破壊神シドーと緑の王子 6.幻影ローレシア城

 ところどころ手すりがなくなり、敷石も抜けた橋を渡ると、あやしくも美しい城の入り口があった。橋の両側に広がる風景はあくまでロンダルキア、輝くほどに美しい緑したたる春の大地だった。城の入り口の大階段の前に誰かが立っていた。ぴしっと伸ばした背に、四方へ油断なく配る目つき、それはどう見ても歩哨の兵士だった。
「ようこそローレシア城に!」
ビルドたちが近づくと礼儀正しく兵士は声をかけ、それから笑顔になってさっと敬礼した。
「あっ、これは王子さま、お帰りなさいませ!」
ビルドはあっけにとられた。王子だって?
 階段を上がったところは城門前の広場のようだった。赤い上着の町人らしい男がこちらへ向かって歩いてきた。
「やあ、いい天気だね」
「あ、あの、ぼくらは大神官ハーゴンを倒しに来たんだけど」
そう言うと町人の男はのけぞるようにして驚いた。
「え?大神官ハーゴンを倒しに来たですって?なにを言うんです。ここはローレシア城ですよ。それにハーゴン様のようないい人を倒すだなんて、ああおそろしい……」
町人は眉をひそめて足早に通り過ぎた。
「ここはロンダルキアではなかったのか?」
「いい人じゃとう?」
アネッサとジロームが口々にそうつぶやいた。
「ハーゴンさまを知らないのですか!?」
城門を守る兵士が、声をかけて来た。
「ああ、少し前の私を見ているようだ……。私は自分がはずかしい!なにも知らなかったとはいえ、あの大神官ハーゴン殿を倒そうなどと思っていたとは…」
なあ?とその兵士は同じ広場にいた女に声をかけた。
 その女は少女のように若く、両手を組み合わせてうっとりと目を閉じていた。
「ああ、ハーゴン様、ステキ……。はっ、いけないっ、私ったらなんてことを」
つぶやきを聞かれたことに気付いて、女は赤くなった。
「ど、どうかお忘れくださいまし。身分違いの女のはかない想いなど」
 がっとジロームがビルドの腕を掴んで城の正門を入り、隅へ引きずっていった。アネッサ、リック、そしてムーンブルクの兵士たちがついてきた。
「なんなのじゃ、ここの連中は……。どうにもようすがおかしいぞ。目もうつろでどこかまぼろしでも見ておるような」
頑固親父で通して来たジロームが、ひどく不安げにそう言った。
 池の中の小島にいたモンスターはなんと言っていただろうか。“夢を見続ける人たち”と呼んでいた。
「違和感、ありますね」
 王城だけあって、金細工の城のカベやおしゃれな手すりをたっぷり使った城の内部は、とても立派だった。それなのに、なぜか城の床は古びたひびわれ床で、しかもきちんと敷き詰められることなく土が露出している。昨日今日のことではなく、土には草が生えていた。
 かがり火には明々と火が燃え、壁掛け松明も明るい光を投げかけている。それなのに、どこかうすら寒い。
 ビルドたちは城の中へ入った。
「これは、何があったのだ……」
兵士たちの一人がつぶやいた。城のカベがところどころ崩れ、柱も倒れている。それなのに、光のない目をした人々はさも当然のような顔をして行き交っていた。
 中年の商人は、魔物の鈴の話をしながら、うつろな高笑いを響かせた。泉のそばの老人は、旅の扉のことをつぶやきながら、どこを見ているのかわからない目をしていた。
 城内をくまなく歩くうちに若いカップルに出くわした。
「こうして私たちがゆっくりデートを楽しめるのもハーゴンさまのおかげですわ。なんでも世界中の人々が幸せになるために働くのがハーゴンさまの夢だそうです。この国にもずいぶんたくさんの寄付をしてくださいましたのよ」
誇らしげに彼女はそう言い、恋人らしい兵士は笑ってうなずいた。だが二人のいる場所の後ろにある宝物庫には、空箱が並んでいるだけだった。
 ビルドたちは最後に階上の玉座の間へ到達した。
 広い部屋だった。部屋の最奥には紅の絨毯で飾った基壇があり、そのうえに立派な玉座が置かれていた。しかし、華やかに装飾されてしかるべき玉座の間は、柱が倒れ天井が抜け、床は壊されていた。風が吹き抜け、すっかり生い茂った雑草の葉をゆすっていた。
 玉座の上には冠をつけた贅沢な身なりの壮年の男がいた。彼は豪快な笑い声を上げた。
「わっはっは、ロイアル、よくぞ帰ってきた!」
ビルドは身を固くした。
「ハーゴンどのを誤解していたせいでそなたたちにはずいぶん心配をかけたな。しかしもう安心じゃ!ハーゴン殿はじつに気持ちのいいひとでな。わしも部下にしてもらったのだよ、わっはっはっ」
腹を抱え、実に楽しそうに王は笑った。だが、ビルドにはその姿がひどく不安定に見えた。
「そなたのこともよくたのんでおいたからな」
王のろれつが、あやしくなった。
「もう、たたかおう、など、と……ばかげたことを」
王が顔に貼り付けた笑顔がこわばった。
