ロトシリーズ20のお題 20.それを捨てるなんてとんでもない!

 アレフガルドは色彩のない世界だった。
 咲き誇るはずの花は陽光を得られずにしおれ、縦横に空をいくはずの雲雀は惨めに地をついばんで歩いた。何を見ても、たそがれの暗がりの中である。
 人々は色の薄い顔をうつむけ、人生の盛りにある娘たちさえ、あえて色鮮やかな衣装をつけようとはしなかった。
 アレフガルド多島海随一の大都市であるラダトームでも、ひとびとは声を殺して会話をしている。さもなければためいき、すすり泣き。それにいらついた者が火のついたように激しく叱責し、そして力つきたように手で顔を覆って黙り込んでしまうのだった。
「……お帰りなさいまし」
ラダトーム城に使える侍女のひとりがパーティを出迎えた。
「いつものお部屋をご用意しております」
彼女は下を向いてぼそぼそとしゃべり、おびえたような目で一行を見上げた。
「いつもありがとう。使わせていただきます」
トリトが言うと、侍女はすまなそうに目を伏せ、腰を屈めた。
 ラダトーム城東翼二階には、城を訪れる客を泊めるための施設がある。ラルス一世の許しを得て、勇者トリトの一行はその一室を使用していた。
「お疲れのようですね」
手燭を捧げて廊下をいく侍女が心配そうにそう言った。
「リムルダールの南まで往復しましたので」
無理に笑顔をつくってトリトはそう答えた。
 長く歩いただけならこれほど疲労しない。上の世界を隅々まで歩いてきたパーティなのだ。だが、いつもなら笑いを取りに来る元遊び人コンビまで沈黙している。
「手がかりはありましたの?」
「メルキドの近くの沼のほこらで雨雲の杖は受け取りました。精霊ルビス様からじきじきに聖なる守りもいただいたのですが」
そういって口ごもったトリトのあとを、賢者がひきとった。
「あともうひとつアイテムがあれば、虹の滴を作ってもらえるってところまでは来てます」
後ろで戦士と武闘家がそろってためいきをついた。
「あのじじぃ、しわかったで」
「一個ぐらいおまけしてくれたかて、ええやん」
 最後のひとつ太陽の石のある場所がわからずに、しかたなくパーティはアイテム二つだけで虹の滴をつくってはもらえないかと聖なるほこらまで頼みに行き、きっぱりと断られて帰ってきたのだった。成果はまったくなかった。
 侍女が一室の扉を開いた。
「どうぞ。何かお持ちするものはありますか?」
「いや、特に。食事は城下で済ませてきました」
「そうですか。お客様のお世話は私の仕事です。何かありましたら遠慮なくお申し付けください」
「十分です。十分すぎるくらい。父だけではなく、ぼくまで」
侍女が身じろぎした。
「オルテガ様の行方はわからなかったのでしょうか?」
トリトは黙って首を振った。
 その侍女は、ラダトーム城の外に倒れていたオルテガがこの部屋に運び込まれたとき、つきそい、火傷の手当をし、立ち上がれるまで世話をしてくれたひとだった。
 侍女が部屋から立ち去ると、パーティはなんとなく一斉にためいきをついた。
「あいかわらずオルテガ様無双やな」
戦士キングがつぶやいた。重い剣と盾をはずし、自分のベッドの上に荷物を置いた。
「どこ行っても必ずうわさを聞くやんか」
武闘家クィーンがそう答えた。
「なんか二枚目っていうよりも、華のある男なんちゃう?なんとなくみんなが頼りにしたくなっちゃうような」
賢者ジャックはベッドの脇に愛用の杖をたてかけた。
「まあ、そういうやつはいるよな。自然にお頭に祭り上げられるようなやつな」
賢者は盗賊上がりだった。
「そんなもんかな」
勇者トリトはつぶやいた。
「妙なもんだよね。実の息子のぼくが一番わからない。いったい父さんはなにを考えてアレフガルドに来たんだ?」
トリトは荷物を部屋に放り出すと、ベッドに仰向けにねっころがっていた。
 その顔をジャックは上からのぞきこんだ。
