死の舞踏 1.美貌なる王家の兄妹

 三人の口元から、白い息が絶え間なく漏れていた。
 ムーンブルクのアナベルは杖を破壊神の神殿の間の石床につきたて、それにすがってやっと立っているありさまだった。
 ローレシアのアロイスは、無理矢理一歩足を踏み出して、破壊神シドーの断末魔を確認した。そのモンスターがぶち破ったハーゴン神殿の壁の穴から、厳寒のロンダルキアの凍てつく風がふきこんでいた。巨大な怪物が息絶えると、その体に粉雪がさらさらと降り注いだ。
 己の存在意義ともいえるクエストをたった今成功の内に終わらせたにもかかわらず、アロイスは勝利の高揚とも達成感とも無縁の表情を浮かべていた。激しい驚愕であり、ほとんど恐怖だった。
「まさか、こんな!」
 がたんと音をたててハヤブサの剣が石畳の上に落ちた。
「終わりだ……」
白い呼気とともに絶望の言葉を吐き出してサマルトリアのアーサーが顔を覆った。
 三人とも疲労困憊していた。雑魚モンスターさえ強力なロンダルキアのフィールドを踏破してハーゴン神殿へ到達し、三体の悪魔と連続で死闘を演じ、そのあとでハーゴン、シドーと二回のラスボス戦を戦い抜く。それは過酷な行程だった。
「どうして君が?」
「おれはベラヌールであいつに会ってる」
アロイスとアナベルは顔を見合わせた。忘れもしない、ベラヌールはアーサーが一夜のうちに呪いを受けて瀕死になった土地だった。
「まさか、あの呪いが」
アーサーはうなずいた。
 アロイスは口を開こうとして、虚しさのあまりまた閉じた。何を言っても気休めにしかならないのだった。
 粉雪はもうほとんどモンスターの巨体を覆ってしまっていた。しばらくの間ロンダルキアに風が吹きすさぶのをパーティは黙って聞いていた。
 やがてアナベルがつぶやくように言った。
「あの、ここにいても、どうしようもありません。下界へ戻りませんか」
「アナベル、おれたちはずっと一緒に旅をしてきたんだ。いつもロト系装備を身に着けていたアロイスはともかく、君はどうするんだ」
覚悟を決めた顔でアナベルは言った。
「ムーンブルグ領にある精霊ルビスの乙女神殿。私はその聖域へ直行して、一生外へ出ないつもりです」
その神殿が特に厳重に守られ人の近寄らない特殊な聖域だということをアロイスは知っていた。
「国はどうする」
「あ……、代王がいれば、たぶん、私なんかいなくても」
ようやく稲妻の剣を鞘におさめ、アロイスがつぶやいた。
「ぼくも王太子を辞退するか」
いや、とアーサーは言った。
「おまえはたぶん、大丈夫だ。竜王の城でロトの剣を手にして以来、いつも何かしらロト系装備をしていただろう」
「そうだった。もしあの時」
やめろ、と短くアーサーは言った。
「装備を俺に譲ってたら、とかくだらないことを考えただろう?意味がないんだ」
「なんでそんな油断を」
「奴の顔を見ただろう!」
アナベルは目を見開き、両手で口元を抑えた。
「……俺としたことが」
泣き笑いのような顔でアーサーはつぶやいた。
「手遅れなんだよ、もう」
手袋で覆った長い指でアーサーは額の上のゴーグルをおろし、顔をおおった。ゴーグルの表面がたちまち白くなり、彼の表情は見えなくなった。
「とりあえず、下界へ降りよう。みんな」
アロイスは言葉を切って仲間を見まわした。
「今日ここで見た物事は、誰にも言わないこと。パーティのリーダーとしての最後の指示だ。それでいいか?」
即座にアナベルが答えた。
「ええ、そのほうがいいと思います」
アーサーは黙っていた。
「こんなことを人々に知らせてもパニックを誘発するだけだ。ぼくはロト装備を持っていれば大丈夫らしいし、アナベルはひきこもるそうだ。これを」
アロイスは聖なる守りを取り、中央の赤い魔石をはずしてアーサーに手渡した。
「持っててくれ、肌身離さずに」
「俺はもう」
