場所に、うまれたての赤子が一人うずくまり、すやすやと寝息をたてていた。
 おおおお、と地下神殿に集まっていたからっぽ島の住人たちが一斉に賞賛の声を上げた。
 その騒ぎをよそに、ふう、とサリューが肩の力を抜いた。虚空に視線を向けて彼はつぶやいた。
「これでよかったのかい、バジリオ?」

 その日の夜、ピラミッド酒場は異様に盛り上がっていた。ペロのたっての頼みで、クイーンバニーことアムの引退公演があったのだ。
 酒場は彼女のファンが詰めかけた。サリューは緑の開拓地の面々を率いて観衆の一番前で団扇をふりふり、声援を浴びせていた。アムの方も華やかな笑顔を惜しげもなく振りまいて、従兄弟にはウィンクを飛ばしていた。もう一人の従兄弟、ロイのほうは、サリューの後ろに隠れるようにして見ていたが、指で半分目を覆いながらも、指の間からしっかり鑑賞していた。
 ロイは青の開拓地の、すなわちムーンブルクからやってきた住民たちといっしょに来ていた。
「姫さま、あられもないお姿で……」
「しかしまあ育つべきところはきちんと育っておられるようで……」
ジロームとホッホは度肝を抜かれたようだったが、ゼセルはなんとなく納得がいった。
「あのノリのよさはやっぱりムーンブルクの王さまと血がつながってるって感じですよね」
あははっとアネッサが笑った。
「まったくだ!」
 ミトは初めて見るステージショーに心を奪われたようだった。
「はぁ……。姫さま、ステキでした」
まだ目がキラキラしていた。
 ちなみにプットはショーの途中でステージに乱入し、アムのダンスに合わせて歌おうとしてファンたちから袋叩きにあい、ロイの手で引きずり出されていた。
「あの、でも、本当にムーンブルクにはお立ち寄りにならないんでしょうか。ここからなら、ヤス船長の船で半日もかからないんですのに」
むぅとアネッサがうなった。
――ルビスさまは、僕たちの世界でもう死んでいる者に向かって“あなたはすでに死んでいる”と言ってはいけないとおっしゃった。
“ルビスの禁”のことは、青の開拓地の人々は皆聞いていた。
「姫にも思うところがおありなのだろう」
「でも将軍、聞きたくないですか?向こうの世界のムーンブルクのこと。姫の知ってるあたしって、どんなヤツなのか、とか」
アネッサは肩をすくめた。
「むろん、興味はある。が、あちらの世界の人々は、リックを丁重に葬ってくれたらしい。それだけで私は十分だ」
ことさらストイックに、むしろカタブツに近いイメージをアネッサは守っているが、実は陽気にはしゃぐ子供のような一面もあるとゼセルもミトも知っていた。
「そんなこと言っちゃってアネッサさまったら」
ゼセルが言いかけたときだった。酒場の裏手の楽屋から、バニースタイルから旅行用のローブに着替えたアムがやっと出てきた。腕にいくつも花束を抱えていた。
「みんな、来てくれたのね!」
ちょっと待ってて、というしぐさで二人の従兄弟たちに片手を振ると、彼女はゼセルたちのところへわざわざやってきた。
「きゃあっ姫さま!」
ミトは飛び上がりそうになっていた。
「とっても素敵でした!お帰りの前にサインしてください!」
「もちろんよ」
ノートに慣れたようすでサインを書き入れ、そのそばに言葉を書き添えた。
「『大好きなミトへ』。まあ」
ミトはうるうるしていた。ふふ、とアムは笑った。
「あなたが元気で嬉しいわ。ホッホ先生を大切にしてあげてね」
「え、先生って、それじゃ、あの」
ホッホほどの博識なら、王女の教師になっても不思議はないとゼセルは思い、納得した。
「本当にムーンブルクのひとなんだ……」
