破壊神シドーと緑の王子 7.精霊召喚

 清らかな水がさらさらと流れている。その中央の小島に、美しい姫が立っていた。しろじいが話してくれた“おとぎ話”の中に、そんな情景があったような気がする、とビルドは思った。
――その姫は来たるべき精霊の使い、ビルダーのために、自らの身を石に代えて、ごくわずかな地域を竜王の呪いから守り通したのぢゃ。
 魔法王国の姫は水の羽衣をまとい、長い巻き毛を露わにして、裸足の足で中央へ向かった。彼女が歩くたびに青とも浅葱とも、碧とも紫ともつかない色合いで衣が輝いた。
 アムがいるのは、最初から精霊ルビスの高尼僧アマランス姫のために設定された場所だった。
 邪教のステンドグラスで覆われた壁の下、大広間から小部屋への通路出入り口がある。その通路から下の部分をビルドたちはがらりと模様替えしていた。邪教系ブロックを城系素材へ置き換え、置き換えられなかったところは上から載せて隠した。この通路の脇には邪教の細長いレリーフと邪教の柱、その背後に赤いブロックライトがあったのだが、すべて取り除き、城壁に置き換えて、かがり火を設置した。
 邪教の花柱も魔物の顔飾りも姿を消し、背後には金細工の城の壁と白いブロックライトを置いた。このカベの前に3×3の緑地になるように土を入れている。暗くて広大な大広間のなか、その場所だけが草の葉と白い花に飾られている。城の壁には緑のツタを這わせ、白く染めたつる薔薇をいくつか配置した。緑地周辺に城壁ブロックで一段だけの低めの囲いを作り、壁の後ろに置いた水源から囲いの中へ清らかな水が絶えず注がれるようにした。
 それがビルドたちに出来る、精一杯の結界だった。
 アムが緑地の中央に立ち、両手を祈りの形にして頭上へ差し上げたとき、結界はたしかに聖性を帯びた。テラスから見下ろすと、邪教の神殿の中でただ一か所、アムは浄化された光を浴びているかのようだった。
「大地と海の精霊、ルビスよ。どうか御心を傾け給え。あなた様の巫女アマランスが、お待ち申し上げております」
朗々と彼女は声を放った。祈りの手が頭上から降りてくる。アムは目を閉じた。
 聖なる小島は通路の下だが、通路と同じ高さには赤のブロックライトを外した後のスペースが左右にひとつずつある。それぞれローレシアのロイアルとサマルトリアのサーリュージュがその場に立っていた。
 この数日で見知ったつもりの二人を、ビルドは感嘆とともに眺めた。ロイは勇者の証であるロトの鎧と兜を装備し、金の霊鳥の紋章を縫い取った青いマントをつけ、稲妻の剣を手にしていた。重厚な剣を抜き、剣先を城壁ブロックの床につきたて両手のひらを柄に重ね、足を肩幅に開いて姿勢を正している。
 サリューも同じ姿勢だった。が、身に着けているのは魔法の鎧だった。一族の紋章を染めた朱色のマントとミスリル製のペイルグリーンの鎧がよく似合っていた。彼が床に突き立てているのは鳥の翼の飾りのある細い流麗な剣、はやぶさの剣だった。
 目を伏せて、二人はじっと従姉の姫の召喚儀式に寄り添っていた。
「なにとぞこの身を依代に、からっぽ島の地下なる宮の、この場へご来臨を賜りませ」
そのままアムは腰をかがめ、片膝を草地につき、拝むように前傾していった。ついに祈りの手を額につけたまま、草地にうずくまった。彼女の周りに水の羽衣の細かい裾フリルがさざ波のように広がった。
(大丈夫かな?)
そばにいたルルが声を殺して話しかけた。
(見て、ほら……)
 ゆっくりと巫女姫が身を起こしていた。まるで、見えない糸で吊り上げられているような動き方だった。
「これなるは精霊ルビス」
声が違う。実際のアムの声よりもやや低いが、よく響く声だった。
「招きに応じてまかりこしました」
次の瞬間、ビルドは驚きのあまり固まった。精霊を身の内におろしたアムがいきなり顔を上げ、まっすぐビルドたちのいる空中へ張りだしたテラスを見たからだった。
「この地の精霊なるシドーよ、私をこの宮へ受け入れますか」
ビルドたちは互いに顔を見合わせた。
 ビルド、シドー、ルルの三人はアム=ルビスとは反対側の空中テラスにいた。そこにおいた玉座にシドーが腰かけ、足を組んでいた。シドーは何か問いかける顔で、無言のまま人さし指で自分の鼻を指した。ビルドたちはうなずいた。
「オレがシドーだ」
シドーは玉座の上で仁王立ちになり、両手を腰にあてて女神を見下ろした。
「ハーゴンの件に限り、受け入れる。ただし、勝手はするな」
ビルドとルルがハラハラするなか、シドーはいつものように無邪気なほど尊大に言い放った。
「了解しました」
そう言うと、精霊ルビスはアムの顔を正面へ向け、呼ばわった。
「さまよう魂、ハーゴンよ。これへ」
若い乙女の声であるのに、思わず身が縮むほどの権威がこめられていた。
(このテラスの真下だ。)
(ここからじゃ見えないわ!回廊まで行きましょ!)