「ガキじゃあるまいし、くよくよしてんじゃねえよ。親父は親父、おまえはおまえ。別人なんだからお前が一番理解してなきゃならないってことはねえさ」
ははは、とトリトは軽い笑い声をあげた。
「ジャックはいいなあ」
ジャックに家族はいない。孤児として生まれ育ち、自然に盗賊になった男だった。
「引きずんなって言ってんだよ。おまえが一番メンタル弱いんだから」
 ジャックはトリトのようすが気になっていた。リムルダールへ立ち寄ったときオルテガを目撃したという戦士に会ってから、どうも気持ちがふさいでいるようだった。
「父さん、元気になったみたいだ。火山で負った火傷は治ったらしいよ。リムルダールの西の岬にいたってことは、大魔王の島を見てたってことじゃないか。戦うつもりなんだ、一人で。すごい体力だな」
ジャックと逆、壁の方へ顔を向けてぐるんとトリトは寝返りを打ち、憤りをこめて拳をベッドにたたきつけた。
「なら、どうして母さんのところへ帰ってこない!」
「おい!」
ジャックはためらった。初めてあったときからトリトは父を尊敬していて、父の意志を継いで魔王と戦おうとしていた。だが、旅のあちこちでオルテガの残した痕跡を見つけるたびに複雑な表情をしていた。
「ほっときなはれ!」
とクィーンが言った。彼女は恐るべき実力の女武闘家だが、そのクィーンがエセ関西弁になると一瞬で女遊び人時代に戻る。
「って言ってもよ」
ジャックはためらった。
「親子いうのんは、赤の他人よりやっかいなもんや。下手に口出しせんほうがええで」
ふわふわの金髪を指でかきあげるクイーン、壁の方を向いて寝ころんだままのトリト、部屋の隅でやれやれと首を振っているキングを、ジャックは困り果てて見回した。
「失礼いたします」
さきほどの侍女の声だった。
 助かったような気がしてジャックが立ち上がり、部屋の扉をあけた。手燭を持った侍女と、くたびれた鎧の兵士が立っていた。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、たった今リムルダールからラダトームへ使いがまいりまして」
侍女は脇へのいてジャックが直接その兵士と向かい合えるようにした。
「国王陛下へご連絡にまいった者ですが、陛下よりトリト殿のパーティにお伝えするようにとご下命をいただきました。おくつろぎのところお邪魔いたしまして、その」
「仕事なら帰れってわけにもいかねえな。ま、入ってくれ」
 話が聞こえたのだろう、部屋の中ではトリトを始め、立って兵士を出迎えた。
「勇者殿は」
「ぼくです」
兵士はトリトに向かって敬礼した。
「私はリムルダール駐留部隊の者です。国王陛下よりオルテガ殿の情報があったらラダトームへ連絡するようにわが隊は命令を受けておりました。リムルダール市内で聞き込みをした結果、宿のひとつからオルテガ殿とおぼしき人物が宿泊されたことがわかりました」
兵士は、室内のテーブルに小さな包みを置いた。中に重い物が入っているらしく、ごとりと音がした。
「宿泊の翌日、宿の前にこれが捨てられていました。状況からオルテガ殿が捨てられたと推測されます。ただ、本当に捨てられたものかお忘れ物かわからないそうです。宿の主人から申し出がありまして私が預かることになりました」
 包み紙はよくある黄色みを帯びた羊皮紙で、手のひらに握り込めるくらいの大きさだった。上から古い縄を十字にかけて縛ってあった。
「開けてもいいですか」
「どうぞ」
トリトは縄をほどき、羊皮紙を広げた。中にあったのものに居合わせた者の目が集中した。
 それは美しい指輪だった。金の平打ちのリングの中央に複雑なカットを施した真紅の宝石を埋め込んでいる。室内の乏しい光を受けてルビーはきらきらと輝いた。
 ジャックがつぶやいた。
「命の指輪だな。装備していると一歩ごとにちょっとづつHPが回復する優れ物だ」