アムはちらりとこちらへ笑顔を見せた。
「意外に見えるわよね」
笑顔はちょっと寂しそうだった。
「お父さまにも会いに行かない親不孝娘だし」
ひと目でも会ったりしたら、ルビスの禁を破らずにはいられない。そのことはゼセルにもよくわかった。
「姫さま、あの……」
言葉が続かなかった。アネッサがこほんと咳払いをした。
「姫、その、姫が我々に語ることは禁止されているのは知っている。だが、私たちのほうが姫にお話しするのは、禁止事項に抵触しないのでは?」
 アムが顔を上げた。
「そうよ……そうだわ!聞かせてください、ムーンブルクのこと、お父さまのこと、みんなのこと!」
ゼセルは胸を打たれていた。喉の渇ききった人がグラス一杯の水を差しだされたら、今のアムのような、泣きたいような笑いたいような表情になるだろうか。
「もちろん、喜んで」
とアネッサは言った。
「ムーンブルクは“終わらない戦いの島”と呼ばれていた。勝つことも負けることも許されず、ハーゴン教団と戦い続けてきたからだ。ある時、ついに玉座の間まで占領され、王、ジロームさま、私で城外へ逃げたとき、リックが港から戻ってきた。一人のビルダーと、破壊神をつれて……」
 時々ゼセルたちが口をはさみながら、アネッサはアムのためにずっと語り続けた。アムは何も言わず、ただ貪欲に聞いていた。
「そしてついに、教団の幹部として悪霊の神と恐れられたアトラスが城に迫ってきた。その強さと巨大さに城の者は震えあがった。だが、そのとき王が立ち上がった。“わしは諦めはせぬぞ”と言って。王の発案は、アトラスに対抗するための巨大な大砲、ミナデイン砲だった。ビルドが設計図を書き、それを組み立てるために皆、ブロックをひとつずつ運んだのだ」
「王さままで手伝ったんですよ!?もう王だからとて高みの見物はしたくない、なんてかっこいいこと言っちゃって」
ふふふ、とアムは笑った。
「いかにもお父さまの言いそうなことね」
 話が終わったとき、彼女は静かに言った。
「ありがとう、みんな。幻でもいいわ。お父さま、お元気そうでよかった」
澄んだ目で彼女はそう言った。
「アネッサ、ゼセル、みんな、ムーンブルクへ帰ることがあったら、どうかお父さまに伝えてください。『私はあなたの娘であることを誇りに思っています』って」
「かしこまりました、姫」
この人は向こうの世界へ戻っていく、そして、本物のムーンブルクを復興していくのだろう。
 ゼセルは、改装なった華麗な玉座の間に女王として臨むアムの姿を想像した。それはとても凛々しい、そして美しい王室の姿だった。

 ルビスの裁きが行われた日の夜、ロトの勇者たちはそれぞれの開拓地に泊って名残を惜しみ、翌朝それぞれ別れを告げ、山頂の神殿へ集まることになっていた。
 裁きのあと、ビルドは妙にあわてていた。シドーにはいまひとつ理解できないのだが、人間の赤ん坊がからっぽ島に増えたというのは、彼に取って大事件であるらしい。
「カンタとヤヨイの間にモモコが生まれた時とどうちがうんだ?」
牛と同じく飼育小屋へ入れておけばいいのでは、と思ったのだが、なんとなくルルが憤慨しそうだったのでシドーは口に出さなかった。要するに赤ん坊とは、恐ろしくか弱く、小さく、もろい生き物であるらしい。
「だから可愛いんじゃないの!」
とルルが言っていた。
「カワイイって、なんだ?」
「弱っちいけど一生懸命生きようとすることよ」
 シドーは立ち上がり、ん~とつぶやいて伸びをした。
「おい、ちょっと話があるんだ。顔貸してくれ」
