ロトシリーズ20のお題 9.王女の愛

 荒く太い毛糸をざっくりと編んだ頭巾は、ちくちくするが、暖かい。だが風は冷たく、うわっぱりはぎゅっと体の周りに巻きつけておかないと風が中へ入り込んでくる。
 少年は不安そうな顔で傍らの老女を見上げた。
「おばあちゃん、どっちへ行ったらいいの?」
祖母は黒い頭巾をかぶり、あるったけの毛布を体に巻いて、さらに荷物を抱えていた。
 ただの旅行ではない。今まで暮らしていた家を捨ててメルキドの町へ逃げ込もうというのである。涙を呑んであきらめた家財も多いが、持っていく荷物もたいへんな量だった。
 父は一足先に荷物を手押し車に乗せてメルキドへ向かった。すぐに引き返して家族と合流することになっていたのだが、いくら歩いても父が現れないのだった。
「パキや」
と祖母が言った。
「さっき、森ん中で、道に迷っちまったんじゃないかと思うんだよ」
やっぱり、とパキは言った。
「どうしようかねえ」
祖母はおろおろしている。
「モンスターが怖いからってメルキドへうつることにしたってのに、こんなとこで……あたしはとうてい戦いなんてできないし、パキや、おまえ、もし何か出たら、まっすぐ逃げるんだよ。うまくすれば父ちゃんと会えるからね」
「ぼく、やだよ、おばあちゃん!」
母が早くに死んで以来、パキをずっと育ててくれた祖母を見捨てるなどパキにはできなかった。
「おばあちゃん、あれ、見て!」
パキは叫んだ。遠くに動く人影がある。夕暮れのわずかな明かりの中でも、真っ赤なマントが目立った。
「おや、モンスターじゃないらしいね」
「道を教えてもらおうよ」
そう言って、真っ先に駆け出した。
 あたりはなだらかな丘だった。背の高い木はまったく生えていない。ごろごろと石が転がっている。
 パキは突然足を止めた。あたりのようすがおかしかった。木靴の底が妙な感触を伝えてくる。眼を凝らすと、あたりが沼地になっていることに気づいた。
「この色、毒の沼地だ!」
パキは一歩、足をもどし、慎重に硬い地面を探した。
 だが、赤いマントの人影は、どんどん先へ行ってしまう。
「お~い、そこの人」
だが、旅人はパキに気づかないようだった。
 よく見ると、その人はマントの中に鎧を着けている。ラダトームの王様の家来かな、とパキは思った。王様の剣士がこんなところでなにをしているんだろう?
風向きがかわったのか、剣士の呟きが聞こえてきた。
「あなたのためなら、毒の沼地を渡ることもいといません、愛しい人」
独り言だろうか、とパキは思った。どう見ても彼につれはいない。第一、毒の沼地は一歩すすむごとにダメージを受ける恐ろしいところで、すき好んで入り込む旅人はいなかった。
 パキは少しでも近寄ろうとして、沼地の縁をまわりこんだ。とたんに、何かにつまずいた。
「なんだ、これ?」
言ったとたんに、ぎょっとして飛び退る。モンスターの死体だった。剣で真っ二つ。あの剣士の仕業だろうか。
 よく見ると剣士は、マントも鎧も傷ついてぼろぼろになっていた。やおら剣士は、かぶとを脱いでこわきに抱え、反対側の手に下げた物をじっと見つめた。
「姫……」
横顔にも大きな傷がある。傷どころか、血のとまっていない、新しい傷だった。
「ちょっと、あんた、こっちへ来てくれよ!」
パキは大声をあげた。
「そのままじゃ、死んじゃうって」
だが剣士には声が届かないらしい。ばしゃり、ばしゃりとしぶきをあげ、よろめきながらも進んでいく。
「お~い、聞こえないのかよっ」
剣士は手にもったメダルのようなものに、すりすりとほほをこすりつけた。
「もうすぐです、姫。きっとたどりつきます」
その口調に、パキはぞっとした。狂おしいような響きがあった。
「“姫”って、なんだよ。魔物か?」
毒の沼地の中から旅人を招き寄せて殺して食う魔物がいる、という話を、パキは聞いたことがあった。
 パキはがまんできなくなった。ただ一人の道案内を、沼地の魔物にくれてやる法はない。深呼吸をひとつして、パキは沼へ入った。ざばざばと波をかきわけ、剣士のマントをつかんで強く引いた。剣士は、ぐらっと倒れ掛かった。無理もない、モンスターと戦った直後に、沼地に命を削り取られたのだ。
「おばあちゃあん、手伝って!」
パキが叫ぶと、あわてて祖母が走りよってきた。
「今、助けてやっからな」
剣士は気を失っているようだった。が、その横顔には、なんとも言えずに幸せそうな微笑が浮かんでいた。