 ルルがテラスから飛びだした。ビルドとシドーも追いかけた。回廊の真ん中あたりまで来ると、テラスの下がよく見えた。その場所からは、大広間の端から端まで見ることができる。回廊に詰めかけていたからっぽ島の住人たちといっしょにビルドは息を詰めて大広間を見守った。
 アム=ルビスの立つ聖結界から見て大広間の反対側に、二つの階段にはさまれた踊り場があった。踊り場の真上にはもともとテラスがあるので、テラスの床石が張り出して屋根のようになり、ただでさえ薄暗い大広間の中でもさらに翳りを帯びていた。
 踊り場の壁面には邪教の大レリーフが掲げられている。ビルドたちはその両側に、青白い炎を放つ邪教の壁掛け松明を二つずつ取り付けた。おかげでその踊り場は、非現実的な光に照らされた小空間となっていた。その光が照らすのは、一脚の赤い椅子だった。
 ルビスが魂を招いたとき、貴族の椅子の上で空気がゆがんだ。ビルドもルルも、じっと目を凝らした。それが精霊のチカラなのだろうか、ハーゴンの亡霊は「ビルダーの帽子」なしではっきりと見えた。
 雨の泥地で見たときと同じく、うらぶれたハーゴンは汚れて破けた大神官服をぶらさげたカカシのようだった。もともと大きな目を見開き、笑顔のつもりかひくひくと痙攣していた。かつてからっぽ島に現れたときのハーゴンはある意味自信たっぷりだったが、今目の前に姿を現したのはその残骸だった。
「お偉い女神さまが、いまさら何の用ですか……」
それでも意識はあるのか、ねっとりと絡むように言い始めた。
「それはこちらの言うことです」
ぴしゃりとルビスが言った。
「一度は冥府へ下った身でありながら、己の幻の中に逃げ込んであさましくも再起を図ったことは、今は不問としましょう。そこで再度破れたにもかかわらず、なぜ今だに現世にしがみついているのですか」
口をゆがめてハーゴンは笑いだした。
「ひぃひぃひぃ!あなたにはわからないでしょう、私の気持ちなど」
「わかりたくもありません」
にべもなく女神は答えた。
「あなたが何をしてきたか、忘れたわけではないのです。許してもいません。ですが、大神官ハーゴンよ、あなたはハーゴンになる前に、ウーゴでありました。その哀れな少年のために、今一度言いましょう。おとなしく大地へ還りなさい」
ハーゴンはうつむいた。いや、うつむいた姿勢のまま、上目遣いに正面の聖結界の女神を見て、ブツブツつぶやいていた。
「なんですか、うるさいですね、なにさまのつもりなの、だいたいウーゴって名前どこから引っ張り出してきたんですか、もう捨てたのにとっくの昔に」
“謎の声”だったときのように、冷静で丁寧な口調でしゃべろうとしているようだったが、ハーゴンはイライラするあまり、その気取りを守り切れていなかった。
「ウーゴよ」
「うるさいって言ってるでしょう!!」
いきなりハーゴンは叫んだ。
「ハーゴン、ハーゴンだ、私の名は!よくもバカにして、失礼な女だ、私を誰だと思ってるんだ!」
ビルドには甲高い声でわめくハーゴンの口元からとび散る唾液さえ見えるような気がした。
 わめきたてたかと思うと、ハーゴンはこ狡い目つきになった。
「ひぃひひひ!なんとでも言うがいい。こっちの好きにさせてもらうよ、私にはもう、失うものなんてないんだから」
 アムの身体を借りたルビスは感情的な反応を見せなかった。
「それがあなたの答えなら、私の答えもひとつです」
華奢な乙女の両腕が左右に開かれた。それだけで背筋が寒くなるほどの威圧感だった。
「あなたの魂を消滅させます」
 ハーゴンの亡霊は、大口を開けて笑った。
「“消滅させます”だってさぁ!ほら見ろ、精霊なんて言っても、気に入らないやつは消すんじゃないか。恨んでやる、恨んでやる……。そうやっていつも高いところから見下して私をバカにしてきたんだろう!私の人生、最初からめちゃめちゃだ!」
二階の回廊にはからっぽ島の住人たちが居並んでギャラリーとなっていた。ハーゴンのあまりの醜態にそこからざわめきが起こった。なにあれ、と声を潜めることもなくルルが言った。
「クズ。嫌なヤツ。ルビスさま、さっさとシメてくれればいいのに」
ハーゴンの口調は卑屈になったり威嚇的だったり、聞いていてひどく不愉快だった。