「ばかげた、ことを、ばかげ」
ビルド、と強くアネッサがささやいた。王の目が光を失っていく。
「ばかげ……バガガガガガガガガガガ」
ざわっとビルドたちは鳥肌をたてた。
「大丈夫か!」
誰かが声をかけた。
「起きろ、ビルド!」
ビルドは跳び起きた。
 アネッサがビルドの顔をのぞきこんでいた。前の晩、青の開拓地で泊ったのだとやっとビルドは思い出した。
「もうミッション始まっているぞ」
いやな汗を手でぬぐってビルドは起き上がった。
「ごめんなさい、ぼく、ロンダルキアの夢を見てた……」
アネッサは一瞬真顔になり、首を振った。ぽんとビルドの肩をたたいた。
「今は、考えない方がいい」

 地下神殿は、次第にシドーのイメージを反映したものになってきた。広々とした空間の厳かな雰囲気は、おもちゃ箱をひっくり返したような独特の混沌と化した。事実、そこはシドーにとっての“カッコイイもの”、“おもしろいもの”をつめこんだ遊び場のようなものだった。
 回廊二階から空中へ張りだしたテラスは、中央に大きな玉座を置いた。その背後の鉄格子はどうやっても壊せないので、魔物の扉を作って鉄格子の前に置き、隠してしまうことにした。
 玉座の周りはスライムの大目玉ブロックやうつろの大どくろ、悪魔の顔の壁飾り、奇妙な大花、かぼちゃランタン等々、不気味なのだが奇妙にコミカルな飾り家具で埋まった。
 一階のフロアからオッカムル島名物の巨大キノコが、背丈バラバラに生えている。両脇にはシドーが決めたように大柱を二本立てて、巻き付く頬びれ、金属のパイプを始め、ありとあらゆるおもちゃをくっつけてあった。
 対するステンドグラス側はまったく異なる雰囲気だった。白いブロックライトで壁を作り、その上から蔦や藤で覆った聖なる空間で、一番下はさらさらと水音のする池だった。池の中央に癒しの葉が茂る小さな草地をつくり、さらに花を咲かせている。そこは精霊女神ルビスの巫女、アマランス姫の立つべき場所だった。
 聖なる空間の両側には、やはり城の金細工壁と石の手すりを使った場所がある。巫女姫を警備するローレシア、サマルトリア両王子の待機場所だった。
 すでに組上げは最終段階に入っていた。建材や家具を抱えてからっぽ島の住人たちが走り回っている。上の方の作事のために梯子を使った足場を組んであるのだが、目のくらむような高さを器用に上り下りしていた。
 ミトが声を張り上げた。
「朝シフトのみなさ~ん、休憩入ってください!」
炊き出し班は大広間付属の小部屋に簡単なキッチンを作り、ほとんど強制的にメンバーを休ませていた。
「もうちょっと……ここだけでも……」
ドルトンやマッシモほか未練がましいビルダーたちの首根っこを軽々ととらえ、ロイが連行してくる。
「うるさい。昼飯だ。食える時に食っておけ。大原則だぞ」
 小部屋のキッチンには湯気の立つ大鍋がおかれ、アムが皿に取り分けて進めていた。
「どうぞ、召し上がれ?」
調理担当の時のアムは旅行用の簡素なローブと頭巾姿だったが、白魚の指でシチューを差し出すとたいていの男たちはありがたく受け取っていた。
 サリューはサマルトリアの服の上からエプロンをかけている。
「いっぱいあるから、かわりばんこでぼくらもご飯にしよう。ロイからでいい?」
兵士の制服を脱いで元の青い服とゴーグル姿になったロイは、にやっとして食事テーブルについた。
「もちろんだ。実はさっきから腹が鳴ってな」
大盛りの食事を従兄の前に置いて、サリューはいたずらっぽく笑った。
「聞こえてたよ」
「うそつけ」
「あはは」
 先にテーブルにいたアネッサが笑みを浮かべた。
「不思議だな、きみたちはビルドとシドーに似ている」
サリューが笑顔を返した。
「ぼくがビルド君なら、ロイがシドー君の役ですよね。ああ、ぴったりかも」
「本当か?」
やや不服そうにロイは言った。
「破壊神なら、うちの爆裂姫の役だろ?」
「今、何か言ったかしら、ローレシアのロイアルさん?」
イオナズンを得意とするムーンブルクの姫が氷のような声でそう尋ねた。
「あ~、飯が美味いな、うん」
あちこちから笑い声がもれた。
 マッシモたちはさくさくと平らげるとまた現場へ飛びだしていった。
「おや、遅くなってごめんね。はい、ビルド君の」
暖かい深皿を受け取って、ビルドは空いた席に座った。
「ありがとうございます。あの、サリュー」
「え、なに?」
「昨日言ってたこと、ほんとかもしれないと思って」
「昨日の、ああ、ハーゴンが欲しかったものの話だよね?」
「そうです。ぼくはこちらの世界の幻のロンダルキアと、ハーゴンの作ったローレシア城を見ました。すごく違和感があるところでした」
 ロイがシチューのスプーンを置いてこちらを見た。
「俺なんか、鳥肌たったぞ」
――わっはっは、ロイアル、よくぞ帰ってきた!