 完全に暗くなってしまう前に、パキと祖母は大きめの岩をいくつか風除けに使って、火を燃やした。
 濡れた物を広げて乾かしていると、パキが助け出した若者が眼を開いた。
「ここは……?」
「おれにもわかんないんだけど」
とパキは言った。
「あんたが入り込もうとしていた、毒の沼のそばだ」
パキのおばあちゃんが、水の入った椀を差し出した。
「どうぞ、旅のお方」
「あ、すいません」
思ったより、その剣士はずっと若かった。
「無茶をなさいましたねえ。HP一桁で毒の沼を渡るなんて。どこか、近道でもする気だったんですか?」
「ちょっと、探し物をしていまして」
「大事な物を、毒の沼へ落としなさった?」
「そんなところです」
若者は微笑んだ。優しそうな人だ、とパキは思った。
「ぼくは、アレフと言います」
「アレフ様ですか。あのう、実はお願いがございまして。この婆と孫を、メルキドまで連れて行ってはくださいませんか。せがれがきっと、お礼をいたします」
「メルキドですか」
アレフは一度首をかしげ、それからにっこりした。
「いいですよ。お礼はいりませんが、いっしょに行きましょう」
「ああ、よかった!」
 近頃ここいらはモンスターが凶暴なもので、とおばあちゃんはくどくどと言い始めた。アレフはときどき相槌を打ちながら、聞いている。
 焚き火がまた、ぱちぱちと鳴った。ぬくもりがパキの体を優しく包んでくれる。顔に当たる熱気は、熱いほどだった。
 パキはあくびをした。
「パキや、眠いのかい?」
おばあちゃんが聞いた。
 今日は、朝から歩き詰めだったのだ。パキは緊張がとれて、ようやく疲れを感じていた。
「じゃあ、お休み。もし夜の間にお父ちゃんが来たら、きっと起こすからね」
ありがとう、とつぶやいて、パキは眼を閉じ、そのまま眠りの中へ落ちていった。

 パキが夜中に眼を覚ましたのは、人の話し声を聞いたからだった。
「だから、少し帰りが遅れます」
アレフが話していた。誰とだろう、とパキはぼんやりと考えた。
「……そうですね。でもきっと見つけます。ここまで来たんだから」
パキは薄く眼を開けた。祖母はパキの横で、風除けの岩にもたれて眼を閉じている。眠っているらしかった。
 祖母のむこう、焚き火のそばに、アレフはいる。声を低め、誰かにささやきかけている。
 パキはぞくっとした。あの沼地で聞いたときのような、ものにとり憑かれたような口調だった。沼の魔物はこの人をあきらめきれずに、ここまで追ってきたのかもしれない。
 何かに驚いたらしく、アレフの声が少し大きくなった。
「うわ、そんな、姫、ぼくは……」
姫だって。どんな魔物だ?パキは好奇心を抑えきれなくなった。そろそろと頭の向きを変え、こっそり眼を開けてみた。
 アレフは背を向けている。その向こうには、誰もいなかった。