「あいつが自分で言ってたじゃないか、『私がおまえたちに本当のことを言うとは限らぬぞ』と」
「はかない望みだと思うが……」
そうつぶやくアーサーの声はかすかにふるえていて、一縷の望みにすがっていることがわかった。
「了解した。誰にも言わない」

 どっしりとした金冠を濃紺のクッションにのせ、ローレシアの新王アロイスは息を吐いた。
「国王というのもけっこうしんどいな……」
とかつての勇者アロイスはぼやいた。
 儀式用のマントと礼装を脱ぎ捨てると召使いがそそくさと引き取りにきた。
「それもお取りしますか?」
召使は、ダブレットだけになったアロイスの胸にまだ下がっている聖なる守りを指した。目の覚めるような青の地色の金の霊鳥をかたどった図形は、言わずと知れたロトの紋章だった。ローレシアに代々伝わる宝である。
「いや、これはいい」
即位前は父のものだった国王の私室にアロイスはいる。部屋で一番大きくて贅沢ないすにどっかりとすわりこみ、アロイスは頭痛のする頭をヘッドレストへ沈めた。
「お疲れさまでございます」
と父の代から仕えている初老の侍従がそう話しかけた。
「おや、聖なる守りの赤い石がありませんが」
「ああ、ちょっとね」
それ以上アロイスは言わず、片手を振った。
「疲れたな。くたくただ」
クエストから凱旋し、父から突然王位を譲られて、アロイスは登極した。自分は将来、王になるのだろうと昔から思っていたが、王位のめんどうくささは予想以上だった。
「ご安心なされませ。戴冠式からこちら、儀式はあらかた終わりました」
「それはありがたい」
儀式づくめの日々が終われば、自分にも少しは一人になれる時間がもてるだろうか、とアロイスは悲観的に考えた。
「でもどうせ、会議会議の連続なんだろう?」
「それが王の仕事です」
アロイスは目を閉じた。
「くそ…。だんだんイヤになってきたな」
「はじめから慣れている王はおりません」
涼しい顔で従僕は言った。が、ふと口調を変えた。
「最初の会議は三日後、議題は外交方針の決定です。なんでしたら陛下御自ら、近隣各国の事情を視察なされてはいかがでしょう、たとえば我が国にとって大事な兄弟国、サマルトリアとか」
アロイスは目を見開いた。
「アーサーのとこへ行ってこい、と?」
ロンダルキアでの最後の戦いのあと、アーサーのことはずっと気になっていた。が、新王にとって即位直後にふらふらと出かける暇はいっさいなかった。
「そのうちにアーサー様もサマルトリアの王になられるのでしょう。親交を深めて損はありますまい」
孫に近い年の国王を甘やかすように老侍従は言った。
「サマルトリアのランドン様とは、さきの陛下はあまりそりがあわないごようすでした。いつ大喧嘩になるかずっとハラハラしておりましたので、代が変わってほっとしている者もローレシアには多うございます」
この侍従がさきの陛下と呼ぶのは、アロイスの父、アンデレのことだった。
「ランドン……、アーサーの父君だな。うちの父上は、あの方に何か含むところがあったのか?」
侍従は首を振った。
「我がローレシアは常に礼を尽くしておつきあいしておりました。が、サマルトリアの当代国王ランドン陛下は気むずかしいお方でいらっしゃいまして」
人呼んで王家の生き字引という初老の侍従は咳払いをした。
「そもそもランドン様は王家の遠縁の公子でいらした方です。前のサマルトリア王の姫君、アンナ様の婿として王家に迎えられ、アンナ女王の亡きあと即位されました。アンナ様との間には一人目アーサー様、二人目にアリス様がおいでです。サマルトリアではロトの末裔ではない国王は珍しく、ランドン様はほとんどアーサー王子が戴冠されるまでのつなぎ扱いです」
「そりゃまた……。玉座の上に針のむしろか。かわいそうに。気難しくもなるだろうよ」