「ウーゴだって?哀れな少年だって?ふざけるなっ、私はもっと偉大なんだ、偉大過ぎて誰にもわからないんだ!」
げらげらと笑ったかと思うと、いきなり顔をゆがめてハーゴンは泣きだした。
「どいつもこいつも……どうして誰も私を認めないのだ」
「考えを改める気はないのですね」
アムの身体を借りた精霊ルビスの斜め後ろに、ロイとサリューが辛抱強く待機していた。ロイは、小さく首を振った。
 だが、サリューが動いた。剣を鞘に収め、自分のスペースから小階段を降りてルビスの面前へ移り、片手を胸に当てて頭を下げた。
「ハーゴンの魂のために一言申し述べる機会を賜りませ」
ルビスはしばらく黙っていた。が、ぽつりとつぶやいた。
「許します」
サリューは感謝のしるしに一礼して大広間を歩きだした。
 ルビスの結界とハーゴンのいる空間の間の床に、金細工の邪教壁を使った正方形の窪みがあった。ビルドたちはその窪みの中に三×三のブロックを二段に積み上げた。シドーの提案(「全部緑のブロックじゃおもしろくないぜ」)によって、その窪みと周辺の床は溶岩から作った魔城ブロックへ置き換え、見た目、紺色になっていた。窪みの中のブロックの上には金のかがり火が置かれている。サリューはかがり火の前に立ち、ハーゴンの亡霊に向かい合った。
「やあ。ぼくを覚えている?」
警戒するような顔でハーゴンはじっとサリューを眺めていた。
「どうでもいい。消えろ」
「消えるのはぼくじゃないよ」
とたんにじろりとハーゴンがにらみつけた。サリューは特にひるむこともなく、肩をすくめた。
「聞かせてよ。何をもらったらあの世へ帰れる?」
「……何をよこすつもりだ?」
くす、とサリューが笑った。
「大神官さまともあろうお方が、まるでゆすりだね」
「バカにするなあっ!」
どこ吹く風とサリューはその怒鳴り声をやり過ごした。
「今の命が消滅するまでの短い日々だけど、その間、きみにロンダルキアをあげようか。もちろん、あの幻のロンダルキアだよ。お気に入りなんだろう?」
「そんなもの、今更何になる!」
「ああ、もう飽きちゃったの?じゃあ、お金を上げようか。こう見えてもロト三国の王位継承者だ。多少の融通はきくよ」
「くだらん!」
「うふふ。ハーゴン教団はもう壊滅だけど、キミにあたらしい身分をあげようか。まったく違う名前、違う経歴で、君の生まれ故郷に似た村で平和に暮らすのはどう?」
ハアッ?とハーゴンは顔をのけぞらせて嘲った。
「故郷?私が世界で最も忌まわしいと思う場所が、私の生まれ故郷だ!」
「それほど嫌がらなくてもいいじゃない」
次々と拒否されているにもかかわらず、サリューは落胆したようすもない。どこかニヤニヤしていた。
「う~ん、ネタも尽きてきたね。どうしよう。まさか今さら破壊神が欲しいなんて言わないよね。シドー君はもう、君の知ってるシドーじゃないんだし」
すぐに切り返すかと思えば、ハーゴンは黙っていた。
「どうしたの?シドー君がいいの?」
 ビルドの耳のすぐそばで、シドーがつぶやいた。
「おい、あの緑の、何を言ってやがるんだ?」
「しっ、静かに」
ビルドには、かすかだがサリューのしていることがわかった。ハーゴンはどうやら、シドーに執着しているらしい。
 黙ったまま上目遣いにハーゴンの亡霊がサリューをねめつけていた。
「そうだよね。ぼく、聞いたんだ。シドー君だけが、君の作ったまぼろしの世界を評価してくれたらしいじゃないか」
――悪くなかったぜ、キサマの作ったまぼろしの世界も。
確かにシドーはそう言っていた。
「ぼくたちは、特にロイは、あのローレシア城はいただけなかったけどね。実物を知っている身としては、違和感ありすぎ、不気味すぎなんだ。でも、シドー君は実物のローレシア城を知る由もないし、ちょっと不気味な感じもたぶん好みなんだろう」
「わかったふうな口をきくな!」
聞き取りにくい声でハーゴンが激しくささやいた。
「わかるよ。この大広間を見ればね。このレイアウト、このインテリア、シドー君の好みなんだって」
サリューはかすかに口角を上げた。
「ハーゴン、君の好みでもあるんだよね。そうだろう?ルビスさまのお話では、破壊神シドーはもともと虚空を漂う破壊の意志だったそうだ。善も悪も、美も醜も、すべて関係なく破壊していく神霊だったって。それを、ハーゴン、きみが接触し『シドー』の名を与えたことで、変化した。その結果があの鱗とヒレのある六本脚の凶悪な怪物だった」