ロイだった。山頂へ勇者たちが集まる時間よりだいぶ早い。一人でやってきらしく、仲間の姿は見えなかった。
 シドーは思わずにやりとした。
「なんだ、なんだ?ケンカなら買うぞ?」
ロイは、ちらっと笑顔を返した。
「やるなら広い場所がいいよな。けど、その話じゃない」
なんだよ、と言いながらシドーはロイにくっついて行った。
 山頂の神殿へとらせん状に続く坂道を少し進んだあたりで、シドーは片手で垂れ下がるツタを持ちあげた。
「入れ。部屋がある」
引っぱりマグネと遠ざけマグネを使ったからくり部屋にシドーは勇者を招き入れた。
「ここなら聞いてるやつはいないぞ」
「そうか」
そう言って中へ入ると、ロイは懐から何か取りだした。
 金色のペンダントに、それは見えた。ペンダントトップは中に赤い魔石を封じた金の菱形が三つ組み合わさった、見慣れないデザインだった。
「こいつを渡しておく」
「なんだ、これ」
「『ルビスの守り』。俺たちが五つの紋章を集めて精霊に捧げ、与えられたものだ。その効果は、ハーゴン神殿の幻を打ち破ること」
「え、それじゃあ、その守りを使ったらこのからっぽ島は消えるのか?」
ロイは首を振った。
「何言ってんだ、この島はビルドとおまえで作り直しただろうが。だからハーゴンが死んでも消えてもこの島と周辺諸島の住人は残る。けど、ただひとつ、やばいものがある」
ロイは真顔になった。
「シドー、おまえの身体だ」
シドーは絶句した。
「お前の身体はハーゴンがまぼろしで作り上げたものだ。でも世界を再構成したとき、自分の身体なんて作り直してないだろ?」
「そんなこと、思いもよらなかった」
「そりゃまあ、普通自分の身体が幻だなんて思わないもんな」
 シドーはロイの手からペンダントを取った。
「今これを使ったら、オレ、どうなるんだ?」
「ルビスさまの話だと、お前の神霊は残るが、肉体が消えるそうだ」
「そうか……」
シドーはしげしげとペンダントを見つめた。
「あのな」
ロイは珍しくためらった。
「わかってると思うが、おまえはヒトじゃない。ビルドたちとは寿命が違うんだ」
彼は真剣な顔をしていた。
「知り合いが先に逝っておまえがこの島に残されたとき、『ルビスの守り』を使えば……おまえは孤独から解放される」
言いにくそうに、うつむきながらロイは説明した。
 シドーは首をかしげてロイの顔をのぞきこんだ。
「なんだよ。そんなカオすんな」
にやっとシドーは笑って見せた。
「わかってるさ。でも、まだまだ先だ。ウーゴだってこれから育つんだからな。今いる島の連中にだって子孫ができるだろうし。オレはけっこう楽しみなんだ」
ロイは、なんとか笑みを浮かべた。
「おまえ、本当にもう破壊の神じゃないんだな」
へへーん、とシドーは胸を張った。
「覚えとけよ?神のほうが、王より偉いんだぜ?」
「お前こそ覚えとけ。神だろうが竜だろうが、バカやらかしたら俺の子孫がぶん殴りにいく。初代ロト以来、うちはそういう役目だ」
ロイは唇の端で笑い、右手を拳にして少し突き出した。
 フン、と言ってシドーは自分も指を握りこみ、その拳にちょんと付けた。フィストバンプと呼ばれる一種の挨拶だった。
「ハイタッチじゃないのか?」
からかうようにロイが言った。シドーは胸を張った。
「あれは相棒だけだ」

 分厚いビルダーの書を高速でめくりながら、ビルドは片手で髪をかきむしっていた。
「ほんとに?パンを入れるのとキノコ入れるの以外に、ぼくは籠を作れないのか?ゆりかごになるものがないなんて!なんてことだっ。しろじい、どうにかならないかな、これ?」
 しろじいは山頂の神殿をふわふわ飛び回っていた。
