ロトシリーズ20のお題 15.ひとときの休息

 前の晩の雨がすっかり上がり、港町ルプガナにはきらめくような陽光が戻ってきている。漁師たちは大漁を見込んで、とっくに船を出してしまった。人々は忙しそうに仕事の準備をしながら朝の挨拶をかわしていた。なんとなく声が弾んでいた。
 ルプガナの宿屋の厨房には朝食とは別にランチボックスの注文が来ていた。料理人は丸いパンをいくつも並べ、縦にナイフで切り込みを入れて具をつめこんでいた。
 よくゆでてむしったチキン、塩気たっぷりの燻製ハム、黄味の中心がとろりとしたゆで卵、新鮮なきゅうりと自家製のチーズ、金色に揚げたカリカリの白身魚、甘く煮た桃と生クリームなどなど。
 やがて作業台の上には、おいしそうなロールパンが整列した。大きなバスケットに手際よくつめこみ、りんごを三つと素焼きの壷に入れた冷たいお茶を添えて、料理人は厨房から客席へ声をかけた。
「できたよ、お客さん!」
緑の服の少年が、ぱっと立って受け取りに来た。
「ありがとう!わあ、おいしそう」
中身を確認して、少年はうれしそうにバスケットを手に取った。
「今日は、お出かけですかい?」
「ドラゴンの角まで、ちょっとね」
「道中、お気をつけて」
「3人で行くんだもん、余裕だよ!」

 ムーンブルグのアマランスは、やや苛立ちをおぼえながら待っていた。ローレシアのロイアルもあまり面白くなさそうな顔をしている。やっと宿屋からサマルトリアのサリューが出てきて、アマランスにりんごを手渡した。
「はい、アムはりんご持ってね」
「えっ?」
「ロイはこれ。重いから、気をつけて」
「ああ?」
ロイは素焼きの壷を持たされて、眼を白黒している。
「お弁当は僕が持ってく。お待たせ。さ、行こうよ」
手の中の壷と、たいへんうれしそうなサリューの顔を見比べて、ロイは言った。
「どこへ行くか、わかってんのか、おまえ?」
「ドラゴンの角の北の塔でしょ?」
アムはポシェットの中にどうにかりんごをつめこんで、ふたをした。
「何しに行くか、わかってる?」
「糸を取るの。塔のどこかに雨露の糸がひっかかってるはずだから、それを取ってきてドン・モハメさんに届ける。そうしたら、ドン・モハメさんが、きれいなドレスをアムにつくってくれる」
すらすらとサリューは言った。
「ちょっと、ドレスじゃないわ。水の羽衣は防具よ、防具」
「でもさ~、絵を見たことあるけど、あれを着たら、アム、すごくきれいだよ、きっと」
「どうでもいい、行くぞ」
怒っているような顔つきで、低くロイが言う。
「どうでもよくないよ。せっかくの遠足なのに」
「おまえはっ」
手袋のままこぶしを作って、ロイはごつんとサリューの頭をこづいた。
「まじめにやれっ」
アムも咳払いをした。
「自覚を持ってちょうだいね」
うう~とサリューはうなった。

 ドラゴンの角、その北の塔へ上がるのは、久しぶりだった。初めてここを訪れたときは船がなかったので、それは苦労したおぼえがある。あのころ苦戦したモンスターが、またぞろ襲ってきたが、サリューの先制攻撃とアムの魔法でたいてい一掃できた。
「こんなに弱かったかしら、こいつら」
数階あがったところで、ついにアムはそうつぶやいた。
「レベルが違うもん」
細身の剣をぴしっと振って、サリューはモンスターの体液を振り飛ばし、くるんと一回転して器用に鞘へ収めた。
「おまえ……」
と言ったきり、ロイが絶句した。大きな剣を手に持っているが、さきほどから使う機会がない。
「少しはおれにも仕事させろよ」
「ロイの手を煩わせるほどの敵じゃないよ」
「おまえ、なんか、怒ってるか?」
「べつに~」
とサリューは言ったが、遠足気分をなしにされてちょっとむくれているらしい、とアムは思った。
「さ~て、どこかにあるかな~」
サリューはきょろきょろしていた。
「ラダトームで聞いた話じゃ、ときどき風に乗って漂ってきて、塔にひっかかっているっていうことだったわ」
「じゃあ、窓の方だね」
 北の塔は、二階から上は風通しのよい構造になっていた。もともと、フロアと天井の間に数本の柱があり、あとは階段だけ。四方の壁には、天地左右いっぱいの大きな窓がついていた。
 窓からは海沿いの風がときどき強く吹き付けてくる。サリューは窓のひとつから顔を出した。
「どこかな~」
その声がとまった。
「サリュー?何かあった?」
う~ん、とサリューがうなる声がした。
「ぼく、見つけた、と思う」
「どこ?」
アムは窓の方へ駆け寄った。
「ほら、あそこ」
サリューが指しているのは、塔の壁面だった。
「どこ?あのくもの巣のこっち側?」
「アムの言うくもの巣が、アレ全部、雨露の糸じゃない?」
“くもの巣”は、塔の壁面を覆うようにべったりとくっついている。
「うそでしょう……」
呆然とアムはつぶやいた。