そうなのか!?とシドーが目で尋ねた。ビルドは小さくうなずいた。
「一度ロンダルキアで敗れた後、キミは再びシドーを手に入れた。それがシドー君だ。彼には、君の性格が直接反映しているんだ」
サリューは首をかしげた。
「本当はどうするつもりだったの?まぼろしの世界のどこかで少年シドーを育てるつもりだった?そして手塩にかけた破壊神を引っ提げて、世界を滅ぼすつもりだったの?」
「悪いかっ!」
いきなりハーゴンが吼えた。
「あの子供の姿は、精霊の目を逃れるための仮の姿だった。破壊の衝動があふれてくればさっさと脱ぎすて、本来の力強いお姿に変化するはずだった!実際、破壊天体のハーゴン城では脱皮に成功したというのに!」
「けれど脱皮は不完全だった」
容赦なくサリューは否定した。
「きみがただの擬態のつもりで与えた少年の姿と心を、少年シドーは大事に守り、そして分裂した自分自身、魔王シドーに打ち勝った」
「それもこれも、全部あいつのせいだ!」
やぶれかぶれに張り上げる声は、耳障りで威嚇的だった。
「あの小僧さえいなかったら、破壊神は……」
サリューは腕組みして、自分の前腕を指で軽くたたいた。
「あのね、知ってる?ひな鳥は、生まれて初めて見た“動くもの”を親だと信じてくっついていくんだって」
「オレはヒヨコかよ」
シドーがぼやいた。が、ビルドは冷汗を感じていた。漂流直後、からっぽ島の浜辺でビルドは初めてシドーに出会った。あれは、まさに運命の出会いだったらしい。
「気持ちはわかるよ、ハーゴン。君の目からすれば、シドー君は日に日にグレていったわけだ?悪い子とつきあったりするから」
「途中までは容認していた……」
驚いたことに、ハーゴンは語り始めた。
「物作りのチカラが高まることで、シドーさまは順調に破壊の衝動を増していった。あるていど育てば、ビルダーの小僧などさっくりと手にかけて破壊天体へ飛び立ってくださるはずだった。それなのに!」
あははっとサリューは声を立てた。
「なんだ、シドー君は途中までいい子だったんだね?それなのに大事なところへ来て反抗期を迎えちゃったわけか」
「バカにするなっ!破壊神シドーさまは、計画通りお出ましになったのだ!」
「そしてあっけなく、倒された」
うってかわって冷たい口調でサリューがそう言い捨てた。とたんにハーゴンが沸騰した。
「そんなはずはないんだあああぁぁぁ!!!」
「理想と現実が食い違ったとき、怒ってわめいて暴れて泣いて、キミはいつもそうやって解決してきた」
とサリューが言った。独特の口調だった。
「周りを見下して、従えて、『おっしゃる通りです、ハーゴンさま』と言わせて、それで満足していた。そうだよね?」
「貴様に何がわかるんだあっ」
「わかるさ。バジリオに聞いたから」
 ぴたりとハーゴンの狂乱が止まった。
「なんだと」
ハーゴンの元々大きな目が、見開かれていた。
「彼は、幼なじみなんだって?ずっと若い頃から君を知り、最後まで付き従った。その彼がそう言っていたよ。君は、本当は、芯の弱い臆病者だったって」
ハーゴンは愕然としていた。
「そんな、まさか」
サリューは真顔だった。
「知らなかったんだね。バジリオ、アンソニー、エリアル、ドルカ。仲間を見下していたつもりで、ほんとは仲間から憐れみをもらっていたんだよ、きみは」
ハーゴンは震えだした。
「よくも、そんなことを……バカにしやがって……」
サリューは小さく首を振った。
 聖なる小島から、命の大樹から吹くような風が吹き付けた。狂乱するハーゴンを眺めながら、精霊ルビスは無感動に宣言した。
「シドーへの執着を断ち切れないようですね。やはり消滅させるしか手はないのでしょう」
 ビルドのそばで、シドーが身じろぎした。
「おい、本気か」
「みたいだね」
シドーは回廊の手すりをぐっとつかんだ。
「シドー君?」
いきなりシドーは手すりに足をかけた。
 下ではサリューが立ち位置から数歩後ずさっていた。
「チカラが及ばなかったようです」
彼もまた、ハーゴンの改心をあきらめたようだった。
「是非もありません」
ルビスは静かに応じ、その手を上げた。
「待ったぁ!」