「へんだな。どうして装備していかなかったんだろう」
「この真っ赤な色が気に喰わんかったんちゃう?」
「いやいや。天下の男前オルテガ様には地味すぎたんや」
空気を読まない元遊び人コンビをジャックは無視した。
「命の指輪は歩いているときは有効だが、戦闘中は無効だ。探索メインじゃなくラスボス戦メインなら、別のアクセサリに代えた可能性もあるかな。まあ俺だったらいらないアクセサリはちゃんと売って金に換えるけどな。なんで捨てたんだ、こんな値打ちもん」
ジャックは兵士の方を向いた。
「オルテガ殿の持ち物らしいってのはこれだけか?」
「ほかのお荷物はなく、持って出られたようだと宿の者が言っていました」
トリトは兵士に会釈した。
「わかりました。届けてくれてありがとう。リムルダールへ戻る前に休んでいってください」
兵士はさっと敬礼して部屋を退出していった。
 ジャックたちに背を向けて、トリトは元のベッドにもどってしまった。
「勇者様、命の指輪いらん?」
頭の後ろに腕を組んで寝ころび、天井を見上げてトリトはつぶやいた。
「クィーンが装備したら?」
女武闘家はつかつかとトリトに近寄り、そのベッドにどっかと腰を下ろした。
「何すねてんだ、このガキゃぁ!」
おもいっきりドスの聞いた声でクィーンは言った。
「調子こきやがるとぱふぱふ喰わすぞ、おんどれぇ」
ごちゃまぜの方言でめちゃくちゃなことを叫んでクィーンは勇者の顔の上にのしかかった。その豊満な胸からなんとか逃れてトリトは笑い出した。
「悪かった、うわ、やめて、よして」
ちなみにジャックは、彼女の腹筋がくっきり割れている事実を知っている。
「許したるさかい、いつまでも拗ねたらんと、きっちりはっきり言ってみい!」
「言う、言うから」
取れかけのサークレットをはずしてトリトは指で前髪を梳いた。
「わかってんだ。ジャックの言うとおり、父さんと僕は別々に旅してる。こっちはずっと父さんのあとを追ってるってのに、父さんは僕の動きを知らない。っていうか、知ったこっちゃないって感じだ」
ジャックが咳払いをした。
「むちゃ言うな。オルテガ様は自分のせがれが魔王討伐の命を受けて旅立ったなんてことは知らないんだからよ」
「今まではそう思ってたさ。でも、今は同じアレフガルドにいて同じ敵を目指しているのに、この感じはなんだろう。避けられてる気がするんだ」
キングが言った。
「ここのお姉ちゃんが、なんもかも忘れてはった言うとったで?」
「何もかもじゃない、ゾーマのことは覚えてたじゃないか。家族は忘れたくせに」
そうだな、とジャックは思った。もしオルテガが完全に記憶をなくしていたなら、このラダトームにおとなしくとどまっていたはずだ。そしてトリトは父に再会できたはずだった、例え父が自分の顔さえ覚えていなくても。
「結局それやな~」
とクィーンは言った。
「ちゃん!わいや母ちゃんと仕事と、いったいどっちが大事なんや」
いきなり作り声でクィーンが小芝居を始めた。
「くっ、義理と人情の板挟み、せがれ、察してくれぃ!」
キングがオルテガ役でとっさに受けた。
「いやや~!ちゃんのアホ!」
ひどいオーバーアクションで演技する二人を前に、トリトはたまらずに笑い出した。元遊び人コンビはどんな深刻な話でもばかげた芝居にするスキルがある。そして一度笑い飛ばすことができれば、勇者は立ち直れるということをジャックは経験から知っていた。
 大げさに泣き崩れるまねをしたクィーンが手をふりまわした拍子に、テーブルから羊皮紙の包みが飛び出した。
「おい、たいがいにしとけよ?」
ジャックはぼやき、包みと指輪を拾い上げた。
「あれ?」
羊皮紙の内側が目に留まった。
「何か書いてあるぜ」
羊皮紙は再利用することが多いので、誰かの書き損じだと最初は思った。が、次の瞬間、ジャックは息を呑んだ。
「虹の滴って書いてあるぞ!」
ジャックは羊皮紙をテーブルの上に乗せて手で広げた。
