ロトシリーズ20のお題 6.王からの使命

 その日、お日様が昇るよりも早く、アレフは寝床から起き出した。
 いつものように生成りのだぶっとしたズボンとうわっぱりを着て、まだ暗いうちから水を汲み、掃除をし、火を起こす。それが教会に養われる孤児の決まりだった。
 リン、ゴンと鐘が鳴る。
 アレフは毎朝の日課で、年下の孤児たちを起こしに行った。
「さあ、起きて、起きて。お祈りが始まるから」
 寝床から追い出し、顔を洗う順番を守らせる。まだ寝ぼけ眼の子供たちを礼拝堂へ連れて行き、それから自分もあわててうわっぱりの上に法衣をかぶって礼拝の列に並んだ。それも、昨日までの日々となんら変わらなかった。
 リン、ゴン。
 高位の僧侶たちが、ゆったりと列を作って入ってくる。正面の精霊女神像に一礼して、僧侶たちは席に着いた。
 礼拝が始まる。
 朝食もとらず、冷たい石の床にじっとひざまづいて、祈りをささげるのだ。
「天に地に、あまねく御心を、慈悲深きルビス、精霊女神よ」
 アレフは孤児だった。赤ん坊のころ両親が亡くなり、教会へ預けられた。それから今まで、ずっと教会の組織の中で暮らしている。祈りの言葉は小さいころからたたきこまれていて、もう、苦労もなく唇にのぼってくる。
 最高位の僧侶、このラダトームの町の教会の長が低い声で祈りを述べた。
「女神よ、この地は今、大きな脅威にさらされております。なにとぞわれらの声を聞き届け、この地をおまもりくださいませ」
薄暗い礼拝堂の、高い天井に、声は響きわたった。
 長年の平和を享受してきたアレフガルドは、今、竜王に脅かされているのだった。各地でモンスターが急増し、また凶暴化している。地方の町では、人が逃げ出して無人になったところもある、とうわさされていた。
 その対策にラダトーム城におわす王様を初め偉い人たちがたいへんなのだ、とか。だが、アレフには自分のような見習い僧侶に関係のあることだとは思えなかった。
 今のアレフは孤児院を卒業して、僧侶養成学校の生徒になっていた。 10名ていどのクラスメイトといっしょに、僧侶の資格を得るための勉強をさせてもらっている。
 クラスには、メルキドの教会を継ぐことになっているエリート青年僧や、ラダトームの貴族の子弟で兄が跡継ぎなので弟が教会へ入ったなどという裕福な若者もいた。
 アレフは、クラスで一番みすぼらしい、人見知りする学生だった。成績はけして悪くないのだが、どうにも友達ができない。誰かが話しかけても、あいまいに笑ってすぐ逃げてしまう。
「女神よ、なにとぞ、ラダトームのお世継ぎ、ローラ王女をお守りくださいませ」
別の僧が言った。
 ローラ姫は、先に起こったラダトーム城襲撃のとき竜王にさらわれて行方不明になっている。貴族の中にはしたり顔でもう亡くなっているにちがいない、と言う者もあった。
「われら人の子に、どうかお声を賜りませ」
その声を合図に、人々は沈黙した。
 大昔はその祈りのときに精霊ルビスがじきじきに声をかけてくださることもあったと言うが、ここ百年ばかり精霊の声を聞いた者はいなかった。
 リン、ゴン。鐘の音を合図に、礼拝堂から人々は退出していく。アレフは、膝がじんじんしているのを抑えて立ち上がった。これから厨房へ行って、毎日やっているように朝食の準備を手伝うのだ。そうした雑用がすべて終わって、やっと学校へ行くことができる。
「アレフ」
後ろから呼ばれて彼は立ち止まった。
 礼拝堂から教会の奥へつながる渡り廊下を、小太りの人影がせかせかと歩いてくる。高位の僧侶の秘書官だった。アレフは脇へのいて、うやうやしく頭を下げた。
「アレフか。ちょうどよかった。これからお城へ行きなさい」
「あの、朝食の準備がありますので、その後では」
秘書官は、アレフを上から下まで眺めた。アレフは居心地が悪くてしかたがなかった。
「もっとましな服は持っていないのか?やせっぽちだな、おまえは。顔色は青白いし、眼も髪も色が薄い」