 長いものでたぐりよせると、雨露の糸のかたまりはごっそり剥がれ落ちてきた。
「なんとか、とれたけどな」
ロイは情けなさそうな顔で愛刀を見つめた。
「ごめんな、“ロトの剣”。おまえを高枝ばさみ扱いしてさ……」
「ロイったら」
サリューは容赦しなかった。
「いつもは、男は潔さが身上、とかなんとか言うくせに」
「これじゃ伝説の剣が夜泣きするぜ」
くそっ、とロイはつぶやいた。
「これ抱えて、モハメのじいさんのところへ行きゃいいんだな?あっちのほうがまだ手ごたえがある。さっさと行こう」
「このままじゃいくらなんでも運べないわよ。もつれてるし」
アムがそう言うと、サリューは荷物の中から変わった形の糸巻きを取り出した。
「はい、これ。この芯のところに巻きつけていくといいよ」
いつもながら、気配りはサリューの特技だった。
「やってみるわ。はじっこはどこかしら」
アムはもつれあった白い塊の前に膝をつき、手でかきわけようとした。
その瞬間、アムの触れたところが、ぼろっと崩れてしまった。
「そんな!」
あわてて指でまさぐる。が、糸の塊はぼろぼろに砕け散って、切れ端というものがなかった。
「どうしよう、これじゃ、巻き取るなんてできないわ」
ロイがあわてて駆け寄ってきた。手袋を脱いで、指を糸の塊に突っ込んだ。その手の中で、雨露の糸は砕け、ぱらぱらと砂のように零れ落ちた。
「まいった……!乾ききってる。空気に触れたところから、あっというまに乾くみたいだ」
「布だって織れないじゃない。ドン・モハメさん、そんなこと言ってなかったのに」
ロイは難しい表情で、その場にあぐらをかいた。しばらく黙って考えていたが、ついに意を決したようにふりむき、言った。
「わかった、降参だ、サマ。遠足にしてもいいから、こいつを巻き取る方法を教えろ!」
サマはびっくりしたようだった。
「ぼくだって、何も知らないよ?」
アムは彼を見上げた。
「お願い、サリュー。いっしょに屋上でお弁当食べるから」
「あとで腹ごなしに、風のマント貸してやるよ。飛ぶの好きだろ?」
サリューはうれしそうになった。
「わっ、ほんと?そうだねえ……乾いていてこまるなら、湿らせてみたら?ロイが持ってる壷の中身、お茶なんだ」
アムはロイと顔を見合わせた。
「一理あるかしらね?」
「だめもとで、やってみるか」
 すぽん、とコルクの栓をぬき、ロイは壷の中身を慎重に雨露の糸へ注いだ。白く乾いて見えた塊の上に、薄い茶色のしみができた。しみは驚くほどの速さでひろがっていく。同時に白も茶色も色彩がうすれ、糸の塊はつやつやと輝く透明な物質に変化していった。
「やった!」
「もう少し、かけてみて」
壷の中身を半分ほど注いだころ、雨露の糸はしっとりと露を生じ、指でつまんで持ち上げられるようになっていた。
「これで巻き取れるわ」
アムは糸巻きのはしに糸の先端をはさみこんだ。取っ手を持ってくるくる回すと塊の中から糸がするすると引き出され、糸巻きに巻きついてくる。
「なんか、楽しい!」
長いこと忘れていた歌が、唇から出てきた。
「~と~まきまき、ひ~て、ひ~て」
「なんだ、そりゃ?」
ロイがきょとんとした顔で見ている。
「え~っと、ムーンブルグに古代から伝わる由緒ある呪文のひとつよ」
「おれが魔法使えないからって、バカにしてっだろ?」
アムは笑い出した。
「して、ない。ね、サリュー?」
サリューは糸の塊を手に、何かやっていた。
「サリュー?」
「ここ、もつれてるんだ、待って、今ほどくから。ロイ、そこがもつれないように、立ってつまみあげていてよ」
「俺が?」
ロイはしぶしぶという顔で糸をつまんだ。
「このーっ」
サリューは意外にこういうものに熱中するタイプだったらしい。必死になって糸を解いている。やがて糸はまた、なめらかに動くようになった。
 とん、とん、とん、と歌いながら、アムは糸を巻き続けた。海風がときどきサリューたちのいる階を吹き抜けていく。大きな白い雲がその風に乗ってふわふわと動いていった。ルプガナの沖には、漁師の船が戻ってくるのが見えた。喫水が下がっているのは、大漁の証拠なのだろう。荷を狙ってかもめの群れが船の後を付いてくる。鳴き声は風に乗って北の塔にも届いた。
「お天気いいなあ。こんな日、めったにないよね」
器用に糸を解きながら、サリューが言った。
「そうね。悪くないわ」
城を焼かれ、独りぼっちになって、仲間ができて、戦いを覚えて。だが、こんな一日は確かに珍しい。
「おれは、ひまでひまでたまんねえ」
あくびまじりにロイが言った。
「弁当、まだかよ」
「もうすぐ、もうすぐよ」
糸巻きに幾重にも巻きついた雨露の糸は、折り重なって薄い紫色に見える。ぴんと張れば、水滴が滴り落ちた。
 アムは手を動かしながら、すべて巻き取ってしまうのが惜しいような気になった。このひとときの休息を、精霊ルビスにひそかに感謝していた。
「今日のこと、きっといつか、思い出すわ。たとえロンダルキアの雪嵐の中にいても、この明るい海と、太陽。風。熱いような海辺の塔と、雨露の糸……」