 翌日、モンスターがあまりでない正午に歩き出し、夕方、ようやくメルキドが見えてきた。パキのおばあちゃんは、うれしそうだった。
「よかったよお。パキや、これで父ちゃんと会えれば、万々歳だ。そうだろ?」
「う、うん」
パキは、ずっとアレフのようすをうかがっていた。
 姿の見えない“姫”と話をしているなんて、絶対普通じゃない。もしかして、もう完全に魔族に魅入られているんじゃないか。
 そう思うと、何もかも薄気味悪く見えてくる。
 このご時勢に、たった一人で旅をしているところとか。
 モンスターが現れたときに、一回も逃げないで切り結ぶところとか。
 しかも、ものすごく強いこととか。
 魔法まで使えるらしいこととか。
 あの橋を渡ると、もうメルキドです、とアレフは言った。実際、橋を渡って少し行ったところに、パキの父が迎えに来ていた。
「悪い、悪い。新しい家のことで、ちょっと大家さんと行き違いがあったんだ。ここまで二人で来たのかい?心配していたんだ」
「このお若い人が、つきそってくれたんだよ。おまえ、よくお礼を言っておくれ」
パキの父ちゃんは、顔を真っ赤にして、ぺこぺこお辞儀をした。
「アレフさんとおっしゃるんですか。母と息子がお世話になりまして!」
「あ、そんな、いいです」
アレフはお人よし風の笑顔をみせている。だが、パキは、だまされるつもりはなかった。
 父ちゃんは、他の旅人といっしょに来ていたので、テントの用意があった。日が暮れるとメルキドの町は門がしまってしまうので、パキたちはテントで一晩過ごすのだ。
 アレフは、そのまま戻ろうとしたのだが、パキのおばあちゃんと父ちゃんがひきとめ、食事をふるまった。
「そうですか、はるばる、ラダトームから!」
「はい。ちょっと、探し物をしていますので」
そんな会話が聞こえてきた。やがて大人たちはそれぞれのテントに分かれて眠ってしまった。そのころになって、パキはそっと起き上がった。
「パキや、おしっこかい?」
おばあちゃんが眠そうに聞くのに、パキはあわてて答えた。
「一人でできるよ!」
テントはどれも、寝静まっている。だが、あの“姫”が現れるなら、今時分だろうという直感がパキにはあった。
 足音を忍ばせて、アレフのテントをパキは目指した。思ったとおり、小さな声が聞こえてきた。
「……みんなの好意を無にできなくって」
そのとき、思いも寄らぬ声が聞こえてきた。若い上品な女性、いかにも“姫”の名にふさわしい声だった。
「どなたにも優しいのですね、アレフ様は。私一人に優しくしてくださるのではなかったのですか?」
「姫、ぼくは……」
アレフが口ごもる。困っているようだった。パキは、そっとテントの中をのぞきこんだ。
 やはり、アレフは一人だった。だが、手に鎖をさげ、その先についた奇妙なものに、じっと視線を注いでいる。あのとき沼地でほおずりしていたのと同じものだとパキにはわかった。
 それは金のわっかのようなものだった。下に青いとがった水晶が鎖で取り付けてある。わっかの中には金のメダルと、赤い石をはめこんだ金の三角がつるしてあった。
 女の声は、そのメダルから聞こえてきた。
「ウソですわ」
あっさりと“姫”は言い、ころころと笑った。
「なかなかこちらへ姿を見せてくださらないから、少しすねていたのです。もう長いこと、お父様とお話していらっしゃらないのではなくて?無理をなさったらだめですよ?」
「けして、無理などと。姫、できることなら、すぐにでもルーラを使いたい」
「本当ですか?」
“姫”の声が喜びにはねあがった。
「そう思ってくださるだけでも、うれしいです。私、たった一人で閉じ込められていたときより、今の方が、めそめそ屋の、泣き虫ですの。今は、心から身を案じるお方がいるものですから」
アレフは、鎖をひきあげ、メダルを眼の高さに持ち上げた。
「姫、お約束します。アレを見つけたら、本当に飛んで帰ります」
「アレフ様……アレフ様を、ローラはお慕い申しております」
“姫”の声が、すがるような熱さを帯びた。
「アレフ様は、ローラのことを想ってくださいますか?」
「はい!」
「うれしゅうございます」
パキは、そっとテントから離れた。ようするに、いちゃついているわけだ。相手はローラというらしい。魔族だか人間だかわからないが、なんとも甘ったるくて、これ以上聞いていられなかった。
 やってらんねぇ!

 翌日、アレフはパキたちに別れを告げて行ってしまった。
「いい人だったねえ」
「ああ。凄い腕利きだって?ラダトームの王様のところにも、まだあんな剣士がいたんだなあ」
おばあちゃんと父ちゃんが話している。パキは、へっと言った。
「でもさあ、あいつ、でれでれしてたよ?」
「ああ?」
パキは小指をたてて見せた。
「レコがいるんだ」
恋人、情人を意味する、その古風なしぐさは、おばあちゃん譲りだった。
「ま~た、おまえは」
「本当だよ!」
パキはむくれた。
「ローラってんだ。あいつは“姫”なんて呼んでたけどね」
父ちゃんが、パンの塊が喉に引っかかったような顔をした。
「たしか、ラダトームの王女様は、ローラ姫様と言わなかったか?」
「だって、そのお姫様は、竜にさらわれちまったんだろう?」
「いや、つい最近誰かが助け出してお城へつれて帰ったって聞いたぞ。おい、あの若いの、いったいなにもんだ?」
アレフガルドが竜王の脅威から救われたとき、パキはようやく、その答えを知ることになる。