気が弱くて、おとなしそうで、きゃしゃで、というのは、アレフの悩みのタネだった。が、僧侶らしくていいか、と思うことにしている。だって、教会組織の下っ端として生きていく以外に道はないのだから。
「しかたがない。朝食はいいから、急ぎなさい」
と、秘書官は言った。
「国王ラルス16世陛下が、じきじきにおまえをお召しになっておいでだ」

 ましな服など、あるわけがない。アレフは、身丈にあわなくなった古い僧衣を気にしながら、ラダトーム城謁見の間にひざまづいていた。
 秘書官に言われてラダトーム城へ来ると、身分の高そうな役人や位の高い戦士がよってたかってアレフを謁見の間へ連れて来てしまったのだ。国王陛下がじきじきにおでましになる、と聞いて、アレフはふるえあがった。
 まもなく、ラルス16世が現れた。アレフは脇にじっとりと冷や汗を感じていた。広い謁見の間には貴族や戦士が大勢いたが、みんな広間の壁の方へ寄ってしまい、アレフの周囲は無人だったのである。
 アレフはたった一人で、国王の前に出た。
「アレフよ、そなたの来るのを待っておったぞ」
 アレフはおそるおそる顔を上げた。国王は眼光の鋭い、堂々とした壮年だった。
「その昔、勇者ロトが、神から光の玉を授かり、魔物たちを封じ込めたという。しかし、いずこともなく現れた悪魔の化身竜王が、その玉を闇に閉ざしたのじゃ」
アレフはぼうっとして聞いていた。その話は、見習い僧侶でも風のうわさに聞いている。なぜそんなことを自分に、とアレフは思った。
「この地に再び平和を!アレフよ、竜王の手から、光の玉を取り戻してくれ!」
アレフは飛び上がった。
「そんな、私は一介の僧侶、それも見習いにすぎません。そのようなお役目は、どうか、強い戦士の方々にお命じになってくださいませ」
どもりながら何とかそう言った。王はため息をついた。
「今日まで、どれほど多くの精鋭をその任に当てたと思う。竜王は強い。武具に身を固めた戦士など、何人寄せ集まっても、竜王は子ども扱いだ。そなただけが、唯一の希望だ」
「私が、ですか?」
体力もない。武芸もない。回復呪文の初歩を勉強中といったあたりで、魔法力もない。アレフは泣きたいような気持ちだった。
「そなた、知らぬのか」
答えようがなくて、アレフはとまどった。
「そなたは、現存する者の中で唯一、勇者ロトの血を引く。そなたは勇者の末裔なのだ」
アレフは、バカのように王を見上げることしかできなかった。
 勇者の末裔。このアレフガルドで勇者といえば、異世界から現れて大魔王ゾーマを滅ぼした、かの勇者ロトに決まっていた。
 絵姿などはつたわっていないが、大魔王に勝ったのだもの、威風堂々とした屈強の戦士に決まっている。アレフは自分の細っこい腕を見下ろし、おずおずと抗議した。
「何かのお間違いでは……」
「ラダトーム王家は、勇者ロトとその仲間がアレフガルドに降り立ったときから親交がある。彼の血族の行方も、調べる手段があるのだと思ってくれ」
なにかたちの悪い冗談につき合わされているに違いない。助けを求めてアレフは周囲を見回した。だが見返す目はどれも真剣だった。
 ことの滑稽さに、アレフは笑い出したいくらいだった。大臣や貴族、大魔法使いや熟練の戦士たちが、すがるような目でアレフを、みなしごの見習い僧侶を見守っているのだ。
「そなたは、今戦える者の中で、われわれが見つけ出したただ一人のロトの末裔だ。頼む!竜王に会い、光の玉を取り戻してくれ!」
「町の外に出たことさえないんです」
「王命である。行け」
アレフは、くらくらするような思いでその場から立ち上がった。
 勇者ロトと仲間たちは異世界から来た、と伝説は言う。ならばさぞ、彼らはアレフガルドで孤独だったに違いない、とアレフは思った。期待と熱気に満ちた大広間で、アレフは一人立ち尽くし、先祖だという勇者と同じ孤独を味わっていた。