「でしょうね。みんなハーゴンのことを“いい人”、“気持ちのいい人”と言っていました、“偉い人”、“強い人”、“怖い人”じゃなくて。あれはハーゴンがあの人たちにそう言わせていたんですよね」
 アネッサがビルドの服をちょっとつまんだ。
「ビルド、何の話だ?」
ビルドは振り向いた。
「ロンダルキアにあった偽のローレシア城で、変な人たちがハーゴンを褒めていたでしょう?」
「ああ、あれか」
「アネッサさんも行ったの?」
とサリューが聞いた。
「勇気のオーブというものがあると聞いてな。場所が悪名高いロンダルキアだったもので、ビルドが全軍をひきいて進軍した」
「全軍とは、ずいぶん思い切りのいい作戦ですね」
「シドーは城に残ったんだ、本人の意志ではなかったが。それにホッホ殿とミトとプットも。行軍に参加したのは、私、ジローム殿、ゼセル、……リック」
ビルドにはアネッサのためらいがわかった。
「でもハーゴンはいなかったでしょ?」
「ああ。その代りあの城があり、玉座の間にモンスターが待ち構えていた。ムーンブルク側の内通者が、ムーンブルク軍の一網打尽を狙って罠を張ったようだ」
「内通者?」
「……リックという兵士が、助命を条件にハーゴン教団へ寝返っていた」
ビルドの後ろで、アムが息を呑む音がした。
「リックは、以前から死を恐れていた。まぼろしの世界と共にほろびる運命を知り、生き延びるために教団の手先となった」
アネッサは目を閉じた。
「今でも悔やまれてならないよ。私とリックは同期で、若い頃から肩を並べて戦ってきた。リックをこちら側にとどめておけたら、作り直されたこの新しい世界で私たちはもう一度共に生きていけたものを」
からっぽ島に来て以来、アネッサがリックのことをこれほど語るのは初めて聞いた、とビルドは思った。
 カタンと音がした。アムが立ち上がったようだった。
「姫?」
とアネッサは言いかけて、言葉を呑みこんだ。
 アムは泣いていた。美しい目から透明な涙をあふれさせていた。
「まさか、そんな……」
あわてたようすでロイがやってきた。
「おい、どうした!」
美しい王女は青い服の胸に顔を押し付けて歯を食いしばった。
「アム、リックって、誰だ?」
「あの兵士よ」
と彼女は言った。
「城が壊滅したとき、一人脱出してローレシアへ急を告げたあの、戦場伝令使……」
「あいつが!?」
アネッサの方が驚いて立ち上がった。
「リックを知っているのか」
ロイが何とも言えない表情になり、サリューの方を見た。
「ルビスさまは、僕たちの世界でもう死んでいる者に向かって“あなたはすでに死んでいる”と言ってはいけないとおっしゃった。でも、どちらの世界でも亡くなっているのなら、その禁は無効だと思うよ」
静かにサリューが言った。ロイはアネッサに向かってうなずいた。
「確かに、知っている。あいつは戦火の中、瀕死の状態でローレシア城へたどりついた。大神官ハーゴンがムーンブルクを襲ったことを知らせて、玉座の前で最期を迎えた」
「そんなことが……」
アネッサは呆然としていた。
「それで、リックの亡骸は?」
「勇敢な兵士として、ローレシアに手厚く葬られている。弔いには俺も参加した」
すとんとアネッサは元の椅子に腰を下ろした。
「そうか……。よかった。こちらのリックは、死体さえ残らなかったのだ」
ビルドは、勇者の功績を讃える物語の中でその話を聞いていた。
「まさかリックが戦場伝令使だったなんて」
――大神官ハーゴンの軍団がわがムーンブルクの城を!
本来のリックは、ムーンブルク王国と、王と、王女と、同僚たちのために命を散らして三つの王国を走りぬいた勇敢な若者だったのだろう。
 がやがやと声がした。残りのシフトの面々が昼食のためにやってきたようだった。アネッサはこぶしで自分の目をこすった。
「失礼した。私は現場に戻るよ」
サリューは丁寧に会釈し、ロイはちょっとうなずいた。
 まだ声を殺して泣いているアムのそばを通り過ぎるとき、アネッサは低く問いかけた。
「姫、私は?」
アムの華奢な背がこわばった。
 そのままアネッサは一拍、待った。
「お答えのないことが、答えだな」
ロイがつぶやいた。
「アネッサ……」
彼女は首を振った。
「誤解のなきように。私はホッとしているんだ。元の世界のムーンブルクと、私の知るムーンブルクは、それほど変わりはなかったらしい」
潔く微笑んで、アネッサは出て行った。
 その日の午後、地下神殿のリフォームは完成した。