「ならんなぁ。わしは赤ん坊のための道具は作ったことがないんぢゃ。なに、おぬしならすぐに思いつくぢゃろう」
ルルはためいきをついた。
「しろじいって、いざっていう時にあてにならないわよね。ほら、チャコたちが新鮮ミルクを届けてくれたわよ」
「待ってたぜ」
丸クッションの上から、シドーは幼いウーゴを抱き上げた。クッションが置かれているのは、なんと棺桶だった。
「メシが来たぞ。ほら」
木のスプーンを温めたミルクに浸して、まだ柔らかい唇にそっとつける。赤ん坊はちゅ、とミルクを吸った。
「いっぱい呑めよ」
 最初、壊しそうでいやだと言っていたのだが、抱き上げなくては何もできないことがわかったのか、シドーもそっとウーゴをだっこしてくれるようになった。
「でも棺桶に寝かすんじゃなんかやっぱり、その、だめだよ。あっ、そうだ、お風呂用のたらいならいいかな。あおむしクッションを詰め込んで……」
ん~、とシドーは言った。
「飼育小屋の寝わらじゃダメか?」
「子牛じゃないんだから。そのうちベビーベッドを作ってみるよ」
 実はウーゴの家は定まっていない。現在、三つの開拓地を渡り歩いている。そしてどこへ行っても、小さなウーゴをあやしたがる大人でいっぱいだった。
「これがハーゴンなんて、信じられないわ」
 しろじいに挨拶に来ていた勇者一行の中から、アムが出てきてそっとウーゴをのぞきこんだ。
「ずっと憎しみを持っていたのだけど、討伐はしたし、肝心の敵がこうなってしまっては憎悪なんてもう消えてしまうわね」
ちゅっちゅっとミルクを飲んでいるウーゴの柔らかなほほを、アムはそっとつついた。
「可愛い」
くす、と彼女は微笑んだ。
「めずらしいもん見せてもらったぜ」
とロイがつぶやいた。
「破壊神が子育てとはな」
「すげーだろ」
とシドーは応じた。
「こいつは、立派なビルダーに育てるんだ」
勇者は微笑んだ。
「だといいな」
シドーは、実に無邪気な笑顔を返した。
「おまえらもがんばれよ」
「……!」
その瞬間、ロイとアムが真っ赤になった。
「あのっ、シドー君はなにもわかってないです!ごめんなさい!」
思わずビルドが叫んだ。叫んだ後にやぶへびだと気づいた。
「わかってます!」
顔を背けてアムが怒ったように言った。
「もちろん、俺だって、ああ、その」
ロイがしどろもどろというのも、なかなか珍しいとビルドは思った。
「わかったって言ったでしょう、もう!いやらしいわね!」
 サリューは海の方を眺めてくすくす笑っていた。
「アムったら、何がいやらしいんだい?ま、いいや。ビルド君、ぼくらはそろそろおいとまするよ」
「あのう、サリュー」
何か聞くなら今しかない。
「なに?」
「精霊の召喚のとき、あなたはバジリオ、って言ってましたね」
サリューはちらりと仲間の方を見た。ロイ、アム、それにシドーとルル、しろじいまで、小さなウーゴにかわるがわるミルクを与えてあやすのに夢中だった。
「うん。バジリオはハーゴンの弟子の一人で、元は同じ村で育った幼なじみだった。バジリオだけじゃない、アントニー、エリアル、ドルカ、そしてハーゴン。ひとつのパーティだったんだ。ぼくはバジリオからそのパーティとハーゴンのことをいろいろ聞かせてもらったよ」
あのハーゴンが人間だったというのは、いまだに不思議な感じがした。
「赤ちゃんのウーゴのことを聞いたら、バジリオさんは喜んでくれるかな」
サリューは肩をすくめた。
「バジリオはもう、この世の人じゃないんだ」
「そうなんですか」
「ぼくが殺した」
えっ、とビルドは声を立てた。