「トリト、見ろよ!」
三人とも頭をつっこんできた。
「上半分は図みたいだ。この単語は『虹の滴』だ。そこに矢印が三つ向かっている。『聖なる守り』、『雨雲の杖』、『太陽の石』」
じっとトリトは羊皮紙に視線を注いだ。
「父さんの字だ。間違いない。母さんの持ってる手紙の字と同じだ」
「オルテガさん、なんて?」
しばらくトリトは父の字を目で追いかけていた。
「リムルダールの西の海岸で漁師と知り合った……その漁師が舟を出してくれる……引き潮なら岸壁の洞窟から島へあがれる」
つぶやくように読んでいたトリトの視線が険しくなった。
「『だが、この漁師は人ではないと私は思う。根拠はあまりない。ただ、私が背を向けたとき殺気を感じたというくらいだ。しかしこの誘いは、十中八九、罠だ』」
「じゃ、なんで!」
とクィーンが叫んだ。
「『だが罠であっても、あの島へ渡る方法には違いない。本当は虹の滴を使って後から来る者のためにも橋を造りたかったのだ。しかし三つのアイテムがすべてそろわない状態の今、私には選択肢がない』」
「おれたちと同じか」
とジャックはつぶやいた。
「『私は罠であっても、漁師の小舟に乗ることにしよう。だが、後から来る者へ、私が知り得た限りの情報を伝えておきたい。雨雲の杖はメルキドの南の沼地にたつ祠にあり。また聖なる守りは精霊女神ルビス様より拝領すべし。そして太陽の石はドムドーラ北東の沼地に近い洞窟の奥である』」
「そこ、間違うとるで」
とキングがつっこみをいれた。
「はんぱもんしかあらへんかったわ」
ジャックはためいきをついた。呪われたアイテムばかりというくそ忌々しいダンジョンだった。
 待って、とトリトは言った。
「続きがあるよ。『太陽の石は私が取り出し、ラダトームへと保管した』」
なんだとぅ?!ジャックとキングの声が重なった。
「『ラダトーム城二階に隠し部屋がある。そこへ行く方法は、一階の厨房奥の壁を調べよ』」
なんとも言えない顔でトリトは顔を上げた。やたーっと叫んでクィーンが抱きついた。
「これで三つそろったやん!」
「オルテガ様々やで」
「ちゃん、おおきにーっ」
キングとクィーンは手を取り合って踊っていた。トリトは泣き笑いのような顔でまだ羊皮紙を読んでいた。
「『命の指輪にこの手紙をつけておけば、誰かが拾ってくれるだろう。この手紙を、ゾーマを倒すためにやってきた者たちに渡してほしい。指輪は報酬として受け取ってくれ』」
「そうか。やっぱりこの指輪捨てたんじゃなかったようだな」
ジャックはトリトの肩をたたいた。
「オルテガさん、おまえのことに気づいてたんじゃねえか?」
こくんとトリトはうなずいた。
「ぼくたちが通りすぎた町に父さんも立ち寄ってたら、ぼくたちのことが噂で伝わったかもしれない」
ジャックは苦笑いした。
「ああ、こいつらがいたるところでバカやらかすから、噂にはなっただろうよ」
ジャックが知る限り最高の戦士と武闘家の二人は、室内でアルゴリズム体操に興じていた。
「とにかく、行こう。一階の厨房だ。太陽の石を拝めるぜ」
「いきまほ、いきまほ」
待った、とトリトが言った。
「クィーン、命の指輪、やっぱりぼくがもらっていい?」
「男のくせに指輪とは、めめしいやつめ」
「それ、1やから」
 よほどにぎやかだったのだろう、廊下から声がかかった。
「あの、どうなさいました?」
世話係の侍女だった。扉を開けてのぞきこんだ彼女に、城へ戻って来た時の取り繕った丁寧さとは別人のような顔でトリトはいいわけをした。
「な、なんでもないです、ほんとに!」
「それならよろしいのですけど」
侍女は室内に足を踏み入れ、そこにあったものをつまみあげた。
「さきほどの包み紙ですわね。私が捨てておきましょう」
そのとき四人が一斉に手を伸ばし、同じ反応をした。
「「「「それを捨てるなんて、とんでもない!」」」」