「さきの陛下もそのようにおっしゃって穏やかに対応しておられたのですが、ランドン様はなんというか、下々の言葉で言えばひがみっぽいお方でいらっしゃいましてね。さきの陛下は譲位の後に"これからあいつとつきあわんでいいのは助かる"とおっしゃっておいででした」
へえ、とアロイスはつぶやいた。アロイスの父、先代ローレシア王アンデレは、勲功をあげた一人息子に王位を譲ると王妃ローゼと二人で南部の館へ引っ込み、楽隠居を決め込んでいる。王妃はアロイスの生母であり、この二人はいまだに仲の良い夫婦だった。
 失礼いたします、と声をかけて、女官の一人がやってきた。
「熱々を召し上がれ」
素晴らしい香りのお茶だった。もともと乳母だったその女官はアロイスの好みを熟知している。ほとんど母親代わりでもあった。
「サマルトリアへおでかけでございますか?」
「ん?ああ。ちょっと行ってくる」
甘いお茶を楽しみながら、アロイスはそう答えた。
「あれまあ、今あちらじゃたいへんだそうでございますよ」
アロイスはどきりとした。
「何かあったのか?」
宮廷女官らしからぬ、というか井戸端会議で噂話に興じる中年女そのままの顔で女官は言った。
「サマルトリアの若い貴族の殿方が三人続けて亡くなったそうでございます」
アーサーには関係ないようだった。ほとけには申し訳ないと思いつつ、アロイスはひそかにほっとした。
「そりゃ穏やかじゃない。病気か?」
ゴシップ好きの女官は、意味ありげに笑った。
「病気と言えば病気でございましょうねえ。貴公子方は三人とも、アリス姫の婿候補でいらしたそうな」
なんだか意外な気がした。
「姫は、結婚するのか」
 事情通の侍従が言った。
「会議が王の仕事なら、結婚が王女の仕事ですからな。アリス姫は十七におなりのはず」
ローレシアのアロイスとサマルトリアのアーサーはそろって二十歳、ムーンブルクのアナベルが十九である。
「しかしサマルトリア王女の婿がねとあれば、国内の有力貴族の子弟のはず。それがいきなり三人も亡くなったとは」
「いきなりではありませんのよ、このひとつきで三人ですって」
ワクワクしているような口調だった。
「さっき、病死だと言ったな」
あらあ、と片手で口元を申し訳程度におおって女官は言った。
「病気と言ってもほら、恋の病ではありませんかしら。殿方はどれも熱心にアリス姫に結婚を申し込んでいらしたそうです。それを快く思わないお方がいらしたのではないか、と」
「"結婚が王女の仕事"なんだろう?いるのか、そんなやつが」
ゴシップ女官と事情通の侍従が互いの顔を見合わせた。
「……あくまで噂でございますが、姫の兄君、アーサー殿下では、と」
「なんで、あいつが?」
「美しい妹姫を他人に渡したくないのではないかと」
アロイスは、片手を鼻先へ上げてぱたぱたと振った。
「ないない。あの兄妹はそれほど仲良くないし」
あら、と不満そうに女官が言った。
「さもありなんと、噂でございますけどねえ。見るからにお似合いの一対ではございませんか。お二人とも亡くなった母君のアンナ様によく似ていらして」
「それは、認める」
かつてのパーティメンバー、アーサーは、黙ってつっ立っていれば大変な美形だとアロイスも認めざるを得ない。栗色の髪と緑の眼、それがよく映える色白の肌。体型はすらりとして立ち姿が美しい。まさに王子様だった。
 三歳年下の妹、アリスは、これも口をつぐんでおとなしくしていれば透明感のある可憐な美少女である。髪と眼の色は兄と共通で、お人形のように華奢だった。
「しかしな……」
口を開いたが最後、印象は一変する。アーサーは子供のような残虐さを隠さないし、アリスはあっけらかんと自らの強欲をさらけだす。
“賭博師パーティス、おまえの指を全部落としてやったらどんな気分?”、"アロイス様、遠慮なく兄にメガンテを使わせてくださいませね"とは、それぞれからアロイスが自分の耳で聞いたせりふだった。