「アントニー、バジリオ、エリアル、ドルカ。君がぼくたちのクエストの話を聞いているのなら、別の名前で知っていると思う。アトラス、バズズ、ベリアル、そして地獄の使い」
悪霊の神々の名前の前に、ビルドは何も言えずに立ち尽くした。
「でも、それはまた別のお話」
吹っ切れた顔でサリューは笑った。
「ロンダルキアのラストダンジョンでぼくは長いことバズズと話をしたんだ。ぼくがハーゴンのためにしたことは、ちょっとしたお礼のつもり」
まぼろしではない本物のロンダルキアで本当はなにがあったのか。尋ねても彼は答えないだろうとビルドは思った。
「……ウーゴが大きくなったら、ビルダーになってくれるとぼくは思ってます。あれだけの世界を夢見ることができたんだから、実際の技術が伴ったらとてつもないものを造る可能性がありますよね」
「ビルド君と、シドー君と、ウーゴ。不思議な調和だ」
そう言ってサリューは微笑んだ。
「きみたちならできると思うよ」

 初めてこの砂浜を歩いたとき、ビルドはおっかなびっくりだった。あれは漂流当日だった、とビルドは思い返した。古い作業台しかないのに、いきなりルルに言われて部屋や、わらベッドを作らされた。
 食糧のモモガイを集めながらビルドは薄暗くなったこの浜を歩いていた。それでもほとんど心配はしていなかった。すぐそばに、作ったばかりのこんぼうを背負った腕の立つ仲間がいたから。
「ここ、でっかいネズミのいたとこだな」
シドーは覚えているらしかった。
「初めてハイタッチしたよね」
「そうだったな!」
 ふたりの会話は小声だった。この、海岸の西の端にある旅の扉から、勇者たちは元の世界へ戻れるらしい。ビルドたち、しろじい、からっぽ島の開拓民たちは、その見送りに、旅の扉へやってきていた。
 語るべきことは、昨夜までに語り尽くした。それぞれの開拓地の人々もすっきりした表情だった。
「じゃ、俺たちはこれで」
三人を代表して、ロイがそう言った。
「みなさん、いろいろありがとう」
アムは晴れ晴れとした顔だった。
 ロイとアムが旅の扉に入った。
「ビルド君」
静かにサリューが言った。
「君は、いいのかい?」
元の世界へ、メルキドへ、実家へ戻らないのかい?そう問われていることをビルドは理解した。
 両脇に、シドーとルルがいた。二人とも一瞬身を固くしたが何も言わなかった。
「いつか、そちらへ渡る時もあると思います」
勇者たちとからっぽ島の面々の視線が痛いほど集まっている。
「でも、今じゃないです。サリュー、あなたはロイさんとアム姫と別れ別れになったりできないでしょう?ぼくも、同じです」
ふっと勇者たちは唇に笑みを浮かべた。
「凄い説得力だ」
緑の王子はふわりとマントを翻して背を向け仲間に歩み寄った。最後の一歩手前でこちらを振り向いて、片手を上げた。
「いつか、会おう?」
「はい!」
いつのまにか、ビルドの右手をシドーがつかみ、ビルドの左手をルルが握っていた。
 そのようすを見て微笑みながら勇者たちは旅の扉を作動させた。ジンジンとうなるような音が高まっていく。稲妻のような光が四方から立ち上がり、旅の扉全体が白熱した光に包まれた。ビルドたち見送りが思わず手で光を遮るほどだった。その光が薄れたとき、勇者たちは姿を消していた。
 しばらくビルドは、旅の扉を眺めていた。
「おい、帰るぞ」
「何ぼんやりしてんの!仕事はたっぷりあるんですからね!」
くすくすとビルドは笑った。
「そうだね。戻ろうか」
夏の朝の太陽はからっぽ島の海と空をきらきらと彩り、海鳥が悠々と飛んでいく。ぼくはこの島が好きだ、とあらためてビルドは思った。