「どんなにお似合いに見えてもあいつらはサマルトリア王位をめぐってライバル関係だ。アーサーはたぶん、早く妹に亭主をあてがいたいと思っていると思う」
「え~、さよでございますかぁ?」
怒濤のようにつづく乳母のゴシップを遮るようにアロイスは飲み終わったティーカップをつきつけた。
「とりあえず、明日からサマルトリアへ出かけてくる。

 陽に透かした翡翠の中心部の、目の覚めるような翠色、萌え出る若葉のみずみずしい緑色、肥沃な大地を潤す河川の波のうねるような碧色。サマルトリアは、緑を貴色とする美しい王国だった。
 ローレシアの若き国王アロイスは、大陸を馬で駆け抜けてサマルトリア王宮の門前まで乗り付けた。召使いに馬を預け、王宮入り口をしみじみとアロイスは見上げた。
 威圧的で無骨な戦闘用城塞であるローレシア城と比べると、なにもかも繊細で美しい。初めて訪れた日に圧倒されたことをアロイスは懐かしく思い出した。
「アロイス様、どうぞこちらへ」
そのときと同じようにアロイスはつつましやかな侍女に案内を受けて歩き出した。
「気を使われぬように。アーサーに会いに来ただけだから」
かつて王子として、いや、勇者としてこの城を訪れたとき、アロイスは緊張していた。ロンダルキアまで攻め入って破壊神シドーを下すという功をあげ、父から王位を譲られた今、本来ならきちんと先ぶれをしてもっと重々しい供揃えで訪問しなければならないのだが、アロイスにとってこの城は今でも親友の居城だった。
「心得ております。お忍びの行幸であるとお国よりお知らせがありましたので」
では、あの老侍従が話を付けておいてくれたらしい。
「アーサーは、どこに?」
初訪問の時にアーサーの居所を自分が尋ねたのは、同じこの侍女ではなかったか、と思いながらアロイスは言った。口数少なく侍女が答えた。
「アーサー様とアリス様は薔薇のお庭においでです」

 緑の王国サマルトリアは、園芸と本草学の宝庫でもあった。庭園と薬草園はサマルトリア各地にあったが、なかでも王宮庭園は国中の技術と知識を結集して作り上げ、維持されていた。
 王宮庭園の南側は大規模な薬草畑でもあった。ケシ、ミント、ラベンダー、イチイやイヌサフラン、キツネノテブクロそしてジンジャーやリコリスなど、鎮痛、殺菌、咳止めなどに効能のある植物が栽培されていて、アロイスもクエスト中いろいろと世話になっていた。
そういった草花はたいがい地味で花は小さく、色は冴えないことが多い。しかしそれら薬用植物の花や葉、根、種子などから採る生薬類はサマルトリアの産業のかなりの部分をしめていた。
 アロイスは歩みを続けた。垣根をいくつか越えると、あたりのようすが変わる。そこからさきは観賞用の植物が占領していた。
 さきほどとは打って変わった華麗な色彩の世界だった。アロイスは薔薇の領域へと踏み込んだ。
 花の咲き誇る灌木を人の背丈より高い生け垣に仕立て、それらがいくつも枝分かれした細い通路を造っている。路は入り組んで迷路をなし、中を歩く者の目に次々と華やかな彩りをとどける仕組みになっていた。
 薔薇迷宮はやがて、庭園中央の白亜のあずまやへと向かっていた。そこは庭の中で一番高い場所にあった。八本の円柱でドーム型の屋根を支える建物があり、休み処となっていた。どことなくその場所は円形の舞台のように見える、と庭を訪れるたびにアロイスは思うのだった。
 あずまやが円形舞台なら、そこから見渡す広大な薔薇の庭は観客だった。今は高貴な大輪の白薔薇が満開になっていて、風が吹くと花びらが拍手のようにいっせいに舞い上がった。
 円形舞台の上に二人の人物がいた。ひとりは腕を組んで白い円柱にもたれかかり、もうひとりはそのそばにおかれた藤の揺りいすに、けだるげに腰掛けている。アロイスは舌を巻いた。アーサーとアリスの兄妹は、一対の陶器人形のように洗練された美しいペアだった。